月別アーカイブ: 11月 2021
百円の恋
2年ぶりに開催された
周南絆映画祭を観に行った。
この周南映画祭から誕生した
映画が上映されるので
いつもある意味コアな作品
掘り出し物の映画の出会えるのを
楽しみに今回観に行けることを
とても楽しみにしていた。
そして
今回観た「百円の恋」で
安藤サクラさんが主演で
安藤サクラさんはその後、
朝の連続ドラマで主演
是枝裕和監督の「万引き家族」で
カンヌで表彰された女優さんとして
僕も知ることとなり
この映画が出世の原点となる
作品だと言えるようです。
そして
この映画の脚本家足立神さんが
百円の恋の脚本が
この周南絆映画祭の松田優作賞で
グランプリを受賞したことが出発点で。
上映後のトークショーで
武正晴監督、足立神さん、佐藤プロデュサーが
口をそろえて
今観ても”魂(念)がこもってる映画”
だと仰ってました。
どうして?・・・・
実は安藤サクラさんも含めて
監督も、脚本家も全ての人が
それまでの人生に疲れ
これまでの人生から学んだ全てのことを
ぶつけた映画だったこととだからということが
わかりました。
この映画は
引きこもりだった主人公一子が
家を出て、コンビニの店員をしながら
生きていくことを決意。
そして
なぜかボクシングをしている彼にひかれ
そして
彼と別れることになったが
なぜか彼がやっていたボクシングにひかれ
生活苦がよくならないことから逃れるように
ボクシングにのめり込む主人公一子。
そして、ついにボクシングの試合に
でれるまでになった一子。
しかし
その結果は・・・・この先はネタバレになるので・・・
この映画は
人生の逆境から逃れるために
一女性がボクシングを通じて
たくましく生きていく姿が描かれた
勇気づけられる映画です。
テーマは「痛み」です。
元恋人のボクシングの試合をみて
試合中の痛みの訳
試合後に闘った二人が肩を叩き
お互いを労る意味を知りたくなった一子。
試合中に
思い出した肉体の痛さと共に
蘇ってくる
過去の痛み、こころの痛みの数々・・・
そして
その奥にあった人々の応援の声
痛みを感じることは
それを乗り切ろうとするために
必要なことなんだ。
痛みを乗り切るために
色んな人の思い、応援がある。
この世に生きると
色んな痛みがあります。
痛みを感じるのは、肉体があるから
感じられること。
そして、その痛みをうけたから、乗り切ったから
成長できることがあるのだと
逃げてはダメだと
教えられた映画でした。
宇宙と魂の世界②
宇宙空間が
無重力であることは
みんな知っているし
その無重力がどんな状態かと言えば
からだがぷかぷか浮いたり
物も水でさえ
ぷかぷか浮く世界が
無重力だと言うことは
映像としては
見て、理解している気になっているけど
実感として
無重力が
どんな世界なのかを体験することは
難しい。
無重力の世界を体験した
野口聡一さんは
以下のように語っています。
「宇宙空間でこころが安定するポーズである
座禅を無重力空間で組んでみたのです。
人間は実は聴覚で
重力の基準をつかみますが
無重力ではそれが消え
更に目を閉じて視覚情報も消してみる。
感覚を遮断したらどうなるかを
経験しました。
「そもそも座禅の姿勢になるのが難しい。
無重力で両足を引き寄せ
手で固定しないといけないからです。
座禅しているとき、
なぜか頭が右側に傾いていく
床に頭から落ちていくと勘違いしたのです。
それは、きっと
からだには
重力の記憶があったからです。」と
記憶に支えられて
僕たちは地球上で行動していることを
知りました。
そして
「船外活動で真っ暗だと
手や足が伸びているか、曲がっているかが
感覚として不明になります。
普段は意識せずとも、
人間の筋肉が重力を感じている。
それが消えるからです」と
語られています。
つまり
地球上に住んでいる時は
肉体があるから
感じられる世界なんだ。
宇宙は地球とは全く違う世界。
もし、あの世、魂の世界が
宇宙にあるとしたら
今生きている感覚
肉体をもっている感覚が
必要でない世界なんだと
野口さんのインタビューから
感じました。
魂の世界を知る
ひとつのヒントになりました。
そして
野口さんは
肉体がどんな風に肉体を
失っていくかのヒントになることを
述べられています。
それについては
次回ブログに続く
宇宙と魂の世界①
宇宙
この大きな言葉。
言葉だけでも大きいが
実際の宇宙は
想像の世界にしかないわけだが
実際に宇宙にでたら
どんな感じなのだろうか?
