年別アーカイブ: 2021
そうじ
近所の神社を巡って
お参りするのが
毎朝の日課です。
あるとき
いつものように
参拝して帰ろうとすると
手を合わせて、礼をしたとき
ふと足下をみると
枯れ葉が落ちているのに気がつきました。
その神社は
宮司さん以外に
朝、夕、毎日と参道を
お掃除さえている方が
いらっしゃいます。
ひとりで掃除するには
とても広すぎる境内。
そうじしても
次の日にはまた元の状態になっている。
大変だなぁと思うと同時に
偉いなぁ
汚くなるから掃除は無駄ではなく
掃除していることが徳積みなんだろうなぁと
頭が下がる思いでした。
少しお手伝いをしようと思ったことが
ありましたが
朝のお参りの時間だけで
これだけ広い境内を
掃除することなんてできないなぁと
心苦しくも
見て見ぬふりをしていました。
でも
その時は
ちょっと本堂から外れた
神様の祠の状態がきになったので
この周りだけは
綺麗にしようと
ふとみると近くに箒もあったので
枯れ葉を掃いてみました。
少しはいただけだけど
ピカピカになった気がしました。
もう、空気が変わったように
変わったようです。
次に回った祠の
枯れ葉が貯まってて気になったので
ここまではきっと手が回らないだろうと
枯れ葉を掃きました。
祠に続く小さな参道も
ついでに?掃きました。
掃き終わった後
振り返って
礼をすると
自分がしたからでしょうか
とてもピカピカになっている気がして
とてもうれしくなりました。
あ~~綺麗になった
うれしい。
というのが正直な感想。
そうじをすると
その場の周りの空気まで
綺麗に、澄んだ状態に成り
心もすっきり。
心まで掃除をしたような気になります。
次の日も、その次の日も
ささやかだけど
掃除をさせてもらって
自分の心も綺麗にさせていただいてる気がします。
ある日
本堂に続く参道の状態が気になり
散歩の時間は限られてるので
いつもやってる場所を広げて
少しだけ掃いてみました。
神社は広いので
ここだけしても
あまりかわらないかなぁと思いましたが
やはり気になって
やらざる負えない状態でした。
でも
掃除をした翌日
また元の状態になっているかな?と
思ってると
綺麗な状態なんですね。
だから
今日は少し参道の掃く場所を広げて
ちょっとずつ広げて掃除できています。
元の状態から無駄だ
と考えたのは
自分で作ったやらない理由だったことに
気がつきました。
毎日
コツコツやることで
確実に効果は上がってくることを
学びました。
そうじを通して
心も掃除することができて
場所だけでなく
自分自身も磨くことになっていること
を学びました。
今朝も
神様の場を掃除して
僕の心を磨かせていただいています
眠れるしあわせ
今、仕事が終わって
寝るのがとても楽しみに
過ごしてます。
寝るのが楽しみって
そんなさみしい生活してるの?
って思われるかもしれませんが
そんなことはありません。
寝るの楽しみになったのは
入院中からの習慣なんです。
以前お話しましたが
入院中は
日曜日、祝日もなく
毎日朝から夕方まで
4コマのリハビリをしてました。
夕方
4コマ目のリハビリが終わると
自由な時間がおとずれます。
リハビリが終わると
まずはパジャマに着替えます。
着替えると
いつ寝ても大丈夫な状態になり
またリラックスのスイッチが入ります。
そして次にやることは
コーヒーとおまんじゅうなどの甘いものを
食べるという
至福の時間。
誰にも邪魔されない
自分だけの時間に
またリラックス状態が進みます。
そんな時間が進むと
食事時間。
食事が終わると
読書を少ししている間に
睡魔が押し寄せてきて
いつの間にか寝てしまってます。
寝る時間は
だいたい7時半には寝てしまっていました。
頭が疲れ安いからなのか
すぐ眠くなるのですが
よく眠れるので
朝は日の出前にスッキリ起きれるのです。
スッキリ目が覚めることで
また、いい1日が始まることを知りました。
そのためには
寝ることが大事
眠ることが、明日の活力になることを
知りました。
朝起きるために
喜んで眠ること、眠れることって
とてもしあわせなことってことを
学びました。
以前は
夜、寸暇を惜しんで
ある意味無理をして起きて
過ごしてた気がします。
ですから
退院後の今も
夜21時には寝るようにしてます。
明日朝起きれることを楽しみに
