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月別アーカイブ: 6月 2021
ムヒカ大統領
「わたしたちはこの世に
発展するために生まれてきたわけではない。
しあわせになるために
生まれてきた」
という言葉を残されたのは
世界一貧しい大統領と言われた
ウルグアイのムヒカ元大統領の言葉。
国連スピーチで
世界全体の流れを見て
富を得るために生きているのではない
ものを持たないことが貧しいのではない。
ものがあっても満足できないのが貧しいのだと
しあわせを追求する真の生き方を
訴え、世界から注目されました
またその後
来日されたときの講演では
愛の大切さを訴え
愛のために戦わないといけない時がある。
わたしはこどもを持つ機会は失ったけど
親のいないこどもたちに
親に変わって絆を繋ぐ活動をしていること。
つまり
しあわせの種まきをしている。
種をまいただけで
その種全てが芽をだし
どんな花を咲かせ、実をつけるか
見ることはできないし
大統領になった後も
思っていたことの全てはできなかったけど
種をまけとと思う。と
ご自身のされたことを振り返られて
愛にあふれる未来が訪れる仕事をし
本当に人類のしあわせになることを信じ、願っている
透き通る先を見、ぶれることのない強い意志を感じる
眼差しで語られていた。
また
広島を訪れた時に
科学の発展のためには
道徳が必要であること。
そして
日本は長い歴史をもった素晴らしい国だけど
西洋化して忘れた思いがあると
憂えをもったまなざしで語られた。
まだまだ
様々なことを映画中でも
語られていたが
僕の拙い文章力では
ムヒカ大統領の言葉を
表現するのは難しいので
是非、YouTubeなどで
ムヒカ大統領のスピーチを見
五感で大統領の力強い
エネルギーを感じてもらいたい。
是非是非・・・・
そして、日本にも
ムヒカ大統領のような政治家が必要だと思う。
ムヒカ大統領を
世界一貧しい大統領というなんて
なんて、文明人の上から目線の言葉
こんなことを恥ずかしくもなく使い
現代文明は変えないといけないとも
強く思う。
僕も
しないといけないことは
多くあっても
できることはひとりでは
限界があるのは間違いない。
だから
できないといって諦めてはいけないんだ。
結果は見ることはなくても
種をまくことなら
僕にでもできる。
僕はやっぱり
しあわせの種をまき続けたい
カテゴリー: 真実の医療
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感謝の気持ちで運命を切り開く
稲盛和夫さんが、ご自身の著書の中で
「運命を変えるためには
よいことに出会おうとともに
悪いことに出会おうとともに
どんな運命に出会っても
出会ったことに対して
感謝する心で対応することです。
でも、これは大変難しいことだ」と
書かれていました。
確かに災難に遭っている時や
苦難な場面に直面したとき
その境遇に感謝しなさいと言われても
現実的には
とても難しいことだと思います。
実際
僕も病気になったときに
病気はきっと僕に伝えたいことがあるから
しっかり病気という運命を受け止めて
感謝しないといけないと
頭でそう思っていても
実際には難しいものです。
これから先どうなるのか
不安な気持ちが増すばかりで
感謝するっと思えない時間は
過ぎていきました。
でも
時間が経つに連れて
不安が少しずつ取りのぞかれる内に
病気を通して
自分と向き合う時間が
病気を通してとれて
様々な気づきをいただけたことを
知りました。
ですから
今は、病気をすることも僕の運命
そして
その病気ということに運命に出会ったことで
僕のからだも、考え方も、環境も大きく変わりました。
今では
病気は僕を大きく変わるきっかけをくれたのだ
感謝の気持ちでいっぱいです。
病気をしたことを悔やむのではなく
感謝するものだと思えたことで
僕の運命は
大きく変わったのです。
どんな時にも
それは自分にとって必要なことなのですね。
だから
悪いときにも
感謝の気持ちを忘れないことって
大事なんですね。
逆に、良いことが起こったときには
感謝の気持ちを忘れないかと言えば・・・
そうでもないと思います。
良いことが起こったのは
自分が頑張ったからだとか、
ちょっと自分の力に有頂天になってしまって
感謝の気持ちを忘れそうです。
良いことがあったときには
自分だけに
こんなに良いことがあっていいのだろうか?
