月別アーカイブ: 10月 2020
バベルの塔の失敗をくりかえしてはいけない
科学は、これまで
世界で起こることの
様々の現象、姿、法則を
明らかにする学問として発展してきました。
でも
近代科学は
細部にこだわり
詳細に突き詰めて行くにしたがって
この世界の裏に潜む
人智を超えた神の偉業
を解明しようとしているように思えます。
医学の世界でも
人工授精など
最も神秘的な命の誕生に
挑戦して
神の領域に踏み込もうとしているかのような
一面ももっていないでしょうか?
現在
全世界がコロナウイルスワクチンの
誕生を心待ちし
全世界の医学者が
懸命に努力しています。
しかし
できるどころか
あちこちで聞こえる
治験中止のニュース。
このことも
ある種の人類に対する
ウイルスからの警告のような気がするのです。
科学の進歩は素晴らしく
喜ばしいことだと思う。
でも、今の科学至上主義の
行き過ぎの現状をも危惧してしいます。
こんな時たまたま
聖書にある
バベルの塔の話を読む機会がありました
バベルの塔の話では
かつて、人類は
神様に近づこうと、思い上がって
高い塔、つまりバベルの塔を作って
神様に対して挑戦したことありました。
その時神様は
未熟な人間の
その奢った人間の心を戒めるために
バベルの塔を
ことごとく破滅したのでした。
これをただの物語
歴史神話として読んではいけない
気がします。
バベルの塔を作ったときのように
人類は今
地球をそして人の命ですら
自由にコントロールできると
自分の力を過信し
奢った気持ちを持っていないでしょうか?
人間は
僕は肉体と魂とから成り立っていると
考えられます。
医学が進歩して
肉体のことは解明できた来たけど
魂については、まだまだ
その存在すら証明することもできていません。
人間の知恵は・・・・
まだまだというか
全然神様には及んでいないのです。
だから
科学の進歩があって
世界全ての人々が賞賛するようなことが
できても
決して奢らず、謙虚に生きていかなくては
いけないことを
バベルの塔の神話は
現代社会に忠告しているのだと思います。
自分の力に奢ることなく
謙虚に生きていかなくてはいけませんね。
感謝の気持ちがあなたをしあわせに導く
今年は世界が変わってきた
特に人々の変わってきたなぁ
と思うことが多くなってきました。
新型コロナウイルスの影響で
生活様式を変えようとしているのも
コロナウイルスのせいだけでなく
変わる時期に来たからだと思います。
どう変わってきたのか?
経済中心の
物質主義はもう終わりを迎えてきている。
物がなくてもしあわせだと感じることができると
感じてる人が増えてきていると思います。
物じゃないもの
つまり目に見えるものではなく
目に見えないものに
価値を感じる人が増えてきた。
そして
自分の目の前あるもの
自分の身に起こっている物を感じ
目のまえの出来事、存在の
ひとつひとつのことが
当たり前でないことに気づいてきた。
今こうして
生きていることも
当たり前のことじゃない。
そして、その当たり前のことは
自分ひとりの力でできることではないことにも
気づいてくる。
すると、不思議に
心の底から、なんに対しても
ありがとうの気持ちがあふれてくる。
感謝の気持ちで
心が満たされ
心の平安が訪れることを感じる。
ありがとう(感謝)のエネルギーは
澄んだ清らかな空気のような
最高のエネルギー。
そして
その感謝のエネルギーは
神、宇宙の最高神に
気持ちと共にストレートに届いていく。
だから
感謝の気持ちを忘れなければ
神様は
あなた望む世界に
導いてくれます。
薬より大切なこと
人は
病気になった時はもちろんだけど
病気を予防するために考えた時
薬やたべもののことをまず気にします。
日常の診療でも
みんな薬を求めて受診される
だから
薬が飲まなくていいよと言うと
喜んでもらえるかと思うけど
実際は不服そうな顔をされる方が多い。
僕は
病気を治すためには
薬だけではなく
薬よりもっと大切なことがあります
プラシーボ効果という言葉が
医学会にはあります。
それは、たとえ偽薬であっても
服薬される患者さんが
本物の薬であると信じて服薬すれば
実際効果があるというが経験されているのです。
同じ薬を飲むにしても
仕方なく渋々飲むのと
「これはすごくよく効く」と
前向きな気持ちで服薬するかでは
治療効果に大きな差が出るのです。
このプラシーボ効果は
人間のからだが持っている
自然治癒力の働きで説明することができます。
いい薬だ、この薬を飲めば絶対治るなど
より強いイメージや信念を持って服薬すると
免疫の中枢器官である間脳が刺激され
間脳の働きが活発になリます。
その刺激が神経系に情報伝達されると
血液中のリンパ球が強化され
病気に対する免疫力が高まって
従って
自然治癒力も高まると言うわけなんです。
人間には
生まれたときから
元々備わっている自然治癒力があります。
その生まれつき持っている
自然治癒力のパワーは
自身が考えているより
はるかに強力で
どんな難病でも治すだけの力があるとも
言われています。
その底知れない
自然治癒力をひきだせるのも
自分自身しかないのです。
治りたい、なおるなど
その病気に打ち勝つんだという
強い気持ち、信念をもち
心の底から
自身のもつ自然治癒力を信じることでしょう。
僕も入院したとき
絶対治る、これまで通りの仕事、生活をすると
と思ってましたし
それが現実になったのは
薬ではありません。
自分自身の力
すなわち
自然治癒力のたまものなのです。
この世には
プラシーボ効果が存在します
つまり
自身のもつ思いやイメージが強ければ
奇跡を起こす力が
誰にも備わっているのです。
死が怖いのは?
