年別アーカイブ: 2020

お天道様

最近耳にしなくなった言葉の一つに
 「お天道様」という言葉があります。

 こどもの時
 「ごはんを残したり
  食べ物を粗末にしたら
  お天道様に申し訳ない
  目がつぶれるよ」とか
 「誰も観てないからといって
  悪いことすると
  ちゃんとお天道様がみてるよ」
 なんて言われたことが
 よくありました。

 最近耳にしなくなった
 「お天道様」という言葉ですが
 僕はてっきり
 太陽のことだと思ってましたが
 実は
 太陽のことではないことを
 この年になってやっとしりました。

 お天道様って
 太陽のことではなく
 全てのいのちの源を育む
 自然の力のことを
 お天道様と昔の人は呼んでたんです。

 人間だけに限らず、動物も植物など
 地球上の生物だけでなく
 地球も太陽も
 宇宙にある全ての星など
 あらゆるものがお天道様の力で
 生み出され育てられているのです。

 科学がどんなに進歩して
 人間がどんなに力をもったとしても
 「いのち」を作ることはできません。
 そして、昔の人は
 すべてのいのちをうみだした
 いのちの源流であるお天道様を
 尊敬し、敬い
 日々お天道様に守られ生きて、
 お天道様の元にまた帰っていくこと
 も知っていたのかもしれません。

 お天道様のおかげで
 お日様が照ってくれて
 土地を肥やし、食べ物ができる
 海では、魚が育つ。
 我々のからだの元を作っている

 今生きているのは
 いのちの源の力
 お天道様のおかげ。

 だから
 食べる前には
 お天道様に感謝して
 いただかせてもらう
 食べ終わったら
 ごちそうをいただいたと
 手を合わせるのです。

 すべてのものを
 生み育てる
 いのちの源の力
 「お天道様」に誰をも感謝して
 生きていかなければならないと
 そのことを忘れてはいけないと
 昔の人は
 ちいさいこどものうちから教えてたのでしょう。

 さらに
 目がつぶれるの「目」にも
 込められた大きな意味があるのです。
 それについては次回のブログで。

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善・悪を作ったのはあなた(人間)

 善・悪をつくり、判断しているのは
 神でも、仏でもなく
 人間の都合によって作られた基準による。

 たとえば「水」について。
 水は人だけでなく全生物にとって
 生きていくためにとても大切なもの。
 水がないと生きていけないから
 暑いときはしっかり水分をとるように
 心がけ、脱水症を予防します。
 水がないと死んでしまうことは
 誰もが知っている常識なこと。
 でも
 台風が来たり、大雨がふって
 川が氾濫したり
 津波がおこって災害をおこすと
 途端に
 水は恐怖の源になって悪とも思ってしまいます。

 けれど
 どんな状況でも
 水自体は、善でも悪でもない。
 善・悪を決めているのは
 人自身の判断、
 人の心だということになります。

 そして「死」についても
 人は悲しい、怖い、
 死ぬのは嫌だと思っている人も
 たくさんいらっしゃいます。
 でも、もし生まれ変われることができる(輪廻転生)
 があると考えれば
 死は単なる通過ポイントであり
 別に悲しいことではなくなりませんか?

 このように
 死を恐れたり、憎んだり、悲しんだりする
 心の動きが
 あなたの生き方を制限しているとは
 思いませんか?

 暗い気持ちになると
 暗い波動(エネルギー)を生み出し
 最初はあなたひとりの
 ちょっとした暗い気持ち、エネルギーが
 人から人に伝わり
 負のエネルギーが集積することで
 自然界にも大きく影響するように
 なるのです。

 この宇宙が成り立っているのは
 すべて
 今生きている
 この地球で生活している
 人間を始め全ての生物のエネルギー
 波動でできあがっているのです。

 ですから
 あなただけの価値観
 善・悪だけで行動することが
 あなたの持っている波動エネルギーを変化させて
 そのエネルギーはあなただけでなく
 周りの人にも影響し、集積し
 地球をそして宇宙全体をも変えてしまうことを
 知っておかないと行けないのです。

