月別アーカイブ: 12月 2020
あたりまえの日常がしあわせです
今年も残りわずかになりました。
一年を振り返るに当たって
僕は
去年の今は
入院していたので
今、家族と静かに年末年始を迎えることに
感謝の気持ちで一杯です。
以前にも書きましたが
入院したまだ数日しか経ってないとき
看護師さんが
温かいお湯とゆずを部屋に運んできてくれて
洗面器にお湯とゆずを浮かべて
足と手を洗ってくれた時のことを
今も思い出します。
あのゆずの香りと
温かいお湯と
看護師さんの手のぬくもり
そして
お風呂に入れない患者さんを気遣ってくれた
お気持ちは
今でも忘れられません。
今は
家のお風呂で
ゆっくり好きなだけ
体を温めている贅沢な時間を
実感しています。
コロナ下で
帰省できない、旅行もできない
3密に自粛生活にと
みなさんもいつもの年越しとはちがう
年末をお過ごそうと思いの方も多いのではないでしょうか。
でも
何か特別なことをしなくても
当たり前の生活ができ
当たり前のように仕事納めができること
当たり前のお正月を迎えられることって
とてもしあわせなことなんだと
思います。
あたりまえの日常の中にこそ
しあわせがあるのです。
僕は
その当たり前をかみしめながら
新年を迎えたいと思います。
今日は当院の仕事納めの日です
この一年当たり前に過ごせたのは
僕に関わって下さったみなさんのおかげです。
本当にありがとうございます。
みなさんの日常のあたりまえの生活を
当たり前としてすごすことができるように
馬のように早くは走れないけど
牛のように一歩ずつ確実に
みなさんのお役に立てるよう
に生きていこうと思います。
来年もどうぞよろしくお願いします。
どうぞ心静かに
みなさんに平和な年が訪れますように
良い年をお迎え下さい。
来年は4日から診療になります。
サンタキッズ&ファミリークリニック
池内 克彦
大切なこころの交流
昨日菅総理大臣の記者会見があり
今年の年末年始は
静かな年末年始をと呼びかけていた。
例年年末年始は
帰省して家族と過ごす方も
多いとは思いますが
今年は、ふるさとに帰らず
年末年始を過ごすように
計画されている方も多いことでしょう。
新型コロナが流行し
「不要不急の外出を控えよう」
「マスク着用」
「しっかりソーシャルディスタンスを」
「3密防止の徹底」
などを
生活に取り入れるように叫ばれ
みんなも感染を防ぐために
頑張って努力してきましたが。
感染は収まる気配はまだなく
みんなの我慢も限界にきてきて
これらの日常生活を送ることの
弊害も見えてきました。
これらの生活様式の変化を強いられたことで
日本全体に広がった
人間関係の希薄化。
強い絆で結ばれていたはずの
地域住民や家族であっても
容易に近づけない
逆に遠ざけるような
どこか避けて、さみしい関係に
なってきているのは間違いないでしょう。
マスクしないで、外に出ると
非難され
自粛警察と呼ばれる人など
人の目を気にして
生きていく社会になってきています。
お正月も
今年は帰省しませんという
ニュースをみて
お正月の帰省は控えようと
思ってる方も多くいらっしゃることでしょう。
帰省えきず
この時期しかなかった
親族間のこころの交流の機会が絶たれ
おじいちゃん、おばあちゃん
おとうさん、おかあさんも
子供や孫に直接会うこともできず
年1.2回の楽しみを奪われ
意気消沈される方も多いことでしょう。
今年は、お祭りも減りました。
そのことは
思っている以上に
実は日本人のメンタリティーに
ダメージを与えているのです。
例えば地域の盆踊りなどでは
みんな一緒に踊ることで
「絆ホルモン」と呼ばれる
オキシトシンが分泌されていることが
科学的に証明されています。
そして、初詣も
参拝者が神様と一体感を感じられる
大切なイベントなんです。
3密だから中止しようという
理由だけで完全にやめる弊害は
想像以上に心と体に
悪影響を及ぼしてしまいます。
コロナウイルスが産む
日本人の持っていた心の分断が進まないように
行動していかないといけないのです。
新しい年を迎えるにあたって
心の絆を失わない
世の中であり続けるために
今何をしないといけないかを考えて
大切な一日を過ごしていきたいものです。
コロナ感染は人口爆発を防ぐための自然摂理なのか?
