月別アーカイブ: 3月 2021

災害を未然に防ぐには

 災害を未然に防ぐためには
 「人の心が平穏でなかったら
  その心のエネルギーは
  世の中を見出し
  そのエネルギーが集まると
  邪気になる。

  邪気、すなわち悪いエネルギーがたまることが
  災害を産むのである。

  平穏な心で
  人々が過ごすことができれば
  災害がくるのを
  防ぐことができる」と思うのです。

 つまり
 世の中に悪いエネルギーが高まることが原因で
 地震、洪水、津波、疫病を産むのです。
 ですから
 災害を防ぐのは
 今生きている人類の心の
 在りようによると言うことです。

 具体的には
 1日1回短い時間でいいので
 心静め、めを閉じ
 自分の呼吸感じいや
 自分の呼吸に集中する
 自分が息を感じます。
 すると自分が生きているのだという
 実感が湧きます。

 生きているのはなぜか
 生きることができている理由は・・・など
 次々
 自分の生きている意味に
 思い当たることがあります。

 そして次に起こるのは
 生きていることに対する
 感謝の気持ちが芽生えてきます。

 その感謝の気持ちをもって生きる
 その感謝のエネルギーは
 色んな人に伝わっていき
 世の中に平穏なエネルギーで
 あふれることになります。

 その平穏なエネルギーで
 この地球が満たされれば
 人を苦しめ続けるような災害は起こらない
 と思うのです。

 今、コロナウイルス騒動も
 人々の邪悪なエネルギーの影響と思うのです。
 
 今生きていることを感じて
 生きていることに感謝して
 みんなが過ごしていけば
 なにも怖れることはない気がするのです。

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リハビリをゲーム感覚で楽しむ

  入院してから
  大きく2つのリハビリを行った。
  1つは歩くためのリハビリ
  2つ目は手の機能を回復するためのリハビリ
  を行った。

  歩くためのリハビリは
  残った機能を使って
  歩くための筋肉を動かして
  歩行機能を獲得するリハビリ。
  使わない筋肉は
  機能がすぐ落ちてしまうから
  少し筋トレに似たところがあって
  おもりをつけて歩いたり
  文字通り筋トレしたり
  筋力をアップすることやって
  ある意味体育会系のリハビリとも
  いえる。

  されに対して
  指の機能を回復させる
  作業療法は
  力ももちろん必要だけど
  小さい筋肉を共同して
  複雑な手の機能を獲得するための
  訓練、リハビリをしていくのが
  作業療法。

  小さいこどもが
  遊ぶ中で運動機能がアップするように
  リハビリも一歩ずつなんです。

  例えば
  よくお手玉を使って  
  リハビリを行いました。

  お手玉を投げてもらって
  それを受け取って
  受け取ったお手玉を
  箱の中に投げて入れるという
  リハビリをしました。

  3歳児でもできるような
  単純なことですが
  これが実はとても難しいというか
  ボールをとって、すぐ投げる
  それも目標に対して行う行動。
  ボールを受け取って
  即投げるという単純な作業ですが
  全て、使う筋肉が違うのです。
  ということは筋肉を指令する神経も異なる
  と言うこと。

  ですから
  瞬時に神経を切り替えて
  筋肉を動かす。
  行為としては単純なことに思われるけど
  様々な機能が協力し合って
  やっとできることなんです。

  ですから
  ボールをとることだけに
  神経がいってると
  次にボールを投げようとしても
  手が固まった状態でボールを握ったままで
  止まってしまうんです。
  でも、意識して次は投げることを意識していると
  ボールを投げるようにはできるのですが
  それを正確に目的の場所に投げるって
  至難の業なんです。

  これを今まで何も考えずにできたこと
  こどもの発達の能力に感服でした。

  僕にとってのリハビリは
  機能回復するのが目的以外に
  もっと、もっと大事なことを学ぶ機会なんではないかと
  リハビリをしながら感じていたのでした。

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魂を磨くために生まれてきた

輪廻転生があるとすると
 何度も何度も生まれて来る理由は
 本当に自分
 つまり自分の魂を磨くためにあるのだと
 僕は思うのです。

 魂を磨くために、大事なことは
 善行を積むこと。
 よく徳を積んで
 天に徳の貯金をするのが大切だとか
 言いますよね。
 稲盛和夫さんも、利他行が大事だ
 と言われてますよね。