 あなたの心が落ち着けば
 周りの人々の心もおちつき
 やがて
 地球全体そして宇宙全体が
 やさしいエネルギーに包まれるのです。

 世の中には
 様々な規則、法律、決めごとがあります。
 社会生活をする上で
 ルールを守ることは大切なことです。

 でもそのルールは
 絶対ではなく、人が決めたことであると自覚し
 人が決めた善・悪は絶対ではないことを
 心にとめ、縛られることなく
 心(魂)を磨いて生きていくことが
 大事なのではないでしょうか

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人はパラレルワールドに生きている

 今生きている世界は
 日々何も変わらないようだけど
 知らず知らずのうちに
 時間とともに変わっていっています。
 そして
 気がついたら
 年を重ねたことに気づき
 今までの歩みを振り返り
 後悔したり
 戸惑ったりすることってないですか?
 
 この世は
 変わってないようで
 刻々と変化していることを
 日々意識すべきだと思います。
 
 自分自身のからだも
 毎日、毎時毎分毎秒分裂を繰り返し
 3年も経てば
 今までの自分のからだと全くちがう
 肉体として生きています。

 今までのあなたの肉体は
 いったいどこにいってしまったのか?

 今ここにいるあなたは
 以前のあなたが生きていた
 全くちがう世界にいるのかもしれません。

 その世界を
 パラレルワールドと人は言います。
 少し前に大ヒットした映画
 「君の名は」まさに
 パラレルワールドの世界を表現していました。
 その世界が受け入れられているから
 あの映画はヒットしたのでしょう。

 人はみんな
 時間と空間を越えた
 パラレルワールドの世界に生きている。
 最近の物理学も
 このことを現実のこととして
 少しずつ暴いてきています。

 パラレルワールドの先に
 魂の世界
 そして
 神の世界が存在していると

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ペンローズ博士のノーベル物理学賞

今年のノーベル賞が発表されました。
 今年は日本人の受賞者はいなかったので
 日本人にとっては
 少し盛り上がりに欠ける感じがしました。

 僕的にも
 存じ上げない名前がずらり。
 僕が知らないだけで
 みなさん立派な業績を残された方なので
 注目すべき学者です。

 今回僕が注目したのは
 ノーベル物理学賞を受賞された
 ロジャー・ペンローズ博士です。

 略歴をみてみると
 あのホーキンズ博士と双璧の物理学者で
 ブラックホールを解明された方でした。

 ブラックホールのことは
 僕はほとんどわかりませんが
 博士が述べられた言葉が気になりました。
 その言葉は
 「物質そのものが、ある意味では
  精神的な存在である」です。

 博士の研究された物理学の世界は
 物質的の裏に隠された
 精神的な世界を解明された方だと思うのです。

 それを裏付けるように
 ご自身が用いてきた数理学的な手法は
 もともと精神世界の中で生み出されると
 考え、研究を進められ
 著書のなかでも
 「意識というのは、何か別の存在です。
  それは部分の寄せ集めではなく
  一種の大局的な能力なので
  おかれている
  全体の状況を瞬時に考慮することができるのです。
  つまり
  私は 意識が量子力学と考えるのです」と
 述べられています。

 結局 、量子力学は
 物質世界の解明をしているようで
 実は
 目に目ない
 物質の世界の奥に隠れている
 意識の世界を追求しているのです。

 全ての物は
 目に見えない意識の力が働いている。
 その力は
 個々人の意識の力と言うより
 もっと、もっと大きな大局的な力
 が働いている
 それを解明するのが量子力学だと
 ペンローズ博士が解明しようとした
 世界なのでしょう。

 そういえば仏教にも
 「全にして個、個にして全」
 という言葉があるのを思い出しました。

 ひとりひとりの人が生きて行くには
 きっと大きな意識。力が働いていることが
 今後科学の世界で証明されるのでしょう

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生い立ち②医者にあこがれていた少年時代

僕は
 平均的なサラリーマン家庭に
 生まれました。
   
 仕事人間の父と
 専業主婦の母という
 当時の平均的なサラリーマン家庭で育ちました
 両親とも
 教育はしっかりうけさせようと
 思っていたようで
 小学校は
 校区の公立小学校でなく
 バスで1時間ほど通学時間のかかる
 私立小学校に入学しました。

