月別アーカイブ: 1月 2021
パジャマを着替えた時
ちょうど一年前
倒れて3週間経ち
さいわい新たな出血を起こすことなく
病状も落ち着いてきました。
その頃
自分のからだの変化の発見があります。
30mほど
杖を使いながら歩くことができた。
左腕を真上に上げることができた
左の手のひらを広げられ
ベットの手すりを握ることも
できるように、明るい兆しが見えてきました。
回復できる時期はは、ずっと続くわけではなく
ある程度回復できる時期が
決まってることがわかっています。
でも、最初入院した病院は
急性期の病気で
病気を落ち着かせるのが中心
病勢をみながらのリハビリなので
思いっきりリハビリしたくても
できない日もあります。
そしてリハビリ時間自体も短く
リハビリ・・・と言えば
血のにじむようなきつい物だと思ってましたが
もうちょっとしたいのに
と物足りなく思ってきた時に
リハビリ専門病院への転院が決まりました。
転院してから
機能が回復できるかは
自分の努力、力にかかっている。
自分は体育会系ではなく
どちらかと言えば文化系。
からだをいじめた経験も少ないので
テレビでみるリハビリは
歯を食いしばるシーンがでてきて
自分が耐えられるかのか不安はありましたが
やるしかないんですよね。
そんな時
リハビリ病院の主治医の先生が言われました。
「ここでは、病人ではないので
パジャマを脱いで、
トレーニングウエアーで過ごして下さい」
そうか、もう僕は
周りの人に気遣われながら生きていく
患者ではないんだ。
これからは
自分の力で
自分の生きる道を切り開かねばならないんだ。
パジャマを脱ぎ捨てることで
僕に気合いが入り
まず僕のリハビリへの
戦闘態勢になった瞬間でした。
本質を見極める
11都道府県に緊急事態宣言が発令されましたが
まだまだコロナ感染は収束に向かうかどうかは
誰にもわからず
今後緊急事態宣言が
全国に広がり
みんなの生活にも影響が出てくる
ことでしょう。
そして
緊急事態宣言発令に付随して
様々な人が
感じることを口にしています。
政府に対する愚痴
世間に対する愚痴なんかを聞く度に
世の中
人の心が混乱しているなぁと
感じずにはいられない、
みんなが願うのは
コロナウイルスから
自分自身のいのちと生活を
守ること。
お金には換えられないいのち
そして
政治家にお任せでなく
自分自身でいのちを守る行動をとらないといけない。
でも苦しくなると
誰かのせいにしたくなる。
僕が思うのは
コロナウイルスが沈静化するのが第一の目的でなく
コロナウイルスに端を発した「コロナ騒動」を
1日でも早く沈静化しないといけない。
コロナウイルスを沈静化するのは
「ワクチン」を打つ、開発を待つことではなく
「自分たちのからだの免疫」を高めることでは
ないでしょうか?
そして医療崩壊が医療問題の本質ではなく
「医療システム」の崩壊を考えなくては
いけない気がする。
今こそ
問題の本質のついて
ひとりひとりが考えていけない時期に
なっていると思うのです。
数字にだまされない
日本はコロナ感染爆発に
怯えている
いや、もしかしたら脅かされているのかも
と思ってしまう。
コロナウイルスは目に見えないから
目に見える物として示さないと
人の心は動かない
それは
真実は目に見えるところににしかないと
考えてしまうのが
現代人の欠点だとも思う。
僕たちが
コロナに怯えているのは
コロナにかかった患者さん
コロナに関わった医師などの医療者
だけではない。
医療者もコロナの恐怖を言うよりも
コロナ患者さんが増えて
対応がきびしいと言う声が聞こえるが
エボラウイルス、AIDSのような
ウイルスの恐怖はあまり伝わってこない。
コロナウイルス陽性者が増えて
その対応に行き詰まっている状態ではないか?
コロナウイルスの病気の恐ろしさ自体は
医師である僕もマスコミ情報の
受け売りでしかない。
そして
目に見えない物を現実味を
帯びさせるのが数字。
最近は
連日PCR陽性者の人数がトップニュースになり
いつの間にか
6時のニュースの時に
緊急ニュースとして
全国の感染者数がテロップに流れる。
数字とアラーム音で
僕たちの恐怖心をあおってくる。
いつから
こんなにけたたましい
数字のオンパレードになったのだろうか?
数字は
確かに変えようのない
事実を示すけれど
その数字が全てを表しているわけではない。
こんな数字をご存じだろうか?