もったいないことだぁと言う風に思うことができれば
感謝の気持ちがわいてきて
謙虚に振る舞うことができないでしょうか?
良いときも奢らず、偉ぶらず、謙虚さを失わないで
今、こんなにしあわせなんだと
感謝する心を持つことが
大事なんだと思うのです。
苦しみの時にも
神が気づきいてもらいたいことがあるから
こんな災難が起こったのだ
しあわせな時も
今のしあわせは
おまえだけのものでも
おまえひとりの力で達成できたことではない
と今の現実を
感謝の気持ちを持って受け入れること。
そうすれば
運命は変わってくるのだ。
と稲盛さんは言っているのだと思います。
カテゴリー: 真実の医療
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いのち第一主義のリスク
僕は医師として働いていますが
医師になる前から
あるべき医師像として
「医師がまず、果たすべき役割は
患者さんのいのちを第一に考え
そのいのちをの灯火を
消さないように努めること」が
医師としての当たり前の使命です
だから、どのような状況であっても
まずは
患者さんのいのちを第一に考え
患者さんのためだと思っても
いのちを危うくするような
医療をおこなわないことが
当然のこととして
教育されそして実践してきました。
でも
いのち一点張りの治療で
いいのか?と
ふと疑問にぶちあたることもあります。
確かにいのちが大切であることに
まちがいはありませんし、
いのちを守るために
いのち中心に考え、全力を尽くすことに
異論はありません。
特に医師としての
職業的土俵にいる限りは
いのち第一のスタンスは
決して忘れてはいけません。
でも、患者さんの
人としての生き方を中心に考えると
いのち第一で
病院で点滴や、呼吸器などや
あれは、だめ、これはだめと
患者さんの自由や夢を描くこと
家族や友人と過ごす
少しでもいい満足な食事をとることも
いのちと同様に
大事にしないといけない価値があることを
忘れてはいけないと思います。
患者さんに対して
いのち第一主義に固執しすぎて
自分自身の医師と使命感だけを
ものさしで考えてはいけないのでは
ないと思います。
患者さんのいのちは
医師のものではなく
患者さんがいのちがあって良かったと思える
命の良さを感じれる生き方ができるように
サポートするのが
いのち第一主義に含まれた
医師の使命だと最近は思うのです。
カテゴリー: 真実の医療
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メタトロンが教えてくれること⑦病気の源は人の思い
メタトロンには
若い人からお年寄りのまで
年齢、性別
そして様々な職種の方が受けられています。
先日来られた方は
神職を職業にされている方。
その方は若いときから
長年にわたって
骨折、出血など
何度も大手術を受けられ
生死の狭間を彷徨ったこともあると言うことで
ご自身のからだについては
細心の注意を払っていらっしゃていました。
が、2,3か月前から
腰が痛くなり、血尿を認めることもあり
かかりつけのお医者さんの他
整形外科、泌尿器科をはじめ
整体、カイロに通うけど
明らかな原因も異常も見つからず
色々手を尽くしても
痛みも改善しないため
わらをもすがる思いで
当院を受診されました。
早速メタトロンを施行しました。
他のお医者さんの診断の通り
骨、筋肉、腎臓、肺、肝臓とも
異常はありませんでした。
ただ、病気を発症するレベルではないけど
やや胃の波動エネルギーが
落ちていることがわかりました。
でも
波動セラピーでをおこなうと
エネルギーは高い状態になるので
やはり
今苦しめている症状とは
関係ないのです。
からだ的には問題なかった。
メタトロンでも
原因はわからなかったかと
患者さんはため息をつきかけたとき
最後にチェックした
からだの状態に影響を与える
感情を見たときに
僕は、ハッとしました。
原因はこれの可能性があると。
その分析には
”同情”の文字がでていました。
