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月別アーカイブ: 2月 2021
空になるために~お金も天の宝~
コロナ感染による
パンデミックが起こって
1年以上経ち
世の中は様々変わってきたし
変わらないといけないと
気づかしてくれているような気がします。
これまで
人々が囚われていた
価値観の変換も迫られている気がします。
今の時代は
物質を重んじ、大切にする
物質世界の世の中。
ですから
人はいっぱい物を手にしたいと
安心できないから
お金をいっぱい持っておこうと
考えてしまうのです。
でも
本当は気づいているんです。
物質を持っていても
決してしあわせを手に入れられないことを。
昔から
偉大な方は
空になりなさいと仰っています。
有名なお経でも
空になることの大事さを言ってますが
実際問題
空になるってとても難しい。
空になるためには
自分の一番大切な物を
捨てるこかなんですよね。
捨て方のコツを
世界中の人に伝え
有名になられた「近藤真理恵」さんが
捨てにくい物は
感謝して捨てると
手放しやすいと教えてくれてました。
ほんと、
感謝の気持ちを持つと
お別れしやすく
そして
美しい思い出だけが
胸の中にのこりますよね。
人々が一番持っておきたい物は
お金。
僕もお金が大事二してしまう
お金の場合は
物を手放すのとは
少しちがう、簡単でない気がします。
お金は手放す、捨てるというよりも
使うということだから。
お金を使うときには
もったいないなど気持ちが入りやすいし
固執してしまいがち。
でも、根本は
お金も物を手放す時も
気持ちは同じなんです。
お金を手放すとは、使うこと。
お金に喜んでもらえる使い方をする。
自分が喜んで使えば
お金も喜んでくれてる。
そして、もっと
人が喜んでもらえるように使えば
お金は、もっともっと喜んでるはず。
お金を使って
お財布は空っぽになって
しまったけど
失ったのではない
形が変わって喜びとなることを感じるはず。
相手の喜びが
それが自分の喜びなる。
お金を使うときは
自分も他人でも
自分が喜ぶ種をまけばいいと思う。
お金の喜びは
天の宝の貯金となり
また自分に喜びを与えてくれる
カテゴリー: 真実の医療
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神の言葉 汝の敵を愛せよ
神様は
この世を作られたときに
自分と同じものを作ろうと思われ
人を作ったと
聖書に書かれている。
この言葉を読んで
人間って
神様と同じなんだと
大きな力があるんだと
一瞬喜んでしまったけど
・・・・
実際は
自分を含めて
人々の行動をみると
とても
神様と同様なんていえない。
人間の本能のままに生きると
神様と同じというより
獣以外のなにものでもない存在になってしまう。
なぜ、神様は自分と同様なものを作ったと
仰ったのでしょうか?
この言葉は
絵空事なのでしょうか?
僕は
神様はうそ、偽りを
述べてるわけじゃないと
最近思えるようになりました。
人間が神様と同じ部分を持っているのは
魂のことなんだと思うんです。
神様と同じ気持ちを持っていることは
目には見えません。
魂、使命として感じる部分だと
思えるんです。
神様の部分をみなもっていて
その部分を
肉体という殻を被ることで
神の部分を隠し
多くの人と気軽に接することで
神様の部分、すなわち魂を磨き
高めることができるんです。
魂はエネルギー状態いわゆる目に見えない力なんだと
僕は思います。
エネルギーである魂を磨くために
ちがうエネルギーをもった人と
気軽に接するために
肉体を持って今、ここにいるのです。
今、未熟な魂、学ぶべき魂として
我々は生きています。
そして、この魂を学びやすくするために
肉体をもって
この世に生まれてきたと思うのです。
エネルギーである魂を高めるために
我々は様々なことを学ばないといけないんです。
例えば、
僕が考えつく学ぶ点とは・・・
1肉体を健康にする健康学
2否定的な思考に陥らないための思考法
3否定的な感情を減らすための認知学
4中心軸を作るためのボディーワーク
5熟睡するためのボディーワーク
6エネルギーの性質を正しく理解するための物理学
7人間の本のや特性を知るための進化論、歴史学
8エネルギー体を把握するための神智学
9高い行動力を促すための行動学
などなど
今までの人類の持つ知力を結集して
総合的に魂を学ぶ学習の場が必要と思います。
そんな学習の場が必要だ。
みんなと学習していきたいと思います。
これから
そんな総合学習の場作りを
構想、準備する段階に入ります。
みなさんの魂を磨く場作り
新しい宇宙、Medical Spaceを
作ろうと思います。
カテゴリー: 真実の医療
神の言葉 汝の敵を愛せよ はコメントを受け付けていません
決意 みんなで新しい宇宙を創る場を
神様は
この世を作られたときに
自分と同じものを作ろうと思われ
人を作ったと
聖書に書かれている。
この言葉を読んで
人間って
神様と同じなんだと
大きな力があるんだと
一瞬喜んでしまったけど
・・・・
実際は
自分を含めて
人々の行動をみると
とても
神様と同様なんていえない。
人間の本能のままに生きると
神様と同じというより
獣以外のなにものでもない存在になってしまう。
なぜ、神様は自分と同様なものを作ったと
仰ったのでしょうか?