PCR検査数 5,355,362件
陽性者 246,365名
死者 3,654名
コロナにかかっていない日本国民 99.8%
コロナで死亡していない日本国民 99.997%
この数字をみると
コロナウイルスによって
大きくなにか変わったのだろうか?
僕たちは何を畏れているのか?
僕たちは何を変えないといけないのか?
誰かが、
僕たちの大切な何かを壊そうと
してないのだろうか?
誰かが
僕たちのこころとからだを
洗脳しようとしていないだろうか?
今こそ
真実かどうか
見極める力があるかどうかを
試させられている気がするのです。
心の眼を磨きましょう
今こそ分かち合おう
ついに
2回目の緊急事態宣言が
発令されました。
1都4県が対象で
今回は全国一斉ではないけど
まだまだ感染に対して
予断は許されない状況ですよね。
こんな状況だからこそ
法律や政治家、医師、偉い知識人の意見
にではなく
自分たちのできること
しないといけないことを
ひとりひとりが
考えていかなければならない時に何だと思います。
でも具体的にどうしたらいいのか
ウイルスという目に見えない相手に対して
どうすればいいのか?
報道されるように
3密を避け、人に移さないように
行動を自粛し
マスク、手洗いなどの感染対策をすること
だけででしょうか?
それも怠ってはいけないこと
だと思います。
その行動を考える前に
なぜ?マスクをつけないといけないのか?
どうして?緊急事態宣言がでたのか?と言うことです。
感染を広げないため・・・ですけど
なぜ、感染を広げたらいけないのか?
感染して亡くなるかたがいらっしゃいました。
本人もご家族も
お別れを言うことさえできず
つらく、苦しく、そして悲しい状況に
置かれた心を想像してみて下さい。
自粛生活を強いられ
人の流れも変わり
お店を閉めたり
生活様式も変わり
日々の生活に苦しむ方もいらっしゃいます。
僕も当院でも
様々な生活様式の変更を強いられて
困難な状況にあります。
みんな苦しんでるんですよね。
みんなの苦しんでいる気持ちが
痛いようわかるんです。
だから
毎日ごはんが食べられて
こんな状況で苦しんで来られた患者さんと
病苦を一緒に分かちあえる
そんな気持ちになれたとき
医者で居られることに感謝しています。
つまり
苦しい状況になっても
苦しい気持ちを人と分かち合うことができれば
その苦しさは半分、いやそれ以下になります。
逆に
喜びも
2人で分かち合えば
2倍以上になります。
今のその気持ち
苦しい気持ち、うれしい気持ち
人を愛する気持ち
美しいものを大事に思う気持ち
自然の力を敬う気持ち
世界中のひとの気持ち
そして
人だけでなく
全ての動物、植物そしてウイルスであっても
気持ちを分かち合うことが
大事じゃないかと思います。
これからも
自粛しないといけないことが
増えてくることでしょう。
そんな時、ただ
各々が我慢している
自分だけが束縛されてるだけと思って
互いの気持ちを分かち合うことを
忘れてしまうと
自粛警察が出現したり
恐怖の気持ちがうまれ
お互いの足を引っ張り合うことに
ならないかと
僕は個人的に心配になってきています。
そんな時、ふと思いました。
今の時代にイエス様やお釈迦様がいらしたら
どんな行動をしているでしょう。
マスクをして自粛する
そしてじっとワクチンができるのを待ちましょうと
言ってるでしょうか?