ここに至って
原因の可能性に行き着いたのです。
患者さんのおつとめのところは
患者さんを頼り
様々な悩みを抱えた方がお越しになるそうで
もちろん
悩みも千差万別だそうですが
からだ、つまり病気の悩みも多いそうで
患者さんは
ひとりひとりに対して
真摯に向き合い
お祈りを捧げていたのでしょう。
話を聞き、信者さんと向き合い
気もちに寄り添う
その時にもちろん同情の感情が生まれることでしょう
その”同情”の気持ちが
からだに影響を与えていると
分析できるのです。
その分析結果を
患者さんに伝えると
今日の結果に思い当たることがありますと。
安心して帰宅されました。
その後
患者さんを苦しめてた腰の痛みは
うそのように消えたと連絡がありました。
人の思いが
病気を起こしてしまうこともあると言うことを
今回のケースで教えてもらいました。
カテゴリー: 真実の医療
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ニュートンが生きた時代と現代との関係
ニュートンと言えば
万有引力などの古典物理学を確立した
誰もが知る大物理学者であります。
ニュートンが生きた時代は
17世紀のことで
今から350年前に活躍しましたが
この時代は
昨年末まで続いていた
土の時代の始まりの時期だったんですね。
*ちなみに現在は
風の時代なんですね
詳しいことは
5/27のブログに書いているので
見て下さいね
土の時代は
ひと言で言えば
物質中心の時代で
当時錬金術など
お金、経済などが第一に
考えるようになった時代のはじまりなんですね。
歴史はくり返すと言いますが
ニュートンが生きた時代は
土の時代に変化する時期で
世の中の変化が
風の時代に変化している現在と
類似する点が多いんですね。
ニュートンが生きていた
1665年6月にペストが大流行しました。
ペストはネズミが媒介する伝染病で
当時原因も治療法もわからず
死に至る病で
”死病”と言われています。
当時
人から人に感染が広がることは
認識されていたようで
人の接触を制限され
ニュートンが通っていた
大学も閉鎖され
帰郷していたようです。
帰郷している間
今のようにオンライン講義などは
もちろんありませんでしたが
この時期に、ニュートンは
スペクトル分解、万有引力、微分積分など
その後の科学発展に大きく貢献する
理論を発表しています。
1665年6月から始まったペスト流行は
その後18ヶ月続き、終息したようで
この時期、ニュートンの活躍で
発展が滞ることなく
飛躍的に発展し、科学発展に貢献したので
物理学の世界では”奇跡の18ヶ月”とも呼ばれています。
時代が変わるときには
パンデミックのような
人類の危機に襲われるのかもしれません。
今回もコロナウイルスのパンデミックに襲われ
その中で
人類はこの危機を乗り切り
今後の世界を作り出す
知恵と力を蓄えているのでしょう。
そして
コロナ感染が終息したときには
素晴らしいこれからの時代に合った
現代にあったニュートンのような
人智が出現する気がします。
ニュートンは
もしかして
この時期神様に出会い
神から時代を切り開く目的、力を
委託されたから
奇跡を起こせたのかもしれません。
これからの時代を切り開くのは
今を生きている
あなたかもしれません。
カテゴリー: 真実の医療
ニュートンが生きた時代と現代との関係 はコメントを受け付けていません
メタトロンが教えてくれること⑥病名に怯えないために
先日メタトロンえお受けられた方は
別件で入院していて
偶然胃癌と診断され
心配や不安が募り受診された。
思いもかけない診断名に
まさに晴天の霹靂で
主治医の先生に
次々に検査の予定を立てられたが
混乱したままで
次のステップに進むことに
納得もできず
現状での検査での外科の医師に
説明を受けることにした。
精査は必要だけど
胃癌の可能性がある。
手術困難な部位にあるので
治療は内科的なものが
中心になるだろうと
説明をうけたようだ。
体感的には
やや体重は減っていたものの
