年別アーカイブ: 2021

魂の存在理由、目的とは

魂とはなんでしょう
  魂は何のためにあるのでしょう。

  この命題って
  生きている間に
  これだという答えを見つけることは
  できないかもしれない。
  なぜなら
  この世での生が終わったときに
  魂の謎が明かされる気がするのです。

  でも
  今、魂と共に生きていると
  考えていると
  魂について
  気づくことがありました。

  それは
  魂は自分自身である存在のことで
  魂は自分自身であるともに
  宇宙全体の一部分でる気がするのです。

  僕は音楽が好きですが
  好きな音楽に例えると
  魂は、ひとりひとりに
  生まれたときに与えられた楽器の
  気がするのです。

  つまり
  生まれる前に
  みんな自分に合ったまたは演奏したい
  楽器を持たされて生まれてきます。

  ある人はピアノ
  ある人はヴァイオリン、チェロだったり
  また
  美しい声だったり・・・・
  思い思いの好きな楽器を携えて生まれてくるのです。

  生まれてから
  楽器を使う、ならすことが楽しくて
  必死でならそうとします。
  最初に出す音は
  耳の痛い雑音のような音でも
  周りと協調できない不協和音であり
  とても音楽とは言いがたいかもしれないけど
  毎日毎日使っている内に
  だんだん美しい音が鳴らせるようになってきます。

  すると
  もっと美しい音楽を作りたい
  色んな人と一緒に音楽を楽しみたい
  と思うようになり
  異なる楽器をもつ身近な人と合奏
  するようになり
  美しい音楽めざし、人々と切磋琢磨するようになります。
  ひとりひとりずつ
  一緒に合奏できるようになると
  オーケストラのように大編成になります。
  大編成になると
  様々な個性のもつ楽器も増え
  それぞれの思いだけで演奏しては
  美しい音楽にはなりません。
  すると
  楽器をもっている人をまとめる人が
  必要だということに気がつきます。

  つまり
  指揮者にあわせて
  みんなで音楽を奏でることを学びます。
  その指揮者の方が
  宇宙にいらっしゃる神という存在なのかも
  しれません。

  神とともに
  心、気持ちを一つにして
  地球にいるみんなとも思いをすることで
  美しいシンフォニーができあがることを知ります。
  その時
  自分の今いる存在の意味を知るのだと思います。

  魂の目的は
  宇宙にいる神の思いを
  みんなと共有して成長することだと思うのです。

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情報リテラジーの力を身につける

   先日、ブログで
   大昔の縄文時代に見習う点が
   多くあるということをブログに書きましたが
   現代社会を生きていくために
   縄文時代になかった力が
   必要になっています。
   その力とは
   情報リテラシーの力です。

   情報リテラシーとは
   必要な情報を効率的に探し出し
   精査し、情報を使うことができる能力のことです。

   現代は情報化時代であり
   インターネットの急速な発達において
   誰でも、手軽に多くの情報を
   手に入れることができます。
   手軽に情報をとれるという反面
   世の中は
   必要か、不必要か
   重要か、重要でない関わらず  
   情報はちまたであふれています。

   ある試算によれば
   世界にもたされている情報の量は
   年間44ゼタバイトといわれてます。
  (1ゼタバイトは、地球上の砂浜の砂を全て集めた数
   10の21乗)
   44ゼタバイトなので、
   とつてもない天文学的な数の量ですね。
   ほとんどの情報が
   自分にとってジャンクな情報の可能性大
   と言うことですのね。

   ですから
   これだけの量の中で
   自分に必要な情報量を受け取ることは
   とてつもない能力ですよね。
   実際
   ジャンクな情報に
   踊らされている人も多いと思います。

