月別アーカイブ: 5月 2021

メタトロンが教えてくれること①

メタトロンを使った診療をはじめて
  2年半を過ぎ
  このメタトロンから教えてもらえることや
  気づきがあり
  メタトロンと共に
  自分も進化している感覚があります。

  そんなことを感じた
  診療の一コマをお話しします。

  先日来られた初診の患者さん。
  腹部に腫瘤が見つかり
  バイオプシーをうけ
  その結果が出る前にメタトロンを受けてみたいと
  受診された。

  早速メタトロンをすると
  からだ全体にいいエネルギーが流れている。
  重病になるエネルギー状態ではなさそう。
  次に
  臓器の波動を見ると
  予想通り(?)
  心配だった臓器は
  特に問題なし。

  そして
  メタトロンが注意すべき臓器で示したのは
  骨(肩と脇腹の胸椎)、肺だった。

  あれ?
  どうしてだろう?  
  患者さんご本人も
  予想外の結果に戸惑ってる風だった。
  でも。自覚症状がないからと言って
  健康ではないこと
  病気にならないよう、からだが頑張ってることを伝える
  からだのメッセンジャーのような
  働きがあるので
  本人が深刻に思わなくても
  自覚しなくても
  原因があるはず・・・・
  患者さんの生活について 
  お話をすすめていくと

  脇腹が
  時折チクチクと痛むことがあった
  でも、骨には異常がなく
  一過性だろうから様子見ましょうと
  言われていたらしい。
  そして
  肩の負担がある生活をしてないか尋ねると
  ご家族の介護をおひとりで
  おこなってるようだ。

  そのことを
  メタトロンは伝えようとしてたのです。
  肉体疲労があることを

  そして
  肺は悲しみの感情とリンクする。
  お聞きすると
  最近、ご親戚でご不幸があり
  やっと落ち着いてこられたらしい。

  そういえば
  チャクラは大きな悪さはなかったが
  1カ所、第5チャクラが落ちていた。
  

  ここは愛のチャクラとも言われ
  やりたいことができないことが
  予想されるのだけど
  メタトロンの結果をお話してるうちに
  患者さんの
  日頃の生活している姿が
  目に浮かんできた。

  大切な方とのお別れが悲しく
  悲しみに打ちひしがれる毎日であり
  そして
  介護にほぼ100%時間を費やすので
  自分のリラックスできる時間もとれないぐらい
  心身とも疲れ果てた患者さんの姿。

  メタトロンは
  患者さんを治すのは、薬や手術などの
  医学技術ではない
  本人の生き方を変える
  生きやすくすることを教えてくれた。

  それで
  僕は、これから
  患者さんが行きやすい生き方できる
  方法をお手伝いすることが
  僕の使命であることを伝えてくれました。

  メタトロンは
  機械のようで
  機械ではないのです。

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朝はエネルギーの宝庫

毎朝神社参りをしていますが
   最近は
   陽が昇時間も早くなりました。

   朝5時に家を出たときには
   周りが
   地球が、自然が
   目覚める瞬間に出会えます。

   すずめが
   チュンチュンと鳴いています。

   どうして
   朝鳥は、ちゃんと目覚めるのか?
   朝日が昇る時
   何を感じているのでしょう。
   実は
   朝の酸素を感じているらしいのです。

   酸素はいつもあるじゃないかと
   思われるでしょうが
   実は朝日が昇るときの酸素は
   他の時間の酸素とは異なるのです。

   朝日が昇る前 
   朝日が昇った太陽の光に
   木々は敏感に反応して
   ごくごく微量の酸素
   それも植物の持つエネルギー
   いわゆる気にあふれた力ある
   酸素を排出しているらしいのです。

   その酸素のエネルギーを感じ取った
   気に暮らす鳥は感じ取って
   鳴き始めるのです。

   そういえば
   理論物理学者の保江邦夫先生が
   著書の中で
   超能力を得たいなら
   朝日が昇る瞬間の空気を
   吸うのがよいと書かれていたのを
   思い出しました。

   そんなに空気が違うのかと
   思いますが
   朝日が昇る瞬間の時間に
   木の近くを歩くと
   とってもいい匂いか嗅ぐってくるのです。
   どの植物の匂いかは全くわかりませんが
   本当に心から落ち着く匂い何です。

