小さい頃の思いでの中
今も思い出すのは
年中さんの頃でしょうか
ひとりでお着替えをすることを覚え
母に
着ていくものを出してもらって
ひとりで、誰の手も借りずに
着替えをするのですが
難しいのは
カッターシャツを着るとき
ボタンを留めるときでした。
目のボタンを留めて、
次は袖のボタン。
まず左の袖を
片手の指だけを使って
留めるのですが
前のボタンを留める時より
片手だけで留めるので
難易度も上がって
少々緊張しましたが
利き手の右手だったので
少し時間がかかっても
指先を器用に使って
いつもきちんと留められました。
そして問題なのは
次の右手の袖のボタン。
これが難しいかった。
不器用な左手だけを使い
ボタンを穴に入れて
押し込んで、少し持ち上げて
ボタンの穴に固定する。
これが、幼いときも
時間をかけてもうまくいかず
ついに母に泣きついて
ボタンをあっという間に
留めてもらったことを
今も思い出します。
というのは
今も左手が病気の影響で
以前より動き悪いのです。
ですから
今でも右袖のボタンを留めるとき
とても緊張します。
指先に感覚を込めて
穴を探り、指先で穴にボタンを押し込み
ボタンのお尻を少し持ち上げて
更に押し出すようにして
ボタンの全体を穴から外に押し出すのです。
病気の後もとても難しさを感じてますが
多少左袖よりも時間かかりますが
ひとりでボタンを留めることができています。
今は感覚的でなく
左手の動きを頭で理解しながら
動かして
ボタンを留めています。
左手の袖のボタンを留めるだけでも
とても複雑な作業なんですね。
それが
今できるようになったのは
リハビリのおかげでもありますが
ふと
幼いとき、母に着替えを手伝ってもらった
記憶が蘇ったとき
昔から(幼いとき、生まれたときから)
今の状態を想定して
生まれて来てたんじゃないのか?
ずっと、左手の不器用さに合わせて
生きていけるように対応して生きていたのかも?
と思うのです。
生まれ持っている肉体の状態、力には
全て何らかの意味があるような気がするのです。