現在、世界の人口は77億
2025年には、軽く80億人を越えるとも
言われている。
このまま
人口が増え続けると
食糧問題、環境問題など
解決しなくてはいけない
乗り越えていかないといけない
問題が山積されている。
これは
今生きている
地球が限界を迎えていることを
示している気がする。
そんな中に出現した
コロナ感染の世界的流行。
これも、必然的なことなのかもしれない
ふと、そんな考えが
頭の隅をよぎったのです。
それは
これまでの地球で起こってきた
人間だけでなく
生物の歴史が証明してくれています。
例えば
1907年
北極平原に前年多くいた白ウサギが
この年は全くいなくなったことがあり
実はその年疫病が流行したためと
シートン動物記に書いてあるのです。
つまり
地球上の生き物が以上に増殖した場合
必ず伝染病が起こり
その種は減少すると言われています。
現在の
鳥インフルエンザも
その病気の拡大を
人の手で火消しに躍起になっていますが
根本は
こういう生物の置かれた摂理によるものかもしれません。
ノルウェーの哲学者アルネルは
「地球という生命体を
健全な形で守るためには
人間中心主義ではなく
生命圏平等主義の立場で
生命の多様性を尊重し
共存共生を求めなさい」とおっしゃっています。
そして
修善寺の吉野真常住職は
「今、人類は
新型コロナウイルスの蔓延や
地球規模の環境問題により
今までになかったような
大きな価値観の転換や生き方の変化を
求められています。
経済的裕福さ、享楽的娯楽を
最優先するのではなく
人間が生きるためのありのままの性質
つまり
生きとしいけるもの全ての生命を
大切にする生き方が問われている」と
仰っています。
人類が我が物顔で
地球をも自分の持ち物のように
自らの利益を追求しようとして振る舞いが
地球の生態系を狂わせてしまった。
そんな時代だから
今までの行いを改めるために
コロナウイルスが出現したのかもしれません。
自分の些細な行動、考え方が
地球にとってどうなのか
考えて生きていかなければならないと
コロナウイルスは警告しているようにも
僕はふと思うのです
洗脳
今年は一年中
テレビをつければ
新聞や雑誌をみても
人と会っても
コロナウイルスの話ばかり。
コロナウイルスという言葉を
聞かなかった日は
なかったんじゃないかと思うくらい
コロナウイルスと
関わってきた気がします。
コロナ感染症って
怖いと思ってるけど
本当にそうなんだろうか?
もしかして
毎日コロナウイルスのことを聞いて
知らないうちに
そう思わされていないだろうかと
ふと思いました。
いつの間にか
判断能力を奪われ、思考停止状態陥り
脳を占拠される。
いわゆる洗脳されている?気がしてきました。
洗脳とは
ある意図的な情報(フェイクニュース)を
無自覚に脳にインプットさせて
人を思い通りにコントロールすることです。
特に
従順で、自分の考えよりも周囲の目を気にしやすい
日本人は
洗脳されやすいともいわています。
洗脳されるには
メカニズムがあります。
断片的に五感を刺激され
印象的なわかりやすいワンフレーズを
くり返す発信することで
相手に印象やイメージをすり込んでいき
思考停止させてしまうのです。
つまり、外界からの
刺激を遮断した上で
視覚と聴覚を通じて
断片的な印象的な情報を
一方的にくり返すのが
洗脳のやり方だといいます。
ひと言で言えば
単純な単語をくり返し伝えることです。
そういえば
ニュースでは連日感染者が増えていると
数のオンパレードで
ただただコロナが増加中と言うだけ。
また、某知事の記者会見では
フリップを片手に
三密、自粛、時短、帰省自粛などの
単語をくり返すばかり。
今の感染者がどれだけ多いかも伝えず
(1400万人の内1000人であっても
実際は1%以下の人しかかかっていない。
風邪の人はもっと多いのでは?とも思うし)
三密がどれくらい効果があるのか
時短、自粛した効果がどれだけあるのかを示さず
言葉だけが一人歩きして
誰も、どれだけの効果があるのかわからないままに
時短、自粛しかないと思っている。
そして
帰省もできず、他者とふれあうことも許されない
社会に向かってるような気がするのです。
このままでは
社会との、地域とのそれだけ出なく家族との
絆を失ってしまうのではないでしょうか?