寝ることはとてもしあわせなことだと
思ってます。
昔の人が感じていた
太陽の動きに合わせた時間で
生きることが大事なんですね。
空を舞う龍と鳳凰
梅雨空の続く毎日ですが
こんな時期だから
雨が降ってない
お日様のでている日
それも
お休みの日であれば
お日様の日をいっぱい浴びたくなります。
僕は
目をつぶって
太陽の方にからだを向けて
からだいっぱいに
太陽のエネルギーを浴びるのが大好きなんです。
太陽の温かさと、ぬくもりに包まれ
とてもしあわせいっぱいの気持ちになります。
太陽と同じように
晴れた日には
空を見上げるのが
習慣にもなっています。
空には雲があり
雲は同じく裳はなく
あ、あれは龍みたいと
龍探しをしています。
先日の晴れ間の休日
天気を有効に使おうと
久しぶりに妻とドライブをしました。
そして
いつものように
車窓から
空を浴びると
龍が勢いよく泳いでいるんです。
大きな大きな龍です。
それも1頭だけでなく
5頭はいる。
あ、龍の顔も見える。
あれは
龍だと確信しました。
龍が
僕たちの車の上をずっと
泳いでいます。
まるで目的地を案内してくれているかのように
5頭並んで。
別の方向をみると
羽を広げたような
鳥の姿。
あまりの立派な姿。
あれは
鳳凰だと思いました。
龍と鳳凰が空に現れた。
そういえば
今までの土の時代は
天照大神を代表とする天津神の時代だったのが
大国主命を代表する国津神の時代に
入ると言われてます。
天津神は龍神、国津神鳳凰にたとえられ
龍神は男神のシンボル
法王は女神のシンボル
世の中は土の時代から
風の時代に変わったことを
空の龍と鳳凰が教えるために
空を舞っていたのだと思います。
空を見上げて
思わず口から出た言葉。
それは
「お疲れ様でした。
ありがとうございました」
メタトロンの教えてくれること~腫瘍の原因~
みなさん
病気を心配をして
メタトロンをうけられます。
先日受診された方は
胸にしこりがあり
そのしこりが良性か悪性かどうか
調べる検査を進められたが
どうしたらいいか
悩まれたうえで
今の状態を知りたくて
メタトロンを受けるために受診された。
メタトロンの前に
触診すると
たしかに腫瘤を確認できる。
症状をお聞きすると
時々痛みがあると言うこと。
診察すると
診断確定のために
必要な診療を進められていると考えられる。
現状のスタンダードの医療として
主治医の進められるように
医療を受けられる方がほとんどだろう。
でも
目で確認するものの
裏に隠されている状態、原因を
探るのが
メタトロンの役目であるので
早速メタトロンを施行した。
その結果
本人が悩まれるのもわかる
なぜなら
腫瘤がある部分の
エネルギーは落ちてなく
全ての臓器もほぼ正常の状態である。
メタトロンの結果では
からだの状態は
ほぼ問題なし。
ただ、強いて言えば
頭をすごく使ってるので
頭の疲れはあるようだ。
きっとこの患者さんは
この腫瘤のこと、進められた医療について
悩みに悩んだ状態なんだろう。
悩みから解放することが
まず第一だということがわかる。
その悩みの原因は
腫瘤の原因は
からだにとって異物だけど
自分のからだの一部分であることを
忘れてはいけない。
からだの中には
全て不必要なことは起こらない
起こさないんだと言うことを知って下さい。
苦しい痛みでさえ
それは
からだに悪いことがあることを知らせています。
ですから
痛みをとるのではなく
痛みを起こしている根本原因を
必死で探すことが大事なんです。
腫瘤は
からだの老廃物の捨て場と
考えられます。
通常の肝臓、腎臓で処理できなくなった
ゴミ捨て場とも考えられるます。
そのゴミ捨て場は
からだに悪い部分が貯まるところなので
周りの組織と共存できるように
免疫力を
まるで結界を張るように
強化していることも
メタトロンでわかります。
この患者さんも
その腫瘤が
からだの中で共存しているのです。
今の患者さんにとっても
必要なもの何ですね。
それでは
どのような老廃物をためているのでしょう
他の部分が良すぎるぐらい、いいので
胸ですね
頭の疲れや、気持ちの波動から
思いの老廃物をためているんだと思います。
その内容は
こころの中にあるものなので
本人が見つけるしかありませんが
本人は頭痛をよく起こし
腫瘤も自制内のチクチクした
