月別アーカイブ: 10月 2020

目がつぶれるの意味

 前回のお天道様の続き。
 お天道様はいつもみてるのの
 お天道様は
 太陽のことではなく
 太陽を含めて
 いのちの源の力のことと
 お話しました。

 なら
 ごはんを残すと目がつぶれるの
 目は
 どこか脅しのような言葉にもとれますが
 目を失うとは
 実は顔についている目ではなく
 心の目という意味らしいのです。

 心の目を失ってしまうと
 感謝の気持ちを忘れてしまう。
 感謝の気持ちがなくなると
 不幸、災難、病が近づいてくると
 昔の人は考えたのです。

 現代人も
 感謝の心を持ちなさいと
 よくいわれます。
 感謝の気持ちを忘れずに生きることが
 しあわせへの道へとつながるのです。

 毎日生きていくうちに
 大切な生活できることへの感謝
 今生きていることへの
 いのちの源への有り難い気持ちを忘れずに
 いきているでしょうか?

 自分の利益だけを考え
 自由気まままに、わがままに
 生きてはいないでしょうか?

 いつも
 いのちの源である力が
 あなたが良く生きられるように
 見守ってくれているのです。
 そのいのちの源の力、お天道様を
 忘れずに、心の根を大切に
 日々生きていくことを
 忘れずに生きていけなくてはいけないこと
 そんな忘れそうなことを
 コロナの時代
 コロナウイルスが教えてくれているのかも
 しれないと僕は思うのです。

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小さな奇跡は、神様からの忠告

 神様って何気なく
 忠告を与えてくれているように思います。
 でも、人間は
 神様が送ってくれるサインに
 なかなか気づかないようで
 はっきり気づき、悔い改めるように
 仕方なく病気を起こしてる気がします。

 例え大きな病気をしなくても
 ちょっとしたからだの変調は
 神様から送られた
 気づきのサインのなんだと
 思わされた
 小さな奇跡が起こりました。

 僕は退院以来、毎朝
 リハビリをかねて
 近所の神社3カ所、8柱の神様に
 日頃の感謝を込めて
 お参りさせていただいています。

 ある朝、散歩中に
 左足親指の先に軽い痛みを感じました。
 靴の中に石がはいって
 親指を刺激しているんだろうぐらいにしか
 思ってませんでしたが
 次の日は
 靴を履いて、歩こうとすると
 左指先に力が入る度に激痛が走るんです。
 麻痺ではなく、痛みのために
 歩けないんです。
 その日は
 小雨が降った後でしたし
 激痛のため
 歩いてすぐの神社にお参りしただけで
 その先を行くのを断念しました。

 確かに
 何かの炎症があるんでしょう
 指先は少し赤く腫れてはいましたが
 その程度で
 こんなんに歩けないものか
 明日から自力でスタスタ歩きづらくなる
 朝の散歩も
 今まで通りお参りができなくなる。

 神様にご挨拶できなくなる
 悲しみ。恐怖に襲われ、
 大げさではなく目の前が真っ暗になりました。

 歩けなくなる現実にぶち当たった時
 今までお参りした神社の光景が目に浮かびました。
 そして
 歩けなくてもいける
 大事な神様にご挨拶していましたか?
 という声を聴いたんです。

 あ、そうだ
 自宅の神棚の神様に
 毎朝神棚の隣で身支度を整えているのに
 いつもご挨拶を忘れていました。

 家の神様のことも
 散歩中に頭によぎることはありましたが
 これだけ、神棚より大きなお宮に
 お参りしているんだから
 一緒にしているようなもんだよ
 と自分勝手な考えで正当化し
 家の氏神様をなおざりにしていました。

 神様は
 遠くに行かなくてもいい
 まずは家の神様に手を合わせなさいと
 僕に伝えるために
 足指を痛くして、歩きづらくされたんだということに
 気がつきました。

 「かみさま、ごめんなさい。
  かみさまがいつも見守ってくれていたのに
  僕の恩知らずの行動を  
  お許し下さい」と
 何度も心の中で思いながら
 神棚の前で手をあわせました。