   実際、診療中にも
   インターネットで調べて
   収集がつかなくなり
   不安がかえって増大され
   受信されるケースも珍しくありません。

   現時点も
   コロナウイルス感染症の情報が
   次々伝えられます。
   最近は、変異株の問題の情報が
   インターネット上をにぎわかせていますよね。

   ですから
   必要な情報を情報を
   短時間で、確実に手にする
   情報リテラシー力をもっていることは
   とても大切になりますよね。

   情報リテラシー力をつけるには
   どうしたらいいでしょうか。
   
   一般的には
   提供された情報の元となっている
   一次情報を確認すること。
   矛盾点がないか、
   発信者側の都合で脚色されていないかを
   調べることだと言われます。
   つまり
   情報の裏をとるということになるのですが
   ・・・・

   そこは
   情報発信側もその点は心得ていて
   手の内をみせないよう
   様々な仕掛けを積み重ね
   説得させるようにして発信します。

   どこか
   情報発信者と受け取る側の
   いたちごっこの面もあると思いますが
   ひとりひとりに求められることは
   自身の直感力を磨くと言うことです。

   直感力を磨くための方法って
   これに対しても
   調べれば色んな方法が出てくると思いますが
   その情報が
   あなたにとって大事かどうかって
   実はあなたしかわからないわけですよね。
   情報にもエネルギーがあります。
   その情報がもつ波動エネルギーが
   ご自身のもつ波動エネルギーと
   共振しているかどうかを
   ご自身で判断できればいいんですね。

   もう少しわかりやすい言葉で言うと
   受け取った情報が
   何ら違和感なく 
   スッと心に響いてくれば
   情報のもつエネルギーが
   あなたのこころと共振してるんですね。
   その情報は
   あなたにとって
   必要な情報だということですね。

   また、逆に
   何か引っかかったり
   あなたのこころをかき乱すような情報は
   あなたにとって必要のない
   フェイクニュースの可能瀬もあり
   情報源の確認や
   別の角度でその情報を探ることが
   必要でしょうね。

   このように
   星の数ほどある情報の中から
   必要な情報を受け取るのは
   あなた次第なんですね。

   直感力を磨くためには
   日頃から
   心をオープンにして
   素直に物事を見つめる姿勢なんでしょうね。

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リハビリをする意味①

入院してからというか
  この病気になってから
  日々ずっとリハビリの毎日。
  この今を乗り切るのには
  薬は役に立たない
  あっという間に治す魔法すら
  存在しない。

  毎日のリハビリの積み重ね
  だから毎日の気づきも多い。
  こう思うのは僕だけの考えでなく
  リハビリを行ってる方々も
  同じ思いだと思います。

  そんな思いを代弁している方が
  いらっしゃいます。
  ご自身も脳梗塞で
  リハビリの思いを語っている
  免疫学者の多田富雄先生のことばを
  紹介したいと思います。

 「リハビリは単なる機能回復の訓練ではない。
  まずは、人間の尊厳を回復すること。
  そして、
  今までしらなかった能力を発見する
  創造的営み」だと
  仰ってます。

  つまり
  それまでは
  知らないうちに、歩いてたし、しゃべってたし
  それを今度は
  今までと違った神経経路
  そしてこれまでの経験を総動員して
  考え、動かす努力をするのがリハビリ。
  それが
  先生の言われる創造的営み何だと思います。
  
  そして
 「汗を流して、苦しみながら歩いていると
  生きている感を取り戻すことができます。
  リハビリは人を強くします」とも。
  
  リハビリ師さんが仰ってました。
  綺麗に歩くことを目指してたけど
  綺麗に歩くことよりも
  自分の意志で、生きたいところにいける
  自由さ大事なんですよね。と

  そうなんです。
  自分の意志で動いて
  しないといけないことができることが
  大切なんですよね。
  形ではないんですよね。

  形と言えば
  多田先生の
 「こうなってみると
  人の友情や善意がよくわかります。
  病気に倒れた友人や弟子の気持ちも
  手に取るようにわかります。
  口先だけの親切も、わかるんです」

  入院して
  面会はほとんどお断りしてたので
  多くのメッセージやお手紙をいただきました。
  同じ言葉でも
  その奥に含まれた
  書かれた人の思いを感じます。

  本当に有り難かったです。
  逆に、同じ言葉でも
  空っぽな言葉で悲しい気持ちに
  なることもありました。
  
  健康の時
  患者さんにかけた言葉はどうだっただろうか?と
  気づきや、反省する点も
  知る機会になりました。

  リハビリを通して
  日々いろいろなことを
  学ぶことができました。
  
  実際には
  まだまだありますが
  その続きは、また後日のブログで。

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あの世はあるのか?