いつも
宇宙を知りたいと思って他が
実際実感することはできないけど
宇宙に3回いかれた
野口聡一さんの興味深いインタビューが
紹介されたたので
今日は紹介しようと思います。
宇宙からみた地球の姿を
ガガーリンの「地球は青かった」という
名言を残していますが
野口聡一さんは
宇宙からみた地球を次のように
語っています。
「確かに地球は青かった。
しかし、それ以上に印象的だったのは
『まぶしさ』でした。
太陽の光を反射する
地球の圧倒的なまぶしさに驚いたのです。
真っ黒な世界である
宇宙のコントラストに衝撃を受けました」
と。そしてその黒について
「漆黒です。
地球上で見ていた黒は
物体に反射した光の色からの黒です。
宇宙では
光は永遠に吸い込まれたまま戻ってきません。
漆黒という色とは違う
何もない黒です。
同時に、地球のまぶしさに目が慣れて
宇宙の天体の光が
関知できないための黒だった」
と語られてました。
全てのものには
光と影、光と闇というように
二面性があると言われるが
なかなか
実際完全なる闇を感じることは
難しい。
いわゆる漆黒の闇を経験された
野口さんはこう感じたと書かれてます。
「生命があふれる地球と
完全なる死が満ちている宇宙とが
ごく薄い大気の層を歯なんで向かい合ってる」
そして、
宇宙ステーションの船外活動をするため
宇宙空間にでた時
このよとあの世の間に流れる
『三途の川』を渡るような感じだった」と。
実際宇宙を肌に感じた方しか
語れない世界
生と死の狭間の世界に
生きていたことを語った深い言葉。
この感想をよんで
確かに生の世界だけでなく
死の世界もあるのかもしれないと
思わずにいられませんでした。
更に
この宇宙の世界とは
どんな世界であったかを
感覚的でなく具体的に語られています。
その言葉を読んで
魂の世界の一端を感じました。
続きは次回ブログで
他力本願と自力
他力本願と言う言葉をきくと
他人任せで過ごすっていう風に
ちょっと否定的に囚われがちに
なりそうな言葉です。
他力に対して
自力という言葉があります。
自力とは
読んで字の如く
「自分の力で解決すること」
他力は
「他者の力で生きていく」と
意味になる。
他力とは誰の力をかりてるのか?
他力本願はは仏教の言葉で
仏教で言えばお釈迦様の力で生きている
ということ
そして、最近では
宇宙にあふれてる力だと
仰ってる人もいる。
他力で生きているのは
事実なのです。
自分の力で生きてるはずなのに
心臓を動かしてるのは誰なのか?
あなたがけがや病気をしたときに
治してくれているのは
誰の力のおかげなのでしょうか?
メタトロンをしていると
他力の力を感じることがあります。
先日
重症筋無力症を患ってる患者さんが
にメタトロンを行いました。
重症筋無力症は
骨格筋の接合部を攻撃する
自己抗体が出現し
全身の筋力が低下し
嚥下障害、呼吸障害などをきたすこともある
進行性の難病です。
今後悪化しないように
自己治癒力を高める目的で
メタトロンは利用できます。
その患者さんは
現在、西洋医学の治療も功を奏して
症状は落ち着いてるし
メタトロンをおこなっても
現在の状態は普通の人と変わらない状態で
僕はほっとしました。
ただ、患者さんご自身は
いつまた症状がでるのか
悪化するのか心配で過ごしていて
メタトロンでの結果でホッとする反面
いつまた症状が
悪化するのかドキドキして
過ごしてしまうみたいです。
これこそ
自分の力、自力ではどうしようもないこと
なのかもしれません。
こと時こそ
薬の力、メタトロンの力
また、宇宙の力、仏様の力などの
他力本願で生きていくことで
病気からの不安から逃れることが
できる方法かもしれませんね
つつんでひらいて
「つつんでひらいて」という映画を
観ました。
この映画は
本の装丁をされる菊池信義氏の
仕事ぶりを紹介された
ドキュメンタリー映画。
テーマも、ストーリーも
全くといってほど
派手さもない映画だし
本の装丁をデザインといっても
ただのブックカバー作家の
仕事紹介と普通なら
あまり気に留まらないテーマだけど
本好きの僕にとっては
見逃せない物だった。
その仕事ぶりは
細かかった。
紙の質を変えて、すかしてみて
濃淡をつけたり
みえるところで
見せるかどうかで印象が変わってくる。
本屋に並んだときに
手に取ってもらえるかどうかも
その本の訴えが
装丁家の腕一本にかかっている。
ブックカバーひとつで
その本の世界を一瞬でどう伝えるかが
装丁家の腕の見せどころ
ちょっと数ミリ動かすかどうかを判断し
その善し悪しを判断する。
その違いに気づくとき
頭の中の神経伝達は
どのように伝えているのだろうか。
その些細な変化を気づけることが
人だけの力でできるのだろうか?