日本全体が思考停止させられ
洗脳されようとしているのではないかと
最近の報道のやり方をみて
どこか恐怖を覚えるのは僕だけでしょうか?
洗脳に注意しないといけない。
そのために気をつけないことは
また、後のブログでお伝えできたらと思います。
洗脳されない方法の一つは
情報を聞いたときに
わかったつもりにならずに
ここまではわかるけど
ここはわからないぞということを
しっかり持つことが大事だと思うのです。
長寿も生命力のおかげ② 後編
12/18のブログの続きです。
今後の父の行方に
不安を抱えながらも
きっと退院することは
いいことだと決めて迎えた時退院日。
父と2ヶ月ぶりに会いました
とても不安でした。
父が父であるのか?
最低でも、僕をわかって欲しいの思い
緊張して、父をまちました。
父が車椅子にのって現れました。
入院時より、顔色も赤みがさして良好です。
そして
はっきり僕がいたことに安心したように
笑顔で方えてくれて
今から帰ることもちゃんと理解してました。
部屋に入ると
ヘルパーさんにも笑顔をみせ
そして母との再会。
二人顔を合わせたとき
二人とも指さして呼びかけるだけでした。
言葉もなにもないです。
でも、僕は感じたんです。
二人が指をさし合ったときに
二人のあいだに、
二人しかわからないような絆がまたむすばれたことが。
これで
父ももっと元気になれると
ほっとしたのですが
病魔はまだ父にとりついてたんですね
数日たって
ヘルパーさんが
父が何も食べないんです、水分はとるんですが・・
と報告あり。
人は老衰になると食事をとらなくなるので
もしかして死に支度なのか・・・
どうしようもないのか・・・・
父に聞きました
「食事食べんの?」と
すると
「あれだけ今まで食べたのに
今は食べれん
食べんといけんと思っても
食べられんのじゃ。
でも、お茶が美味しい。
それと
デイで入ったお風呂が気持ちよかった」と
話してくれました。
父は死に支度をしてるわけじゃなく
生きようとしてることを感じました。
父はいまの状態を
嫌な病気だなと言ってました。
まさに
退院してもまだまだ
病気と闘っているのです。
頭の中で、こころの中で
魂で病気と闘っているのです。
この病気に
薬も手術もありません。
ただ、本人の魂を支えるしかありません。
それに対して
僕が思いついてできることは、
ただひとつ。
父の生命力回復するのをまちました。
入院する前には
さみしがり屋の父は
一日1回は電話をかけてきました。
それが、父の元気であることのサインであり
入院してからは
電話ももちろんかかってきません。
安否確認の手段もなく
悶々として過ごしてましたが
そんな時、僕の携帯に
父からの電話の着信がありました。
悪い知らせか・・・とかけ直すと
「金がないから、お金を持ってきてくれ」
と以前のように
力強い口調で話す父。
「何か買うと?」
「買いたい物があるわけじゃないけど」
「ごはんは食べてるん?」
「当たり前に食べてる」と応える父。
電話で話す父の様子は
入院前の父と全くおなじ。
ヘルパーさんに聞くと
ごはんも食べるし
母のことを気にしたり
ちょっとせわしさも取り戻したことを
ちょっと苦笑いしながら話してくれた。
入院前の状態に戻ってくれた。
父の生命力が回復したのを実感。
生命力が上がれば
食欲も出て
自分で生きようとすることが
