年別アーカイブ: 2021
我思うゆえに我あり、そして・・・
デカルトが残した言葉
”我、思う故に、我あり”は
デカルトが現代物理学の基礎をつくるために
よりどころにした言葉とも
いわれています。
そして
この言葉は
今の社会にも充分通じる言葉だと
思います。
我が、今思うこととは、つまり
この瞬間に何を思い、何を選択し、何を見いだし
どう認識していき
そして、それが自らの行動に反映していく。
だから
今、思ったことを心に留めることは
今後、自分のやるべき行動を
起こしていくための
一つ一つのプロセスを輝かせて
進むべき道を示してくれる。
だから
我思うことが、我がこの世に生きていく使命を
示してくれるのだと思う。
そして
このことを認識するために
宇宙は存在し
宇宙からの大切なメッセージを受け取ったとき
我は、思うのだと思う。
我の思いは宇宙に存在する。
宇宙にある、宇宙から受け取ったメッセージを
人々は神からのメッセージと感じるのかもしれない。
”我、思う故に、我あり”には
続きがある
我神を思う故に、神あり”なのだ
メッセージは自分の思いつきだけではなく
宇宙からの偉大なメッセージと考えるなら
神は存在するのだろう。
現代社会は
今までの価値観の変換を迫られている状況。
21世紀は、コロナウイルスの呪縛と考え
メッセージを受け取らずに、こだわると
次へのステージへのチャンスを
逃してしまうのではないのでしょうか?
Iam what I am.
存在していると思えば
存在するのが、神なのかもしれない。
我思う故に、我ありの”我”は
ひょっとして神
神からのメッセージなのでしょうか?
あなたは
神からのメッセージを信じますか?
時の流れを感じるとき
入院中は
日曜日もなく
毎日、曜日は関係なく
リハビリに取り組みました。
機能回復に重要な時期に
休みなくリハビリに励めたのは
とても有り難いことでした。
でも
ある意味、それは
同じ毎日の繰り返し
今日が何日であっても、何曜日であっても
関係ないのです。
有り難いことだけど
曜日関係を意識しないでいると
時の流れに鈍感になります。
まだまだ認知症の進む年齢でなくても
意識しないと
わからなくなりそう。
病院も
できるだけ季節感を感じてもらおうという
配慮から何でしょう
節分、ひな祭り、バレンタインの時には
まめ、桜餅、チョコのババロアなど
その行事を感じることができる
食事が出てきます。
また
日曜日の朝だけパンがでるのです。
季節を感じる食事をとれることは大事
もっと広くいえば
旬の物を食べることって
からだにとっていいだけでなく
心にも大事なことなんですね。
でも、日々今日を感じるために
個人でも努力することは大事です。
僕は
自由時間には
必ず新聞を読むことを欠かさずしました。
1面からテレビ欄までじっくり
今の世の中の動きを想像しながら
呼んでいきました。
そして、テレビのニュースも
その当時
プリンスダイヤモンド号での
コロナウイルスのニュースばかりで
日常とはかけ離れたこと
そして
今もそうですが
感染者数がどうだと・・・
報道される内容やコメントは
いつも同じだということに気がついたんです。
そんな時
朝起きたら、カーテンを開けて
外を見渡しました。
僕の病室からは
視線に入ってくる人工物は
道、電線以外はありません。
僕の目の前に広がる世界は
毎日違う光景なんです。
予想しない太陽の光が織りなす
刻々と変化する
空の色、雲の形
植物の戻りの色、そして鳥が飛んできて
みせてくれる風景は
一瞬たりとも同じ光景はありません。
昨日見た風景、おととい見た風景とも
明らかにちがう光景。
テレビや、スマホではぜったい感じられない
最高のエンターティメントに
心奪われ
時間が過ぎていくのも忘れて
ずっと窓の外を見ていました。
自然は刻々と変化している
昨日と同じ今日はないことを
教えてくれています。
これは自然の中だけの話ではなく
自然の一部である僕自身も
昨日と違う僕なんだということに気がつきました。
だから
今日も新たな自分に感謝して
一歩一歩歩いていけるんだということに
気がつきました。
入院中の身であっても
今日生きている、
昨日と違う自分で生きられることを
教えてくれた入院生活でした。
そして
退院した今もそのことは続いています。
お金を稼ぐ目的とは?