 手を合わせたあと
 なんだか心がすっとしましたが
 痛みはまだ続いていましたが。
 その日の午後
 神棚の近くでうとうととした後
 午後の診療を開始しました。

 その時
 左足の異変に気づきました。
 寝る前までは
 靴が当たって圧迫されただけでも
 痛みがあったのに
 ほとんど痛みを感じなくなっていたのです。

 神様の仰りたかったことを
 僕が聞けてからだと思ってます。

 このことはたいしたことがない
 他の人にとっては
 何気ない日常の事件
 小さい奇跡かもしれないだけど
 神様からのメッセージだったんだと
 僕は思ってます。

 神様からの
 メッセージを感じながら生きていけたら
 日々救われる気がします。

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生い立ち③医師にあこがれていた少年時代②占い

どこかで
 医者の生活に憧れていた自分がいましたが
 でも、心のどこかで
 なれるわけはないと諦めてました。

 なぜか
 医者になるには
 お金がかかるから
 お金持ちや
 もともとお医者さんの家に生まれてないと
 なれないものだと思っていたからです。

 僕は
 サラリーマンの家庭に生まれてるから
 それは憧れだけなんだぞ。
 医者になろう、医者になるなんて
 考えるなとしていた気がします。
 両親も、一度も何になれと言ったことはなく
 きっと
 医者でなくて普通のサラリーマンになれば
 と思っていたと思います

 でも
 ひょっとして
 なれるかもしれないと
 心の底で思ってたのかもしれないと思える
 ささやかな自分だけの事件があったのです。

 それは
 学校帰りに
 近所のスーパーによったとき
 本屋の前にあった
 生年月日を入れると
 自動的に前世を占ってくれる
 占いのゲームがありました。
 
 いつもは
 何も気にしなかったのですが
 小学校4年生のある日
 ちょうどお小遣いの残りもあったので
 前世占いをなぜかやってみよう
 という気になりました。

 そして
 出た結果をみてびっくり。
 そこに書いてあった僕の前世に
 心ときめいたのを今でも
 憶えています。

 そこには、こう書かれていたんです。
 「あなたの前世は医者でした。
 あなたは、目の前の人の顔を見ただけで
 病気を診断し、治療もしてしまう
 名医でした。」

 え、本当に。
 自分の心に隠し持っていた
 僕がなりたいと思っていた姿を
 この前世占いが当ててくれた。

 びっくりしました。

 僕は、そんな名医になりたいと
 思っていたことを確信し
 もし、そんな名医の生まれ変わりなら
 また医者になれるかも?
 なんて夢を描いたような
 自分の気持ちを
 言い当てられた気がして
 誰にも今までも語らず
 そんな100円程度の占いが
 当たるわけもないと思いながらも
 その結果を大事に、大事に
 財布の中に入れて持ち歩いていました。

 そして
 もしこの前世占いが正しいなら
 将来僕は
 医者になれるのかもしれないと
 自分の将来をかけている
 自分がいた気がします。

 その医者像が
 今も思っている
 僕がなりたい医師像だったのです。

 でも
 実際医者になろうと決心するまでには
 まだまだ時間がかかるのでした。

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お天道様

最近耳にしなくなった言葉の一つに
 「お天道様」という言葉があります。

 こどもの時
 「ごはんを残したり
  食べ物を粗末にしたら
  お天道様に申し訳ない
  目がつぶれるよ」とか
 「誰も観てないからといって
  悪いことすると
  ちゃんとお天道様がみてるよ」
 なんて言われたことが
 よくありました。

 最近耳にしなくなった
 「お天道様」という言葉ですが
 僕はてっきり
 太陽のことだと思ってましたが
 実は
 太陽のことではないことを
 この年になってやっとしりました。

 お天道様って
 太陽のことではなく
 全てのいのちの源を育む
 自然の力のことを
 お天道様と昔の人は呼んでたんです。

 人間だけに限らず、動物も植物など
 地球上の生物だけでなく
 地球も太陽も
 宇宙にある全ての星など
 あらゆるものがお天道様の力で
 生み出され育てられているのです。

 科学がどんなに進歩して
 人間がどんなに力をもったとしても
 「いのち」を作ることはできません。
 そして、昔の人は
 すべてのいのちをうみだした
 いのちの源流であるお天道様を
 尊敬し、敬い
 日々お天道様に守られ生きて、
 お天道様の元にまた帰っていくこと
 も知っていたのかもしれません。