 つまり
 世のため人のために尽くすために
 生まれてきたんだと 
 考えて生きるのがいいのですよね。

 世のためにという言葉には
 今自分の住んでいる町などの
 地域社会コミュニティーにとどまらず
 市、県、日本、世界、宇宙と
 どこまでもこの世の世界は
 広がることでしょう。

 実際
 何か行動することだけが
 利他行というわけではなく
 身近な人のしあわせ
 地域の人々のしあわせ
 日本の、世界の、そして宇宙の
 しあわせを願う、その思いをもって生きることも
 立派な利他行、徳積みだと思うのです。

 広い心で
 人類の平和を願う気持ちは
 きっと神にも届き
 地球が、宇宙が輝く世界に導いていく
 と思います。

 そして
 その時、あなたの魂も
 キラキラ輝き出すことでしょう。

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魔がさす

  ニュースで
  地元とあるご住職が
  組織のお金を使いこんだという
  疑惑をもたれているという
  報道を目にした。

  そこは
  立派なお寺さんで
  檀家さんも裕福な方が多く
  いわゆる名士であり
  お金に困ってることもないだろうに
  そんな方が
  もし疑惑が本当なら
  どうして?という気持ちになった。

  信仰心をもっても日々暮らしていても
  きっと魔が差してしまったんだろうと思う。
  宗教って、神様に手を合わせるときって
  特に自分が困ったときや、願いがあるときに
  神社やお寺に行って
  手を合わせる人が多くないだろうか?

  そこには、きっと
  「自分だけがうまくいくように」なんて
  自分だけの利益を取引してないだろうか?

  感謝の気持ちをもつことは大事だけど
  取引したときだけではなく
  いつも、どんな時も
  神様に感謝しないといけないと思う。

  実は
  今物の力が強くなりすぎて
  心や霊性を意識しないと魔に襲われやすい
  時代なんだと思います。

  例えば
  今は、キャッシュレスなどといって
  実際のお金ではなく
  クレジットカードや仮想通貨などで
  支払いができるので
  便利な反面
  そのカード番号が盗まれたり
  悪用されたり
  トラブルも目につきます。

  今、なぜか
  株価もあがっていて
  どう考えても実態経済とは
  異なる状態の世界にいます。

  物の力を動かしてる影には
  必ず魔が隠れているのです。
  あなたが、自分の心に囚われ
  物の力に占拠されたとき
  魔があなたを誘惑するでしょう。

  もっと、もっと
  物の力が欲しくないか?って
  キリストも、荒野で修行したときに
  悪魔からの誘惑され
  その魔の力に打ち勝ったという
  エピソードが知られています
 
  物にとりつかれたときに
  とりつかれる魔の力に注意なんです。
  事件を起こされたご住職も
  きっと魔にとりついていたんでしょうか?

  魔にとりつかれない方法
  今自分がしていることに夢中になってやる
  頭で考えるのではなく
  夢中になっている自分を知ること
  つまり一生懸命「今を生きる」こと何だと思います。

  ちょっと中途半端な
  抽象的な書き方ですが
  追々このブログで
  僕の考えをお伝えできればと思います
  今後ともお付き合いください。

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病は気づきの時

病気になると
  今までと全く違う状況に
  厭がおうでも
  これまでと違う状況に
  置かれることになります。

  すると
  自然に色んなことに気づかれされます。
  
  自分のからだに対して
  どんな風に過ごしてたのか
  反省すべき点もたくさん出てきます。
  でも、自分のからだびことばかりではなく
  自分が生きていた環境についても
  様々考えさせられることがあります。

  僕も、病気したときに
  なんと多くのしがらみの中で
  生きてきたのかと気づきました。
  
  人間は社会的動物といわれるように
  ひとりでは生きていけません。
  人と人の間で生きている動物であり
  その時間が長くなると
  色々と人間関係で悩むことも多くなります。

  仕事での同僚、先輩、後輩
  取引先との関係
  仕事上だけでなく
  家庭上でも親や夫婦、こどもの関係でさえ
  悩み、苦しみことが生まれることもあることでしょう。

  そんな時
  ちょっと立ち止まって考える時間を
  病気が与えてくれてたと思います。
  しがらみの中で苦しんでいるなら
  ちょっと立ち止まって
  考えたらいい。
  そんな時間を病気の時
  いただいたのだと思います。