最近の生活をどうするかを考えるときに
いのちは大事だけど
経済活動も止められない。
そのために、なにができるのかと
政府も人々も悩まされている。
お金を持ちたい、
裕福になりたいという気持ちは
どなたにもあるでしょう。
そしてそのために
働いて、お金を稼がれていると思います。
でも、お金を稼ぐこと一生懸命になりすぎると
働く本来の目的がわからなくなります。
そんな時
海外のある寓話をききましたので
ご紹介します。
それは、次のようなお話です。
メキシコの小さい漁師町の港に
アメリカからハーバード大出身のMBA取得の
ビジネスマンがやってきて
漁が終わったばかりの漁師さんに尋ねました。
「その魚をとるのに何時間漁をしましたか?」
「ほんのちょっとの時間です」
「どうして、もっと長い時間漁をして
もっとたくさんの魚をとらないのですか?」
「家族が食べる分だけとれれば充分ですから」
「漁をしない余った時間はなにをしてるんですか?」
「たっぷり寝て、漁に出て
岸にいる時間は
こどもと遊び、妻と過ごす。
それから村へ行き
仲間と酒を飲み、ギターを弾く
そしてまた漁に出るの繰り返し。
忙しい人生なんですよ」
すると、ビジネスマンが苦笑して
アドバイスをはじめました。
「もっとたくさん漁をして
お金を稼いで
もっと大きな船を買う。
そうすれば、もっと稼げるし
もっと船を買えて、船団を作って
もっと、もっと多くの魚をとる。
そうすれば、缶詰工場を作って
魚を製品加工して
大量に売りさばけば
もっと大金が手に入ります。
大金をもっていれば
都会に出て
おおきな会社を作ればいい。
そうすればお金の心配することが
なくなりますよ」と
提案しました。
すると、今度は漁師が尋ねました。
「そこまでなるのは、どれくらい時間がかかるんだ?」
「20年から25年かな」
「その後は何するんですか?」
「株を売って、億万長者になれるよ」
「億万長者になったら、何をするんですか?」
「引退して
小さな漁村にでも移り住んで
こどもたちと遊ぶ、妻と過ごし
仲間達と酒を飲んで
ギターを弾いてのんびり過ごすのです。
どうだ、すばらしいだろう」
「????」
この話を読んで
何を感じられましたか?
豊かな人生って
お金を持つ、稼ぐ目的っなんでしょう。
ひとりひとりのしあわせってどこにあるでしょう。
お金では買うことのできないもので
身近にあるものかもしれませんね。
あなたの今もってるしあわせに気づき
失わないように過ごすことが
しあわせなことなんでしょうね。
お金、経済活動だけでは
人はしあわせになれないことを
今の時代が教えてくれているのでしょう
毎日楽しめばいい
GWが終わりました。
今年のGWも緊急事態宣言が
全国的ではないしても発令している中
毎日、コロナウイルスPCR陽性者数が
増えていることを伝えるニュースをにらみながら
生活をどう過ごすかと
考えながら過ごしたGWじゃないでしょうか?
生きていると
病気になることもあるし
仕事が行き詰まったり
人間関係に疲れたり
色んな心配なこともあります。
人は
本質である魂を
肉体という鎧に包んで
この世に生まれてきたと
考える方もいられます。
なんで
肉体をもってうまれてきたのか?
それは
魂すなわち自分自身が成長するために
肉体をもって生まれてくるのです。
魂は、平たくいえばエネルギーの状態とも
考えられます。
エネルギー=波動エネルギーともいえます。
エネルギーは
同じエネルギーと引き合います。
ですから、魂の状態では
同じエネルギー状態である
エネルギーと一緒にいる世界でしか
存在できません。
それは
ある意味居心地が
いい世界なのかもしれませんが
似たもの同士の世界なので
ある意味成長することが難しい
世界かもしれません。
そこで
魂が成長するために
肉体をもって生まれてくるのです。
肉体をもって生まれることで
魂のもってるエネルギーに関わらず
色んなエネルギーの人と
ふれあうことができるようになるのです。
そして
エネルギーの違う人々と
接触できることで
今までの自分と違う考え方を知ったり
気軽に、自分が望めば
様々な経験ができます。
色んな人と出会い、共に生きることで
様々な経験をすることで
今までできなかった経験をして
その時、自分がどう過ごすかで
新しい世界を知ることになるのです。
GW中、家族でお祝いの会で
レストランに行きました。
そこは
みんなお祝いなのか
僕が一番年長で
他のグループは若いカップルで
ディナーを楽しんでました。
みなさん、思いで作りするためなのでしょうか?