食欲もあり、痛みなどの苦痛もなく
まさに、晴天の霹靂のできごとで
頭が混乱してる上に
とても几帳面な性格の面もあるようで
今の状態で
これから検査治療をすすめ
からだがどんどん疲れ果ててしまうことを怖れ
別の観点からからだの状態を知りたくて
当院を受診し
メタトロンをうける運びになった。
早速メタトロンを受けてもらった。
確かに
胃には破壊性のエネルギーを認め
確かに病変の可能性がある。
ただ、病名を探ると
現段階で胃癌とは言えず、
まだ胃癌の前段階も含まれる
過形成の胃炎だと思われ
胃癌の前段階
胃の治癒力を上げることで
対応可能かもしれない常態とも
考えられた。
更に
全身検索を続けると
一番変化が大きかったのは
脳の状態である。
かなり破壊のエネルギーが強かったからなのか
今は、その破壊のエネルギーの修復する
段階になっていることがわかった。
メタトロン的には
ある意味
脳の方が胃よりも心配の常態だった。
きっと
胃の病変は確かにあったが
それよりも
胃癌という大変な病名によって
悩み、脳が疲れ切って
病名そのものがからだを支配し
病気を作っている状態が
今改善すべきだということを
示していた。
胃の病変を治すためにも
免疫力を自ら高めることは
どんな治療をするにも
必要なこと。
そのために
楽に楽しく、喜びをもって
生きて欲しい。
からだのことは
僕たちがしっかりサポートしてるから
自分の望む人生を生きて欲しいと
自らのからだが言っている気がして
そう、患者さんに伝えた。
すると
患者さんの表情が明るくなり
からだが温かくなってきた
と笑顔で帰られました。
これから
様々な困難なことがあるでしょう。
でも、頭で病気を作らないように
からだの思いを正直に伝えることが
僕ができることなんだと
患者さんの生きていくという決意にも感じながら
見送りました。
カテゴリー: 真実の医療
メタトロンが教えてくれること⑥病名に怯えないために はコメントを受け付けていません
しあわせの方程式
一般的というか常識的には
しあわせを感じるときは
欲望が満たされたときと考えられてます。
つまり
「しあわせ度=欲望分の充足」で
分母が欲望の量で、分子が現況での充足で
表されると思います。
例えば1000万円ほしいなぁと思っていて
現在500万しか手元になかったら
しあわせ度は500万/1000万で
しあわせ度は1/2と表現できるとも
言えますが
・・・・実際は
この方程式通り
手元に500万円以上手に入れられると
実際は
しあわせ度がますかと言えば
中々この方程式通りにはいっていないのが
現実ではないでしょうか?
それはなぜなのか?
僕はしあわせ度は
欲望がどの程度を満たされているかで
計るものではなくて
「しあわせ度=少欲分の知足」で計るもの
だと思うのです。
つまり
出来るだけ良くを減らして
今現状で足りていることを自覚して
生きていくことで
しあわせ度を計るのです。
生きている限り
欲がなくなることはありません。
究極的に無欲ならば
分母は0になりますが
分母が0nなることは
この方程式は成り立ちません。
つまり
欲を少なくすると
動詞形で考えたほうが
いいかもしれません。
欲を少なくしようと生きている中で
少ない状態でも
「ありがたい」とどれだけ思えるか
ということではないでしょうか?
世の中の事件をみても
お金が元になったトラブルは後を絶ちません。
お金に絡む欲望は
少なくなることはありません。
雪だるま的に
どんどん増えるばかり。
ブレーキが効かなくなります。
餓鬼は
欲望の奴隷になった姿だと
言われます。
今の資本主義中心の世界の中で
自分自身が餓鬼にとりつかれていると
気づいている人は
どれだけいるでしょう。
欲望の奴隷になると
その欲望が
貨幣への信仰のもと
進歩、発展という信念のもと
技術発展することが
至上課題だと
信じてやまなくなり
進んで言ってしまうのです。
そこには
他の人のことを考える
思いやり心はどんどん薄くなっていることに
気づいているのでしょうか?