神の力も及ばないと
達成できないような
究極の仕事であることに
この映画を観て知った。
最後に
装丁は自分からの要望ではなく
受注される仕事である。
誰からの依頼か?
作家?、編集者?出版社?・・・
表向きはそうかもしれないけど
実は
この仕事にどう向き合うつもりかと
神から依頼されてるのかもしれない。
医者の仕事も
受注依頼されるケースが多く
医者も神からどうする、どう治すと
試されているのかもしれない。
地味な映画だけど
深く考えさせられる映画だった
お金は友達
お金とはどんな関係ですか?って
聞かれると
友達みたいな関係じゃないでしょうか。
世の中には
友達の多い人も、少ない人もいます。
友達が多い人って
友達と仲良くしようと思ってるので
友達に対して嫌われることは
しないですよね。
相性があるから
相手から嫌われるかもしれないけど
友達にできるだけ
友達に嫌われないようとするし
友達を大切にしましょうって
物心ついたときから教えられていますよね。
友達に大切にするけど
友達に多くを求めすぎたり
友達にうそをいってしまったり
友達との約束を破ったりしてしまうと
友達を傷つけることになってしまうし
自分をも傷ついてしまったってことを
経験したことはありませんか?
だから
友達や自分以外の人に
喜ぶことをしようを
友達を活かすように行動しよう。
友達を信じよう、分け合おう。
友達や仲間と仲良くなるための
考えや思いはつきませんよね。
今考えた
友達をお金に換えて考えてみると
・・・・
お金に対しても
同じじゃないですか?
お金を持ってる人は
お金を傷つけるようなことは
していません。
お金に対しても
大切に、活かすように使い
お金をうその根源にならないように使い
お金を独り占めしたり
お金が嫌がるような使い方を
していないのです。
お金を喜ばし
お金と自分が。
自分だけでなく自分の仲間とも
うまくいくような
使い方をすることが
大切ではないでしょうか?
お金自身が喜んでいれば
お金は喜んであなたを活かしてくれて
あらゆることから守ってくれて
何かあれば全力で守ってくれる
存在なんでっすね。
お金と友情を築けた人って
とてもしあわせな人生を送るような
気がします。
だって、お金を作ったのは・・・・
あの方だから。
続きは次回のブログで
お金ってなに?
世の中のトラブルの原因に
お金の問題が絡むことが
原因となることが
ほとんどではないでしょうか?
コロナ流行が治まってくると
経済を回すための政策が目白押し
これも人々が経済、お金を
重視しているあらわれでしょう。
お金は
生きていくために大切な物であるのは
間違いないことだと思います。
でも
もしひとりひとりに
お金についてお聞きすることができると
返ってくることえは様々でしょう。
それは
お金がその人の仕事や暮らしと
切っても切れない関係だからでしょう。
お金は
確かに生きるための道具です。
自分が何かしようと行動するときに
背中を押してくれることもあります。
それなのに、日本では
お金の話ばかりすると
時に人格を疑われる、なんてこともあります。
お金は大事な物なのに
お金は僕たちの生活や暮らしを
豊かにしてくれてるのに
感謝すべきことなのに。
今土の時代から風の時代に
物の時代からこころの時代に変化してる
今だからこそ
お金について
考えていかないといけないと思います。
今後お金や欲にまみれた社会を
なくすために
避けては通れないことだと思います。
あなたにとってお金ってなにですか?