様々なサプライズを用意してたみたいで
あちこちから
楽しい声そして驚きの声、涙も
見られました。
その感情の中に身を奥で
心が喜んでいることを感じました。
これが
この世に生まれてきたから経験を分かち合えると
いうことなんだな。
生まれてきたことは
修行という苦しいものではない
前向きに楽しめばいいんだ。
魂が、もっといろんな経験を楽しめばいい
心から楽しめばいい。
ということを実感させられたGWでした。
今日も、これからも
心から楽しく、喜んで過ごしましょう
水に流すために酒を飲む
先日は
お客様をお呼びして
我が家にて食事会・・・というより
宴の装いでしたが
お酒も交えて楽しい時間を過ごしました。
ちまたでは
今お酒を飲むことが
ちょっとした悪のような
取り扱いのような気がしますが
確かにお酒の飲み方には
人それぞれの飲み方、スタイルがあしますよね。
あなたは
お酒をどんな風に飲まれますか?
僕は楽しいお酒が好きで
楽しすぎて、ちょっと失敗したことも
ありますが
人に酔っては
管を巻くなんて言葉があるみたいに
愚痴を言いながら
憂さ晴らし的にお酒を飲まれる方も
いらっしゃるのではないでしょうか?
憂さ晴らしのお酒の飲み方って
やけ酒っていうように
決して自分の気持ちを修めることって
難しいような気がします。
ですから
いいお酒を飲むときには
愚痴をこぼすよりも
自分に労いするために
飲まれるのが
いいお酒の飲み方って思います。
今、オンライン飲み会っていうのも
流行っていますが
自分自身とオンラインで飲んでると
鏡の前(画面の前)の自分と向き合って
「人には言えない苦労したね
頑張ってるのを知ってるよ」などと
自分自身と語り合いながら
過ごすのもいいかと思います。
日本語には
「水に流す」という言葉があるように
何を流すかといえば
自分の感情なんですよね。
水に流すために
お酒も飲むし、
そして実はお風呂にも入るんですね。
日本人は綺麗好きだから
毎日お風呂に入るなんて
いわれてますが、実は
身を清めるだけでなく
心も浄めるためにお風呂に入ってるんですよね。
お酒は
嫌な感情を流すために飲んでるときも
愚痴をこぼしすぎてやけ酒にならないように注意。
そのために
日頃から自分の口から出る言葉は
自分への感謝と労いの言葉であって欲しいと思います。
またお酒は
「御神酒(おみき)」と呼ぶように
神様の水なんですよね。
なぜなら、お酒はお米から作られます。
お米は、ニニギノ命が天孫降臨されたとき
天テラスの大御神から授けられた物です。
ですから
お米そしてお米から作られるお酒は
神様からの贈り物です。
これからGWに入ります。
緊急事態宣言中ですが
いいお酒を飲んで楽しみたいですね。
運命を導いてくれたある団体との出会い
勤務医から
家族以外に知り合いのいない
防府で開業しました。
開業医とは
病気に困った患者さんが
来てくれるのをじっと待ち
勤務医の時とは違って
周りの医者と
協力して治療するという
ことはほとんどなく
自分ひとりの力で
患者さんのこと
そして
病院の経営のことも
自身の生活においても
自分で決めないといけません。
まさに
自分あるのみ
自分の責任でなんでもできるとは裏腹に
責任も自分ひとりで全部うけなければならない。
経営者は孤独だという言葉は
誰がいったでしょうか?
僕も
その責任を自分で背負うつもりで
開業医の世界に飛び込んだので
後悔などはありませんでしたが
しかし
自分ひとりだけの生活が
息苦しさを感じてきたのは
開業して5.6年経った頃でしょうか?