世界の平和の祭典である
東京オリンピック開催が
迫っています。
オリンピックが
人間の欲のはけ口になっていないことを
願うばかりです。
なかなか終息しないコロナウイルスが
「もう、多財がしあわせだと言う世界から
足を洗って、新しい世界を生きていきなさい」
と言っている気がします。
カテゴリー: 真実の医療
しあわせの方程式 はコメントを受け付けていません
人はなぜお酒を飲むのか?
コロナ感染症が出現し
1年以上を経ちますが
この1年、いつも
飲食店、特にお酒を提供するお店が
ターゲットされ
クローズアップされます。
お店が悪いわけではないし
何かいい方法はないのか?と考えてしまいますが
なかなか名案は浮かびませんが
お酒について考えないと
いけない時期に来ているのではないでしょうか?
お酒で
人生が大きく変わってしまうこともあると
今までの報道でも
自分のこれまでの人生でも
感じることがありました。
お酒には
魔力があるのだと僕はあるのだと
思うのです。
そのお酒の魔力を知って
対応して生きていかないといけません。
お酒に対抗するものとして
僕が注目しているのは
オキシトシンというホルモンです。
こんな実験があります。
オキシトシンを投与すると
アルコールに対する欲求
そして
アルコールの消費量も減るというのです。
これは
たばこに含まれるニコチンに対しても
同様の結果であったというのです。
つまり、オキシトシンには
「お酒をもっと飲みたい」
「たばこをもっと吸いたい」という
衝動を抑える作用があるのです。
もう少し医学的に解説すると
オキシトシンには
お酒をもっと飲みたいと感じさせる
ドーパミンを抑える効果もあるからなんです。
それでは
オキシトシンの分泌を増やすためには
どうしたらいいでしょうか?
オキシトシンは絆を深まると
多く分泌されることがわかっています。
つまり
絆が深まり、オキシトシンが分泌されるので
「楽しい」「うれしい」「しあわせだ」といった
幸福感が生まれてくるのです。
絆が深まる
環境が整えば、整うほど
オキシトシンが分泌され
しあわせを感じるのです。
ですから
家飲みをするより
居酒屋などや
例え公園であっても
みんなでわいわいして飲んだ方が
オキシトシンも多く分泌されるので
楽しくて
路上のみが増えるのも
当たり前のことなのです。
今はコロナウイルスを防ぐ観点から
仕事さえテレワーク
密を避け
人の接触をさけることを
求められる時代になっています。
感染を防ぐためには
やも負えないことかもしれませんが
しかし
それでは、オキシトシンの分泌も減り
しあわせな生き方ができなくなります。
ですから
感染対策しながらも
絆を深める生き方
つまり
家族との絆を深めるなど
リアルでは
本気、本音の付き合いできる
関係を深めるなど
お酒の飲み方だけでなく
人との付き合い方も
考えていく時代になってきたのでしょうね
カテゴリー: 真実の医療
人はなぜお酒を飲むのか? はコメントを受け付けていません
モーニングセミナー
僕は
退院してから
毎朝近所の神社のお参りをするのが日課。
昨年は
雨や風が強いときは
歩いて行くことは危険なので
数日お参りできなかった
こともありましたが
今は、少々雨が降っても風が吹いても
傘を指しても
歩けるようなったので
昨年12月から今日まで
連続毎朝お参りができています。
朝も4時に自然に目が覚めて
空が白みはじめる4時半過ぎには出発
歩いてる内に
日の出の時間を迎えるのが日課なんです。
朝は
地球全体がエネルギーにあふれ
動物も植物も
そのエネルギーをいっぱい浴びてるから
元気でいられるんだと
僕もエネルギーをいっぱいいただいてるから
日々元気に過ごせているんだと思ってます。
今は
目覚ましもいらず
自然に目が覚め
朝起きが苦にもならず
当たり前に起きていますが
はじめから朝起きの習慣が
できた訳ではありません。
自分は
地元の大学出身ですが
卒業後は九州に戻ったので
今のクリニックで開業しようと決断した時
僕の思いをわかって
力を貸してくれたのは妻しかいない
たったひとりでの出発でした。
医療コンサルにもお願いしたりもしましたが