今こそ
人の気持ち
自然との気持ちを考え
地球上での共生
ウイルスとも共存する生き方を
模索する方法を考えなくては
いけないのではないでしょう。
湯川秀樹先生と多田富雄先生②~時空を超えたメンター~
次は
もうひとりの僕のメンター
多田富雄先生についてです。
多田先生とも
直接お会いしたことはありませんが
この病気をしてから
先生のことを
ずっと心の中で慕っていた訳がわかり
今回多くのことを学ばせていただきました。
多田先生は
誰もが知る免疫学の大家でいらっしゃいます。
僕がはじめて先生のことを知ったのは
大学生の時の
免疫学の授業で使った
「免疫学イラストレーティッド」という
教科書の著者としてでした。
大判の教科書でしたが
免疫学の内容が題名通り
イラストを交えて書かれた本でした。
綺麗な本だなと思いましたが
内容は難しく
いつかこの本をしっかり読むときがあると
ずっと手元に置いていたいと思うほど
なぜか
多田富雄という著名な先生の名と共に
僕の頭に記憶された本でした。
そして
ただ偉い先生だと思っただけでしたが
2008年ぐらいのことでしょうか
NHKで
先生の現在の姿、生きる姿を
放送したドキュメンタリー番組を偶然みました。
その時は
免疫学の大家という過去?の功績の紹介ではなく
先生が脳梗塞を起こした後の生活の記録でした。
半身不随の車椅子生活でも
必死でできることをされている姿に
さすがだと思ったと同時に
能をしたり、文筆活動、詩を書いたり
マルチな面を持っていたことを知り
先生の魅力に惹かれました。
でも
実感としては
こんなマルチな才能の先生を
病気になっても精力的に活動されている
エネルギッシュな先生の姿を
うらやましく思った
まだ僕にとっては
遠い別世界の先生の話でした。
それが今回僕も病気になり
たまたま知った
先生のエッセイ全集のことをネットで知り
その内容を目次でみてびっくり。
先生が
脳梗塞になった後の人生を綴った
内容であることが
目次から伝わってきました。
僕は居ても立ってもおられなくなり
本を取り寄せました。
そして、読んでびっくり
僕が今感じていたことを
先生も感じていたことを知りました。
先生が感じたことを
時を超え
次元を越えて
僕に伝えてくれたいると
自分勝手かもしれませんが
強く強く思ったのです。
大学生の時から
時に触れ
先生を忘れないようになっていたのは
今日、この時のためだったんだと
強く思いました。
何度も、何度も
エッセイを読みました。
一緒にリハビリをした
同志のように感じます。
昨年の今頃
僕も急性期病院から
回復期のリハビリ専門病院に
転院しました。
自分と重ね合わせながら
先生のあとを負っています。
多田富雄先生は、時空を越えての
メンターだと思います。
これから
リハビリ中の思いを
綴ろうと思いますが
先生のアドバイスもいただきながら
お話しようとも思います。
大事なものは目に見えない
年が変わっても
毎日、毎日多きく報じられるのは
新型コロナ感染症の感染者数
重症者の人数。
特に今は
増加している、増加していると
大きな声で言われると
心が萎縮してしまう。
現代社会に生きる自分たちは
科学文明の発達した世界で生きているので
目に見える現象を信じ
数字で表された事柄に
納得させられるように生きてきた。
数字はうそをつかない
と言う言葉を鵜呑みにしてしまっている。
でも
それは、本当の世界なんだろうか?
数字って絶対なんだろうかと
思う。
世の中には
数字で表現できない事柄も多くある
想像できないような大きな数字
小さい数字だって存在する。
我々の認識を越えた数字も存在する。
コロナの数字だって
本当にコロナ感染症の数字?
重症者の数え方だって
人間の感覚でとらえた数字。
だから、本当かなんて
いえるのだろうか?
数字をみないと
信じられない自分たちだから
目の前に数字が現れ
数字に目がいき
数字におびえてしまう。
真実のことは
頭に訴えるのではなく
心のなかに響いてくるもの。
だから数字が真実とは限らない。
星の王子さまがこんなことを言っています。
「ぼくたちみたいに
生きると言うことの意味が
わかっているものには
数字なんてどうでもいい。」
「家でも星でも、砂漠でも
綺麗に見えるのは
何かを隠しているからなんだ。
ここに見えているのは殻なんだ。
一番大事なものは
目にみえない」
数字で表されるものの
代表はお金。
物質的なものに縛られ
数字に踊らされて生きている僕たち
数字に表されない
大事なものを見失うことなく
生きていきたいものですね。
生きているのではなく生かされている
新しい年を迎えて
思うことがあります。
それは
今ここにいるのは
自分の力でここにいるのではなく
ここでいるように
生かされている
という気がとてもするのです。
思えば
ひょっとして
今ここに存在しなかったかもしれない
出来事が
これまでに2回ありました。
一つは
今から約10年前。
山登りに魅力を感じていた時期で
乗鞍岳の登山に挑戦した時のことです。
乗鞍岳は
3000mを越える山ですが
初心者の僕でも
登頂することができ
山登りの楽しさを教えてももらった
山でした。
山登りは
下山するまでが山登り。
とも言われます。
その時
一緒に同行した方と
下りは自転車で下ろうと提案してくれて
サイクリングの経験はないけど
下るだけなら
ついて行けるだろうと
軽く考えてOKしました。
でも
そこに魔物がいたんです。
長距離の下り
ペダルを漕がなくても
どんどんスピードが乗ります。
それも3000mの下り坂
つづら折りのカーブを曲がりながら
降りていきます。
スピードも乗って、楽で快適です。
でも
ガードレールの下は
絶壁の崖のところばかり
スリルも少しは感じながら
スピード感に酔いしれ
自転車が加速していきます
まさに
風を切り、風に乗ったと思った瞬間
カーブを曲がり切れず
ガードレールを
乗り越えてしまったんです。
目の前が真っ暗に成り
体がふわっと宙に舞う感覚とともに
ドスンと落ちて
右の胸を
ガードレールの柱を固めてあった
セメントの土台にぶつけ
強い衝撃と痛みで
僕の楽しい山登りは終わりました。
肋骨を打って
ひびが入ったのでしょう。
それからしばらくは
笑っても痛い
ベットから起き上がるのも
痛くて動きがとれない状況が
1週間近く続きました。
楽しい旅行の結末は
苦い思い出になってしまいました。
でも
冷静になって振り返ると
そのカーブだけが、すぐ地面だったのです。
つまり
他のカーブを
曲がりそこなってたら
深い深い谷底に落ちてしまい
いわゆる滑落事故として
いのちがなかったと思い
今思うとぞっとしてしまいます。
そして
一年前の脳出血。
脳出血でいのちを落とした方の
ことを聞くことがありました。
今まで元気だった方の
突然のニュース。
そんなニュースを聞く度に
僕もそうなっていても
おかしくなかったんだと思います。
亡くなったかたも
死ぬなんて思わなかったんでしょう。
色んな状況
同じような状況でも
死ぬ人と生きている人がいる。
このちがいってなんでしょうか?
