年別アーカイブ: 2011
春を探しに
「春を探してみましょう」
こどもの宿題。
一緒に
小雨が降ってたけど、春を探してみた。
向島小学校の寒桜の花が咲き
ソメイヨシノの枝の先がほっこり膨らんでいて
ちょっと足を延ばした、梅の香が漂う天満宮では・・・・
花嫁さんが結婚式。
まだ、寒いけど
世の中色々大変だけど
確実に春はそこまで訪れている。
救世主
福島第一原発の放水活動を指揮した
東京都消防庁ハイパーレスキュー隊の
佐藤総隊長が出動前に家族と交わしたメール。
奥さんから
「日本の救世主になってください」とメールを交わしたと。
命がけで日本を守ってくれている人々に
支えられて、今の日本があるんだ。
感謝の気持ちでいっぱいになる。
そして隊長さんは家族の理解、協力、支えがあるから
救世主にもなれるのかもしれない。
家族・・・・
家族があるから・・・
家族が支えてくれるから
・・・・・・・・・何事もがんばれる。
そして、使命を果たすことができる。
家族を大切にしたい。
そして、どの家族も幸せになれるように
家族みんなの健康を守りたい。
・・・・・・それが僕の使命なのかも。
今、できること
地震、津波の影響はまだまだ続いてる。
原発、電力不足、物資の不足・・・・
日本全体に大きな影を落としている。
石原知事は天罰だと言ったとか・・・
過激な発言かもしれないけど
この現実をしっかり受け止め
今ひとりひとりが
今までの自分のあり方を考えるときなんだと思う。
今こそ
日本が、世界がよりよくなるために考え
小さいことでも行動していくことだと思う。
今この瞬間、被災者が今どんな気持ちだろう
・・・・・・・・・・・
電気、食べ物、家、仕事、仲間、家族・・・・・
すべてのものに感謝の気持ちで胸いっぱいになる。
そして、その先に
自分のすべきことがあるような気がする。
命の尊さ
まだまだ、地震津波の影響がおさまらない毎日。
その中で、少しずつ
被災者の方の声が聞かれるようになった。
生きてるだけでいい。
命あることが喜び。
他の家族を助けてあげてください。
・・・・・・・・熱いものがこみあげてくる。
被災された方
そして、
日本国民が命の尊さ、絆の大切さをかみしめてる。
命があり、希望を忘れない限り
みんなと一緒にいる限り
人は前向きに生きることができる。
・・・・そう、信じてる。
冒険者
だんだん、暖かくなってきた。
引越して、こどもに自転車を買う約束をしてたので
一緒に自転車屋さんに。
こどものお気に入りの自転車は決まった。
実は・・・自分も街乗りように自転車を一台チョイス。
あれかな、これかな・・・と考えながら・・・時間はかかったけど
所謂、オーソドックスのものに落ち着いた。
自転車が来て
春風に誘われて
早速、自転車で街乗りを開始。
肌で空気を感じ
足で大地の感触を確認し
目で新しい発見をし
そして、車では決して行かない路地に入って
・・・・・・・
そして自分の家にたどりついたときは
無事生還できた、ミニ冒険者だった。
地震
自然災害・・・とは言え
あまりにも悲惨な状況。
地震、津波・・・
自然の脅威を見せ付けられた状況。
被災された皆様の想像を絶する
恐怖、不安、悲しみ・・・
何と言葉をかければいいのか・・・
3年前の防府の大水害のとき
何かしないといけないと
居ても立ってもおれなくて
医療ボランティアに参加した。
今・・・自分は何ができるだろうか?
今、総理大臣が言ってたように
節電する。そして・・・何ができる?
早く全てが落ち着き
いち早く復旧するのを祈るしか今は思いつかない。
大物登場
クレーン車の腕がどんどん伸びて
その先に、重たいはずだけど
軽々と持ち上げる。
風にひらひら舞いながら・・・・
体の大きい男性3人で
ヨイショ、ヨイショ・・・・・
とても自分の力では及ばない世界。
ただ、ただ・・・感心してみてるだけだった。
新しい看板
いつも明るい笑顔のYちゃんに呼ばれて
待合室に行ってみると・・・・
イーゼルいっぱいに
病院の名前を描いてくれてた。
シンボルのサンタ君が
もっとかわいくなってる・・・・
その愛くるしいサンタ君と
センスのいいYちゃんの才能に
新しい看板の完成をお祝いするかのように
スタッフ全員の拍手・・・待合室中にずっと鳴り響いた。
72時間
NZで起こった大地震。
多くの死者がでて、被害も大変大きいようだ。
仕事が終わって、TVをつけると、
その悲惨な情景に釘付けになった。
そして、大勢の人が、
がれきの中から一人でも多くの方を救出しようと
懸命に・・・・作業している。
でも、時間は刻々と過ぎていく。
72時間が人命救助の山場だと・・・さかんに報道している。
その時間が、刻々と近づいている。
ある救助経験されたことが言ってた。
「72時間は一つの山かもしれないけど
それよりも大切なものは、あきらめないことだ」と訴えていた。
まさに生死のはざまで仕事をしている人の言葉だ。
どんなに、助かる可能性がほとんどなくても
わずかでも、助かる可能性があるなら
最後まで、あきらめずに・・・・治療する。
救助隊も医者も同じ気持ちなんだ。
「最後まで、あきらめない、あきらめてはいけない」