年別アーカイブ: 2020
神秘体験
僕は病気をしてから
目には見えないけど
心で感じられる真実と思えることが
日々感じるようになり
それが大切に思えたので
日々、通常の医師は語らないことがないようなことを
ブログに書いています。
僕の書いていることを
不思議なことをいうなぁとか
そんなことはないと否定される方も
いらっしゃるでしょう。
でも
そうだと受け入れてくれる方もいらっしゃる方も
いらっしゃると思ってもいます。
最近は
スピリチュアルブームであり
目に見えないこと
魂のことを語る方も珍しいことでもなく
本屋に行けば
多くのスピリチュアル系の本が並んで
次々に新刊が出ています。
それだけ
魂の世界にひかれる方が
多いからではないでしょうか?
そんな方がいらっしゃるので
僕のブログも日に100人以上の方に
読んでいただけいるのだと思います。
魂の世界
スピリチュアルの世界を信じても
僕には
見えない物が見えるとか
触れただけで病を治せるとか
未来を予想することができるとか
不思議な力は
何一つ持ち合わせていません。
ごくごく当たり前に過ごしている
普通の人間です。
特別な
奇跡的な神秘体験をしたこともなく、
ただ、言えることは
大病を患ったと言うことだけ。
著名な精神科医であった神谷恵美子医師が
著書のなかで、こんなことを書かれていました。
「神秘体験は、多くの場合
人が人生の意味や生きがいについて
深い苦悩の中に落ち込み
血みどろな探求を続け、それが
どうにもならないどん詰まりまでいったときに
始めて起こる」と仰ってます。
つまり
これまで経験したことのないような苦難を
乗り越えたときに
神秘体験が起こる。
小さい自分という自己を越えられたという
出来事を
神秘体験だと人は感じるのだというのです。
僕も
大病というこれまでに経験したことのないような
出来事に直面し
心の中に
肉体をいう物質的な価値観から
魂という精神的な価値観の存在を体験し
価値体験の変換が起こったから
今、感じることを
みなさんに伝えているのだと思う。
重い苦しみを経験した人は
他人の評価や
自分の所有する物に重きを置けなくなり
新しい価値観で生きていこうとする。
これが
人々の言う神秘体験であり
誰にも経験する可能性のあることでもある
そして
僕もこの経験をみなさんに伝えるために
ブログで発信しています。
これからもよろしくお願いします。
大統領選挙に思う~世の中を変えるのはあなた~
アメリカだけでなく
日本も世界も
これからのアメリカそして世界を牽引する
リーダーを選ぶ選挙に注目し
すったもんだがありましたが
なんとか
バイデン氏の勝利
次期大統領にほぼ決定したようです。
今回の選挙の報道をみて
アメリカ国民だけでなく
世界中の人々が
世界の、この地球の今後の未来が
どうなるか案じながら
みていた方も多いことでしょう。
僕も
今の政治、それに対する人々の行動が
とても明るい未来を向かっているのか
心配しながらみてました。
人が人を選び
人が人のために働く
その行動が
誰のことを思って行動しているかが
とても重要なんだと感じました。
人はみな神の民人として生まれています。
ですから
人々はみな自分自身の中に
神は、自分の分身の魂の一部を宿して
生まれてきていると言います。
生きていることは
その神の魂に気づき生きていくことで
神ともにあることに気づき
そして神の元に帰っていくのだと言います。
神の魂の存在に気づかずに
一生過ごしてします人もいますが
気づいた人には
それ成りの行動をとる責任があります。
世の中不安定になっている時代だから
人類を救うために
ひとりひとりが気合いをいれて
地球を救うために頑張らないといけないかというと
大統領選挙演説のようなことを表明する
必要はないと僕は思います。
気づいた人、目覚めた人は
誰を救うのか?
地球を救わなければならないのか?
と思って頑張るのではなく
自分自身をが自分自身を救っていく時代に
なってきていると思うのです。
藤井聡太君などのように
高い能力をもった若い人が注目を集め
彼らのことをレインボーチャイルドとも言いますが
現在、周りを見回すと
決してマスコミに注目されなくても
才能豊かなこどもたちが増えてきていると思いませんか?