 7つ離れた姉と一緒に通ってましたし
 近所の友達から
 すごいなぁなどと
 言われることがありましたが
 その私立の学校に通ってることは
 僕にとっては
 特別意識はなく
 当たり前の普通の道と思っていました。
 みんなの視線の意味がわかるには
 かなり時間が経ってからでした。

 また
 その小学校は
 カトリック系の学校で
 週に1回、道徳の授業があって
 イエス様の話を
 シスターの先生がしてくれました。
 今でも不思議に思い出す
 小学校の授業と言えば
 このシスターが黒板一杯にかいた
 イエス様、マリア様の絵です。
 
 なんの先入観もなく
 自然な形でキリスト教を学べ
 イエス様に対して
 親近感が湧いたとともに
 聖書の話が自然とみにつき
 そのことが
 今でもキリスト教に抵抗なく触れられている
 一因になっているのかもしれません。

 それと
 その小学校は 
 私立の進学校でもあったので
 お医者さんの家庭が多かった
 ように思います。

 友達もお医者さんの家庭の人と
 自然と仲良くなりました
 そして、その子の家に遊びに行くと
 どこのお父さんも
 仕事の合間に
 白衣を着てニコニコして
 挨拶に来られるんです。
 
 僕は
 家に父がいるという
 経験はあまりありません。

 と言うのも
 その時代は高度成長期のまっただ中
 我が家の父は
 まさに企業戦士で
 帰宅も遅く
 家にいる、父に会うのは休みの日ぐらい
 でも、疲れてて
 僕と遊ぶ余裕もあるはずもありません。

 父が余裕で
 笑顔をみせてくれる
 開業してるお医者さんの家庭に
 どこか憧れている自分がいたような気がします。

 でも、そんな
 お医者さんの家庭って
 僕と住んでる世界とは別次元のはなし。
 僕が、医者になれるわけないし
 医者になることもないだろうからと
 なぜか
 医者という世界に壁を作って
 小さい時から過ごしていたような気がします。
 
 でも、心の底では
 お医者さんという仕事を実感する前に
 お医者さんの家庭でふれて感じに
 どこか憧れをもっていたのは確かです。

 今思えば
 この小さいとき気持ちって
 理屈じゃなくて
 純粋な気持ち
 魂のプログラムだったのでしょう。

 でも、医者になんて・・・・と思って、
 気持ちを抑えていたのも事実です。

 その僕が
 だんだん医者の道に近づいていくのですが
 その続きは、またブログで

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生い立ち①自分で決めた人生を歩いている

 病気になると
 これまでの人生を
 これからの人生を
 自分の生きてきた人生を
 振り返る時間
 そして
 今後の人生を考える時間が
 自然と増えてきます。

 僕もそうでした。
 なぜ、医者を選んで
 今こうして生きているのか?
 そして
 これから僕はどう生きていくのか。
 と病気に向き合うことで
 考える時間がありました。

 自分のこれまでの人生を
 振り返ったとき
 今の状態を考えると
 病気になって
 不自由な面もありますが
 実は病気になったことに
 後悔することもがほとんどありません。
 それは、あきらめの気持ちでなく
 やけになることもなく
 自分でも信じれないぐらい
 自然に受け入れているのです。

 こんな自分を
 強いですねって
 言われる方もいらっしゃいますが
 決して僕が強いわけではなく
 病気も含めて
 自然の流れにそって
 自分の決めたシナリオ通りに
 生きている気がしているから
 なのかもしれません。
 
 なにか目的に向かって
 生きている、
 その中で、僕は
 医者として、人として感じて
 これからも生きようととしています。

 何もかも
 自分が決めた人生を
 その通りに生きているから
 今の人生の時を
 受け入れているんだと思います。

 病気をしたのも
 自分が選んだ人生なのではないのか?って
 思えて仕方ないのです。
 病気になっても
 
 くじけないような肉体を持って
 生まれてきて
 これまでいくつもの選択を
 自分で選んで生きてきたような気がするのです。
 
 自分は
 自分で決めた人生通りに生きている
 気がしてならないのです。

 今感じてること、思ってることは
 自分のこれからすすむべきことに対する
 決意の表れのような気がします。

 そして
 これは自分だけのことではない
 誰もが
 自分の書いたシナリオを持って
 この世に生まれ
 あらゆる出来事を選択し
 生きていると思うのです。

 そこで
 少しずつですが
 僕がどうして、今このように
 自分の人生を選択したかを
 このブログで語らさせていただき
 みなさんのなぜ今生きてるかと考える
 きっかけに少しでもなればと思います。