  最近 
  からだのことだけでなく
  魂のこと、こころのこと
  目に見えないいわゆる
  見えないけどこころで感じることについて
  話すことも多くなりました。

  世間でも
  以前に比べて
  目に見えない世界があると信じて
  胸を張って語られる方、本を出される方など
  情報発信される方も増えています。

  でも、依然として
  目に見えないもの、科学で証明できないことは
  信じないというかたも
  いらっしゃるのも事実です。

  こう語ってる僕は
  目に見えないものは、
  科学で証明できないものは
  信じない、受け入れないというわけではなく
  東洋医学で考えている気が
  エネルギーの流れであることが
  少しずつわかるようになり
  今、ナチュラルメディカルセンターで行ってる
  メタトロンも
  エネルギー、気の医療だと
  いうことになります。

  僕は
  目に見える患者さんを治療する医者ですが
  どうして
  このように普通目に見えないような医療を
  行えるようになったのは
  自分自身の次のような考えがあったからなんです。

  この世の物は
  全て陰と陽、表と裏、男と女というように
  全て2つの面、組み合わせによって成り立ったいるんです。
  ですから
  目に見える部分が全てと言うわけではなく
  目に見えない部分もあるというのも
  当然だと考えていいのです。

  今生きている、今体験できている世界があれば
  もう一面
  目には見えないけど、もうひとつの世界があるはず。
  その世界は、唯物論が中心の現代科学では
  まだまだ証明できません。
  目に見えないから
  証明できていないからという理由だけで  
  否定するのも、少々暴力的な考えだとも
  思えるのです。

  我々のからだも
  2面性で成り立っているのであれば
  目に見える肉体そして
  目には見えないけど存在する魂によって
  成り立っていると考えてもいいでしょう。

  肉体と魂があるならば
  今肉体をもって生きる世界
  そして
  魂がいきる魂の世界が
  目には見えないけど確実に存在していると
  思っています。
  
  この2つの世界のことを
  みんなは
  この世、あの世といってるのです。
  ですから
  魂の生きる世界、あの世はあるのだと
  僕は思っています。

  魂の世界があるなら
  なぜ、今肉体をもって生まれてきたのでしょうか?
  それにも、意味があると思っています。

  これから
  僕の考える魂の世界を
  お伝えしようと思ってます。

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春の使者ツバメ

先日
  チュピチュピという鳥の鳴き声が聞こえ
  空を見上げると
  電線に止まって鳴いているツバメを
  今年はじめて発見。

  ツバメは春の訪れを知らせてくれる
  鳥というだけでなく
  特別な思いがある。

  我が家では
  ペットは飼っていないが
  春になるとツバメがやってきて
  病院の入り口に巣を作り
  多くのツバメが巣立っていき
  毎年戻ってきてくれたので
  ツバメをみると
  家族のような特別な感情が湧いてくるのです。

  昨年は病院にもやってきた。
  その時のことを、次のように書き留めています。

 「窓から外を見るとツバメが3羽飛んでた。
  懐かしい、
  ツバメが春としあわせを運んで来てくれた。
  必ず生まれた場所に帰ってくるツバメの姿。
  
  誰にも戻るところがある。
  家、ふるさと、そして
  魂の戻るところもあるのだろう。
  輪廻転生。

  今日はリハビリで
  進捗状況の評価をうけたけど、
  僕もそろそろ
  現世の戻るところ
  家に帰る時期が決まった。(20200318)」
  と書いています。

  ツバメは
  僕にとって
  春という新しい季節
  次へのスタートを教えてくれ
  勇気づけてくれる
  特別な存在なんです。

  今も、そしてこれからも。
  ツバメのお帰りを温かく
  お迎えしたいと思ってます

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”STAY HOME”と”棲み分け”