実際
この世には
レインボーチャイルドのような
世界をあっという間に変えてしまうような
魂の導き手が次々生まれてきています。
これは
自然の力が、自ら地球を救うために
レインボーチャイルドを
どんどん誕生させている時代に
なったということなのです
だから
ひとりひとりが
「我こそが地球を救うために」と
声を上げて頑張る必要もなく
そんな時代でもなくなっているのです。
ただ
僕たちがすべきことは
ひとりひとりが、
目先の利益、欲に目をくらませることなく
魂の声に従って
自信をもって生きていけばいいのです。
あなたのこころの中には
本当の自分の魂があるのです。
魂は神様の思いの一部であるのだと思います。
ですから
人は神の子と言ったりするのだと思います。
だから
いつでもあなたを守ってくれている神様は
あなたのこころの中にも
僕のこころの中にもいるのです。
あなたのこころの中に
あなたをいつも守ってくれている
神がいることを信じて
日々過ごせばいいのです。
誰が大統領になっても
あなたは自分の信ずる道を
自信をもって歩いていけばいい
自分自身を救えるのは、自分しかいないのです。
自分の心が感じるままに生きる
自分の魂の波動に従って生きていけば
あなたの身近な隣の人にも
波動として
あなたの生き方が変わり
世界が、世の中は変わるのです。
あなたが真実の道を歩いて行けば
誰が大統領になっても
世の中は変わっていくのだと
僕は思うのです。
熱がでるのも恵みである
患者さんの心配になる症状の一つに
「熱」があります。
熱があると
元気であっても
大変熱を下げないとと
解熱剤をつかったり
病院に夜中でも駆け込んでしまう
一番、心配な症状の一つでしょう。
熱→悪い病気→熱を下げないといけない
という構図ができあがっていると思います。
確かに
熱が出す病気は様々なあります。
重症な病気が隠れていることもあるので
注意を要する症状の一つであるのは
まちがいありません。
ですから
熱が出るとき
病院にかかることは間違いではありませんし
遠慮なく病院にかかって欲しいです。
でも、熱が出ている時に
心得ていて欲しいのは
熱→あわてて→熱を下げたい→解熱剤を使う
という行動パターンに走るのは
ちょっと待って下さい。
熱=病気のサイン だけれども
熱=悪いサイン とは限らないと言うことを
憶えていていただきたいです。
からだの中に
ウイルスや病原体がからだの中に入ると
様々な免疫細胞が働いて
からだを攻撃する病原体を排除しようとします。
その時、神経細胞は
免疫細胞が病原菌と闘っていることをキャッチして
免疫細胞を援護射撃するかのように
体温中枢神経に働きかけ
体温を上げて、熱を出させているのです。
病原体は熱に弱いからなのです。
熱が出ると言うことは
病気を治そうとする
からだの働きなんです。
そこで
あわてて、解熱剤を使ってしまうと・・・
からだがあわててしまいます。
あれれ、熱上げようとしてたのに
熱が上がらなかった。
大変だ、もっと全力で体温を上げないと
全力で熱をだそうとします。
その時
毛穴を塞ぎ、血管を縮ませ
体温が外部に漏れないような体制をとります。
だから、熱が上がるときは寒がったり、震えたりするんです。
そして
その時に熱を上げるために
体力も使って、ぐったりって言うことにもなります。
熱が出てるとき
ぐったりするのも心配だけど悪いことではなく
からだのサインでもあるんです。
からだが熱を出して集中して闘っているので
うろうろして体力消耗や神経集中できない状況に
させないためなんです。
からだが発する「寝とけ」のサインなんです。
からだが必死で闘ってるのに
そのからだからのサインを無視して
熱を下げ、体力を消耗する行動に走ると
後で、痛いしっぺ返しがくることもあります。
このように
「熱」ひとつとっても
自ら気づかないけれども
自分のためにからだが働いていることって
たくさんあります。
熱もからだからの大切なサイン
からだの中の神様が
守ってることを知らせてくれている
大切な恵なんです。
からだからのサインを発するのは
あなた自身のため。
あなたを苦しめるためではないんです。
病気になっても
あなたを守ってくれているからだに
感謝の気持ちを忘れずに
過ごさないといけないですね。
人は誰かに見守られて生きている
人は
ひとりでは生きていない
ひとりでは生きられないとも
よく言われます。
確かに
人は特につらいときは
誰かが見守ってくれている
自分の元気になるように
願って祈って下さっていると思うと
どんなに力づけられることでしょう
そして
一歩、一歩前に進むことができるでしょう。
僕も入院したとき
家族が、スタッフが
他にも回復を願ってくれる方々の
無心の祈りによって
病から回復し
また今ここにいられると思っています。
人の思いに助けられたのは間違いないのですが
忘れてはいけないのは
僕をどんな時も、守ってくれていた
自然の力があることを知りました。
入院して、感じることができた
自然の力。
