月別アーカイブ: 11月 2021

検査と医師頭②

我々医師は
今の患者さんの状態を把握したいとき
今患者さんに起こってることを知るために
これから患者さんに起こるであろうことを知るために
検査を行います。

患者さんのために検査をしているはずなのに
悪い数字や良くない状態を
この目で見てしまうと
患者さんだけでなく
医師も思考停止の状態になってしまい
検査結果をもとに
あれはダメ、これもダメ
こうしましょうと
あれもしましょうと
考え方だけでなく
生き方の変更も求められてしまう。

例えば
アレルギーが心配だからと
血液検査をすると
今まで食べていたものにアレルギーがでると
その瞬間に
その食べ物は食べることを禁止してしまう。
それまで好きで食べれたものを
禁止してしまう。

その食べ物が
アレルギーを起こす原因なら
禁止するべきだけど
その兆候がないのに
禁止してしまうのは
その食べ物を目の敵のように扱うのは
行きすぎではないだろうか?

悪い結果がでたことは
その食べ物そのものがが悪いわけではなく
その食べ物の摂取の取り方
採れるようなからだになるように
警告してる。
だから
その結果を
これまでの自分の生活中での関わりを
捉えることが大切だろう。

これは
アレルギー検査だけでなく
健康診断にも言えることでは
ないでしょうか?

でも、数字や画像などの
目に見えるものを
そのまま受け止めてしまう傾向にあります。
それは、患者さんだけでなく
医師自身もその結果に
縛られてしまう。

そして
医師自身も
結果自体に振り回され
患者さん自身を診ることを
忘れそうになる。
結果治すよりも
患者さんを診ることを
忘れてはいけない。

いわゆる
これも医師頭。
検査を見ながら
検査結果に踊らされるのではなく
自分のからだを、そして生活を見つめ
見直していきましょう。

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太陽の光のエネルギー

11/6のブログで
ナイチンゲールの
「わたしは、これまでの看護経験から
病気の人にとって大切なのは
新鮮な空気を吸うこと。
次に必要なのは光だ。」と
いう言葉を紹介
空気のエネルギーについて書きました。
今回は太陽の光のエネルギーについて。

太陽には
無限のエネルギーがあり
最近ではそのエネルギーを利用して
太陽光発電が
あちこちで行われています。

太陽の光には
無限の知らざれざる力だあります。
健康についてでも
1日15分程度日光浴するだけで
からだの活力が増加し
健康になるといわれます。

例えば
15分の日光浴で
認知症になるリスクは半減し
認知症も改善したという
報告もあります。
また、昔から
骨粗鬆症を防ぎ
乳がんや前立腺癌をはじめ
いくつかの癌発症のリスクが減少する
癌だけでなく
リュウマチ、糖尿病のリスクも減少する
という日光浴の疾病予防の報告もあります。

また妊娠中の日光浴は
赤ちゃんの運動能力や社会的発達が
選りすぐれるものに
なるのではないかとも考えられています。

その他にも
日光には精神を安定させる作用があり
記憶力が向上し
不眠症が改善し、
からだのホルモンバランスを整える
効果があることも知られています。

かつて
入院していたときに
僕の病室は
東側に大きな窓があり
入院中は日の出が拝め
リハビリが始まるまで
窓際で太陽の光を
からだいっぱいに浴びて
一日をスタートしてました。
不思議と一日頑張ろうという気になり
太陽の力を借りて
薬を使うことなく
病気も治癒することができました。

太陽の力は偉大です。
からだの不調を感じたり
気分が優れないときなど
何か困ったことがあるときは
薬に頼るのではなく
まずは
太陽の光をからだ全体で浴びて下さい。
すると
あなたのからだの中の
生きる力が蘇りますよ。

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海を渡った古伊万里展

秋深まる休日
日本全国コロナウイルス感染も終息にむかい
ちょっと
こころの栄養補給に
山口県立萩美術館で開催されてた
「海を渡った古伊万里
~ウィーン、ローズドルフ城の悲劇~」展に
行ってきました。

海を渡った古伊万里展という
名前にひかれ
きっと日本人、日本の文化に憧れた
西洋のお金持ち方の
コレクションの展示されていて
目の保養になればと
楽しみに行ったのですが・・・・

伊万里焼の歴史からはじまり
並べられた展示品は
歴史が紹介され
美しい陶磁器が並べられ
大きくため息がでるだろうと
呼吸を整えていると。
次にあったのは
欠けたお皿や壺が
現代の技術で修復された姿でした。