   4/8のブログで
   縄文時代は平和なしあわせな時代だったと
   書きましたが
   なぜ、その時代平和な時間が続いたかというと
   その時代にあった
   ”棲み分け”という考えのおかげだと
   考えられます。

   縄文時代の次の時代
   弥生時代になると
   農業が発達し
   1カ所に定住し
   作物の収穫、土地をもつなど
   人々に所有欲、物欲などが芽生え
   貧富の差が生まれ
   平和な社会を維持するために
   みんなの決めごと(一種の法律)も
   必要な状況になりました。

   ですから
   この時代以降  
   平和で豊かな生活をするために
   和を重んじるようになり
   知恵を出し合って暮らしはじめました。

   でも
   これまでなかった
   争いごとが起きたり
   自分自身の名誉や財産を守ろうと
   自己顕示欲が表面化することが出てきます。

   今起こる
   様々なトラブルの芽が
   弥生時代からの生活が
   大きく影響してるんでしょうね。

   逆に縄文時代にも
   折り合いがつかなかったことや
   何らかのトラブルも起こったと思います。
   その時
   大きな争いや、戦争が起こすのではなく
   今まで慣れ親しんだ環境を離れ。捨て
   新しい生活をはじめるという
   生活を選択したので
   争いが起こらなかったのでしょう。

   つまり
   戦わずして、場所を変えることで
   お互い顔を併せるとこと避ける
   ”棲み分け”という行動を選択したんです。

   棲み分けが
   争いのない、平和な時代を作ることができた
   縄文時代の人々の
   知恵だったんだと思います。

   現在
   コロナの時代で
   ”Stay Home”が叫ばれ
   密を避ける
   これもある意味”ゾーニング”といえるでしょう。

   コロナウイルスと戦うのではなく
   縄文時代の時のように
   コロナウイルスと棲み分けて生きていく
   選択を迫れている時代
   に入ったのだと思うのです。

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戦争のない世の中になりますように

戦争はしてはいけないことです。
   日本では、第2次世界大戦以降
   軍隊、武器の所有などを放棄し
   戦争はいけないものだと教育され
   実際戦争をすることもない時代になりました。

   僕も
   戦争を知らない世代で
   実際の戦争を体験した世代も
   年々少なくなってきています。

   戦争を経験しなくても
   世界中のあちこちでは戦争がおこり
   自分は戦争を知らない世代だけど
   とても平和な世の中になった
   という実感はありません。

   その理由は
   現在の社会は、誰もが口々に
   平和を訴えているけど
   実際の武力衝突は回避しようとしているけど
   現在優勢の資本経済主義社会では
   武力衝突ではない形を変えての
   戦争が起こっているからではないでしょうか?

   暴力は
   目に見えて人を傷つけ、尊いいのちを奪い
   誰もがいけないことだと認識しています。
   目に見える形の暴力はいけないけど
   目には見えないけど、お金や原油など
   豊かな生活の源泉になると思っている物の奪い合い
   それらを奪い、戦い抜く財力が
   暴力に代わる形として
   人々を支配する道具になっています。

   更にいうと
   戦場は市場へと変わり
   戦争を先導しているのは
   軍隊から企業へとかわりました。
   そして
   軍隊を動かす力は
   我々び我欲で変わりはありませんが
   前回の戦争は原動力は
   生きていくために、生き残るための
   自衛の意味合いが強かったのですが
   現在は、生存権は保障されていて
   より多くの物を手に入れて
   裕福に生きたいという
   所有欲に変わりました。

   このように。現在でも
   資本主義の旗の下で
   形を変えて戦争(戦闘)体制にあると
   考えていいでしょう。

   そんな中
   コロナウイルスの出現によって
   これまでの経済活動が停止し
   政府は、元の経済活動に戻すことに
   躍起になっているようになっていますが
   コロナ流行前に戻るのが
   いいことなのでしょうか?

   コロナウイルスは
   みんなが本当の戦争のない
   心から平和だと思える世界に
   どうやったらなるかを
   考えることを教えてくれてるのでは
   ないでしょうか?