少々人恋しくなり
互いに胸をわって
話し合える仲間が欲しいと思ってたときに
新聞に載っていた。
「経営者の会が開催されます。
参加希望の方は
、名刺をもってご参加下さい」という
ご案内の記事。
これに参加してみようと
名刺を持って参加しました。
誰ひとり知らない世界のドアをノックしました。
でも
その時から
僕の今の生活が開かれる瞬間でもありました。
その時の講演会は
今まで本の中でしか知らなかった話が
目の前の講話者の先生が語られ
目からうろこの時間でした。
その時の講話者の先生には
その後もそして今も
僕の社会的歩みをサポートして下さっています。
運命的な出会いでもあり
その後
そこから僕の人脈も広がり
多くの人の力のおかげで
今、ここに存在できていることと思います。
現在は
その時に学んだ意味がもっと深く感じられ
単なる人脈が広がっただけでなく
今進めている真実の医療につながっただけでなく
人としての魂の生き方にも通じることを知る
大きな大きな出会い、一歩になったのでした。
誕生日を迎えて
先日5●回目の誕生日を迎えました。
誕生日を迎えたからと行って
急に成長するわけではないし
おめでとうといってもらうことがあっても
昨日までと
変わらない日が、誕生日の今日も続いたのが
正直な実感です。
そんな時
伊勢物語の主人公でもあられる
在原業平の和歌を知った。
「日やあらぬ
春や昔の春ならぬ
我が身ひとつは
もとの身にして」という歌です。
この歌の解釈を
作家高樹のぶ子さんが
こんな風に解釈されています。
「この月は
いつぞやの月とは違うのか。
いや、そんなはずはない。
今年の春は
去年の春と違うのか。
いや、そんなはずもない。
我が身として、昔のわたしと変わらない。
それなのに
なぜ、月も春も昔と違うように思えるのか。
そうか、
わたしの心が変わったのだ」と
の書いています。
そしてあこがれの人を思い
「あのお方がいた頃のしあわせだった
わたしが見た月や感じた春は
あのかたを失った
今おわたしが見る月や感じる春とは
確かに違う。
それほど、わたしは
あの方を思い続けている」と
熱く、熱く
純粋に人を愛する気持ちを
詠った和歌だったんですね。
自然も時間も
いつも雄大な流れの中に
身を置いて僕たちは生きている。
変わっていくのは
自分の身、思いだけである。
だから
昨日の自分の気持ちと違う
自分として生まれ変わった気持ちで
自分の使命、生まれてきた目的に向かって
これからも明日も、明後日も
しっかり歩いて行こうと思います。
僕がどんな時にも
太陽も、風も、花も虫も
変わらず僕を迎えて、いやしてくれ
応援してくれている。
ほんとうに
有り難いことです。
今、この時代、この時に
生きていられることに
本当に感謝です。
空海さんの伝える三密とは
大阪、東京も緊急事態宣言が
発出され
感染の流れは広がりそうです。
ですから
ひとりひとりの感染対策するよう
求められています。
そんな時
人々が口にする言葉
「三密」という言葉を耳にします。
この三密と言う言葉
最近できたように思いますが
実は
あの空海さんも仰っていたのです。
同じ「三密」という言葉ですが
内容は異なります。
現在の感染を避ける意味での「三密」とは
換気の悪い”密”閉空間をさけ
大人数が集まる”密”集を避け
間近で会話などの発声する”密”接を避ける
意味の”三密”ですが
空海さんのおっしゃった三密とは
”身密・口密・意密の三密。
①身密:手に仏の象徴である印を結ぶこと
②口密:口に仏の言葉である真言を唱える
③意密:心を仏の境地に置くこと
つまり
現代の”三密”とは意味合いがことなり
仏様すなわち神様と
密接になる方法だということがいえます。
すなわち
この”三密”を実行することで
空海(お大事様)さんまたは仏様と
いつも共に歩むことができる。
四国にいなくても
どこにいてもできる
お遍路の方法ともいえるのではないでしょうか
そして
この三密ができることを監視されています。
監視しているのは
現代の自粛警察という冷たい視線ではなく
お天道様という温かい視線なんでしょうね。
昔の人はよくいってました
誰がみていなくても
