月別アーカイブ: 9月 2020

認知症は病気ではない?

認知症の第一人者であり
 ご自身も
 認知症になったことを告白され
 認知症について
 医師として、患者としての両方の立場で
 活動されている長谷川和夫先生が
 著書のなかで

 「認知症になると
  時間の間隔がなくなってきます。
  物忘れが増え、その時その時の
  今だけを見ながら
  生きていくことになります。」と
 仰っています。

 人は生きていくうちに
 いつの間にか
 過去を振り返り、そして
 後悔したり満足して
 今を過ごすようになります。
 そして、過去を振り返った状態で
 今と比べてどうなるのかと
 未来を考え、想像し
 不安になったりしていませんか?

 そんな風に
 過去を振り返り
 未来への不安を抱えながら
 年を重ねいくと
 いつかは自分に必ず起こる
 死という問題にぶつかり
 死に対する不安(恐怖)に
 追いつめらることが
 増えていくことになるかもしれません。

 年老いて
 ものを忘れる
 過去、未来の時間軸がわからなくなるのが
 認知症だとすると
 認知症は
 病気なのでなく
 不安なく死を迎えられるために 
 魂が準備してくれた
 プログラムなのかもしれません。

 長谷川先生も次のように仰ってます。
 
 「認知症は
  死への恐怖を思いつめず
  毎日を精一杯生きるように差し向けられた
  神の恩恵ではないかと
  思えるのです」と

 高齢化社会となり
 多少はあっても
 誰もが認知症になるとも
 言われています。
 そして
 誰もが死を迎えるのは確かです。

 穏やかに
 この世での人生を終えるためには
 今
 この瞬間、この時を
 生きることが大事なんだと思います。

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人は肉体だけで生きているのではない

 入院生活を通して
 わかったことのひとつに
 人は肉体だけで生きているわけではない
 ということ。

 左手は
 リハビリをする前には
 感覚はあるけれど
 全く動かない状態でした。

 とある日
 カッターシャツに着替えをしようと
 したときのこと
 まずはパジャマを脱いで
 シャツの腕を左手に通して
 次に右手に通します。

 ここまでは
 いつもと一緒だけど
 今日はシャツを着るので
 ボタンを止めないと行けない
 カッターシャツなので
 ボタンも小さいし
 間隔も近くて
 パジャマのボタンなら
 右手だけで
 できてたけど
 小さなボタンを穴に通すの
 右手だけにするのに
 四苦八苦してたときのこと

 動くはずのない
 左手が
 自分では意識してないのに
 すっと
 四苦八苦している右手のボタンのところまで
 動きいていったのです。
 僕が意識したのではなく
 左手の意志で
 右手が困難だから助けようと
 しているかのように
 右手の動きに対して加勢してるのです。

 でも
 麻痺がある左手です。
 動かすのがやっとのはず。
 さすがにボタンを入れる細かい作業の
 お手伝いまでにはなりませんでした。

 僕は
 自分のからだだけど
 自分のからだでない光景として
 右手を助けようとする
 左手の様子をみてました。

 なんと美しい光景でしょう
 困ってる右手を
 必死で
手伝おうとする
拙い左手。
 まるで小さい子が
 一生懸命にお母さんを助けようと
 お手伝いしようとする光景に見えて
 自分のからだなのに
 感動しました。

 そんな光景を見ながら
 右手も左手も
 自分のからだのはずだけど
 からだの中には
 自分の意志とはちがうところで
 見えない力が働いていることを知りました

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魂の声に従うと体質が変わる

 体質が変わった
 入院する前と後で
 大きく変わったことのひとつに
 食の好み

 入院するまでは
 甘いものも好きだけど
 もっと好きなのはおせんべい。
 甘い辛いの両刀だけど
 おやつの〆は
 いつも塩味のきいたおせんべいだった。

 買い物に行った妻が 
 我が家はおせんべいの消費量がすごいのよね。
 かごいっぱいにおせんべいを入れて
 買ってきても 
 すぐなくなっちゃうからと
 よく笑って話してました。

 脳出血に大事なのは
 血圧のコントロール
 そのためには塩分を取り過ぎない
 せんべいなんて・・・・御法度
 ということは医者じゃなくてもわかること。

 あれだけ食べてたおせんべいを
 やめれるか?
 食生活の変更を余儀なくされます。
 それができるか?
 それも苦労なくできるか?が
 それが退院してからの
 僕と家族の懸案事項でした。

 その心配は入院中も
 せんべい中毒の
 禁断症状だ入院中からでるか
 いつせんべい食べたいと言い出すか、思うか
 自分も家族もヒヤヒヤでした。
 
 でも実際 
 せんべいは全く食べたいと思ったことは
 入院してから
 今まで一度もありません。

 その代わり
 甘いものを食べたくなります。
 甘いものでも
 チョコレート、ケーキではなく
 あんこ。
 おまんじゅうやドラ焼きなど和菓子を食べたくなるのです。
 食後におまんじゅう1個で十分
 おまんじゅうのおかわりも

 もちろん 
 塩辛いおせんべいで〆なんて
 考えも浮かばないのです。

 今から考えると
 あれだけ狂ったように食べてたのは
 何だったんだろうと思います。

 体質の変化
 嗜好、好みの劇的な変化
 自分でも驚いています。

 退院してからも
 あんこスイーツを楽しんで食べています。
 先日NHkの「ためしてガッテン」でも
 あんこがいいと言ってましたが・・・
 そのおかげで?
 血圧も安定、血液検査も全て正常です。

 こんなに簡単に
 食べ物の嗜好って変わるんでしょうか?