人は寿命、運命だと言うのかもしれませんが
僕には
自分で勝手に生きているのではなく
誰かによって生かされている気がして
ならないのです。
生きる、死ぬも
自分で決められない
だから
毎日いやこの瞬間を
悔いなく過ごさないといけないと思うのです。
汝の隣人を愛せばしあわせになれる
コロナの流行で
僕たちの生活は
様々な制限を求められ
誰もがその生活を守ろうとし
守ってもらおうと
自分以外の人に
厳しい目を知らず知らずに向けている気がします。
マスクをしていなかったり
大人数での会食
大声で話してたり
お酒を飲んでたり
密集して集まってたり
・・・・・
そんな人たちを
普通の方も取り締まろうと
自粛警察という人々が
現れてきました。
そんな人々の流れをみて
思い出した言葉があります。
それはキリストの言葉で
「汝の隣人を愛せよ」
「汝の敵を愛し、汝を迫害する者のために祈れ」
という言葉です。
この言葉のような
気持ちで過ごすと
心が安定し、確かにしあわせを感じやすく
なれることが医学的に証明されているのです。
自分と同じように
隣人や敵さえも愛する気持ちがあれば
オキシトシンという
しあわせホルモンがあふれてくることが
証明されているのです。
オキシトシンは
しあわせホルモンと言われるくらい
人をしあわせにしてくれます。
オキシトシンが
たくさん分泌されれば
体にたくさんいいことが起きます。
そして
あなたの体に起きたいいことが
波動となり
相手にも伝わり
相手もオキシトシンが分泌されやすくなり
あなたと同じように
しあわせを、感じやすくなることでしょう。
逆に
人を恨んだり、憎んだり、
自分勝手で、不平不満ばかり言っていると
オキシトシンの分泌レベルが下がってしまい
そのために
体の変調をきたしやすくなり
挙げ句には
病気になってしまうこともあるのです。
オキシトシンが分泌されることは
体の健康や心の安定のためには
とても重要なことなのです。
まずは
自分が愛情ホルモンで満たされていれば
相手のことも
自分のことのように大切に
思えてくれるのです。
だから
自粛警察のように
人を批判、非難するような
目で過ごしていると
自分のオキシトシンが分泌されなくなります。
自分が愛情ホルモンで
満たされていたいなら
相手のことも、例え敵であっても
自分のことのように
大切に思え
愛情を持って過ごすことができれば
あなたにも、相手の方にも
しあわせホルンモンの分泌が増え
お互いにとって信頼や絆が強くなり
しあわせがもたらされることでしょう。
「汝の隣人を愛せよ」は
しあわせになるための金言なんです。
湯川秀樹先生と多田富雄先生①~湯川秀樹先生の弟子になれたら~
僕は
これまで色々な方に
お世話になって
育ててもらい今日まで生きてこれました。
でも
悲しいかな
自分は一匹狼で過ごす性なのか?