 お天道様のおかげで
 お日様が照ってくれて
 土地を肥やし、食べ物ができる
 海では、魚が育つ。
 我々のからだの元を作っている

 今生きているのは
 いのちの源の力
 お天道様のおかげ。

 だから
 食べる前には
 お天道様に感謝して
 いただかせてもらう
 食べ終わったら
 ごちそうをいただいたと
 手を合わせるのです。

 すべてのものを
 生み育てる
 いのちの源の力
 「お天道様」に誰をも感謝して
 生きていかなければならないと
 そのことを忘れてはいけないと
 昔の人は
 ちいさいこどものうちから教えてたのでしょう。

 さらに
 目がつぶれるの「目」にも
 込められた大きな意味があるのです。
 それについては次回のブログで。

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善・悪を作ったのはあなた(人間)

 善・悪をつくり、判断しているのは
 神でも、仏でもなく
 人間の都合によって作られた基準による。

 たとえば「水」について。
 水は人だけでなく全生物にとって
 生きていくためにとても大切なもの。
 水がないと生きていけないから
 暑いときはしっかり水分をとるように
 心がけ、脱水症を予防します。
 水がないと死んでしまうことは
 誰もが知っている常識なこと。
 でも
 台風が来たり、大雨がふって
 川が氾濫したり
 津波がおこって災害をおこすと
 途端に
 水は恐怖の源になって悪とも思ってしまいます。

 けれど
 どんな状況でも
 水自体は、善でも悪でもない。
 善・悪を決めているのは
 人自身の判断、
 人の心だということになります。

 そして「死」についても
 人は悲しい、怖い、
 死ぬのは嫌だと思っている人も
 たくさんいらっしゃいます。
 でも、もし生まれ変われることができる(輪廻転生)
 があると考えれば
 死は単なる通過ポイントであり
 別に悲しいことではなくなりませんか?

 このように
 死を恐れたり、憎んだり、悲しんだりする
 心の動きが
 あなたの生き方を制限しているとは
 思いませんか?

 暗い気持ちになると
 暗い波動(エネルギー)を生み出し
 最初はあなたひとりの
 ちょっとした暗い気持ち、エネルギーが
 人から人に伝わり
 負のエネルギーが集積することで
 自然界にも大きく影響するように
 なるのです。

 この宇宙が成り立っているのは
 すべて
 今生きている
 この地球で生活している
 人間を始め全ての生物のエネルギー
 波動でできあがっているのです。

 ですから
 あなただけの価値観
 善・悪だけで行動することが
 あなたの持っている波動エネルギーを変化させて
 そのエネルギーはあなただけでなく
 周りの人にも影響し、集積し
 地球をそして宇宙全体をも変えてしまうことを
 知っておかないと行けないのです。

 あなたの心が落ち着けば
 周りの人々の心もおちつき
 やがて
 地球全体そして宇宙全体が
 やさしいエネルギーに包まれるのです。

 世の中には
 様々な規則、法律、決めごとがあります。
 社会生活をする上で
 ルールを守ることは大切なことです。

 でもそのルールは
 絶対ではなく、人が決めたことであると自覚し
 人が決めた善・悪は絶対ではないことを
 心にとめ、縛られることなく
 心(魂)を磨いて生きていくことが
 大事なのではないでしょうか

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人はパラレルワールドに生きている

 今生きている世界は
 日々何も変わらないようだけど
 知らず知らずのうちに
 時間とともに変わっていっています。
 そして
 気がついたら
 年を重ねたことに気づき
 今までの歩みを振り返り
 後悔したり
 戸惑ったりすることってないですか?
 
 この世は
 変わってないようで
 刻々と変化していることを
 日々意識すべきだと思います。
 
 自分自身のからだも
 毎日、毎時毎分毎秒分裂を繰り返し
 3年も経てば
 今までの自分のからだと全くちがう
 肉体として生きています。

 今までのあなたの肉体は
 いったいどこにいってしまったのか?