展示内容は
ローズドルフ城の悲劇を
伝えたかった内容でした。

かつてはローズドルフ城の城主は
陶磁器の多数のコレクションされ
城内を美しい陶磁器で
彩られてたお城でした。
しかし
いい時代はずっと続くとは限らず
ローズドルフ城も
例外ではなく
第二次世界大戦の戦禍に巻き込まれたのでした。
そんな時代でも
陶磁器のコレクションを
地下に隠していたのですが
攻めてきたソビエト軍の兵士によって
粉々に破壊されたのでした。

粉々に残されていた
陶磁器の変わり果てた姿をみて
どんなに悲しまれたでしょう
粉粉になった大切なコレクションの前で
城主の慟哭されている姿が目に浮かぶようでした。

城主は
一室に破片を集め
平和への願いを込めて
展示をされたそうです。

粉々の破片が展示されてるだけでなく
現代の技術で修復されたものも
展示されてました。
その姿は
パッと見ただけでは修復の痕など
わからないぐらい
完璧な姿でした。
でも、手にすると
パリっと壊れそうで
もの悲しい哀愁を漂わせていました。

また
全ての破片が見つからなかったのでしょうか?
不完全な修復状態で展示され
その痛々しさ、悲惨さに
思わず目を背けてしまいます。

どの展示も悲しい運命を
今に伝えています。

ものあるもの
形あるものは
人間も含めて、必ずその形は
いつかなくなります。
つまり死を迎えるわけです。
どんな死を迎えるにしても
自分の納得する形で迎えることが
しあわせなことなんだよと
悔いなく一生懸命生きてねと
傷ついた展示品が語りかけてくれるような
こころに染み入る展覧会でした。

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医師頭①

僕にとって
入院した期間は
これまでずっと医師として働いて
染みついていた考え方を
見つめ直す時間になりました。

ひと言で言えば
患者さん目線で
医療を見ることができました。

医者は
コンピューターばかりみて
患者さんの顔ばかりみている
という批判はよく耳にして
気をつけないと思っていたのですが
患者さん側にたつと
医療が患者さん目線でなく
医療者側で見ていること
感じる場面がありました。

入院した当時は
告白するのは恥ずかしい話ですが
ひとりでは歩くことも
それどころか
立つことすら
自分ひとりでできず
トイレに行くにも
ひとりでは行けない。
トイレに行くときは
看護師さんをよばないといけません。
昼間は頻回に病室に来ていただけるので
その時にタイミングを逃さないように
看護師さんにトイレのお願いがしました。
でも、夜は
看護師さんの数も少ないので
呼ぶ・・・というのは憚れます。
看護師さんは
「遠慮なく、呼んで下さい」と
仰るのですが
実際はナースコールを押すのは
中々勇気のいることでした。

これもお恥ずかしいお話ですが
排泄の心配をしなくてもいいように
おむつを着けさせられました。
「おむつしてるから、大丈夫ですから」と
言われましたが
とてもとても、おむつをしてるから
その中で赤ちゃんののように
排泄できるものではありません。

でも、その時救われたのが
「トイレは大丈夫ですか?
いつよんでもいいですからね」という
僕のトイレの苦痛を取り除いてくれるような
言葉かけ。
いわゆる
おむつしてるから大丈夫というとことではく
患者さん目線に立った言葉かけに
僕は救われました。

もちろん
ナースコールを押すのには
勇気はいりましたが
僕の気持ちがわかってくれていると思うと
SOSのコールを発しやすくなりました。

忙しい医療の現場で
みんなに効率よい医療を提供しようとすると
医療中心の考えになりがちです。

僕は入院して改めようと思いました
医師目線の医師頭を
気づかせてくれた入院中の一コマでした。

他にも
医師頭を気づかされる体験をしました。
それを少しずつこれから紹介しようと思います。

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現代人が失った、古代人とのちがい

今回偶然にも
エジプト展に行ってそのあと映画お終活を観て
偶然にも現代の日本人との
死生観のちがいを
知る(感じる)機会になったのですが
同じ人間として生まれてきて
歴史を紡いでるうちに
何が変わってしまったのでしょう。

人間としての考え方は
古代の人は
現代人に比べてとてもシンプル
ではなかったのではないだろうか?

