周南絆映画祭で上映されていた
東海テレビが自社の報道局に約2年間密着し
「今のテレビのあり方」を問うた
ドキュメンタリー映画を観てきた。
最近情報源としての
テレビの地位は
SNSなどのネット媒体に脅かされ
若者のテレビ離れも指摘される中
どのように
テレビが生き残っていくのかを知りたく
制作側が
自らの恥部をさらけ出すことができるのかを
期待して観に行った。
映し出された
現場の生々しい言葉から
現場の問題があぶり出されていた。
見学にきた
小学生に対して
報道の必要性について
「弱者を救う」「権力を監視する」という
役目があるというが
実際の報道をみると
確かにその面はあるが
一歩誤って
「弱いものいじめ」になっていないだろうか?
「権力者の対して忖度した」内容になっていないか?
全ての報道が
スポンサーを意識した「是非ネタ」に
なっていないだろうか?
報道機関も
報道する以上に、
小学生に話したような使命があるが
実際働くと
視聴率を上がることで評価され
そのために
忖度、是非ネタなど
自分の意志と異なる方向に進まざる
ことも選択させられる。
そして
そこで失敗することの
責任をとらされたり、派遣切りがあったり
報道機関に限らない
社会全体、ひとりのひとりのこころに
問いかけてきた映画だった。
自社内の恥部に迫ろうとしたが
内輪だけど
言いたくても言えないもどかしさが
映像のカットの端々に感じてしまった。
これは
報道機関の問題だけでなく
現代に生きている全ての人に
目先の数字など
評価しやすいものにばかり目がいって
忘れてはいけない本当の使命を
忘れてないだろうか?
世間では
オミクロン株のことを不安煽るように
報道しているようにかんじてしまう。
真実は、どこにあるのか。
実は目に見えないところにあるのかも。