星の王子さまの中に
「大切なものは目に見えないんだよ」という
有名な科白が出てきます。
本当に
大事なものって目に見えないなぁと
思うことも多いです。
大事なものなのに
目に見えない代表的なもの
といえば
神様の存在ではないでしょうか。
神様だけでなく
根源的なもの、真理というのは
まごころ、やさしさなど
本当に大事なものって
目に見えないように作られていて
そのわけは
感じて欲しいからではないでしょうか?
なぜ大事なものは
こころで感じないといけないかと言えば
人は目に映るものをみてしまうと
自分勝手に見てしまう
からではないでしょうか?
もし、神様のお姿を
実際にみてしまうと
神様を自分の都合のいいような姿で
頭の中にイメージつけてしまい
神様自体を
自分勝手に扱ってしまうリスクが
でてかにでしょうか?
このことは
昔から伝えられている歴史の中をみても
神様は姿を現されないように
していたように思います。
例えば、古事記では
最初にアメノミナカヌシをはじめ
タカミムスビの神様は名前が出てきた後
すぐお姿をお隠しになられました。
聖書でも
モーゼが全知全能の神ヤーウェは
火を通して現れています。
そして、十戒では
神の姿を作ってそれを拝んではいけないと
述べられています。
神は
目で見えるものには
真実をわからなくすることも多い。
真実は音などこころで
感じるものだと教えてくれるのでしょう。
真実を見極めるために
こころを磨くことは必要なのだと思います。