この言葉は
絵空事なのでしょうか?
僕は
神様はうそ、偽りを
述べてるわけじゃないと
最近思えるようになりました。
人間が神様と同じ部分を持っているのは
魂のことなんだと思うんです。
神様と同じ気持ちを持っていることは
目には見えません。
魂、使命として感じる部分だと
思えるんです。
神様の部分をみなもっていて
その部分を
肉体という殻を被ることで
神の部分を隠し
多くの人と気軽に接することで
神様の部分、すなわち魂を磨き
高めることができるんです。
魂はエネルギー状態いわゆる目に見えない力なんだと
僕は思います。
エネルギーである魂を磨くために
ちがうエネルギーをもった人と
気軽に接するために
肉体を持って今、ここにいるのです。
今、未熟な魂、学ぶべき魂として
我々は生きています。
そして、この魂を学びやすくするために
肉体をもって
この世に生まれてきたと思うのです。
エネルギーである魂を高めるために
我々は様々なことを学ばないといけないんです。
例えば、
僕が作りたい学の場とは・・・
1肉体を健康にする健康学
2否定的な思考に陥らないための思考法
3否定的な感情を減らすための認知学
4中心軸を作るためのボディーワーク
5熟睡するためのボディーワーク
6エネルギーの性質を正しく理解するための物理学
7人間の本のや特性を知るための進化論、歴史学
8エネルギー体を把握するための神智学
9高い行動力を促すための行動学
などなど
今までの人類の持つ知力を結集して
総合的に魂を学ぶ学習の場が必要と思います。
そんな学習の場が必要だ。
みんなと学習していきたいと思います。
これから
そんな総合学習の場作りを
構想、準備する段階に入ります。
みなさんの魂を磨く場作り
新しい宇宙、Medical Spaceを
作ろうと思います。
カテゴリー: 真実の医療
決意 みんなで新しい宇宙を創る場を はコメントを受け付けていません
藤井聡太騎士に学ぶ魂の生き方
コロナ感染症が
人々の生活環境を変えようとするかのように
猛威を働いている中
世の中の揺れる世相の中で
時々発信される
藤井聡太棋士の選択に
注目してみたいと思います。
藤井聡太棋士は
オリンピック組織会長問題に
揺れるときに
聖火ランナーを辞退したニュース
卒業式を
あと2週間で迎える
卒業式シーズン目前になって
高校自主退学のニュース。
ニュースは
この時期に報道されただけで
藤井聡太棋士は
もともと決めていたようで
世論を動かそうという意図は
全くないようです。
僕は
藤井聡太棋士の決断のから
これからの生き方を
学ぶヒントがあると思います。
人の生き方には
頭を使う生き方と
魂が望む生き方があると
思います。
頭を使う生き方とは
今生きている常識に従って生きること。
今、僕たちは
法律や道徳といわれる
いわゆる人の決めた(思う、判断された)価値観
を判断材料にして
それを善悪の判断して
生きていこうとしています。
でも、この人の考えた判断は
時代によって、人の考え方が変われば
変わってきます。
例えば、最近でも
戦争は、必要な善であり
ご先祖さまは頑張ってくれました。
でも、現代では
戦争は、いかなる理由があろうとも
許される物ではありません。
頭で考えてそれに合わせる生き方が
頭を使った現代人の生き方だと思います。
それに対して
魂が喜ぶ生き方とは
魂が震える魂が喜ぶことを善と考え
魂の喜ぶか否かを判断基準にして
生きることです。
ここで
藤井聡太棋士の生き方を見てみると
将棋に集中するために退学を判断したと
語っています。
ですから
将棋に集中する、将棋を楽しむことが魂が喜ぶこと
が魂が喜ぶことだとわかったんですね。
高校ぐらい卒業したほうがいい
聖火ランナーに選ばれることは名誉なこと
など、頭で考えた善で
魂が喜んでいないことに気づいたんでしょうね。
魂を選ぶ生き方を
示してくれたんだと思います。
頭で感じるのではなく
理屈抜きに魂が震えてくる生き方
それが
あなたが望んでる善なんです。
反対に
魂が震えない生き方は悪なのです。
魂に従って生きるとは