  無理をして生きてませんか?
  嫌なことを我慢してないですか?
  無理して笑顔でいようとしてないですか?
  ・・・・
  などなど
  そんな時、病気は
  ちょっと立ち止まって
  考える時間をくれたんだと思います。

  どうしていいかわからなければ
  ちょっと物理的、時間的に距離を
  明けてみればいい。
  無理して、がんばっても
  あなたの魂は喜びません。

  我慢して嫌な時間を過ごすなら
  好きな人と好きなことをして
  心豊かな時間を
  心満足するまで過ごしたらいい。

  そんな時間を過ごすことが
  自分自身を大事にして
  自分自身を愛する生き方
  魂が喜ぶ生き方
  そして
  誰もがしあわせになる生き方だよと
  病気の時
  気づいたのです。

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何のために生まれてきたのか?

こどもは
 素朴に疑問に思ったことを
 ストレートにおとなに聞いてきます。
 その質問を投げかけられたおとなは
 ハッとさせられたり
 考えさせられることってよくあります。

 先日も
 こんな質問を投げかけっれました。
 「人間は、最後はみんな死んでしまうのに
  どうして生きなければならないの?」

 死ぬとわかっているのに
 なぜ生きないと生きようとするのか?
 生きる意味、本質をついた質問を
 就学前のこどもに
 投げかけられて
 あたりまえのことに
 どう答えたらいいのか
 考えさせられました。

 家に帰って
 家族にもこの質問を投げかけました。
 鋭い質問という感想と共に
 家族でも考えてみました。

 いつも魂について話してるので
 家族でもよく話すテーマですが
 死が終わりでないと思うかどうかで
 疑問が解けるのではないかという意見が出ました。

 みなさんは、最後は死んでしまうのに
 どうして生きていると思いますか?

  仕事をするため? 
  苦労をするため?
  楽しいことをするため?
  愉快な人生を送るため?

 そんな時
 大思想家でもあられる稲盛和夫さんの
 講演での話を聞く機会があり
 その中で
 生きていく意味についてお話をされていたので
 ご紹介します。

 稲盛さんは 
 我々の人生は、自分自身の魂を
 浄化、純化、深化するためにある。

 人生は 
 たった1回しかない
 やり直しのきかない人生だとも言われるけど
 仏教を学ばれた稲盛さんは
 仏教では、我々の本質である魂は
 輪廻転生をくり返しているので
 今回がたった1回の現世での人生は終わらないと
 考えています。

 肉体が滅ぶことを死と考えるなら
 確かに
 現在の肉体は必ずなくなるので
 この肉体で生きる人生は
 1回きりかも知れません。

 でも
 人間の肉体が滅んでも
 稲盛さんが言われるように
 魂は生き続け
 何度も生まれ変わる輪廻転生があるとすれば
 魂の浄化、成長のためにこの世にまた生まれてくるという
 大前提があるなら
 この世に生まれてきた意味があると思います。

 誰も確認することができない
 魂があるという大前提で
 生きていくことが
 今生きていることに
 大きな、大きな意味を持つことは間違いないと思います。

 人は目に見えないこと、科学で証明できないことは
 スピリチュアルなことをいって
 相手にもしない方も多くいらっしゃいます。
 こんなこというのは
 不思議な医者だとおっしゃる方もいらっしゃるでしょう。

 でも
 大事なこと、本質的なことって
 目に見えないところにあるものだと
 僕は思っています。

 だから
 お話しないことには
 伝えることはできないんです。
 僕が感じる魂の世界
 魂が在るということを
 これからお話ができればと思います。

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東日本大震災10年経って今思うこと~FUKUSIMA50を観て~

東日本大震災が起こって10年
  東日本大震災と言えば地震、津波のことは
  絶対忘れてはいけないけど
  もうひとつ絶対忘れていけないことは
  福島の原発事故。

  当時原発事故の状況が
  刻一刻、タイムリーに
  原発建屋などの事故の状況が伝えられ
  結局
  建屋の屋根が水蒸気爆発で吹き飛んだ状況は
  今でも記憶にしっかりとどめている。