短時間の痛みだと仰っていました。
ですから
処理できない思いが起こったことを
頭痛が教えてくれているのでしょう。
そして
その思いがまだ解決できずに
貯まってきているので
腫瘤となって
現れているのだと思われました。
病気を作ってたのは
病気の真の原因は
本人自身の思い
すなわち生き方なのかもしれません。
ですから
この腫瘤を治せるのは
医療ではなく
本人自身だということを教わりました
これから
この患者さんとともに
病気とも患者さんとも向き合い
思いなる声を聴く
医療を続けようと思います。
カルマを乗り越える生き方
我々は
成長するためにこの世に生をうけて
今、現世に生きているとしたら
その目的は
魂の成長するためだと
僕は考えています。
患者さんとお話しすると
この症状は
遺伝だからしかたがないと
半ば諦めているように
お話しされる方がいます。
野口晴哉先生が
「親からもらったからだを10とすると
良いところは3で
悪いところは7である。
しかもこの7をどうやっても治らない。
だから
3の良いところを磨いている内に
7の悪いところがスッと消える」
というのです。
僕たちは
過去を背負っていると考えると
背負ったマイナス面を嘆き、否定するより
良いところをいかして生ききった人が
光り輝く人生を
過ごせると言われている気がします。
こよいは
自分の良いところを
しっかり理解、把握して
いかして過ごす生き方を
することが
この世に背負って生まれた
カルマを解消することになるのでしょうね。
これが
カルマを解消する生き方
誰にも良いところをもているのです
自信をもって
今日も過ごしましょう
風の時代
今年になってよく聴かれる言葉の一つに
風の時代に入ったといいます。
風の時代ってなんでしょう。
風の時代という考え方は
西洋占星術の世界で
使われている考え方なんです。
西洋占星術の考え方なので
星の動きと星座の位置関係で
社会の動きを見るんですね。
風の時代は
木星と土星が大接近する時の
星座の位置とそこの星座の場で
判断するもので
これまでは
牡牛座、乙女座、山羊座の場にあり
地(土)の時代であり
200年以上続いたそうで
それが
令和2年12月22日から
水瓶座の場に入り
風の時代に入ったというのです。
風の時代になると
これまでの時代と何がどう変わるかと言えば
物質中心→精神中止
お金を求める→体験、情報、人脈を求める
モノを持つことが大事→モノは必要なだけあればいい
蓄積型→循環型
経済優先→いのち優先
縦社会(ピラミッド型)→ 横社会
短期的利益優先→長期的発展優先
外形的なしあわせ→内面的なしあわせ
という風に
世の中の価値観が変わるそうです。
占星術的、占い的な考え方ですが
前時代の地の時代に入ったときには
資本主義の原動力にとなった
産業革命が始まってました。
これからの
変わるであろうキーワードを眺めているとコロナの時代に
最近使われる、変わってきていると感じる
キーワードがならんでいませんか?
僕は
風の時代に入ったことを
肌で感じるのは
2ヶ月後に迫ったオリンピックではないかと
その行方、あり方
どのようにおこなうのかを注目しています。
今のオリンピックの姿は
地の時代を象徴しているように思えるので
新しい時代の象徴として
今後も続くことを願っています
五感で感じて~こども達の健診で感じたこと~
5月、6月は健診の時期。
保育園、小学校、中学校に
出向いて健診をおこないます。
日頃は病気の患者さんを
診ているので
ひとりひとりの持っている
エネルギーが違います。
診察していると
ひとりひとりから
元気エネルギーをもらって
その後の診療にも
元気をいただいている
こども自体エネルギーにあふれている
太陽なんですね。
そんな元気なこどもたちに囲まれて働ける
とても有り難い仕事なんです。
先日小学校の健診に
行った時のこと
これまでと違う異変に気がついたんです。
それは
めがねをかけている子が目立つ。
今まで
高学年になって、ちららほらだったのですが
低学年から
めがねをかけてる子が
次から次に
僕の前に立つんです。
以前は
2年生なら
ひとりいるかどうかぐらいにしか
記憶にないのですが
次の子も、次の子も
連続してやってくるんです。
それも、かわいいピカピカのめがねをかけて
最近目がわるくなったのかな?