   でも匂いを感じるのは一瞬なんです。
   「ああ、いい匂いだ」と感じた次の瞬間には
   わからなくなるので
   本当に一瞬なんです。
   だけど
   その匂いを感じると
   うれしく、心ウキウキ、わくわく
   確かにエネルギーをいただいてるんですね。

   僕はこれが
   植物からもらってる
   朝の力だと思います。

   前回ブログで
   風についてのお話をしましたが(5/11 風立ちぬ)
   匂いについても
   理由があったのですね。

   朝はとても気持ちがいいです。
   コロナの不安の多い時だからこそ
   早起きして
   自然の力を、恵をうけてみてはいかがですか?

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表と裏

 新型コロナウイルス症の拡大が
 止まりません。
 感染対策していても広がる
 不安な気持ち。

 今のこの状況を乗り切ることは
 これから我々の人類にとって
 大切な岐路になっている気がします。
 これまでの
 物質主義の対する警鐘なのです。
 
 科学の発達した
 現代社会に生きる我々は
 目に見えるものしか
 頭で納得したものしか
 信じられなくなっています。

 でも
 コロナウイルスの登場によって
 科学は万能でなく
 目に見えるものが全てでないことを
 伝えようとしてるのではないでしょうか。

 この世に存在する全てのものには
 裏表の2面性があります。
 例えば光と影。
 影があるから、光を感じることができます。

 谷川俊太郎さんの
 「闇は光の母」という詩を紹介うします。

  闇がなければ光はなかった
  闇は光の母

  光がなければ眼はなかった
  眼は光の子ども
 
  目に見えるものが隠している
  目に見えぬもの

  人間は母の体内の闇から生まれ
  ふるさとの闇へと帰って行く

  つかの間のひかりによって
  世界のかぎりない美しさを知り

  こころとからだにひそむ宇宙を
  眼が休む夜に夢見る

  ・・・・・つづく

 
 全てのものが
 目に見える部分、見えない部分から
 成り立っていることを
 知らないといけないのです。  
 
 我々のからだも
 肉体と心、肉体と魂
 見える部分、見えない部分から成り立っているのです。

 これまでの医療は、
 検査技術を駆使して
 原因をあぶり出し見える化して
 それに対応して治療してきました。
 でも、
 これでは表の部分しか治療していないと言うことですね。

 目に見えないところにある
 裏の部分を治療しないと
 病気は完治できないのです。

 コロナウイルスに対して
 我々がやることは
 PCR検査の充実
 ワクチンの普及などの目に見える効果だけでなく
 コロナウイルスの裏の面をアプローチできた時に
 コロナウイルス感染症は終息するのです。

 コロナウイルスが、病気にも表と裏の面があることを
 知らせようと思ってる気がするのです。

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病気にならないための生き方

病気になったことで
  今まで気づかなかった
  様々なことを教えてくれる
  それに気づくとともに
  これまでの過ごし方に
  反省させられることも多い

  入院中
  1ヶ月過ぎた頃から
  リハビリの合間の時間や
  寝る前に読書ができる余裕が生まれてきました。

  元々読書は好きで
  毎日活字をみないと
  ストレスを少し感じてしまうくらいほど
  様々な本を入院前も、
  今も続いてますが
  入院中出会った本は  
  今でも僕に影響していると思えるような
  記憶に残っている本です。

  その中の一冊
  友人の先生から貸していただいた本
  内海康満著「霊止の道」

  それまでの自分なら
  手にしなかった本を
  今読んだ方がいい本だからと
  持ってきていただき
  その言葉の意味が読見終わってわかりました。

  その本には、次の内容のようなことが
  書かれていたのです。

 「自分のために生きない
  と病気になると」
  中真という書き方もされていましたが
  自分をど真ん中にして考え生きましょうって
  ことでしょうか。
  
  人が喜ぶからでなく、
  自分のために
  自分が喜ぶ生き方をしてないから
  生きないから病気になる。
  自分を中真に持って生きることが大事なんだ。

  そういえば
  昔別の友人が
  自分の疲れない生きをしない
  といっていたし、
  妻も
  自分を大事にする生き方をしてね。
  とよく言われてました。
  
  自分の人生なんだから
  人のために生きるのではなく
  人に喜ぶ前に
  まずは自分が喜ぶ生き方をしなさいと
  いわれたような気がしました。

  これからは自分のため
  中真で生きてみようと思ったのです。

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輪廻転生受け入れることの恩恵

最近輪廻転生があると
  仰る方が増えています。
  僕も、輪廻転生はあると
  信じる派ですが
  輪廻転生のことを
  実際に証明した人もいませんし
  証明することは
  現代の科学の力を結集しても
  難しい問題だと思います。

