人が煩悩をもってるわけ

  人は
  肉体をもってこの世に生まれてきた。
  肉体を持って生まれてきたため
  生きるために
  食べたり、眠ったり
  自分以外の人たちの結びつきの中で
  日々過ごすことが
  必要となりました。

  必要なことなのですが
  悪い面にもなるとこが
  指摘されています。

  それが
  貪欲、怒り、愚痴と言われる
  3つの煩悩です。

  貪欲なのは
  がむしゃらに
  生きる糧を求めていないと
  生命を維持できないから。

  怒りは
  困ったことなど
  自分のエネルギーの足を引っ張ることが
  起きたときに
  その負のエネルギーに負けない力が
  怒りとなって顕れます。

  そして
  現状に満足するだけでは
  生きていけないことが起こったとき
  現状を振り返ることができなければ
  その後改善することができません。
  ですから
  愚痴も生きるためには
  必要なことなんです。

  ですから
  貪欲に目的に向かって生きること
  前進するために
  怒りのエネルギーを推進力に変え
  現状をかえるために
  愚痴のエネルギーをもつこと。
  どれも
  生きていくために必要なことだと思いませんか?

  この気持ちがないと
  僕たち人間は生きていけないのです。

  それなら、なぜ?
  仏教では3つの煩悩といって
  戒めているのでしょうか?

  その理由を
  僕は、こう考えるんです。

  生きていくために必要な煩悩でも
  使い方によっては悪になる。
  それが、必要な物か、煩悩のなるかは
  我々人間しだい。
  つまり
  煩悩ならないために
  人は理性をもたされたのだと思います。

  煩悩の使い方を学ぶために
  知恵、理性をもつ人として
  僕たちは生まれてきたのです。

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