 そういえば
 とある神社の宮司さんが
 「あなたは、あんこが好きですね。
  あんことお抹茶で一服で癒やされますよ」
 と言われたのを思い出します。

 その時は
 両刀だったので
 そうなのかなぁぐらいにしか
 思ってなかったけど

 きっと
 ぼくの好きなものは
 せんべいじゃなくてあんこ。
 ということを魂は知っていたのでしょう。
 魂の思ってる行動をして
 辛いせんべいを食べてたから
 脳出血を起こした。
 魂の声に従って行動したから
 苦もなく自然に行動できるんです。

 病気になるのも
 生活習慣が乱れるのも
 魂の声を聞いていないから。

 魂の声に従うことは
 本当に大切な自分にとって必要なこと
 
 魂は本当のあなたとして
 生きる方法、道筋を
 教えてくれているのです。

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リンゴの種子

 時の文科省の大臣が
 こどもたちが
 コロナになったお友達を
 いじめないようにという
 メッセージをこどもたちに言ってました。

 その発言を聞きながら
 こども達にだけ言う前に
 自分達おとな自身が
 自分の身をふりかえらなくていいだろうか?

 と感じたときに
 こんなお話(寓話)を耳にしました。
 それは次のようなお話

 <りんごの種>
  むかしむかし
  日照り続きで大凶作のある年のこと
  ひとりの男が市場で食べ物を盗んだ罪で
  死刑を宣告されました。
  死刑執行前に、王様が
  「死ぬ前に何か言い残すことはないか?」と聞かれ
  男は
  「私には先祖代々伝わる能力があります。
   その能力とは
   私がリンゴの種をまくと
   ひと晩で素晴らしいリンゴの木に育つのです。
   私が死ぬ前に、その能力を誰かに伝えて死にたい」と
  「それでは、その能力を伝えてから刑を執行しよう」と
  「ありがたいことです。
   ただ、その能力を引き続けられるのは
   生涯で一度もひとをだましたことがないかた
   だけなのです。」
   そこで、王様は
   総理大臣、大蔵大臣など大臣達に
   その能力を引き継ぎように指名したが
   誰ひとり
   これまで人をだましたことのない人はいなかった。
   最後には、王様ご自身も
   人にも種を埋める資格がありませんでした。
  
   そこで、男が言いました。
   
   「あなた方は、この国の
    最も高い地位と権力を持っています。
    でも、あなたがたのうちに
    全く罪を犯したことのない人はいなかったのに
    私は、死刑になったのです」と

 この話をきいて
 どう思われましたか?
 人に責めるなと言う前に
 自分の心を改めることが
 大切なんですよね。

 特にこどもは
 おとなの言うことよりも
 おとなのやってることで
 判断しているのですから

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誰からのメッセージ?

 診察終わった後に
 僕より大先輩の
 初老の患者さんにこう言われた。

 「先生にいつか伝えようと思ってたんだけど
  先生が入院する前と比べて
  顔が変わったし、言うことが変わったなぁと
  思うんですよ。
  自分よりもずっと年上の方に
  診てもらってるような気がしてるんですよ」

 「え、そうですか?
  退院して、めがねをかけるようになったから
  ですかね」と笑って答え
  自分では、全く変わったなんて
  考えたこともないし
  診察のスタイルも
  入院前と比べて変えたこともない。
  だから、きっと少し
  やせた、めがねをかけるようになったと
  見かけの問題だろうと
  言葉はうれしいけど
  実際はそんな風にしか思わなかった。
   
  ただ
  患者さんと話していて
  患者さんの反応が以前とちがうなぁと
  自分自身思うことがある。

  それはやはり患者さんの反応。
  僕と話をしているときの顔が
  いつもとちがう
  目の輝きがいつもとちがう
  うなずきかたも力強くうなずいてくれる方が
  多いような気がしてました。

  もちろん入院前と
  話す内容がちがっているとこと
はありません。

  ただ、後で
  今回なんであんなに真剣に聞いてくれたのか
  今後の参考にしようと
  思いだそうとしても
  不思議と思い出せないこともあるのです。

  
日常生活において
  それほど、自分の話したことが思い出せないと
  言うことはないので
  認知症ではないと思うし
  もちろん検査上も正常です。
  そこは、安心していただきたいのですが

  ふと思ったのは
  その時患者と話してたのは
  ひょっとしたら
  僕以外の人??
  
  例えば、医療の神様が
  僕のからだを借りてしゃべってたのかな?
  と本気で思ったりもします。

  でも
  これって不思議な現象でもなく
  誰にでもふと、急に
  思っていなかった言葉を
  口にしたり、聞いたり、思いつくってこと
  があると思います。

  きっと
  これと同じことが
  患者さんの前で起こっただけかも。

  ふと思いついたこと
  不意に口から出た言葉って
  誰かからの大切なメッセージかもしれません。
  ですから
  気づいたことは
  忘れないようにすぐメモにと流ようにしています。
  そんな大切な気づきは
  ブログの元になっていることも
  あります。
  
  僕の言ってることが
  ひとりでも多くの方が
  しあわせの道を歩いてもらうことが
  できたら、僕もとってもうれしいと思います。

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