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祖母の誕生日

先日は祖母の誕生日でした。
  昭和天皇と同い年
  確か、八幡製鉄所が開業した年
  1901年生まれだと記憶しているので
  生きていれば・・・
  今年で120歳です。
  大往生という年で、まさに天寿全うという年です。
  もちろん今はこの世にはいません。

  祖母と一緒に過ごせたのは
  僕が小学校2年生までだから
  祖母が旅立ってから
  すでに50年近い日々が経ってるんですけど
  今年の誕生日のその日
  なぜか祖母を思い出し
  祖母と過ごした日々が
  走馬灯のように突然思い出したです。

  お泊まりをした日のこと
  お誕生日デパートに行ったときのこと
  お気に入りのキャラクター(ジャングルブック)の
  お皿とフォークをいつもだしてくれて
  食事をしたこと
  ・・・・・
  今でも一緒に過ごしたときのことが
  鮮やかな記憶として
  蘇ってきました

  一緒に過ごしたことだけでなく
  かけてもらった言葉や声が
  今でも耳に残っています。

  50年近く経っても
  お誕生日と思い出を思い出したことは
  偶然なことではない気がするのです。
  肉体をもって生きてきたことを
  最後に僕に
  次の時間を生きて行くことを
  伝えようとしたのでしょうか?
  
  祖母は
  いつまでも一緒にいてくれていたことを
  僕に知らせたかったのだと思います。
  
  そして
  お祝いの気持ちをありがとうと
  優しい祖母の顔だけでなく
  ぬくもりを思い出したのも
  たまたま、偶然のことではないと思います。

  祖母はきっと
  次のステップに進むのでしょう。
  祖母は
  僕との思い出は忘れてしまうのかもしれないけど
  僕には覚えてもらいたいと
  思って
  誕生日のその日に
  僕の心に蘇ったのかもしれません。

  今日も
  祖母に祖父に、そしてご先祖様に
  感謝の気持ちで
  手を合わせたいと思います。
  合掌

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原発処理水海洋放出決定

毎日コロナ、皇室問題、松山選手世界一など
  様々なニュースが流れますが
  昨日見たニュースに
  最初はびっくりし
  その後背筋がぞーっとする恐怖ににた
  衝撃を受けた報道がありました。

  それは
  政府が東京電力福島第一原発からでる
  放射性物質トリチウムを含む処理水の処分法を
  海洋放出する方針を認めたと言うもの。

  政府は
  安全面の周知をはじめとする対策に
  全力をあげると考えた上で表明したようだけど
  実際
  特殊な機器を使っても
  現在の技術力では
  トリチウムを取り除くことは難しいと言うのに
  本当に大丈夫?安全っていえるの?と
  疑問が頭の中を駆け巡る。

  そんな時
  著書「水の結晶」を描かれた江本勝さんの
  話を聞く機会があった。
  「水の結晶」とは
  水にありがとうなどの気持ちを伝えると
  綺麗な水の結晶の形になり
  反対に馬鹿野郎など汚い言葉をかけ続けたときの
  水の結晶はいわゆる哀れな姿の結晶になるというもの。

  そんな江本さんのもとに
  とある井戸水の結晶が届いた。

  それは
  1999年10月に茨城県東海村で起こった
  放射もれ事故をおこしたJCO研究所の
  すぐ側の井戸から
  汲まれた水でした。
  早速その水の結晶を見てみると
  無秩序な、とても綺麗とはいえない結晶の
  おぞましい形だったと報告されています。

  江本氏は
  結晶の形に影響を与えているのは
  波動エネルギーだと考えられています。
  愛に満ちた高い波動をかけられると
  美しい結晶の形になる。
  逆に憎しみなどの低いエネルギーの波動は
  おぞましい結晶にするのです。

  つまり
  放射線は低い波動エネルギーであること。
  その影響を受けた水は
  エネルギーが低くなっている。
  その水を海に流すということは
  海のもつ自浄力に期待をして
  海に放出するつもりなのでしょう。