健診が終わる頃には
元気に過ごしてるようだけど
目のことが気になりました。
僕は内科健診担当なので
身体的評価が仕事が
目については
眼科の先生がうけもつので
僕の領域ではないけど
目が悪くなる生活を
してるのではないかと気になり
特にこの一年の変化が気になりました。
保健の先生に尋ねると
やはり近視のこどもが増えているとのこと。
きっと
この一年
オンラインや学校生活を含み
こどもたちの生活の変化を感じます。
きっと目を使うことが増えているんでしょう。
スマホを使ったり
ゲームをしたり
本を読んだり
室内で過ごすことが多くなり
目を酷使してるのでしょう。
現代は目を使うことが
おとなでも増えています。
町を歩いてる人も
スマホの画面を見続ける人の多いこと。
目からの情報を得るばかりでなく
耳で鳥の鳴き声を聞いたり
花で咲いてる花の匂いを嗅いだり
舌でお手伝いして作った料理の味を楽しむとか
肌で空気の暑さ、湿度を感じたり
五感を意識して
自分の周りの環境
様々変化する状況を
文字通り肌で感じることって
大切なんではないかと思います。
ステイホーム
三密を叫ばれる時代だから
様々な情報があふれる時代だから
目だけでなく
全ての五感の感覚を酷使して
感じ、判断することが
大事になるのではないでしょうか?
まず朝起きたら
外に出て
朝の状況を
目をつぶって、五感で感じてみませんか?
PCR陽性者は感染者にあらず
新型コロナウイルスは
全国でまん延、拡大が収まりません。
連日のように報道される
全国PCR陽性者数。
PCR陽性者数を感染者数と考えて
毎日ハラハラ、ドキドキされて過ごしてる方も
多いことでしょう。
でも、実際は
PCR陽性数=感染者数ではないのです
PCRは、遺伝子の断片を増殖させて
見つける検査方法なので
からだについていた
生きていないウイルスの断片を増殖させて
見つける検査方法なので
ウイルスがいたことを証明できても
そのウイルスが病気の原因かどうかを
確認した検査ではないのです。
ですから
PCR陽性のひとの中に
無症状の人がいるということは
当たり前のことなんです。
医学的に言えば
ウイルスが体内にいたとしても
からだにとって悪さをしてない
つまり症状などの困ったことが起きてなければ
発症者としてカウントしないのです。
ですから
PCR陽性者の中には
医学的にコロナ感染症者とはいえない
方々も含まれていると言うことです。
発症してない人まで
入院させて治療するとなると・・・・
医療現場がパンパンになり
入院すべき人が入院で着なくなると言う
医療崩壊に陥ってしまいます。
ある意味
人為的医療崩壊かもしれません。
実際
当院の近隣の病院から
こどもの入院もきびしい状況になってきたと
報告がありました。
もう一度言います。
PCR検査はウイルスの遺伝子の0.3%程度の
断片があれば
それを鋳型として増殖させて
その結果陽性とする
ある意味とても精度の高い検査です。
その高い精度のために
実際は感染者でないひとまで
陽性者として扱ってしまう結果に陥っているのが
今の状況を作り出しているのでしょう。
この状況を作ってしまったのは
検査に頼り切り
自分たちの科学に過信しすぎた結果
なのかもしれません。
これからは
自分の目で耳で感じることが
大切な時代になってきたことを
学ばなけらばならないのでしょう
学会に参加して
先日
久しぶりに山口県医師会主催の
学会に参加した。
山口県全医師を対象にした学会なので
いつもは
小児科、漢方、内科などの
専門分野の学会に参加することが
多いけど
全分野対象なので
自分の興味あるなしに関わらず
幅広い分野の
最先端の話が聴けるのが
この学会のメリットの一つ。
朝から夕方まで
5人の先生の講演
どれも興味深い内容でした。
それは
西洋医学の発達という面からみると
ここまできたかという内容だった。
例えば
ALSという運動神経細胞が障害される難病。
治療法もまだ確立されてなく
そして進行するので
治療法の発見をまたれ
今日の講演会では
京都大学の井上治久先生が
iPS細胞を用いた研究成果について
講演された。
iPS細胞により
原因解明そして何千もの薬剤の効用について
検討されていることを
説明された。
詳細はここではかけないが
感想は
さすが、現在ここまでこの難病に
迫ってきたかと
驚かされた内容だった・・・・
しかし
これだけの人類の英知を結集しても
まだまだ患者さんを救うには
まだまだ遠い道のりであることの
どうにかしたいという
先生の苦悩も伝わってきた。
そして次に
僕が印象に残った講演は
昭和医大、岡沢明彦先生の
出生前検査の現状と倫理的課題について
講演された。
現代の生活環境の変化および
女性の社会進出において
高齢化出産が増え
出生前検査が増え、その後の対応についても
説明された。
そこにも
統計上の数字には表されないような
こどもを望むご家族の苦悩を感じた。
それを乗り越えるために
人工授精などの医療に果敢に取り組んでいても
その結果は
満足できるまで行くには
まだまだの状態です。
その他の
日頃触れることのない
最先端の医療に挑まれる先生の姿、苦悩に触れ
やはり
これだけ進んだ医学をしても
乗り切れないのはなぜか?と
考え込んでしまう。
今のまま進んで
ゴールはあるのだろうか?