リハビリになっていることを
父をみて思った。
どんな状況
例え病気のときでも
病院にいることはいいことではない。
早く今までの生活をすることが
生命力を回復することだと思った。
今の時代
ZOOMなどを利用して
仕事をするなど
働き方も変わる転換期になっています。
それは、医療にもいえるのでしょう。
これからは
オンラインを使いながら
在宅でも治療する方向に進んでいく気がします。
当院でも
来年1月から、オンライン診療をはじめます。
これも、何か意味のあることかもしれません。
病気の時は学びの時
誰もが病気になると
病気を治そうと
病院を受診したり
病気を治す薬を求めたりします。
病気になることは
運の悪いことだから
病気になってはいけない
病気は治さないといけないと思います。
その人々の思い、願いを叶えるために
医学は発展してきました。
でも、その医学も考え方がかわり
様々な治療法も出現し、情報もふえ
有り難かったはずの医学、西洋医学を
拒否する方もでてきて
様々な方法を試される方も増え
西洋医学では治らなかった病気が
○○で治ったと
いう方も珍しいことではなくなりました。
僕も西洋医学を学んだ医師ですが
その医学は完璧でなく
西洋医学の限界も感じ
よりよい医療を求めて
漢方医学を勉強し
最近では波動医学を診療に取り入れていました。
日常診療をしていると
西洋医学の限界を感じた方々が
いつの間に増えてきて
僕も気がつくと
西洋医学を否定する立場になっていました。
でも
今、西洋医学を否定しようとした
自分を反省しています。
病気をしたことで
西洋医学の大切さを実感したのです。
リハビリをして
動かなかった左手が動くようになり
歩けなかった足を使い
今は病気になると
全く同じではないけど
多少運動面は落ちていますが
発症前と
変わらない全く同じ生活を
送っています。
それを可能にしてくれたのは
西洋医学の
今まで人類が獲得した知恵です。
どうやって
人は歩いているのか
他の脳の部分を使えば
こうやって筋肉を動かす神経を動かす方法を
学び、実行し
今ある生活を送れるようになったのです。
波動医学、漢方医学
サプリでもなく
西洋医学としての
科学の分析力により救われたのです。
西洋医学は
確かに不確かな面、無力な点も
あるのは確かです。
だから、すべてダメだというわけではないのです。
他の医療も
完全なものはまだありません。
これがダメというのではなく
いいところに目をやり
活用するべきなのが
西洋医学を学び、他の医療も実践してい自分が
病気をすることで学んだ
大切な病気を経験した意義なんだと思います。
病気は
学びをえるためになるんです。
ある本に
「泉の水がきれいなら、ボウフラは湧かない。
流れがよどむと、その中にばい菌が湧くのだ。
その姿があなたなのだ」と
書いてありました。
病気になったのは
僕の心のよどみのせい。
よどみのわけは・・・・
自分の生き方に問題があったのではないか?
自分で枠を作り
自然の流れに任せるわけではなく
ひとりで頑張っていた面があります。
いつも
自分中心に考えていた自分
人間以外の生物は
自然からの頂き物を
そのまま受け取っている。
決して自分中心ではなく
自然の中で生きていることを
自覚して生きていかなければならないことを
病気になって学んだ気がします
コロナの次は食糧難の時代が来る!?