裏切られたり
笑顔の奥の裏の真意がわかったり
人の冷酷な面を接し
打ちひしがれてた時期でした。
その時出会ったのが
経営者の勉強会の集まりでした。
その会は
週1回朝6時から集まって
経営者のどん底から這い上がった経験から
得た思い、やり方など
まさに、その時の自分の境遇にもマッチして
毎週朝6時からのセミナーに
頑張って!早起きして起きて
参加しました。
早起きはつらかったけど
セミナーから帰って仕事はじめるときには
元気いっぱいで
やっぱり早起きは三文の徳だと
実感して、その会にはまりました。
その後
その会の会長までさせていただきました。
会長になると
理由なく休むことなんてできません。
寝坊するわけにはいかず
それまで以上に
目覚ましを念入りにして
寝るようになりました。
おかげで
寝坊することもなく
務めを全うさせていただきました。
そして
会長の間、目覚ましはかけていたけど
いつも目覚ましがなる前に目が覚めて
起きていました。
会長が無事終わっても
朝目が覚める習慣は残りました。
目覚ましを使わずに
起きたい時間に
起きれるようになっていました。
病気になって
その会の参加が難しくなって
今はやむなく退会し舞いましたが
今も自然に4時に目が覚めるから不思議です。
当時は、起きないと思っていたから
早起きできていたと思ってました。
忙しい経営者の会で
朝早く集まって勉強するのは
朝の時間は、他の仕事に左右することなく
自分の意志で作れる時間だから
その朝の時間に勉強時間を設定するのがいいのだと
思ってました。
もちろん、それもあるでしょう。
今もこうして朝自然に起きれること
そして
朝歩いていると
そのセミナーで学んだことを
追体験できる感覚に包まれるんです。
まるで
ひとりで、毎日そのセミナーに
参加しているような感じなんです。
講師は
創始者の丸山敏雄先生。
そんな贅沢な時間を毎朝過ごさせてもらっています。
今こうして起きれるようになったのは
丸山先生のお導きよって
徐々に起きれるようになり
直接学べるように
していただいたような気がします。
僕は、今でも
丸山敏雄先生の弟子と思っています。
これからも
毎朝先生直々の
モーニングセミナーに参加します。
カテゴリー: 真実の医療
モーニングセミナー はコメントを受け付けていません
医は医なきを期する
医師として
人生の半分の時間を
生きてきました。
医師という仕事に
ゴールはなく
日々勉強の毎日
医学が進歩するから勉強を
しないといけないけど
本当に勉強しないといけないことは
真実の医療の姿を
みつけ、確立するためなんだと
月日が経つにつれて
思うようになりました。
まだまだ道は途中ですが
今、思う医としての道は
「医は医なきを期する」と言うことです。
今までの医学の進歩は
強引すぎて、本質から外れた
少し行き過ぎた方面に進み過ぎている気がします。
効果の有無を追求しすぎて
医学本来の目的
「医は医なきを期する」と言うことを
忘れかけていることに気づいたのです。
つまり
医の目的は
この世から医の力を借りずに
生きられる世にすること。
つまり
医が除去された世の中を
目指していくことが
本当の医療の目的なんだと言うことに
気がついたのです。
医は
病気を治すだけが目的なのではなく
再び病気に冒されないように
導いていくべきなのです。
医者の手を借りずに
病気知らずで生きていくためには
元々持っている
自己抗体の抵抗力や自己治癒力を
生かす道を生き
そのために自分の生きる道を
確実に歩んでいく精神、心を強くする
その生き方ができているかを
見届け、指南するのが
医者として生かしていただいた
僕がたどりついた
僕の医師としての道
医道でもあります。
最後に、もういちど言います。
人のからだには
元々自然治癒力をもって生まれています。
ですから
医療は
病気を治すだけで足ると思うことなく
医なくとも生きられる術をお伝えすることなんです。
それが、僕の目指す
「医は医なきを期する」ということなんです。
カテゴリー: 真実の医療
医は医なきを期する はコメントを受け付けていません