不安に思う点もある。
5/17のブログで
何事にも裏と表がある
という話を書きましたが。
解決しないのは
物事の一面からしか見てないからではないか?
もう一面から病気をとらえる必要がある。
僕が疑問に思う
裏の面からみた疑問に対しては
高名の先制してもクリアカットに
答えられないだろう。
いや、笑い飛ばされるかもしれない。
でも、その裏の面の扉が開かれたとき
医学は更に大きく発展するのだ。
そのために
自分は自分の目で
病気に対峙しないといけないんだと言うことを
決意させられた
学会参加でした。
好みが変わったのは
退院してから
生活も一変しましたが
好みも嗜好も変わった気がします。
入院して
体重が7kg落ちました。
食べれないような病気ではなかったし
いつも3食とも完食でしたし
病院だから
カロリー計算もされている食事だから
いかに高カロリーを摂取していたって
ことでしょうね。
月一回の体重測定
最初は体重減少するのをみて
生活を反省しながら
体重が減るのを楽しみにしてましたが
毎回、毎回減るので
なんか違う病気があるんじゃないかと
ちょっと不安になったりしてましたが
退院後は
ぽっこりお腹も凹み
顎のラインもしっかりでて
何よりも
今まで切れなくなった、ズボン、シャツなどが
着れるようになったのが
何よりもうれしかったです。
入院中は
ある意味ストイックな生活でしたから
その反動で
退院後は生活が
乱れるかと心配してましたが
その心配はありませんでした。
嗜好が変わりました。
まず、ビールが飲めなくなりました
久しぶりに飲むビールは苦かった。
とても飲めたもんではない。
今まではゴクゴク飲んでました。
飲んでも飲んでも酔わないぐらい
飲んでました。
そんなビールが飲めなくなりました。
ビールを一口飲んだとき
こどもの時、祖父のビールを
一口いただいて苦くて、まずいと思った
記憶が蘇りました。
元々、ビールはダメなんですね。
ビールは飲まないけど
お酒は嫌いではない。
飲もうとおもう機会は少なくなりましたが
リラックスしたいときには
不思議と飲みたくなるんですね。
特に、赤ワインが飲みたくなります。
そして焼酎、日本酒も
リラックスしたときに、食事と一緒にいただき
お酒とは
言いお付き合いさせてもらってるような
気がします。
次に間食です。
僕は甘いものも辛いものも好きな
両刀だったのですが
脳出血を起こしたので
塩分は意識して控えるようにしてます。
甘いものは
あんこが欲するようになったのです。
あんこが食べたくなるんですよね
おまんじゅう、どら焼き
いわゆるあんこスィーツが欠かせません。
クリームよりもあんこ
あんこの後のおせんべいはいらなくなりました。
そういえば
とある神社の宮司さんが
僕が、あんこが好きで、抹茶と所望するのが
隙なんですといわれたのを思いだし
納得しました。
入院中といえば
ストイックな生活を強いられますが
確かに
ある面ストイックな生活ですが
嗜好が変わったというより
本来の自分を思い出す時間
だったと思います