 今ここにいるあなたは
 以前のあなたが生きていた
 全くちがう世界にいるのかもしれません。

 その世界を
 パラレルワールドと人は言います。
 少し前に大ヒットした映画
 「君の名は」まさに
 パラレルワールドの世界を表現していました。
 その世界が受け入れられているから
 あの映画はヒットしたのでしょう。

 人はみんな
 時間と空間を越えた
 パラレルワールドの世界に生きている。
 最近の物理学も
 このことを現実のこととして
 少しずつ暴いてきています。

 パラレルワールドの先に
 魂の世界
 そして
 神の世界が存在していると

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ペンローズ博士のノーベル物理学賞

今年のノーベル賞が発表されました。
 今年は日本人の受賞者はいなかったので
 日本人にとっては
 少し盛り上がりに欠ける感じがしました。

 僕的にも
 存じ上げない名前がずらり。
 僕が知らないだけで
 みなさん立派な業績を残された方なので
 注目すべき学者です。

 今回僕が注目したのは
 ノーベル物理学賞を受賞された
 ロジャー・ペンローズ博士です。

 略歴をみてみると
 あのホーキンズ博士と双璧の物理学者で
 ブラックホールを解明された方でした。

 ブラックホールのことは
 僕はほとんどわかりませんが
 博士が述べられた言葉が気になりました。
 その言葉は
 「物質そのものが、ある意味では
  精神的な存在である」です。

 博士の研究された物理学の世界は
 物質的の裏に隠された
 精神的な世界を解明された方だと思うのです。

 それを裏付けるように
 ご自身が用いてきた数理学的な手法は
 もともと精神世界の中で生み出されると
 考え、研究を進められ
 著書のなかでも
 「意識というのは、何か別の存在です。
  それは部分の寄せ集めではなく
  一種の大局的な能力なので
  おかれている
  全体の状況を瞬時に考慮することができるのです。
  つまり
  私は 意識が量子力学と考えるのです」と
 述べられています。

 結局 、量子力学は
 物質世界の解明をしているようで
 実は
 目に目ない
 物質の世界の奥に隠れている
 意識の世界を追求しているのです。

 全ての物は
 目に見えない意識の力が働いている。
 その力は
 個々人の意識の力と言うより
 もっと、もっと大きな大局的な力
 が働いている
 それを解明するのが量子力学だと
 ペンローズ博士が解明しようとした
 世界なのでしょう。

 そういえば仏教にも
 「全にして個、個にして全」
 という言葉があるのを思い出しました。

 ひとりひとりの人が生きて行くには
 きっと大きな意識。力が働いていることが
 今後科学の世界で証明されるのでしょう

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生い立ち②医者にあこがれていた少年時代

僕は
 平均的なサラリーマン家庭に
 生まれました。
   
 仕事人間の父と
 専業主婦の母という
 当時の平均的なサラリーマン家庭で育ちました
 両親とも
 教育はしっかりうけさせようと
 思っていたようで
 小学校は
 校区の公立小学校でなく
 バスで1時間ほど通学時間のかかる
 私立小学校に入学しました。

 7つ離れた姉と一緒に通ってましたし
 近所の友達から
 すごいなぁなどと
 言われることがありましたが
 その私立の学校に通ってることは
 僕にとっては
 特別意識はなく
 当たり前の普通の道と思っていました。
 みんなの視線の意味がわかるには
 かなり時間が経ってからでした。

 また
 その小学校は
 カトリック系の学校で
 週に1回、道徳の授業があって
 イエス様の話を
 シスターの先生がしてくれました。
 今でも不思議に思い出す
 小学校の授業と言えば
 このシスターが黒板一杯にかいた
 イエス様、マリア様の絵です。
 
 なんの先入観もなく
 自然な形でキリスト教を学べ
 イエス様に対して
 親近感が湧いたとともに
 聖書の話が自然とみにつき
 そのことが
 今でもキリスト教に抵抗なく触れられている
 一因になっているのかもしれません。

 それと
 その小学校は 
 私立の進学校でもあったので
 お医者さんの家庭が多かった
 ように思います。

 友達もお医者さんの家庭の人と
 自然と仲良くなりました
 そして、その子の家に遊びに行くと
 どこのお父さんも
 仕事の合間に
 白衣を着てニコニコして
 挨拶に来られるんです。
 
 僕は
 家に父がいるという
 経験はあまりありません。

 と言うのも
 その時代は高度成長期のまっただ中
 我が家の父は
 まさに企業戦士で
 帰宅も遅く
 家にいる、父に会うのは休みの日ぐらい
 でも、疲れてて
 僕と遊ぶ余裕もあるはずもありません。

 父が余裕で
 笑顔をみせてくれる
 開業してるお医者さんの家庭に
 どこか憧れている自分がいたような気がします。

 でも、そんな
 お医者さんの家庭って
 僕と住んでる世界とは別次元のはなし。
 僕が、医者になれるわけないし
 医者になることもないだろうからと
 なぜか
 医者という世界に壁を作って
 小さい時から過ごしていたような気がします。
 