  輪廻転生の存在を証明することが
  できなくても
  直感的に
  存在を信じることはできます。
  そして
  輪廻転生を受け入れることで
  生きていく上で恩恵をうけることができます。

  その恩恵とは
  死に対する恐怖を克服することが
  可能になるのです。
  
  僕たちは
  生きている限り
  死に対する不安をもって  
  生きることになります。

  死に対して
  どうして不安になるかと言えば
  それは
  死によって全てが終わると考えるから
  死によって
  生きていた人生の価値が  
  無意味なものになってしまうと
  考えてしまうからです。

  輪廻転生があると思えば
  今生での死で
  僕の人生が終わるわけではない。
  死に対する恐怖から解放され
  人生に対して
  永続的な価値を見つけ出すことが
  可能になるのです。
  そして
  人生自体にたいしても
  精神的な余裕が出てきて
  人生に対して焦ることなく  
  ゆとりを持って、一歩一歩確実に
  歩めるようになるのでは
  ないでしょうか?

  余裕を持って生きることは
  別に怠惰な人生を送ることを
  意味していることではありません。
  人生の意味を深く考えられるようになり
  自分の人生を
  目先の利益にこだわることなく
  充実させて生きることに目覚め
  大切にいきようとするでしょう。

  人生に対して
  余裕の気持ちが生まれることで
  人生そのものが豊かなものになるでしょう。

  恐怖でなく
  死を迎えるその瞬間まで
  有意義に生きることができる。
  そして
  死の瞬間その時には
  来世に対する希望に満ちあふれた気持ちで
  その瞬間を迎えられることでしょう。

  まだ誰も証明できていない輪廻転生
  信じて生きてみませんか?

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好奇心と希望

  長谷川スケールを作られ
  認知症について大きな足跡を残された
  長谷川先生が
  ご自身も認知症となり
  91歳にもなられた誕生日に
  娘さんとこんな会話をされたそうです。

  娘さん
  「お誕生日おめでとう。どんな気分」
  長谷川先生
  「普通だよ
   そんなにうれしいってこともないよ。
   でも、僕は103歳まで生きようと思うの」
  「え、そうなの?
   何か理由があるの?」
  「うん、100歳を越えてみたいと思って」

  人間って
  生きている内に
  次はどうなるかなんて
  全くわからない。
  でも
  人間って好奇心の塊でもあるので
  その先になるのか知りたがる。
  同じ類人猿である猿と人間の
  大きなちがいは
  この好奇心が強いかどうかだと思う。

  世界的な発見をして
  科学者も
  同じ人間の中でも
  特に好奇心が強く
  好奇心を満たすことを仕事にしたので
  重要な発見をして
  名を残せているのだと思う。

  この好奇心のおかげで
  人は進歩、進化を繰り返し
  今の生活が実現できた。

  好奇心は人間だけ
  神様から与えられた
  プレゼントだと思う。

  寿命がわからないのも
  例え、寿命を決めて生まれてきていても
  知らないことで
  いつまで経っても
  90歳を越えても、いや100歳を越えても
  今生きている先の世界が
  どうなっているのか知りたい
  好奇心を失うことはない。

  そして
  好奇心があるから
  人は前を向いて歩いていけるのだと思う。
  その生きる好奇心を
  人は希望というのかもしれない。

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科学者として生きる

僕は今医師を生業として
   生きて、生活しています。

   医者とは
   どんな職業かというと
   もちろん人のからだを
   病気から救うというのが使命ですが
   生命と向き合い
   真実の生き方を追求するのが
   大きな目的であると思います。

