真の平等の世界とは

  緊急事態宣言発令され
  飲食店の時短営業を要請され
  支援金が準備されましたが
  十分だ、全く足りないなど
  様々な声が出ているようです。

  自粛生活を呼びかける中
  皆が今までの同じような
  誰でも満足できる生活に戻るのは
  知恵を絞っても
  中々答えが見つからない
  大問題だと思います。

  きっと
  文句が出てしまうのは
  誰でも”平等”に暮らす権利があるから
  と考えるからではないでしょうか?
  でも
  僕は、現代の資本主義がベースになった
  平等に囚われているからでは
  ないからじゃないでしょうか?

  僕が考える
  これまでのいい時代、平和な時代は
  縄文時代だと思います。

  縄文時代は
  1万年ぐらい続いたと考えられ
  戦った痕跡が全くなく
  とても平和な時代だったと
  考えられます。

  そこに
  本当の平等があったのだと思います。
  縄文時代には
  「人間はこうあるべき」という
  意識がなく
  「こうするとしあわせで
   そうでないとしあわせでない」
  という考えもなかったといいます。

  その時代は
  狩猟生活が主でした。
  獲物や木の実がとれればラッキー
  とれなくても
  時期が来ればとれると思ってたし
  その時お隣の村には
  食料があったとしても
  自分には今食料がないのはしかたが無いこと
  いずれまた食料がとれるだろうと
  考えてました。

  同じ村の中でも
  決して平等に食べていたわけではなく
  からだの大きい人
  力仕事をしている人は、たくさん食べて
  力仕事をしない人、こどもやからだの小さい人は
  少なく食べてしたようです。
  これを誰もが不平等のこととは考えず
  自然なことと考えたので
  決して争うことはなかったのでしょう。

  それに比べて、現代社会では
  基本的人権が保障され、なおかつ平等であるべきと
  考えが中心になっています。

  「平等」で在るべきだという
  主義主張がひとり歩きし
  「誰もが食べれるように」とか
  「仕事しないで、お金が入るように」とか
  「ひとりでも生きていけるように」と考え
  自分ひとりのことを考えるあまり
  自分以外も、周りも、地域も、国も、そして地球全体を
  考えることも疎かになっていないでしょうか?
  
  「平等」をかがげながらも
  自分と他人を比べてしまい
  「あの人はもっているのに
   なぜ自分はもっていない」
  自分と考えが合わなければ
  その人を攻撃したり・・・・
  人を許すという思いを忘れ
  本当の平等の気持ちを自ら放棄して
  しまう危険がある上で暮らしていることを
  忘れてはいけないと思う。

  本当の平等とは
  物質的なところにはないような
  気がしてならないのです

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