生きている限り
必ず死は訪れます。
誰にも訪れる死が
いったいどんなものかもわからないからなのか
死に対して
誰でも少なくとも
不安な気持をお持ちだと思います。
不安や恐れる理由は
人それぞれかもしれませんが
僕が思うに
死が怖いのは
自分の命が
この世からなくなっても
何事もなかったように
時間は進み
それまでと全く変わりないように
この世界が続いていきます。
自分が存在したことは
時間が進むにつれて
なんの痕跡も残さず消えていく。
だから
人は自分の生きた証として
子孫を残そうとする
何か功績を残そうと思う。
自分の生きてきた命の一部でも
引き継いで
この世に引き継いでもらいたいと
思って生きている。
死は全ての終わり
死が訪れれば全てが無くなるのだろうか?
無くなってしまわなければ
死んだ後も
命が続くならば
きっと生き方も変わる。
宇宙や全ての物は
何も無いところから生まれている。
そして
また生まれた世界に帰っていく
物質では無い世界
全ての形のあるものは
この世から消え去ってします。
いずれは
今ある全ての物は
この世から消えていくことになる。
物質が消え去ることを死と考えるなら
肉体が無くなっても
魂として生き続けるなら
肉体の消滅=死は恐れることは無い。
今生きている人生を
悔いなく、次のステップにつながるように
今この瞬間を大事に
生きて行けばいい。
死は
決して怖いことでは無いと
僕は確信しています。
魂の修行するとは
この世に生まれてきたのは
魂の修行をして
魂のレベルを高めるためだと
お話をしましたが
魂のレベルを上げるために
どんな風に
生きていけばいいのでしょうか?
魂のレベルは
魂の熱量の差で
決まります。
つまり
魂のレベルをあげるとは
今生きている
自分の人生に対する
温度差で決まりのです。
自分の
人生の温度を高めていく生き方が
魂のレベルを上げる生き方だと言うことです。
毎日
のんべんだらりと
過ごしているけでは
人生の温度はあがりません。
魂の温度が上がるためには
「気づきが多いければ多いほど
波動は高まっていくのです」
僕たちが肉体を持って生まれてきたのは
いろんな事を経験するため。
経験することで
人それぞれ気づきがあります。
その気づき一つ一つが
あなたの魂の温度を高め
そして
その積み重ねが魂のレベルアップにつながります。
気づくことで
心の豊かさを生みます。
気づくことで
心の安定や充実感と言った物が高まります。
今回
生きている人生
身の回りの中で起こる出来事、事件は
どんなことでも
僕たちに何かの気づきを与えるために
起こっているのです。
ですから
一分一秒でも無駄にすることなく
いいこと悪いことも
自分の魂の温度を上げるには必要なこと。
ですから
どんなつらいことがあっても
今この瞬間を大切に
生きることが
魂のレベルをあげ
霊性を高めることになるのです
神様との出会い?
前回のブログで
救急外来に運ばれて
ストレッチャーの上で
検査を受け
検査を待っている間
自分よりも
家族に心配をかけていた
と言う話をしましたが
落ち着いてたのは
自分は助かるんだと思った
出来事が
待っている間に起こっていたからなんです。
ストレッチャー上で
検査結果を待ってる間
ストレッチャーの周りは
完全にカーテンで仕切られ
周囲の状況は全くベット上からは
わからない状況でした。
そして
頭上にはモニターがおかれ
度々ドクターとナースが
頭の上で
なかなか血圧が下がらないですね
注射を追加しますね
と言われ、処置をされてました。
結果、今後の方針がでるまで
2時間程度はベット上で
身動きもできない状況でした。
少々、待ちくたびれて
重症患者だったにもかかわらず
少々飽きてきて、退屈していたとき
カーテンの外で
一人の男性の医師と思われる方が話しかけてくれました。
「先生、具合はどうですか?