これから一緒に考えていきましょう。
これからの人生、時代を豊かにするために。
瀬戸内寂聴さんと細木数子さん
昭和、平成そして令和にかけて
悩める人々に生きる道を説き、導かれ、救った
女性が同時期に逝かれた。
なにかひとつの時代が完全に幕を下ろし
令和は新しい時代となってくることを
感じる。
細木数子さんは
TVの番組で
ズバリ言われる姿に圧倒され
色々黒い噂もあったり
贅沢三昧に???と思ったり
使っていた占いにも
僕は手に取ることはなかった。
でも
あんなにはっきり言えるのは
相手にいい人生を歩んでもらいたいという
愛の強さの表れのように思え
生き方は賛否はあるかもしれないけど
愛を説くことが使命だったような気がします。
そして
愛と人間の業を説かれた
瀬戸内寂聴さんが同じ時期に亡くなられた。
瀬戸内寂聴さんの小説は読んだことはないけど
やんちゃな芸能人と
対談する番組や対談本を
なぜかよく読んでいた。
今思うと
僧侶なのに
肉も食べ、お酒も飲み
本当でない話を小説として発表したり
(本人はうそをつけないと小説は書けないといっていた)
破天荒な、物と欲にまみれた
ある意味人間らしい
人生だったのかもしれない。
物に溺れることは
今したいことをすること
思い残すことなくすること。
寂聴さんは
いつ死んでも思い残すことはない
毎日が死に支度という言葉を残され
まさに
中今を生きてこられた人生なんだと思います。
ある意味
お二人とも
魂の思うままに生きられた人生だった
のかもしれないと思うのです。
愛に生き、愛に溺れ、愛を説き生きられたお二人の
教えられたことに感謝し
お二人のご冥福をお祈りいたします。
合掌
今の気持ちをあぶりだす
メタトロンでからだの
経絡、各臓器のエネルギー状態を診た最後に
必ず
感情をチェックします。
なぜ、メタトロンでは
をチェックするかといえば
感情やこころの状態が
からだの健康に大きく影響しているからです。
昔から
「病は気から」と言われるように
昔の人は
その人の気持ちが
健康に左右することを感じていたんでしょうね。
実際、先日
メタトロンをメンテナンスとして
使われている患者さんも
前回来院されてからは
からだの調子はいいけど
家族のことで心配事が
現実になっということを
お話されていました。
家族といっても
すでに独立しているので
遠くから応援するしかないけど
心配は尽きないもの
そのことを
メタトロンは
血管系にストレスがあることがわかり
ストレスをのりきるために
からだが反応していることが
手に取るようにわかりました。
そして最後に
感情をみると
ご自身の気遣いの気持ちが
からだの不調に影響していることが
わかりました。
まさに
今の生活の問題点を
メタトロンはあぶりだしてくれました。
それを知ると
知ったことで対応することができます。
メタトロンを受けた後
患者さんは、
メタトロンの結果をしっかり受け止められ
しっかり過ごそうという気持ちが
お顔の表情から現れてました。
きっと
次回来院するときは
スッキリして来院されることでしょう
古代から引き継がれた感染対策
世界的に襲った
コロナ感染そしてパンデミック。
国中で
様々な感染対策が行われている。
人類の歴史上
パンデミックに襲われたのは
今回だけでなく
最近ではインフルエンザがありましたが
その他には
種痘、ペストなど
現在では人類が
撲滅できた感染症もあります。
日本でも
応神天皇や聖和天皇の時代に
日本全国に
痘瘡、はしかなどが流行した
記録が残っています。
日本でも
何度も感染症を経験しているので
古代でも感染対策がされた
痕跡が生活の中に残っているので
紹介いたします。
お公家さんがもっていた
扇子を持ち歩いて
話をするときには広げて
口元を覆って会話しました。
実は
これは扇子をマスク代わりに
使って感染対策に役立ってたのですね。
そしてお公家さんが被っていた
とんがった烏帽子帽。
お互いの烏帽子がぶつからないように
帽挨拶すると
自然にソーシャルディスタンスを
とることになります。
そしてお住まいは
北側だけが土壁で塗り固められ
そこにトイレ、お風呂などの水場を作っていました。
水場には
ばい菌が発生しやすく
昔の人もとても神経を使ったのでしょうね。
土壁には小さく刻んだわらがz入ってるので
わらの中で麹菌や酵母などの
微生物が発生して
空気中に発生した
ウイルスや細菌をやっつけてくれていたんです。
また
東と南と西は障子で囲まれて
換気がよくできるような
作りになってたんですね。
現在やってる
感染対策は、何も今始まったことではなく
昔から培っていた
人々の生活から生まれてた知恵なんですね。
ウイズコロナの時代だからこそ
人類が生き抜いてこれた
古代の人の生活の知恵から
学ぶことも多いのかもしれませんね。