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不安をあおる記事を見極める方法

 新型コロナウイルス感染の
 勢いがとまりません。
 ヨーロッパでは再び
 緊急事態宣言が発令されたところがあります。
 日本でも北海道、沖縄などでで
 第3波が始まったなど
 まだまだ
 収まる気配はありません。

 また日々
 新聞やネットをみたり
 テレビをつけると
 感染のことを伝える報道が
 多くあり
 みているだけで不安になってきます。

 ニュース記事を
 確かめる術がないぶん
 受け身でいると
 益々不安な気持ちに駆られます。

 僕が思うに
 不安をあおる記事って
 その記事を読んで
 どう感じ、どう行動するかを
 試されている気がするのです。

 実は
 ニュース記事のほとんど全ては
 現実の僕の生活には
 直接関係ないことが多いですよね。
 そう
 ニュースって
 自分の外でのこと。
 外のことを意識して
 内なる自分をなおざりにしているから
 内なる自分が置き去りにされていることを
 伝えるために
 内なる声を聴いて欲しくて
 不安な気持ちになってくるんだと思います。

 不安なときほど
 自分の意識を外でなく
 自分の内なる声に耳を傾けてみましょう。
 そうすれば
 今自分がしないといけないこと
 考えないと行けないことが
 わかってきます。
 そうすると
 外の出来事を客観的に
 観ることができます。

 自分の内なる声を
 行動の基準にすると
 自分自身の行動、判断に自信がつきます。

 すると不思議に
 偽物の記事は「これはちがう」と
 直感的にわかるようになってきます。

 今日も自分の内なる声を信じて
 生きていきましょう。

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バベルの塔の失敗をくりかえしてはいけない

 科学は、これまで
 世界で起こることの
 様々の現象、姿、法則を
 明らかにする学問として発展してきました。

 でも
 近代科学は
 細部にこだわり
 詳細に突き詰めて行くにしたがって 
 この世界の裏に潜む
 人智を超えた神の偉業
 を解明しようとしているように思えます。

 医学の世界でも
 人工授精など
 最も神秘的な命の誕生に
 挑戦して
 神の領域に踏み込もうとしているかのような
 一面ももっていないでしょうか?

 現在
 全世界がコロナウイルスワクチンの
 誕生を心待ちし 
 全世界の医学者が
 懸命に努力しています。

 しかし
 できるどころか
 あちこちで聞こえる 
 治験中止のニュース。
 
 このことも
 ある種の人類に対する
 ウイルスからの警告のような気がするのです。

 科学の進歩は素晴らしく
 喜ばしいことだと思う。
 でも、今の科学至上主義の
 行き過ぎの現状をも危惧してしいます。
  
 こんな時たまたま
 聖書にある
 バベルの塔の話を読む機会がありました

 バベルの塔の話では
 かつて、人類は
 神様に近づこうと、思い上がって
 高い塔、つまりバベルの塔を作って
 神様に対して挑戦したことありました。
 その時神様は
 未熟な人間の
 その奢った人間の心を戒めるために
 バベルの塔を
 ことごとく破滅したのでした。

 これをただの物語
 歴史神話として読んではいけない
 気がします。

 バベルの塔を作ったときのように
 人類は今
 地球をそして人の命ですら
 自由にコントロールできると
 自分の力を過信し
 奢った気持ちを持っていないでしょうか?