 でも、心の底では
 お医者さんという仕事を実感する前に
 お医者さんの家庭でふれて感じに
 どこか憧れをもっていたのは確かです。

 今思えば
 この小さいとき気持ちって
 理屈じゃなくて
 純粋な気持ち
 魂のプログラムだったのでしょう。

 でも、医者になんて・・・・と思って、
 気持ちを抑えていたのも事実です。

 その僕が
 だんだん医者の道に近づいていくのですが
 その続きは、またブログで

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生い立ち①自分で決めた人生を歩いている

 病気になると
 これまでの人生を
 これからの人生を
 自分の生きてきた人生を
 振り返る時間
 そして
 今後の人生を考える時間が
 自然と増えてきます。

 僕もそうでした。
 なぜ、医者を選んで
 今こうして生きているのか?
 そして
 これから僕はどう生きていくのか。
 と病気に向き合うことで
 考える時間がありました。

 自分のこれまでの人生を
 振り返ったとき
 今の状態を考えると
 病気になって
 不自由な面もありますが
 実は病気になったことに
 後悔することもがほとんどありません。
 それは、あきらめの気持ちでなく
 やけになることもなく
 自分でも信じれないぐらい
 自然に受け入れているのです。

 こんな自分を
 強いですねって
 言われる方もいらっしゃいますが
 決して僕が強いわけではなく
 病気も含めて
 自然の流れにそって
 自分の決めたシナリオ通りに
 生きている気がしているから
 なのかもしれません。
 
 なにか目的に向かって
 生きている、
 その中で、僕は
 医者として、人として感じて
 これからも生きようととしています。

 何もかも
 自分が決めた人生を
 その通りに生きているから
 今の人生の時を
 受け入れているんだと思います。

 病気をしたのも
 自分が選んだ人生なのではないのか?って
 思えて仕方ないのです。
 病気になっても
 
 くじけないような肉体を持って
 生まれてきて
 これまでいくつもの選択を
 自分で選んで生きてきたような気がするのです。
 
 自分は
 自分で決めた人生通りに生きている
 気がしてならないのです。

 今感じてること、思ってることは
 自分のこれからすすむべきことに対する
 決意の表れのような気がします。

 そして
 これは自分だけのことではない
 誰もが
 自分の書いたシナリオを持って
 この世に生まれ
 あらゆる出来事を選択し
 生きていると思うのです。

 そこで
 少しずつですが
 僕がどうして、今このように
 自分の人生を選択したかを
 このブログで語らさせていただき
 みなさんのなぜ今生きてるかと考える
 きっかけに少しでもなればと思います。

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不安をあおる記事を見極める方法

 新型コロナウイルス感染の
 勢いがとまりません。
 ヨーロッパでは再び
 緊急事態宣言が発令されたところがあります。
 日本でも北海道、沖縄などでで
 第3波が始まったなど
 まだまだ
 収まる気配はありません。

 また日々
 新聞やネットをみたり
 テレビをつけると
 感染のことを伝える報道が
 多くあり
 みているだけで不安になってきます。

 ニュース記事を
 確かめる術がないぶん
 受け身でいると
 益々不安な気持ちに駆られます。

 僕が思うに
 不安をあおる記事って
 その記事を読んで
 どう感じ、どう行動するかを
 試されている気がするのです。

 実は
 ニュース記事のほとんど全ては
 現実の僕の生活には
 直接関係ないことが多いですよね。
 そう
 ニュースって
 自分の外でのこと。
 外のことを意識して
 内なる自分をなおざりにしているから
 内なる自分が置き去りにされていることを
 伝えるために
 内なる声を聴いて欲しくて
 不安な気持ちになってくるんだと思います。

 不安なときほど
 自分の意識を外でなく
 自分の内なる声に耳を傾けてみましょう。
 そうすれば
 今自分がしないといけないこと
 考えないと行けないことが
 わかってきます。
 そうすると
 外の出来事を客観的に
 観ることができます。

 自分の内なる声を
 行動の基準にすると
 自分自身の行動、判断に自信がつきます。

 すると不思議に
 偽物の記事は「これはちがう」と
 直感的にわかるようになってきます。

 今日も自分の内なる声を信じて
 生きていきましょう。

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