いつもこどもを運んできてくれて
一緒に処置をしていて
多くのこども達を助けて下さったので
僕は
いつか先生が運ばれたときが来たときには
恩返しのつもりで
お助けすることが来ると思ってました。
だから
大丈夫ですから
安心して治療を受けて下さいね。」
と話かけられました。
でも
僕は総合病院に搬送して
総合病医院の医師と共に
働いた事はありませんから
きっと
他の小児科の先生と
勘違いしてるのだろうと
返事をするのも気が引けたし
また思いもよらない声かけだったので
ほとんど相づちさえも打てませんでした。
だから
カーテンを開けてお顔も見ることもなく
その後、今になっても
あの先生は誰だったのか謎なんです。
でも
その声と
こころの籠もった言葉に
癒やされ、
お任せしていいんだ
僕は生きてくんだと確信しました。
入院中は
その声の主のことは忘れてましたが
今退院して
当たり前の生活が何とかできるまでになったとき
あの先生の声が蘇ってきました。
あの先生は誰だったんだろう?
今こうして生きているのは
その時の先生が
ぼくをずっと見守って来られたからじゃないか?
その先生の言ってた野は勘違いではなく
神様か天使だったのかもしれないと
思って感謝しています。
死ぬの?
退院して
家族と
救急外来に運ばれた時のことを
改めて話しました。
救急車で運ばれて
検査をして、先生に病状を聞くまでの待ち時間
妻は
僕が、このまま死ぬんじゃないかと
心配していたという話をしてくれました。
その話をきいて
妻は、僕が
死ぬと思っていたんだ。
とそんなに心配させていたんだと
びっくりしました。
運ばれた自分自身は
全く
自分が死ぬかもなんて
全く頭の片隅にもありませんでした。
そんな死という言葉さえ
浮かばなかったのが
正直なところ。
何が自分に起こったのだろうか
きっと入院になり
その間の
仕事、生活はどうするかを
ぼんやりとでしたが
考えていた程度でした。
死を予感しなかったのは
左手、左足は動かなかったけど
頭はしっかりしていたし
(その時の記憶もしっかりあります)
痛みも全くなく
ベットに寝ている状態では
不安以外に
肉体的苦痛がなかったことも
あるかと思います。
そして
僕は治るんだと
妙な確信もありました。
それは
今考えても不思議ですか
とある出会い、再会?が
会ったからなんです。
その出会いについては
また後日。
僕が死を感じなかったのは
もちろん死ぬ予感を感じなかったから
だと思います。
死は突然来るのではなく
その予感が直感としてわかるのかもしれません。
死ぬかどうかって
きっと死ぬ直前にならないと
その状況はわからないかもしれないけど
どんな状況になっても
はっきりしてるのは
家族など周りの人に
いっぱい心配させてしまうってことですね。
主の祈り
日本人は
キリスト教徒でなくても
何かあると
手を合わせて神?に祈ることがあります。
キリスト教徒なら
祈ることは
日常的に当たり前の行為でしょう。
聖書(新約聖書)に
「主の祈り」というものがあって
これはカトリック系の幼稚園でも
毎日お祈りされるそうです。
これは
マタイ福音書第6章にあるそうですが
死を迎えたときに助けて下さいと
いう祈りだそうです。
死から助けを乞うって
死から逃れる、避けさせて下さい
という祈りではなく
死を迎えたときに
「魂を助けて下さい」という祈りなんです。
キリストは復活されました。
肉体が滅んでも
キリストも人もまた復活することができると
教えられています。
また、キリスト教では
天国と地獄があり
死ぬ前にその中間にある
煉獄というところにいって
罪の償いをして
天国か地獄に行くと
考えています。
つまり
死を迎えても
魂は生き続け、復活する
輪廻転生があると考えたのでしょう
ですから
死を迎えたときに
天国に行ってまた復活できるように
臨終のときに祈るのです。
「天にまします神よ
御名があがめられますように
御国が来ますように
御心が行われますように。
天におけるように
地の上にも」という
主の祈りの一節にあるように
天にいるように
どんな時も清らかな気持ちで
生きることが大事なんでしょうね。
そのために
人は神に手を合わせて
「主の祈り」を唱えるのですね。
からだをうまく使えば病気なんか怖くない
暑かった夏がうそだったかのように
過ごしやすい
季節になってきました。
自然は
四季が毎年訪れてきて
それぞれの季節の恵みを