  その時、現場の方々は
  原子炉がメルトダウンを起こすのを
  指をくわえて見いたわけじゃなくて
  吉田所長をはじめ
  現場で働く人々の
  尋常でない努力のおかげもあったと思っていた。
  その時の状況を知りたくて
  当時現場の状況を映画化した
  FUKUSIMA50を今回はじめて観た。

  映画では予想通り
  緊急電力も途絶えるなど
  想定外のことが起こる中で
  最悪の放射能漏れ
  原子炉の爆発を抑えるために
  まさにからだをはって
  命がけで戦った職員の姿が描かれていた。

  現場は死線の状態
  いついのちがとられるかもわからない戦場。
  そんな状況を知ってか知らずか
  官邸や会社本部からは
  日本を守らないといけないという使命もあるから
  現場に対して
  オンラインできびしい注文が次々にとんでくる。

  恐怖との戦いで
  現場は究極の重責で
  きっと逃げ出したかったかもしれないが
  日本を守るという責任から

  逃げ出さずに守ってくれたおかげで
  あわや
  東日本に人が住めなくなるかもしれない
  状況から救ってもらえ
  現在があることを
  決して忘れてはいけないことを
  この映画は伝えてくれた。

  映画を観ていて
  10年前の福島の原子力発電の状況、対応は
  今の新型コロナウイルス感染との
  共通点が多いと言うことに気がついた。

  放射線事故は
  コロナと同じように目に見えない相手の戦い。
  目に見えない放射線を相手に
  放射能汚染が広がらないように
  電力の途絶えた建屋で
  バルブの操作をしたり
  目に見えない相手に対して
  文字通り手探りで戦っていた。

  
  もしあのとき
  2号機の建屋が爆破してたら
  日本の人口の半分は放射能の汚染に今も苦しみ
  東日本には住めない状況になっていた
  かもしれな状況だった。
  日本が残るかどうかのギリギリの状況だったようです。

  でも
  そうなる状況を
  神様は望んでなかたのかもしれないです
  なぜか
  2号機建屋の屋根の一部分が壊れたおかげで
  圧力を下がる抜け道となり
  大爆破、大惨事を逃れて
  我々は今、こうして日本で暮らしていけてるのです。
  
  なぜ
  屋根の一部だけが
  自然に壊れただけで難を逃れた理由は
  今もってもわからないと
  映画の中で語られていました。

  あわや危機一髪の大逆転のことが
  奇跡が起こっていたのです。

  僕は、神様がくれた再生へのチャンス
  なんだと思うのです。
  それは、我々人類特に日本人に
  かわらないといけないことに気づくチャンスを
  いただいたのではないだろうか?
  この10年で 大切なことに気づき変わっただろうか?
  
  思えば
  当時原子力発電は
  安全で、クリーンな発電だという触れ込みだった。
  自然を壊し、人間自身の生活を豊かにするために
  原子力発電を推進してきた
 
  その姿は
  人間の科学の勝利に酔っているかのように
  奢ってなかっただろうか?
  人間の知恵なんて
  自然の前では無力なんだぞ
  自然が地震、津波という事象で
  教えてくれたんではないでしょうか?

  真実を見極めろ、気ずけ、めを覚ませと
  言われているような気がするのです。

  この10年
  復興をすすめているけれど
  元の生活に戻すことが
  復興ではないことを伝えたいんじゃないでしょうか?

  何も変わってないから
  地球はウイルスを撲滅することじゃないよ
  人間の考え方、生き方が間違ってることに
  気づいてもらうために
  津波という手段の次に
  ウイルスを送り込んだ気がするのです。

  復興オリンピックっていってるけど
  言葉だけで 
  どう変わったオリンピックになるの?
  賛成できないよ、もっと考えなさいと
  神様が言ってるような気がします。
  
  今こそ変わらないといけない
  そんな変われる変化をまたもらったのだ
  もし、変わらなければ・・・・
  
  東日本大震災の教訓を生かして
  規制の価値観からの脱却が必要では
  ないでしょうか?

