12月は慌ただしい季節ですが
忙しい中
いつも以上に気を引き締めて
雪道を一歩一歩確実に
足下を確認しながら歩くように
一日を過ごしています。
12月は一日一日が
いつも以上に緊張の毎日なんです。
なぜなら
病気が発症したのが
2年前の12月だったからです。
だからいつも以上に
病気になったときの月日を思い出し
生活を振り返ります。
左半身不随の状態で発症し
今は病気発症前のように
過ごしていますが
左手が動かなかったことで
気づかされたことがあります。
左手が動かないことで
できなくなったエピソードを
2つご紹介します。
1つめは寝てるときも腕にしていた
自動巻きの腕時計が止まってしまったこと。
いつも左腕を見て
時間を確認しながら行動してました。
左手の自動巻きの時計が動かなくなったと
言うことは
全く左手を動かしていないという事実。
その事実は、
僕の左手が死んでしまったという事実を
突きつけられたように感じて衝撃しました。
でも、気をとり直して
こんな時こそ神様に手を合わせようと
柏手を打とうとすると
打てないんです。
右手と左手を合わせられないんです。
手を合わせられない。
顔洗うときに両手をしっかり合わせられないので
水をすくえないんです。
自分の思ったように動けなくなった
左手に衝撃を受けました。
これが2つ目のことです
左手が使えないことでわかったこと。
自分のすべきことを
時計に合わせて生きていたということ
時間を身につけたことで
実は
自分の生きている時間を
目にみえる時計の時間に合わせて
生きていたことに気づいたんです。
今は左手は使えるようになって
その時に左手が動かなくなったことの
意味がわかるのです。
それまでのように
時計に合わせるのではなく
からだの時間に合わせるべきだと
自分自身の生きた時間を
過ごしていきなさいということ。
そして
今では柏手を打てるようになりました。
神社で柏手の音を聞きながら
神様のお気持ちに近づけるような
神聖な気持ちになれるようになりました。
病気は
僕を苦しめようとしているのではなく
成長をすることを願っているということに
気がついたんです。
どんな時も
自分のからだに感謝なのです。