恥ずかしながら、それまでは
ほとんど意識することはありませんでした。
それは
僕の心、生き方に問題があったのです。
自然の力は
意地張った心、頑な心では
感じることができないのです。
素直な心になってはじめて
自然の力を感じ、受け入れることができるのです。
素直に自然の力を受け入れることができれば
いつでも、どんな時でも
自然の力は、あなたを、僕を
喜んで守ってくれるのです。
自然の力は
前回お話をした神の経、神経を通して
60兆個の細胞一つ一つに伝わっていきます。
素直な心がないと
すべての細胞を司っている神経が
硬直すると言われています。
神経が硬直して働けなくなると
細胞も同様に働けなくなり
体の中に毒素をため込んでしまいます。
それが
病気や不幸を生み出してしまうのです。
神経は
からだを動かしている働きがあると
現代医学では考えていますが
実は
宇宙からの力が
自然界からの力が
僕たちのからだに伝えてくれているのです。
そして
宇宙からの英知を受け取って
僕たちは生きている、生きられているのです。
そのことを
素直に受け入れていきることができれば
病気になることもなく
心豊かに生きていけると思うのです
進路指導
医者に憧れながらも
医者の道を決められない少年時代。
でも
自分のすすむべき道を
決断しないといけない時期が
迫っていました。
それは
高校1年から2年に上がるときの
進路指導でした。
文系か理系を選択しないといけません。
自分は
英語、国語、社会などの
いわゆる文系科目が得意でした。
理系科目は
教えてもらった範囲を理解して
点数をとると言うことはできたのですが
理科的発想、理科的応用力がない
つまり
科学的発想ができないことを痛感したんです。
ですから
理系の分野に進むのは無理。
文系学部を選択して
将来自分は
語学力をつけて
世界中の人と関わり合って
世界をまたにかける仕事
なんとなく
外交官になろうと思い
文系を選択して
学校に進路指導を提出しました。
でも
文系を選択したら
もう数学Ⅲ、物理、化学など
習うことがないので
理系にすすむ道は閉ざされる。
本当にそれでいいのか悩んました。
何回か進路希望の提出があり
いよいよ
最終決定と言うときに
僕は
今まで学校に提出した希望と選択した
真逆の
理系、選択科目物理、化学という
理系直球ど真ん中の選択をして
提出したのです。
その時は
医学部にいくために・・・と
心に決めての選択でした。
みんな
僕は文系でのコースを歩むと思ってたので
先生も友達もそして親も
その真逆の選択でいのか
僕に何度も何度も確認にしていました。
僕は
文系頭だから
理学部、工学部にはいけない
でも
人のために働く
医学部にいくために理系を選択するんだと
強い決心をしての選択でした。
その時
決めたのは
人のために働きたい
ずっとずっと自分の手に職を持ち
定年などなく
死ぬ日その時まで人のために働き続ける仕事をしよう。
そのための技術を勉強しようと思ったのです。
僕のこの職業理念に合う仕事が
僕には医者だという選択に結びついた瞬間でした。
神の経はいのちの親へと続く
前回のブログで
親には2つの意味
つまり
生みの親といのちの親があると
言うことを書きました。
生物学的に言うと
精子と卵子が合体し
両親の遺伝子が結合した瞬間に
いのちの躍動がはじまり
いのちが光に包まれ
いのちが動き出します。
つまり
神経の働きで
受精卵が細胞分裂を開始するのです。
神経は
神のみち(経)と書きます。
神経が
細胞分裂を支配してるわけでなく
宇宙からの大きな力を
伝えていると言うことなんです。
神経を支配しているのは
人ではなく
宇宙にあると言えるのです。
神経とは
僕たちと自然そして宇宙をつなげる道だと言うことです。
受精卵は
宇宙の力が神経を通じて
分裂をコントロールされ
60兆個もの細胞となり
この世に誕生しているのです。
僕たちのからだを構成している
細胞のひとつひとつは
神経を通して
いのちの源となる
大きな力によって生かされているのです。
僕たちには
生みの親といのちの親がいます。
どちらの親も
僕たち、こどもに
全力で愛を注ぎ、どんな時にも守ってくれています。
生んでくれたお母さんは
こどもが病気の時は
心配してずっと付き添ってくれます。
その時
いのちの源であるいのちの親も
おなじように
細胞一つ一つを温かく慈しんでくれているのです。
いのちの親も
僕たちのすべての細胞のことを
忘れることは決してありません。
いつも見守ってくれている
生みの親への感謝と同様に
いのちの親に対しての
感謝も忘れずに生きて生きましょう
生みの親といのちの親
この世に生まれてくるためには
必ず父と母が必要です。
この世に生まれてくるということは
両親との縁が最も深いと言うことになります。
この両親から引き継いでいるご縁を
「血」といいます。
血とよく似た言葉に
血液という言葉がありますが
似ている言葉ですが
全く異なる物です。
血は、誰からもらったのでしょうか?