”お天道様がみてるよ”って。
現代の感染対策である”三密”とともに
こころを一つにする空海さんから教えていただいた
”三密”も大切に今日も過ごしましょう
健康に生きるとは
健康と一口に言っても
人それぞれの考えかたもあるし
人それぞれ
様々な考え方があるでしょう。
世界の健康問題について考えている組織
WHOによると
健康とは・・・
「身体的、精神的、社会的に良好な状態であり
単に病気がないとか、虚弱ではない
ということではない」と
しています。
つまり
からだに問題がない
健診などの検査で異常がない
ことだけが健康ではないということ。
つまり、肉体だけでなく
精神的、社会的の3つの点で
充分バランスがとれているということになります。
これが
全世界でめざしてる健康の定義ですが。
1998年、WHOが健康定義を作る時
「肉体、精神的、社会的」という言葉に加えて
「スピリチュアル」という言葉を入れようとしました。
しかし、スピリチュアルの
メンタルという意味合いもあり
神、霊という意味も含まれ
世界中の国々、社会で様々な考えがあり
統一した見解がないので
生きがいという意味にもとられますが
現在までは
この言葉は保留状態のままになっています。
僕は
この言葉は是非とも入れて欲しいとも思います。
と言うのも
人のからだは
肉体だけでできているわけではなく
肉体、心、魂の3つをもったからだが
社会全体とも調和をとれた状態が
健康な状態と
僕は考えます。
魂をスピリチュアルと
考えていいと思います。
この考えは
僕が考えたわけではなく
日本人は昔から魂の存在を
知っていたのです。
そのことは
日頃使っている日本語を読み解けば
わかるのです。
日本語というのは
他の外国語とは違って
言葉は音を表すだけでなく
一つ一つの音に
意味があるのです。
たとえば、「ひと」について
「ひ」は
いのちや本源という意味という意味
このいのちの源、すなわち尊きいのち(魂)が
とどまっている。
そして
「ひ」の本の国に生まれた
日本人は
いのちの源「ひ」をとどめ、輝かせながら
「霊統(ひと)として霊性進化し、
この世のモデルとして生きる役割」を
になっている存在が我々「ひと」なんです。
つまり
人とは
「霊(ひ)がとどまる」存在です。
霊とは魂と考えていいでしょう
魂が肉体、精神とバランスを保ちながら
他のひと(魂)と学び合う存在であることに
人間の生きる意味があるのだと思います。
これから
肉体、精神的、社会的そして霊的にも
健康であることを目指すのが
これからの真の医療だと
僕は考えます。
リハビリをする意味②
リハビリに対しての
思い、気づきは様々ありましたが
でも
リハビリの目的は
病気になる前の
からだの状態に戻すことです。
今まで
何も考えずに
手、足を使って
自分の思いのまま生活していました。
今は
病気前のように
何も考えない状況で
自由に動かす、動くことはありません。
どうやった動かすか
これまでの経験を軸に
使い方を覚えていく
それがリハビリなんです。
これまでの経験をもとにって
すなわち
頭で考えてからだを動いてもらう。
歩くために
どの筋肉をどのように動かすか
からだの姿勢はどうか
傾いていないか、背筋の状態は
重心はどうなってるかなど
瞬時に判断して、
歩くという行為につながるのです。
だから
意識が不十分で
ただ、歩こうとあせってしまうと
足が動かずに、絡まってこけそうになります。
これまで反射神経も手伝って
無意識にできていたことが
歩くという
これまでできてた、単純だと思ってたことが
この筋肉を
次々に順番に動かすこと
それも左右の筋肉を協調して動かすことで
平衡感覚を使い
重力に抵抗して
歩いてたことを知りました。
今まで
淡々動かしていたけど
様々な神経が、筋肉が
細かく動いていたことを知りました。
からだの
そんな細かい動き、働きを知り
実感することが
機能を回復する以上のことがある
からだはもとの通りにならなくても
からだ全体で
僕が生きていけるようにしてくれている
強くて優しい心があることを知るのが
僕にとってのリハビリの目的だったんだと
僕が知ることになったです。