世間体などというような
他人基準で物事を判断したり
行動していたのを
自分の魂の判断に基づいて
行動すればいいのです。
他人の決めた判断軸ではなく
自分の魂に判断し行動するのが
大事だと言うことを
藤井聡太棋士の生き方をみて
思うしだいです
カテゴリー: 真実の医療
藤井聡太騎士に学ぶ魂の生き方 はコメントを受け付けていません
心の道を育てるには
オリンピック開幕まで
あと半年をきった時期に
森JOC会長が女性蔑視発言で
会長交代するゴタゴタと見える
問題がでてきた。
女性蔑視だけでなく
人を差別することは
決して良くないこと。
だけど
今回の問題に対して
人々の動きを見て
自分の考えを正義として
それを刀にして
戦う姿も、見え隠れして
その姿に恐ろしさを感じたりした。
正しいと思うことを信じて
それを見失わずに行動すること
これは勇気ある尊い行動だと思う。
ただ、その時
正義をふりかざすあまり
自分の考えを固持するあまりの
行動になっていないか
気をつけないといけないと思う。
自分の正義に固持するあまり
自分と異なる意見の人のことを
広く見ようとしてないだろうか?
相手のことも深く考えてるだろうか?
自分の今の行動を反省をもうけいれられる
柔らかな気持ちでいるだろうか?
自分の考えに反対する人
まるで敵のような目でみ
憎み、排斥しようとしてないか
自分自信を見つめることって
とても大事なことだと思う。
相手の反対意見であっても
楽しく聞き。その上で
自分の考えを相手に充分に説く。
反対意見中に、実は
自分の気づかなかったことを
学べるかもしれない。
ここにも
自分を育てられる
一つの道がある。
自分の意見と反対の意見。
この2つを貴見合わせ、
見事に組み合わさったときに
これまで考えられなかったような
新しい考えが生まれ
新たな心の道が生まれるのだと思う。
東京オリンピックの開催が
新しく開かれた心の道となることを
願っています。
カテゴリー: 真実の医療
心の道を育てるには はコメントを受け付けていません
診察室は祈りの場
診察の方法には
視診、聴診、触診、打診、舌診、脈診など
様々在りますが
誰にも必ず行っている診察法は、問診。
つまり、診察中は
必ず患者さんやお母さんなどご家族の方と
お話をします。
患者さんの今の状態悩みを聴いたり、
状態を把握したり
また、お伝えしたいことをお話します。
この時、心がけていることがあります。
それは
自分の発する言葉に
患者さんに良くなってもらいたい
豊かな人生を過ごしてもらいたいと
診察語に患者さんにいい人生が届くように
願いを込めてお話しています。
そんな気持ちをもって
お話すると
口下手な僕でも
不思議と思いが伝わるのか
患者さんは笑顔でうなずきながら
診察室を出て行かれます。
日本語には
言霊が実際あるんだと
実感しますし
最近は、診察室の言葉は
”祈り”なんだと思い
患者さんのしあわせを願って
お話しています。
マザーテレサが
こんな風に語った言葉があります。
「思いやりのある行為への
もっとも確かな近道は
言葉を使うことです。
他人へのよいことのために
言葉を使いましょう。
もしあなたが、人のことをよく考えるならば
人についても
よく話すようになるでしょう。」
言葉は祈り
特に診察室で使う言葉は
患者さんに対する祈りだと思ってます。
今日も、あなたのしあわせを願って
心こめて診察し、祈ります
カテゴリー: 真実の医療
診察室は祈りの場 はコメントを受け付けていません
病気はからだのサイン
からだは、
症状を通して
様々なことを伝えようとしています。
例えば、湿疹。
湿疹は赤くなったり、
かゆみを伴うと不快であり、
誰の見てもその存在がわかるので、
湿疹を抑えようとステロイド剤を塗ったり、
アレルギー薬を飲んで
症状、発疹を抑えようとします、
幸いなことに
今はいい薬も多いので
あっという間に湿疹は消えてなくなります。
でも、すぐまた再発します。
これは塗り薬や飲み薬が
症状を一瞬奥に追いやっただけで、
湿疹の原因が解消されていないからなのです。