両親やご先祖様からだけから
いただいたと思っていませんか?
確かに
両親から
血は引き継いでいるのも事実ですが。
でも
この世に誕生する前のことを
考えてみると
卵子と精子が結合し
その卵子が細胞分裂して
僕たちは生まれてきています。
受精した後生まれるまでのこと
お腹の中でのでの状態
お腹の中でなにが起こっているかは
母親自身すらわからないうちに
すすんでいます。
生みの母といえども
お腹のできごとには
全く手をかけることも、意識することも
できません。
3億ある精子の中から
たった1個の精子が選ばれ
卵子と運良く結合し
順調に細胞分裂を繰り返し
順調に育つことって
両親の力じゃないのです。
この世に生まれてくるのは
両親やご先祖様の力と言うより
もっと大きな力が働いているからなんです。
僕自身もあなたも
この世に生まれてきたのは
大きな大きな
いのちの親とも言える
自然の力のおかげなんです。
ですから
僕たちのいのちを
天命だといういい方をすることもあります。
いのちは
天命でいただきそして天命に帰るもの
ではないでしょうか。
両親や両親とつながっているご先祖様を
生みの親と考えるなら
もっと大きな育まれた愛の力で生まれ、
またその力の源に帰っていくのだと思います。
僕たちはみんな
生みの親といのちの親が
二組の親がいるのです。
目がつぶれるの意味
前回のお天道様の続き。
お天道様はいつもみてるのの
お天道様は
太陽のことではなく
太陽を含めて
いのちの源の力のことと
お話しました。
なら
ごはんを残すと目がつぶれるの
目は
どこか脅しのような言葉にもとれますが
目を失うとは
実は顔についている目ではなく
心の目という意味らしいのです。
心の目を失ってしまうと
感謝の気持ちを忘れてしまう。
感謝の気持ちがなくなると
不幸、災難、病が近づいてくると
昔の人は考えたのです。
現代人も
感謝の心を持ちなさいと
よくいわれます。
感謝の気持ちを忘れずに生きることが
しあわせへの道へとつながるのです。
毎日生きていくうちに
大切な生活できることへの感謝
今生きていることへの
いのちの源への有り難い気持ちを忘れずに
いきているでしょうか?
自分の利益だけを考え
自由気まままに、わがままに
生きてはいないでしょうか?
いつも
いのちの源である力が
あなたが良く生きられるように
見守ってくれているのです。
そのいのちの源の力、お天道様を
忘れずに、心の根を大切に
日々生きていくことを
忘れずに生きていけなくてはいけないこと
そんな忘れそうなことを
コロナの時代
コロナウイルスが教えてくれているのかも
しれないと僕は思うのです。
小さな奇跡は、神様からの忠告
神様って何気なく
忠告を与えてくれているように思います。
でも、人間は
神様が送ってくれるサインに
なかなか気づかないようで
はっきり気づき、悔い改めるように
仕方なく病気を起こしてる気がします。
例え大きな病気をしなくても
ちょっとしたからだの変調は
神様から送られた
気づきのサインのなんだと
思わされた
小さな奇跡が起こりました。
僕は退院以来、毎朝
リハビリをかねて
近所の神社3カ所、8柱の神様に
日頃の感謝を込めて
お参りさせていただいています。
ある朝、散歩中に
左足親指の先に軽い痛みを感じました。
靴の中に石がはいって
親指を刺激しているんだろうぐらいにしか
思ってませんでしたが
次の日は
靴を履いて、歩こうとすると
左指先に力が入る度に激痛が走るんです。
麻痺ではなく、痛みのために
歩けないんです。
その日は
小雨が降った後でしたし
激痛のため
歩いてすぐの神社にお参りしただけで
その先を行くのを断念しました。
確かに
何かの炎症があるんでしょう
指先は少し赤く腫れてはいましたが
その程度で
こんなんに歩けないものか
明日から自力でスタスタ歩きづらくなる
朝の散歩も
今まで通りお参りができなくなる。
神様にご挨拶できなくなる
悲しみ。恐怖に襲われ、
大げさではなく目の前が真っ暗になりました。
歩けなくなる現実にぶち当たった時
今までお参りした神社の光景が目に浮かびました。
そして
歩けなくてもいける
大事な神様にご挨拶していましたか?