古代人の考えを形つくっているものは
月や太陽の走行
月の満ち欠けと女性との関係
太陽と四季の移り変わり
そして植物や生物の成長の関わり
をずっと見つめて考え生きていたに
つがいない。

現代と違って
車も飛行機もパソコンも携帯もない。
感じるものは
今生きている自然が全てであり
自然が自分の生きていく術の全てであった。
だから
何を考えるのにも
その考えを遮るものも少なく
現代人よりも古代の人は
何事に対しても
集中して考え行動してたいた気がします。

だから
縄文時代の精巧な土器ができたのも
現代人にはまねできないことができたのも
集中力がちがうのも
環境のちがいがなせる技なのかもしれない。

かつての自然は
ノイズひとつない
耳を澄ませば、こころ落ち着く
安らぐ自然の音にあふれていて
深呼吸すれば
新鮮な心地よい空気を吸うこともできた。

そんな環境の中で生きていけば
どんどん集中力も高まり
忘れていた埋もれた才能が目覚め
クリアな発想も次々浮かぶことでしょう。

ですから
誰も覚えていない
来世、死後の世界について
気がつく人も多かったのかもしれません。

一見便利なものに囲まれて
生きている現代人だけど
化学物質に囲まれ、まみれて過ごしている
現代人は
古代人がもっていた大切なものを
失ってしまったのかもしれませんね。

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お終活

お終活という映画を観に行った。
死の瞬間を取り扱った映画と言えば
「看取り師」という映画を見たが
これは、最後の瞬間を取り扱った映画
だったけど
これは
死の瞬間をどう迎えるかを
考えさせられた
シビアな映画だったが
お終活という映画は
伊丹十三監督で大ヒットした「お葬式」
に似た
死の瞬間をどう考えていくかを
コミカルなタッチで描かれた映画。で
100年時代と言われる中
死の準備も考え準備しておく
終活をすすめられる機会が日常的に
増えていて
どこか人ごとではないテーマだけど
死そのものというより
人が年とっていくうちに
誰にも訪れる問題点を
笑いと共に描いた
コメディーだけど
その中に含まれる人生の悲哀をも
感じられる映画だった。

でも
笑いながら見ていたけど
主人公の葬儀屋の社員が
お客さんから死について聞かれたときに
それはわからないと答えていた。
死についてはもちろん
誰にもわからないし、経験もしてないから
答えようがなにのは
しかたがないことというか
当たり前の答えだったと
ただのたわいもない科白だったと
聞き流していただろう・・・

しかし
その前にエジプト展で
2000年以上前の人々が
当たり前のように信じていた死後の世界を
肌で感じていたので
科学の発達していない古代人と比べ
現代人の死に対する思いが
少し軽く感じてしまうのはなぜだろう?

そこが気になって
仕方なくなり、
現代人が死そのもの、死後の世界を
感じにくくなったのはどうしてだろうか?
映画を見終わった後
その点を自分なりに考えてみた。
現代人が死を感じにくくなった訳は
次回のブログで

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エジプト展

山口美術館で先週末まで開催されていた
オランダのライデン国立古代博物館所蔵の
古代エジプト展に先日行ってきました。

エジプトといえば
ピタミッドやミイラなど
古代エジプト人の考えた
死後の世界を感じたくて
エジプト展が開催されると
必ずといっていいほど
行くようにしている。
今回は、2回も行ってしまったのですが
本当に行って良かったです。

有名なロゼッタストーンが見れたり
死者の書が刻まれた
鮮やかな棺や装飾品の数々
そしてミイラの展示。
ミイラは人間だけでなく
ネコ、ワニのミイラも展示されてたので
びっくり。
そして
圧巻だったのは
ミイラをCT撮影した
画像の紹介。

現代でも遜色ない骨格
腫瘍が見つかったり
歯の状態がわかったり
お腹の中になぜかお人形が入ってることがわかったり
その今はミイラになってるけど
その人自身の歴史を感じずにはおれなかった。

エジプト展を見ていると
エジプト人は
明らかに死後の世界があり
またこの世に帰ってくる
輪廻転生があると信じていた。

永遠に生きるために肉体が必要なので
ミイラを作るのです。
肉体だけでなく、人には
「ばぁ」とよばれる魂があり
人は死ぬとばぁの状態で
葦の野といわれる来世で過ごすことになります。
そこは現世と変わらぬ風景の世界で
食べ物なども必要な世界で暮らすのです。

死は終わりでなく
死は来世と現世を繋ぐものだと考えたので
来世でも
しあわせに暮らせるように
またこの世に戻ってきても困らないように
様々な準備をしたのですね。

昔の死生観って
実は現在よりも進んでたのかも
思うようになりました。

また別の日に
「お終活」という映画を見る機会があり
ますます現代の死生観の
あやふやさを感じてしまうことになるのですが
映画「お終活」の話は
次回のブログで

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直観力

昨日のブログで
魂を磨く源の力は
直観力という話をしました。

今回は
直観力について

直観力とは
論理的な思考や
意識的な観察を介さずに
魂とこころを直接的かつ無意識的に
意思決定の判断することができるように働く
プロセスでもあり力そのものと言えます。

別の言い方をすると
日頃自分の意識を支配している
顕在意識の深層に働いていると思われる
潜在意識とも超意識ともよばれる
叡智の泉からの情報を
感じ、手にする力だと言えます。