  本当に大切な物は
  目に見えない、目に見えないところに
  あると思うのです

  変わりましょう。

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南海トラフが来るかはあなたしだい②~みんなで愛の波動を送ろう~

  東日本大震災を経験し
  もうあのような災害に
  出会いたくないと
  誰もが思っているでしょう。
  しかし
  科学は
  今後も同規模、いやそれ以上の地震
  いわゆる”南海トラフ”は必ずやってくる
  だから備えましょう
  と伝えています。

  南海トラフが来るかどうかも
  まして
  いつ来るなんて誰もわからない。

  それは神様だってわからないのかも?
  僕は
  自然災害も含めて
  この世に起こることは
  今地球で生きている人々の
  思い、想念によって決まるのではないかと思います。

  みんなが
  己を大事にするように
  周りの人々を、自然を、地球を宇宙を
  愛をもって、愛の意識をもって過ごし
  愛の波動をもてるかどうかにかかっている
  ような気がします。
  
  地球を守るかどうかは
  ひとりひとりの思いにかかっています
  どれだけ地球を愛する波動をもてるかどうかに。
  今のような、自分が第一、物欲中心の
  世界のままでは
  いつか南海トラフは起こってしまう気がするのです。

  コロナウイルスの誕生は
  人々の思いが試されている気がします。

  自分を愛するように
  周りの人、自然、地球を愛し
  愛の波動を送って生きていきましょう

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南海トラフが来るかどうかはあなたしだい~東日本大震災から10年~

  東日本大震災が起きて丸10年になる。
  東日本大震災が起こったのは10年前の3月
  サンタキッズ&ファミリークリニックが開院したのは
  同じ年の2月。
 
  直接震災の被害をうけたわけではないけど
  クリニックと同じ年月を重ねているので
  とても人ごとではない。

  あの日のことは
  今でもはっきり覚えています
  業者さんにすごい津波が来てますよと言うので
  急いでテレビをつけて
  その今まで見たことのないような
  光景に心が震えたのを
  今でも新鮮に頭に残っている。

  その後も
  その光景は頭から離れず
  1年後経って
  どうしても僕でも何かできることあるだろうと
  ひとりで
  知人を頼って東北に行った。

  自分ひとりで短時間だったので
  実際力になれるような働きはできなかった。
  でも、1年経っても
  町中にそのままの津波の傷跡。
  それにもまして
  地元の人の
  全く癒えていない心の傷跡に
  何とかしないと  
  人の心の復興に大切なのは
  愛なんだ、愛しかないと
  感じたのを
  ご挨拶した住人の玄関先で
  強く感じた経験が
  今でも僕の心の源になっている。

  そして、10年経ち
  復興のニュースは耳にすることもあるけど
  人の気持ちはどうなっているだろうか?
  気になるところです。

  まだまだ 
  僕にできること、しないといけないことがあると
  日々考えているしだいです。

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基本的人権について

  3/2のブログで
  平等社会について私見を書きましたが
  今回は
  魂の点から「基本的人権」について
  少し書いてみます。

  基本的人権って
  いろんな意味、捉え方、考え方が
  あると思います。
  僕が理解している
  基本的人権とは
  ひと言で言えば
  人が人として生きていく権利だと
  理解しています。

  ただ、今の社会って
  基本的人権を保護してもらうのが
  当然、当たり前のことだと
  国や市、そして国に対しても
  少々甘えてしまっている面がないでしょうか?
  基本的な権利は
  国が保障するべきと思い
  自分自身の力で生きていく
  必死さを忘れてはないでしょうか?
  
  コロナの時代、色んな制限を強いられています。
  その中で、聞こえてくる声は
  保障を求めてる声。
  それに国も答えようと
  休業補償、持続化給付金など
  これまでにない保障があるけれど
  それに対する有り難さ、感謝する声が
  少ないような気がします。

  国は
  国民の基本的人権を守らないといけないので
  当然の政策、当たり前でしょうか?
  感謝しないといけないと思います。

  どんな動物も
  過酷な環境に追い込まれても
  文句一つ言わず
  必死で行こうとします。
  その必死で生きているエネルギーを
  この宇宙は感じています。

  この宇宙は
  自分で生み出そうとしないと
  何も生まれません。
  与えられるだけで成り立ってる世界ではないのが
  この宇宙の法則なのです。

  このように生きていこうと  
  思って動いたそのあなたのエネルギーが
  必ず宇宙は、味方してくれます。
  そこにいいも、悪いも在りません。
  誰からの生き方の押しつけでなく
  自ずから願う生き方に関して
  宇宙は必ずあなたに力をかしてくれます。

  これが
  あなたが生きたいように生きれる権利
  これが
  真実の基本的人権と言えるのでしょう。

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