いつの時期でも感謝している人に出会っても
ずっと影響を受け続けられた人
いわゆる
師匠、メンターという方に
出会えることが少なかった気がします。
でも
実際に会ったことがなくても
いつも時期になると出会い
その時の僕にとって大きな影響を与えてくれる
いわゆるメンターという方が
二人いっらしゃることに
最近気がつきました。
一人は
日本ではじめてノーベル賞を受賞された
物理学者の湯川秀樹先生です。
湯川秀樹先生との出会いは
小さい頃読んだ伝記なんですが
その時の印象は今でもはっきり覚えています。
京都大学、ノーベル賞など
すごい先生なんだと
読んだときの感想なんですが
なぜかわからないけど
大好きな、えらい先生だと思ってたし
将来の選択を迫られたときも
理系苦手の僕にとっては
足下にも及ばないけど
頭が良ければ、湯川先生の後を継げたのに・・・
なんて
空想しながらも、今の道を選んだ気もします
そしてその後も
ずっと尊敬し続けた先生でした。
そして
今、目に見えない世界の存在を
感じながら医師をしていると
先生の晩年発表された研究「素領域理論」が
まさに
見えない世界
あり得ない世界
ひょっとしたら魂の世界が
湯川先生が理論上考えられていた世界だ
と言うことを知りました。
入院中も
なぜか先生のエッセイを読みたくなり
図書館で借りた本を読んでいました。
先生が物理学的に証明しようとした世界を
僕が信じて証明しようと歩いている世界
湯川先生が導いてくれている世界だと
直接お会いしたこともなく
先生なんて言うのもおこがましいですが
僕は、勝手に、独りよがりかもしれませんが
先生の導いてくれた道を信じて歩いている
今は
先生の弟子の末端にでもいるつもりでいます。
自分勝手な思いですが
先生に実際に会って許されるものなら
湯川先生の思いを持って生きる
弟子のひとりになることを許してもらいたい思ってます。
もし
将来先生の示された素領域の世界で
先生に出会うことができた日には
先生の理論を実践したと言える
生き方をしていくつもりです。
あともうひとりのメンターの
多田富雄先生も
お会いしたことがない
偉い先生ですが
ことある度に
僕に教えをいただいている(と思ってる)
先生です。
その話はまた次回に
コロナウイルスとは?~しっかり向き合おう~
昨年末イギリスで
コロナウイルスの変異株が見つかったと報道
従来よりも最大70%感染しやすい
と報道され
注意するように喚起された。
再びロックタウンされることになったようだ。
そして
日本でも
年末からコロナ感染症の拡大があり
地域限定のようだが
2回目の緊急非常事態宣言が
発令されるようだ
人ごとではなく
特別なニュースなことで
びっくりするような
ニュースだけど
こんな状況だから
落ち着いて情報を整理して
行動することが大事だと思う。
そのために
コロナウイルスについても
よく知っておく必要があります。
コロナウイルスの復習になりますが
コロナウイルスのコロナは
ラテン語で「冠」を意味して
みなさんもテレビなどでみられたことがあると思いますが
ウイルスの表面に
スパイクという突起が突き出していて
その形状から
コロナウイルスと名付けられています。
また
コロナウイルスは
インフルエンザウイルスと同様に
RNAウイルスであるということを
抑えておくことが重要です。
人や最近は
2本鎖のDNA遺伝子を持っていて
2重らせん構造をしていることが
わかっています。
2本鎖のDNAがあれば
1本のDNA鎖が壊れても
反対側のDNA鎖を鋳型にして
元通りの姿に修復することができます。
人間は
臓器においても対になっているものが多いのは
予備や修復し
現状を維持するために余力を残しているのです。
しかしコロナウイルスは
1本鎖のRNAしかなく
この遺伝子情報をバックアップする対の鎖がないので
壊れると修復できませんが
逆に
他の細胞に潜りやすく
他の細胞の遺伝子情報の中に
自分の遺伝子情報を組み込ませやすくなり
突然変異した状態で
生き残る生存のチャンスを広げているのです
コロナウイルスも
生物なんです
人間中心の世界の中で
生き残るために
きっと必死なんだと思うんです。
だから、今回
イギリスで変異株が見つかっても
不思議なことではないんです。
大事なのは
それで、死亡者や重症者の増加に
影響するかどうかなんです。
今のところ
WHOも重症化の報告はないと
コメントしていますが・・・・
そして
PCR検査も
ウイルスをとらえてるわけではなく
ウイルスの遺伝子の一部を増幅して
陽性か否かを判定しているので
PCR陽性が全てコロナウイルス感染症とは言えないのです。
そこには
PCRという情報、検査ではなく
本当にコロナウイルスの影響があるかどうかを
専門家(医師)が判断し
診断を確定する必要もあります。
緊急事態の時だからこそ
検査、情報だけを見るのではなく
ウイルスや人自身と向き合うことが
大切だと思うのです。