ここでお気づきかもしれませんが
ここで注意したいのは
直観力についてであり
直感力ではないということです。

直感とは
自らの感覚のセンサーが敏感になること
感覚が研ぎ覚まされることで
受け取れる情報は多くなりますが
叡智の泉までには届かず
感じられる部分は
主に顕在意識と潜在意識の表層部分。
それに対して
直観力とは
叡智の泉、超意識に直接アクセスできる力で
いわゆるひらめきとも
言える力です。

また直観力は
これまでの経験を越えた部分に
働く力であり
特徴として時間軸に影響されないと言うこと。
すなわち
過去にこんな経験をしたということや
未来にこんな経験をしたいからという
過去や未来に対する思いに
関係なく働く力であると言うこと。

ですから
直観力が働いた瞬間に
今までになかった想像の種が
芽生え、開花し
新しい自分すなわち本来の自分の姿として
実を結ぶことになるのです。

この直観力は
実はいつでも僕たちには
働いているのです。
それに気がついていないだけ。
直観力を働かせるためにするべきことは
実は時間軸がないというのがポイント。
つまり現在、今しかないと言うこと。
今をしっかり生きていくこと
「中今」を生きることが
直観力を磨くことなんですね。

今を大事に生きて
直観力を研ぎ澄まし
魂を磨く生き方をすれば
豊かな人生を過ごせることでしょう

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つながりを大事に生きる

人生が充実していると
いのちが喜び、輝きだします。
いのちが喜ぶ生き方をすると
人生が輝きだすのです。

いのちの喜ぶ暮らしのあり方として
欠かせない要素に
「人とのつながりを大事にする」
ということがあります。
つまりご縁を大事にするってことですね。

良きご縁を大切にし
ご縁ある方とともに
お互いのご縁を育むことができれば
お互い成長しあうだけでなく
お互いの人生が益々充実し
人生が充実することで
ご自身のいのちが、魂が喜び
益々輝きだすのです。

ご縁がある方と
お互いの人生に必要なつながりであれば
出会った後も理解し合い
つながりが続くことでしょう。
もしご縁がない人なら
意識しなくても、自然に縁遠くなるでしょう。
これも自然なことです。
去る者は追わずということでしょうか。

このご縁はどのような状態なのか
社会に目を向けてみましょう。
現代社会では
二極化、多極化が進んでいます。
出会った人が
全く自分と異なるエネルギーの方に
出会うことになるのです。
ですから
「来るものは拒まず」ではなく
「来るものは選んで」お付き合いする方が
お互いのエネルギーの浪費を
防ぐことになるのです。

どうやって選ぶか
あなた自身の心に
問いかけてみて下さい。
あなたのこころが
喜んでるかを感じてみて下さい。

目をつむって
脳裏に浮かんだなら
浮かんだ人が
あなたにとって大切な人なんです。

この目の前の人が
ご縁のあるかどうかを知る力のことを
直観力です。

直観力については
次回のブログで

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空気のエネルギー

僕たちは
日々当たり前のように
呼吸をして、陽を浴びて、水を飲み
食べ物を食べ生きています。

それは、ただ単に
息をして、日光浴して
飲食してるというだけでなく
自然界からのあふれている
エネルギーを取り入れて生きているのです。

通常の診療やメタトロンをしているときに
機会あるごとに
呼吸の重要性について
お話することもあります。
呼吸の重要性を言うのは
世間でも
様々な呼吸法が紹介されていますし
現代だけでなく
ヨガ、禅などの仏教でも
昔から
呼吸法の重要性が現代まで
伝わってきています。

確かに
丹田を意識し
深く、ゆっくりした呼吸をすることで
疲労が改善し
よく眠れたり、こころ落ち着いたり
様々な効果を実感されたかたも
多くいらっしゃるのでは
ないでしょうか?

ナイチンゲールは
「わたしは、これまでの看護経験から
病気の人にとって大切なのは
新鮮な空気を吸うこと。
次に必要なのは光だ。と
新鮮な空気の大切さを
述べています。

空気を吸っているのは
人間だけではありません。
動物も植物にとっても必要です。
また人のからだの中に住みついて
僕たちのからだを支えてアくれている
腸内細菌も
空気の存在によって
生育が大きくかわることもわかっています。

世間では
色々な健康法があったり
高価なお金を払って
からだにいいものを摂るかたも
いらっしゃるかもしれません。

空気を吸うことは
全くお金はかかりませんし
全ての人に平等に
与えられているエネルギーです。

朝起きたとき
窓をあけて
外の新鮮な空気を吸うことで
からだが目覚め
素晴らしい一日になることを
約束してくれるでしょう。

空気は
自然からの無限の恵ですから。

次回は
ナイチンゲールも言っていた
陽の光について
お話しましょう。

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