コロナ感染が拡大する中
その影に隠れてますが
僕が注目している
ちょっと心配なニュース。
それは
実はあちこちで広がりをみせている
鳥インフルエンザのニュース。
この鳥インフルエンザのニュースに関連して
心配な鳥不足のニュース。
このクリスマスシーズン前で
実は鳥肉が不足しているとか。
このニュースが鳥インフルエンザと直結している
わけではないかもしれませんが
もしも、もしも
鳥インフルエンザウイルスが
強毒化し、人に感染するようになったら・・・・
また
世界は、食品の消費が高まってくると・・・・
食糧難の時代がやってきそうな気がするのです。
今の日本は
食料は充分にある豊かな国ですが
現実をみてみると
食料自給率は10%ともいわれていて
実は
食糧難の時代がくる可能性と
背中合わせの国であることを
自覚しなくてはいけません。
世界、世の中の状況が変われば
食糧難に陥ってしまうのです。
例えば
①世界全体の食料生産力が低下し
各国が食料を輸出できなくなった場合。
②新型鳥インフルエンザなどの強毒性のある
ウイルスによって
パンデミックが発生した場合。
まさに今の世界全体は
自粛で、感染のため外出を控え
長期家庭内に待機することに成り
食料生産力の低下とともに
消費力の増大によって
食料の需要と供給のバランスが崩れることに
よって起こる食糧難の時代が
来てもおかしくないかもしれません。
パンデミックが最も恐ろしいのは
食料が尽きて餓死をすることです。
1ヶ月で人は餓死すると言われてます。
そして
不安と恐怖にさいなまれると
人の死期は更に早まると言われています。
その他にも
③国の経済破綻したとき
④外国勢力による経済制裁、封鎖によるもの
そして、最後は天変地異が起こった場合。
考えると
安心できない、危うい状況で
僕たちの今の生活が成り立っていることが
わかりますね。
救う道・・・は一筋縄では
いかないかもしれません。
ひとりひとりの力は小さいかもしれませんが
ひとりひとりの他人を、地球を思いやる
日々の生き方をすることしか
ないかもしれません。
神様は姿を変えて現れる
昨年、京都の高台寺に
「アンドロイドの観音菩薩」が出現し
多くの方が参拝されたそうです。
観音菩薩様は
慈悲と救済の神様と言われ
今の困難なことが起こる直前に
アンドロイドという形で
出現したと言うことは
今考えると
意味深なことである感じがします。
というのは
観音菩薩様は
救いを求める者に応じて
様々な姿に変化して
現れると信じられているのです。
技術が発達し
物、心ともに豊かになった現代社会であっても
いまだ多くの苦悩を抱える
人々を救うために
観音様は、ロボットという姿に変わって
現れたのかもしれません。
日本人は
様々な神様
八百万の神もキリストも、仏陀も
形が変わっていても
神様としてあがめ
手を合わせることができます。
それは
我々日本人が
本物を外見ではなく
心でみることができる能力があるから
なのかもしれません。
みなさんは
信じている神様がいますか?
神と信じる物を持っている人は
とてもしあわせだと思います・
どんな神様であっても
根本では
僕たちと神様は
一つにつながっていると
僕は思っているから。
神様を信じている人は
自分をも大事にしている人なんです。
僕は
毎朝、神社に参拝をして
神様の御心に触れて
寒い日も心温かくなって
一日をスタートしています。
あなたの周りにも
僕の周りにも、心の中にも
信じられるお姿で神様が
いつも一緒にいらっしゃってます。
神様の存在を感じられた人は
しあわせです。
あなたの魂の眼で
あなたの大好きな神様を見つけてみましょう。
誰にでも神様を見つけられる方法があります。
それは、毎朝起きたときに
「神様、おはようございます」と
声をかけてみて下さい。
すると
あなたの神様が
あなたの信じる姿で現れてくれますよ。
不思議だけど
本当なんです。
是非、試されてください
長寿も生命力のおかげ② 前編
母が入院してから
母のことを一番心配して
母の帰りを誰よりも心待ちしてたのは
父でした。
母が退院する1週間前に
父は
トイレに行くときにこけてしまい
高齢の方が起こさないように注意しなければならない
大腿骨頭骨折で入院したのです。
入院時は
無事手術も成功し
後はリハビリを頑張って
退院して母の元に帰ることが