 人間は
 僕は肉体と魂とから成り立っていると
 考えられます。
 医学が進歩して
 肉体のことは解明できた来たけど
 魂については、まだまだ
 その存在すら証明することもできていません。

 人間の知恵は・・・・
 まだまだというか
 全然神様には及んでいないのです。
 だから
 科学の進歩があって
 世界全ての人々が賞賛するようなことが
 できても
 決して奢らず、謙虚に生きていかなくては
 いけないことを
 バベルの塔の神話は
 現代社会に忠告しているのだと思います。

 自分の力に奢ることなく
 謙虚に生きていかなくてはいけませんね。

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感謝の気持ちがあなたをしあわせに導く

 今年は世界が変わってきた
 特に人々の変わってきたなぁ
 と思うことが多くなってきました。

 新型コロナウイルスの影響で
 生活様式を変えようとしているのも
 コロナウイルスのせいだけでなく
 変わる時期に来たからだと思います。
 
 どう変わってきたのか?

 経済中心の
 物質主義はもう終わりを迎えてきている。
 物がなくてもしあわせだと感じることができると
 感じてる人が増えてきていると思います。

 物じゃないもの
 つまり目に見えるものではなく
 目に見えないものに
 価値を感じる人が増えてきた。

 そして
 自分の目の前あるもの
 自分の身に起こっている物を感じ
 目のまえの出来事、存在の
 ひとつひとつのことが
 当たり前でないことに気づいてきた。

 今こうして
 生きていることも
 当たり前のことじゃない。
 そして、その当たり前のことは
 自分ひとりの力でできることではないことにも
 気づいてくる。
 すると、不思議に
 心の底から、なんに対しても
 ありがとうの気持ちがあふれてくる。

 感謝の気持ちで
 心が満たされ
 心の平安が訪れることを感じる。

 ありがとう(感謝)のエネルギーは
 澄んだ清らかな空気のような
 最高のエネルギー。
 そして
 その感謝のエネルギーは
 神、宇宙の最高神に
 気持ちと共にストレートに届いていく。

 だから
 感謝の気持ちを忘れなければ
 神様は
 あなた望む世界に
 導いてくれます。

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薬より大切なこと

 人は
 病気になった時はもちろんだけど
 病気を予防するために考えた時
 薬やたべもののことをまず気にします。

 日常の診療でも
 みんな薬を求めて受診される
 だから
 薬が飲まなくていいよと言うと
 喜んでもらえるかと思うけど
 実際は不服そうな顔をされる方が多い。

 僕は
 病気を治すためには
 薬だけではなく
 薬よりもっと大切なことがあります

 プラシーボ効果という言葉が
 医学会にはあります。
 それは、たとえ偽薬であっても
 服薬される患者さんが
 本物の薬であると信じて服薬すれば
 実際効果があるというが経験されているのです。

 同じ薬を飲むにしても
 仕方なく渋々飲むのと
 「これはすごくよく効く」と
 前向きな気持ちで服薬するかでは
 治療効果に大きな差が出るのです。

 このプラシーボ効果は
 人間のからだが持っている
 自然治癒力の働きで説明することができます。

 いい薬だ、この薬を飲めば絶対治るなど
 より強いイメージや信念を持って服薬すると
 免疫の中枢器官である間脳が刺激され
 間脳の働きが活発になリます。
 その刺激が神経系に情報伝達されると
 血液中のリンパ球が強化され
 病気に対する免疫力が高まって
 従って
 自然治癒力も高まると言うわけなんです。

 人間には
 生まれたときから
 元々備わっている自然治癒力があります。

 その生まれつき持っている
 自然治癒力のパワーは
 自身が考えているより
 はるかに強力で
 どんな難病でも治すだけの力があるとも
 言われています。

 その底知れない 
 自然治癒力をひきだせるのも
 自分自身しかないのです。
 治りたい、なおるなど
 その病気に打ち勝つんだという
 強い気持ち、信念をもち
 心の底から
 自身のもつ自然治癒力を信じることでしょう。

 僕も入院したとき
 絶対治る、これまで通りの仕事、生活をすると
 と思ってましたし
 それが現実になったのは
 薬ではありません。

 自分自身の力
 すなわち
 自然治癒力のたまものなのです。

 この世には
 プラシーボ効果が存在します
 つまり
 自身のもつ思いやイメージが強ければ
 奇跡を起こす力が
 誰にも備わっているのです。

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