富司純子さん主演の
「椿の庭」を観てきました。
科白少なめに
美しい音楽と共に
その家に住む住人とともに
最後の時を迎えた
日本家屋の最後を
静かに見つめた映画だった。
住んでいる人にも
死が訪れ
家族の生活も変わってくる。
残り少なくなった人生を生きていくうちに
未来を描けなくなったときに
人は何を考えて行くのか。
その時を静かに迎えた住人を
所作の美しさで
表現した富司純子さんの
いぶし銀の演技に釘付けになった。
この世に生まれてきた全てのものは
日々を過ごし
やがて必ず死してゆく。
誰もが訪れる終焉の時を
むかえるか?
ずっと生き続けられないから
必ずものとの別れはある。
いつまでもものに対して
思いをもっていたいと願うが。
いつの間にか
思いはもの自身場所にあると縛られ
執着して
その場所はそのままでいて欲しいと思う。
この映画の
主人公もそうであり
この家をそのまま大事に使うと約束した人に
売ることになり
安心してその家を送り出すことを決心した。
売り渡す前の晩秋に
孫娘に庭の枯れ葉の掃除を頼むが
孫娘は
「掃除しても、しても枯れ葉はなくならないし
この家ももう売り渡したのに
なぜ掃除しないといけないのか?」と
掃除を拒否する孫娘。
最後の最後の時まで
自分のいのちを育んでくれた家に対して
美しい姿で、感謝して送り出そうという
住人のおばあさんが
一人で何も言わず掃除をはじめる。
僕も
先日住み慣れた家を手放した。
別れの時、涙があふれたが
それはさみしさでなく
感謝のなみだ。
そして、新しい家族を育んでもらいたいという
希望の涙でもあった。
映画の中で
主人公が
「思いは、ものと場所にある・・・」と
しみじみと語るシーンがあったが
形がなくなると
全ての思いは
我がこころにいつまでも残っているから大丈夫と
主人公に語りかけていた。