僕たちに届けてくれます。
でも
僕たちの生活環境を
見てみると
自然に抵抗するかのように
冬でも暖かく
夏でも涼しくして
過ごしています。
食べ物に対しても
季節限定の自然の恵みなどお構いなしに
いつでも、どこでも
日本中、世界中のものを
お金さえだせば
いつでも、どこにいても
食べることができます。
僕たちの生活は
自然の流れに逆らって
過ごしています。
実は
僕たちのからだも
体全体で
暑いときには暑さを
寒いときには冷えを感じ
暑いときは
からだの熱を奪う食べ物
寒いときは
温める食べ物を食し
自然の流れに合わせて
これまで暮らしてきたはずですが
暮らし方の変化によって
からだは、まだ
その変化について行けてないような気がします。
だから
現代人は
冷え性、頭痛、だるさを訴えるひとが増え
アレルギー疾患、うつ病、不妊などに
悩まされている方も年々増えてきているのも
自然に抵抗した
生活様式の変化にも
その一因があるような気がします。
僕たちが住む世界には
全て陰と陽の二つの面をもっていて
陰と陽が
バランスをとることで
健康に過ごせると考えられています。
暑い陽の時には
陰性の物を食べて
寒いときには
陽性の食材をとることで
バランスをとって
過ごしているのです。
ですから
物があふれる時代だからこそ
しっかり
自然の流れを考え
食材を選ぶ必要があります。
例えば
玄米がいいと言っても
からだが陰性のひとにはいいけど
陽性の人には
取り過ぎると害になってしまうことになります。
最近の健康ブームで
食に対する極端なこだわりを持ち
実践される方が増えています。
自然に逆行するような
極端なこだわりは
そのものがどんなにいいエネルギーを持っていても
あなたにとっては毒にしかなりません。
こだわって
自然に逆らって生きていくより
寒いときは寒い時を楽しみ
暑いときは暑さを謳歌するような
自然を満喫する生活をすることを
お勧めします。
人間も
自然の流れで生きていくことが
何よりもしあわせなことです
トランプ大統領のうけた医療
トランプ大統領の主治医として
声明を発表していた
Dr.Conleyはオステオパシーの医師です。
記者会見の時の
医師の白衣ネームにDDとあったんです。
オステオパシー医?
DD?
聞き慣れない言葉だと思います。
日本の医師は全て
Medical Docyer(MD)と呼ばれますが
アメリカでは
Medical Doctrer(MD)という以外に
Docter of Osteopathy(オステオパシー医)(D.D)
Docter of Chiropracyic(カイロプラクチク医)(D.C)
Naturopatic of Docter(ナチュラル医)(N.D)
など
日本では代替医療を行う医師も区別はありませんが
アメリカでは
代替医療を専門医として区別されているんです。
オステオパシーってご存じですか?
オステオパシーとは
1874年アメリカのStill医師によって
始められた補完代替え医療で
筋骨格系などからだの臓器を整えることで
血液、リンパ、髄液などの
体循環を整えていきます。
臓器、体液が整える事で
人間が本来持っている内分泌系、免疫系といった
心身の調整システムを最適化されます。
オステオパシーは
からだの状態を整える治療。
一般に考えられている治療ではなく
薬、外科治療、放射線医療など一切行わず
からだの治癒力を増すことで
治療を行っていきます。
トランプ大統領も
報道ではアビガン、ステロイドを使ったなど
いわゆる西洋医学的最新治療が
ピックアップされていますが
医師団のトップが
オステオパシー医であることより
オステオパシーの技術によって
重症化を免れ
生命の危機を脱した治療が行われたと推測されます。
日本では
オステオパシーを教育する機関はなく
残念ながら
オステオパシー医はいませんが
これからの医学は
オステオパシーのような
薬に頼らない医療
つまり
自らの力を高めることで
病気を治す医療が主流になると
僕は考えています
そこで
サンタキッズ&ファミリークリニックに併設した
ナチュラルメディカルセンターでは
オステオパシーを使い
自然治癒力を上げる治療を行っています。
オステオパシーをもっとしりたい
オステオパシーを行う
薬に頼らない
魂に呼びかけ
自然治癒力を増す
ナチュラルメディカルセンターでの治療
をもっと詳しく知りたい方は
ご連絡ください。