湿疹は
からだの奥に潜んでる障害、
いわゆる毒の存在を伝えてるのです。
ですから
皮膚だけよくなっても、
からだの奥にまだ潜んでる毒を
消し去らなければ治ったとはいえず、
またくり返してしまうのです。
皮膚の疾患であっても
皮膚だけでなく、からだ全体をくまなく診て、
からだからの内なる声を聴いて、
治療してはじめて完全に治癒するのです。
当院ではからだの声をお伝えする
医療を行っています。
カテゴリー: 真実の医療
病気はからだのサイン はコメントを受け付けていません
誰にもある宇宙からの力、それは潜在能力
西洋医学と東洋医学とでは
考え方が大きく異なります。
そのちがいをひと言で表せば
西洋医学は肉体という目に見える物が対象
東洋医学はエネルギーのように
目に見えない力を対象にした医学です。
ですから
どちらも大切ですが
決して相容れない世界でした。
でも
最近、西洋で発展した
物理学が東洋医学の世界を実証しようとしています。
シュレディンガー、ハイゼルベルグといった
量子物理学の大家といわれる科学者が
インド哲学の源流であるヴェーダ哲学に傾倒して
研究していたことは有名です。
「凡我一如」をはじめとする原理が
量子論を考える上で
影響を受けたとも述べられています。
つまり
「梵」とは宇宙を支配する原理を意味し
「我」は個人を支配する原理で
この「梵」と「我」が同一であることを
知ることにより
永遠の至福に達するという考えです。
これは
人間は宇宙からのエネルギーをうけて
生きている。
この自分の中にある宇宙の力は
目に診ることはできないけど
確かに体内にあり
この本来持っている宇宙からの力を感じ
生かして生きることができ、発揮するば
もっと、もっと己の力を
発揮し、目覚めれば
今よりも、ずっと、ずっと大きな生き方
仕事ができるはずです。
別にこの力は
インド医学の哲学で言われた
難しい言葉「梵我一如」でなく
最近、若者の間の労力開発などで
よく言われる
「潜在能力」と同意義です。
宇宙からうけた
あなたの中にある力
いわゆる「潜在能力」を生かす生き方が
からだにも、心にも大切だってことですね。
カテゴリー: 真実の医療
誰にもある宇宙からの力、それは潜在能力 はコメントを受け付けていません
小児科専門医としてどう生きるか?
小児科医としてのスタートを
九大病院小児科学教室ではじめ
医師として、小児科医として
どう生きるべきなのか?
こどもたちの病と向き合うこと
いのちとは
何であるかを
諸先輩方に
文字通り
手取り足取り
一から教えていただきました。
この医師としての基礎を
作る4年間は
医師としての技術を学ぶ以上に
人間としてどう生きるべきかなど
今にも通じている
とても大切なことを教えていただいた
今振り返っても
その時仕事として
苦しいこと、悲しいこともありましたが
その時の全ての時間が
僕の今の血や肉になっていることは
間違いないです。
そんな医師としての
手ほどきを受けた4年間を過ごし
その後医師として
自分の力で生きていく
医師として独り立ちする
第一歩を踏み出します。
その時に、通常
小児科医のとして生きていくか
どんな小児科医になるか
病気のスペシャリストの道を選択します。
例えば、神経、アレルギー、循環器、消化器官
感染症、新生児など・・・
スペシャリストを決めることを迫られます。
僕は、血液腫瘍疾患を専門にしようと
それまで自分で決めていましたが
どの専門分野にも属することはしませんでした。
この時
色んな決め方があります
自分で宣言する、先輩小児科医師から勧められてなど
色んな状況は在りますが
グループを決めないのは
結婚を決めた女医さんぐらいでした。
僕も
自分の気持ちとは裏腹に
専門分野は持ちませんでした。
直属の指導医というのがいないという
孤独な面を感じることがありましたが
気がつくと
専門グループに属さないので
医局からしたら移動させやすい
何でも屋の医師の道を歩くことになりました。
あれ。なんで僕だけ
専門グループに引っ張られないのか?