という声を聴いたんです。
あ、そうだ
自宅の神棚の神様に
毎朝神棚の隣で身支度を整えているのに
いつもご挨拶を忘れていました。
家の神様のことも
散歩中に頭によぎることはありましたが
これだけ、神棚より大きなお宮に
お参りしているんだから
一緒にしているようなもんだよ
と自分勝手な考えで正当化し
家の氏神様をなおざりにしていました。
神様は
遠くに行かなくてもいい
まずは家の神様に手を合わせなさいと
僕に伝えるために
足指を痛くして、歩きづらくされたんだということに
気がつきました。
「かみさま、ごめんなさい。
かみさまがいつも見守ってくれていたのに
僕の恩知らずの行動を
お許し下さい」と
何度も心の中で思いながら
神棚の前で手をあわせました。
手を合わせたあと
なんだか心がすっとしましたが
痛みはまだ続いていましたが。
その日の午後
神棚の近くでうとうととした後
午後の診療を開始しました。
その時
左足の異変に気づきました。
寝る前までは
靴が当たって圧迫されただけでも
痛みがあったのに
ほとんど痛みを感じなくなっていたのです。
神様の仰りたかったことを
僕が聞けてからだと思ってます。
このことはたいしたことがない
他の人にとっては
何気ない日常の事件
小さい奇跡かもしれないだけど
神様からのメッセージだったんだと
僕は思ってます。
神様からの
メッセージを感じながら生きていけたら
日々救われる気がします。
生い立ち③医師にあこがれていた少年時代②占い
どこかで
医者の生活に憧れていた自分がいましたが
でも、心のどこかで
なれるわけはないと諦めてました。
なぜか
医者になるには
お金がかかるから
お金持ちや
もともとお医者さんの家に生まれてないと
なれないものだと思っていたからです。
僕は
サラリーマンの家庭に生まれてるから
それは憧れだけなんだぞ。
医者になろう、医者になるなんて
考えるなとしていた気がします。
両親も、一度も何になれと言ったことはなく
きっと
医者でなくて普通のサラリーマンになれば
と思っていたと思います
でも
ひょっとして
なれるかもしれないと
心の底で思ってたのかもしれないと思える
ささやかな自分だけの事件があったのです。
それは
学校帰りに
近所のスーパーによったとき
本屋の前にあった
生年月日を入れると
自動的に前世を占ってくれる
占いのゲームがありました。
いつもは
何も気にしなかったのですが
小学校4年生のある日
ちょうどお小遣いの残りもあったので
前世占いをなぜかやってみよう
という気になりました。
そして
出た結果をみてびっくり。
そこに書いてあった僕の前世に
心ときめいたのを今でも
憶えています。
そこには、こう書かれていたんです。
「あなたの前世は医者でした。
あなたは、目の前の人の顔を見ただけで
病気を診断し、治療もしてしまう
名医でした。」
え、本当に。
自分の心に隠し持っていた
僕がなりたいと思っていた姿を
この前世占いが当ててくれた。
びっくりしました。
僕は、そんな名医になりたいと
思っていたことを確信し
もし、そんな名医の生まれ変わりなら
また医者になれるかも?
なんて夢を描いたような
自分の気持ちを
言い当てられた気がして
誰にも今までも語らず
そんな100円程度の占いが
当たるわけもないと思いながらも
その結果を大事に、大事に
財布の中に入れて持ち歩いていました。
そして
もしこの前世占いが正しいなら
将来僕は
医者になれるのかもしれないと
自分の将来をかけている
自分がいた気がします。
その医者像が
今も思っている
僕がなりたい医師像だったのです。
でも
実際医者になろうと決心するまでには
まだまだ時間がかかるのでした。