目標になりました。
母は1ヶ月の入院に耐えてくれましたが
父は、母よりも実はさみしがり屋で
ひとりで入院、
それもコロナ感染のため、面会も禁止の状態。
僕もリハビリで入院して
コロナで面会禁止の中、
孤独とも闘いながら行うリハビリ
のつらさを経験しただけに
生活に耐えれるかとても心配でした。
入院後3日目
先生の病状を聞きに病院に行き
その時父とも会い
先生、看護師さんとも身の上話などしている
父の姿をみて
環境に適応して、うまくやってるなと
少しほっとして帰りました。
でも、短期間ならいいけど
長く続くと
耐えられなくなるんです。
手術後1ヶ月絶ち
急性期を乗り越えたので
慢性期病院に転院となり
父を迎えに行き
1ヶ月ぶりに会う父の別人の状態にびっくりでした。
あれだけ
おしゃべりしていた父が
自分からも何も話をしません。
誰が来てるかも
すぐには反応できません。
名前も出てきません。
大好きな孫の話は少しできたのは
安心材料でしたが
まだ、入院生活が続くので
どれだけ今後父が変わってしまうのか
不安で心配になりました。
慢性期の病院に転院しても
状況はかわりません。
食欲もなく
一日1時間足らずのリハビリがルーチンで
後はひとりで部屋で過ごしているので
何も刺激がなく
このままだと
認知症が進行し、父が父でなくなってしまう
何とかしなくてはと思いました。
リハビリで
からだの機能が回復しても
からだを使う心が折れてしまっていては意味がない。
そのために
どうすべきか、何ができるか考え、模索しました。
幸い
その慢性期の病院は
今まで通っていたデイサービスのある施設
そして
母と暮らしている施設と連携施設なので
今までのように
デイサービスに入院して通ったり
できたら、母と一緒の生活にできるように
できないか先生に相談することにしました。
先生も
父の入院前の状態を知っているので
今のままの入院していても
父らしさを失っていくことを危惧されていて
退院して
母と生活しながら
リハビリをしましょうと賛同してくれました。
ヘルパーさん、リハビリシさん、ケアマネさん、看護師さんをはじめ
多くの方のご協力によって
退院して、リハビリを続ける運びになりました。
退院すれば、全て解決
元に戻れるわけないのではないのです。
退院してからも
乗り越えないといけない壁が父に待ってたのです。
後編に続く
リハビリをする意味
急性期でも
リハビリをしました。
血圧を見ながらのリハビリ
血圧が高い時は
ベットの上でできるリハビリ。
まずは座って腰を安定させる
手を上下に上げたり
指を少し動かしてみたり・・・など
ベットでもできるリハビリを組んでくれた。
リハビリの基本は
休むことなく
その時できることをするのが基本。
最初は
もの足りなさもあったけど
もっとしたくても
今日はこの辺で終わりましょうと言うこともある。
そして
担当のリハビリ師さんも決まって
勤務の日はいつも見てくれるので
とても心強く、安心できる。
ただ、お休みの日もある
その時は別のリハビリ師さんが担当で
続きのリハビリをしてくれる。
担当のリハビリ師さんと連携がとれていて
続きがスムーズにいくととても安心できる。
主治医もそうだけど
自分のことをずっと見てくれる
今の自分の状況をわかってくれて
一緒にゴールを進む方向を見てくれていると
思える人の存在はとても多い。
日頃診療していて
患者さんもお忙しいので
受診できる状況で病院を転々される方もいらっっしゃるが
きっと不安な気持ちで受診されてたのだと思う。
そういう患者さんでも
安心して受診できたと思える
医院作りって大切だと思う。
そして
血圧など安定し
リハビリが予定通りできそうなときは
リハビリ室に行ってのリハビリ。
リハビリができる日は
目一杯リハビリに取りかかります。
あるときは
いきなり歩いてみまいて見ましょう。と言われた。
今までは支えなしでも立てないのに
今まで、何も考えて歩いてたけど
歩きましょうと言われて
足を前に出そうと思っても
全く足が前に出ない
その時、リハビリ師さんが
体重移動しないと足が出ないことを教えてくれた。
そうなんだ
体重移動をして歩いて行たことに
始めて気づいた。
リハビリをすることは
僕に機能回復以上のことを
伝えてくれることになる
大変重要な勉強だと言うことに
のちに気づくことになるのです。