無能とおもわれたのか?なんて卑下して考えることも
在りました。
でも
今までの僕の進んできた医師、医学の道
この時に
僕を縛ることなく、自由にできる道を
選ばせてくれたんだと思います。
だから、自分で考え、判断し
開業しました。
これまで、必要だと感じた医療を
自分の意志で取り入れました。
主流でない漢方医学を診療に取り入れたり
波動医学を取り入れたり
これからは
肉体だけではなく
魂の医学を取り入れ
これまでの医学の足りないと考える部分を
生き方をみなさんに伝える
医師の道(医道)を開こうと思っています。
しがらみ
これまでの医学に縛られないように
自分の目指す医道を切り開きやすいよう
用意された道なんだと思います。
だから
今の道をこのまま進んで行けばいいのだと思います。
これから僕は
真実の医療を示す医師として
新たなMedical Spaceを
みんなと生きて行きたいと思います。
カテゴリー: 真実の医療
小児科専門医としてどう生きるか? はコメントを受け付けていません
真の平等の世界とは
緊急事態宣言発令され
飲食店の時短営業を要請され
支援金が準備されましたが
十分だ、全く足りないなど
様々な声が出ているようです。
自粛生活を呼びかける中
皆が今までの同じような
誰でも満足できる生活に戻るのは
知恵を絞っても
中々答えが見つからない
大問題だと思います。
きっと
文句が出てしまうのは
誰でも”平等”に暮らす権利があるから
と考えるからではないでしょうか?
でも
僕は、現代の資本主義がベースになった
平等に囚われているからでは
ないからじゃないでしょうか?
僕が考える
これまでのいい時代、平和な時代は
縄文時代だと思います。
縄文時代は
1万年ぐらい続いたと考えられ
戦った痕跡が全くなく
とても平和な時代だったと
考えられます。
そこに
本当の平等があったのだと思います。
縄文時代には
「人間はこうあるべき」という
意識がなく
「こうするとしあわせで
そうでないとしあわせでない」
という考えもなかったといいます。
その時代は
狩猟生活が主でした。
獲物や木の実がとれればラッキー
とれなくても
時期が来ればとれると思ってたし
その時お隣の村には
食料があったとしても
自分には今食料がないのはしかたが無いこと
いずれまた食料がとれるだろうと
考えてました。
同じ村の中でも
決して平等に食べていたわけではなく
からだの大きい人
力仕事をしている人は、たくさん食べて
力仕事をしない人、こどもやからだの小さい人は
少なく食べてしたようです。
これを誰もが不平等のこととは考えず
自然なことと考えたので
決して争うことはなかったのでしょう。
それに比べて、現代社会では
基本的人権が保障され、なおかつ平等であるべきと
考えが中心になっています。
「平等」で在るべきだという
主義主張がひとり歩きし
「誰もが食べれるように」とか
「仕事しないで、お金が入るように」とか
「ひとりでも生きていけるように」と考え
自分ひとりのことを考えるあまり
自分以外も、周りも、地域も、国も、そして地球全体を
考えることも疎かになっていないでしょうか?
「平等」をかがげながらも
自分と他人を比べてしまい
「あの人はもっているのに
なぜ自分はもっていない」
自分と考えが合わなければ
その人を攻撃したり・・・・
人を許すという思いを忘れ
本当の平等の気持ちを自ら放棄して
しまう危険がある上で暮らしていることを
忘れてはいけないと思う。
本当の平等とは
物質的なところにはないような
気がしてならないのです
カテゴリー: 真実の医療
真の平等の世界とは はコメントを受け付けていません