   真理を追究する立場として
   医者には
   科学者でもあり、
   追求者としての研究者としての面を
   もっていなければなりません。

   厳密に言うと
   科学者と研究者では
   ちょっと意味合いが異なる面があります。

   原爆の開発を例にとると
   原発を開発したアインシュタインは
   開発後に平和運動をとして
   科学の枠を越えて
   平和への道を唱えられました。
  
   水爆の開発に携わり
   後に、ソ連水爆の父とよばれた
   サハロフ博士は
   水爆を完成した後に   
   人権活動家として名をはせ
   ペレストロイカの父とも
   呼ばれています。

   ここに
   研究者と科学者とのちがいが
   あるような気がします。
   一般的に研究者は
   社会の大きな望みを叶えることを
   第一義に考えて
   真実を発見することが益だと考えて
   全身全霊を傾けます。

   しかし
   そこには、開発することが善かどうかは
   その時にはわかりません。

 
   それに対して、科学者は
   自らの信念や考え方で
   真実が正しいことなのかどうかを
   考えていきます。
   そこには自分の哲学、思想が
   関与して暮れのです。

   ですから
   最初研究者であった
   アインシュタイン博士も
   サハロフ博士も
   最後は科学者として生きられたんだと
   思います。
   世界の人類に貢献した人物だと
   今でも尊敬されているのでしょう。

   今
   コロナワクチンの接種が全世界で
   行われています。
   全世界の人類の希望の灯火んいなるために
   全英知を結集し
   これまで誰も成功しなかった形で
   短期間で開発に成功しました。

   多くの研究者の努力のたまものだと思います。
   このワクチンが
   全世界の希望の灯火となることを
   もちろん願っていますが
   このワクチン開発されたことの善は
   研究者ではなく
   科学者といわれる方々で
   きっと証明されることでしょう。

   医者には
   研究者と科学者としての両面を
   もっていると
   冒頭で書きましたが、
   自分は
   医療という研究の成果を
   人々のしあわせに生きるために使える方法を
   考え、伝える
   科学者としての医師として
   今後とも歩んでいきます。

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風立ちぬ

   毎朝起きて
   近所の神社までウォーキングを
   しています。

   入院中からしていた習慣で
   陽が昇る瞬間に
   陽の光、エネルギーそして
   ぬくもり、温かさをからだ一杯に浴びて
   今生きる源のエネルギーを
   いただいているような気がしてます。

   そして入院中とは違って
   今の散歩して感じることは
   陽の光だけでなく
   風を感じています。

   以前は
   風は、強いか弱いかぐらいにしか
   感じることはなかったと思います。
   しかし
   今の散歩中に感じる風は
   頬をなでられたような優しい風
   吹く方向も
   決まった方向だったり
   自分は風を体感できても
   木の上の方で風が吹いているのでしょう
   木の葉が
   ザワザワ音を立ててるんです。

   なんだか
   風が僕に話しかけてくれてるような
   気がするんです。

   そう感じるのは
   僕だけじゃないことを知りました。

   堀辰雄作「風立ちぬ」という小説が
   ありますが
   その中に、こんな一節があることを
   知ったのです。

  「風は吹くんじゃない。立つんだよ。
   風は確かに目には見えなくて
   存在がないように思われているだろうけど
   風をあたかも生きているように
   大切に感じられる人もいるんだなぁ。」
   
 
   変わらないと思っているもののなかにも
   大切なもの
   ひょっとして伝えてくれる
   メッセージのようなものを受けとって欲しいとき
   風は吹いてるのかもしれない。

   風を感じることができるのは
   今生きているからできること。
   風は風だけど
   優しいと感じる風
   風に包まれ守ってくれている風
   叱咤激励するように
   目の覚めるような風
   風は目に見えないけど
   色んな表情があることを教えてくれる。
  
   今の時代は
   ”風の時代”に入ったといわれる方がいる。
   今は
   目に見えないけど
   自然の力を通して
   僕たちに色んなことを伝えてくれる
   宇宙からのメッセージ。
   それが風が吹いてる意味。

   だから
   風は吹いているのでなく
   自分のちからで立っている
   だから
   風立ちぬという言葉
   があるのだと思うのです

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我思うゆえに我あり、そして・・・

  デカルトが残した言葉
 ”我、思う故に、我あり”は
  デカルトが現代物理学の基礎をつくるために
  よりどころにした言葉とも
  いわれています。

  そして
  この言葉は
  今の社会にも充分通じる言葉だと
  思います。

  我が、今思うこととは、つまり
  この瞬間に何を思い、何を選択し、何を見いだし
  どう認識していき
  そして、それが自らの行動に反映していく。

  だから
  今、思ったことを心に留めることは
  今後、自分のやるべき行動を
  起こしていくための
  一つ一つのプロセスを輝かせて
  進むべき道を示してくれる。

  だから
  我思うことが、我がこの世に生きていく使命を
  示してくれるのだと思う。

  そして
  このことを認識するために
  宇宙は存在し
  宇宙からの大切なメッセージを受け取ったとき
  我は、思うのだと思う。
  我の思いは宇宙に存在する。

  宇宙にある、宇宙から受け取ったメッセージを
  人々は神からのメッセージと感じるのかもしれない。

  ”我、思う故に、我あり”には
  続きがある
  我神を思う故に、神あり”なのだ
  メッセージは自分の思いつきだけではなく
  宇宙からの偉大なメッセージと考えるなら
  神は存在するのだろう。

  現代社会は
  今までの価値観の変換を迫られている状況。

  21世紀は、コロナウイルスの呪縛と考え
  メッセージを受け取らずに、こだわると
  次へのステージへのチャンスを
  逃してしまうのではないのでしょうか?

  Iam what I am.
  存在していると思えば
  存在するのが、神なのかもしれない。
 
  我思う故に、我ありの”我”は
  ひょっとして神
  神からのメッセージなのでしょうか?

  あなたは
  神からのメッセージを信じますか?

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時の流れを感じるとき

入院中は
  日曜日もなく
  毎日、曜日は関係なく
  リハビリに取り組みました。
  機能回復に重要な時期に
  休みなくリハビリに励めたのは
  とても有り難いことでした。

  でも
  ある意味、それは
  同じ毎日の繰り返し
  今日が何日であっても、何曜日であっても
  関係ないのです。
  有り難いことだけど
  曜日関係を意識しないでいると
  時の流れに鈍感になります。

  まだまだ認知症の進む年齢でなくても
  意識しないと
  わからなくなりそう。

  病院も
  できるだけ季節感を感じてもらおうという
  配慮から何でしょう
  節分、ひな祭り、バレンタインの時には
  まめ、桜餅、チョコのババロアなど
  その行事を感じることができる
  食事が出てきます。
  また
  日曜日の朝だけパンがでるのです。
  季節を感じる食事をとれることは大事
  もっと広くいえば
  旬の物を食べることって
  からだにとっていいだけでなく
  心にも大事なことなんですね。

  でも、日々今日を感じるために
  個人でも努力することは大事です。
  僕は
  自由時間には
  必ず新聞を読むことを欠かさずしました。
  1面からテレビ欄までじっくり
  今の世の中の動きを想像しながら
  呼んでいきました。

  そして、テレビのニュースも
  その当時
  プリンスダイヤモンド号での
  コロナウイルスのニュースばかりで
  日常とはかけ離れたこと
  そして
  今もそうですが
  感染者数がどうだと・・・
  報道される内容やコメントは
  いつも同じだということに気がついたんです。

  そんな時
  朝起きたら、カーテンを開けて
  外を見渡しました。
  僕の病室からは
  視線に入ってくる人工物は
  道、電線以外はありません。

  僕の目の前に広がる世界は
  毎日違う光景なんです。
  予想しない太陽の光が織りなす
  刻々と変化する
  空の色、雲の形
  植物の戻りの色、そして鳥が飛んできて
  みせてくれる風景は
  一瞬たりとも同じ光景はありません。

  昨日見た風景、おととい見た風景とも
  明らかにちがう光景。

  テレビや、スマホではぜったい感じられない
  最高のエンターティメントに
  心奪われ
  時間が過ぎていくのも忘れて
  ずっと窓の外を見ていました。

  自然は刻々と変化している
  昨日と同じ今日はないことを
  教えてくれています。

  これは自然の中だけの話ではなく
  自然の一部である僕自身も
  昨日と違う僕なんだということに気がつきました。

  だから
  今日も新たな自分に感謝して
  一歩一歩歩いていけるんだということに
  気がつきました。

  入院中の身であっても
  今日生きている、
  昨日と違う自分で生きられることを
  教えてくれた入院生活でした。
  そして
  退院した今もそのことは続いています。

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