  でも
  放射能の低い波動エネルギーをもった水は
  周りの水に
  共振という作用によって
  次第に低い波動を伝え
  それが次第に、周りの水へと伝わり・・・
  世界の海はつながっていますから
  ついには日本全体、世界全体に
  広がってしますことでしょう。

  地球は
  自身のからだ、自然が
  波動が低いままであることを
  指をくわえたままでいるはずはありません。
  原因を作ったことに対して
  ストップさせようとするでしょう。
  つまり
  更なる自然災害を起こすかもしれません。

  もう動き出しているので
  その動きをを止めることは
  難しいでしょう。

  どうすればいいのでしょう。

  江本氏は
  井戸水を綺麗にしました。
  それは
  波動機を使って
  高いエネルギーを送りました。
  それによって
  ダイヤモンドのような
  美しい結晶になったといっています。

  その高い波動とは
  「免疫力上昇」の波動でした。

  ですから
  人ひとりひとりが
  免疫力が上がった状態で
  みんなが水に接すれば
  みんなの高い波動の影響で
  水は綺麗になるのです。

  自分のからだを強くすることが
  地球を守ることになるのです。
  僕のやっている治療の目的は
  ひとりひとりの免疫力をあげること。
  僕がしていることは
  地球全体からみれば
  ほんのわずかなことかもしれないけど
  やがては大きな力になり
  地球を救うことにもつながると確信しました。

  みなさん
  一緒にご自身のためにも
  地球のためにも
  がんばっていきましょう。

  僕も頑張ります。
  今後とも
  よろしくお願いします。

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プラトンが語る病気

プラトンと言えば
  誰もが知っている古代ギリシャ時代の
  大哲学者で
  様々な現代人にも通じる英知を
  授けてくれて
  人間が今こうして発展してきたのも
  彼の考えや教えによるところも大きいと
  思います。

  そんなプラトンは
  病気のことについても
  お考えを残しておられます。
  そのひとつを今日はご紹介しようと思います。

  著書「法律」の中で
  病気について語っています。
  病気にも患者、医者には2つに階級に分けられると。

  つまり
  病気に心奪われて
  病気の奴隷として生きる人と
  病気になっても心は自由である人の
  2種類の患者さんがいると。

  医者も
  病気の奴隷になってる医者は
  走り回っている病気の奴隷の傷を治すために
  診療所で待って
  患者さんの個人的なことについて気にしたり
  不満に対してもきく耳を持とうとしない。
  そして
  自分の持ってる知識が
  絶対であるかのように
  自分の経験のみで、薬を処方し
  暴君のように命令を下すと
  また鼻高々に次の患者さんのところに行く。

  病気に自由な患者さんのかかる医者は
  自分自身も自由人の医者である。
  自由人な患者さんと
  色々お話をし、その話の中から
  患者さんの不調の原因を見つけ出す。
  患者さんだけでなく
  必要なら家族、友人とも真剣に話して
  情報を集め
  考えられるすべてのことを
  患者さんに伝えてくれるだろう。

  医学知識のみで語る医者は
  こんな生まれつきの体質や、性格など  
  ちょっと哲学的な話を患者さんとしているのを
  見ると
  心の底から笑うかもしれない。

  そんなこと
  どの論文、教科書にかいてあるんだ?
  エビデンスはどこにある・・・なんて
  言い出すかもしれない。

  でも、目の前の患者さんは
  なぜ病気になったかより
  今ある苦痛、不安をとってもらいたいと
  思って受診されます。

  病気だけを診てる医者は
  病気だけを治せば満足し
  患者さんもそれで満足だと思うんです。

  だけど、そのうち気がつくんですね。
  また、同じ病気になったとき
  同じ症状をくり返すうちに
  どうして、病気ばかりするんだろう?  
  本当の訳を知りたい
  病気から心から解放されたいと
  思い出すんです。

  例え、病気であっても
  安心と安らぎを感じる生き方
  心から自由でいきたいと
  思うことでしょう。
   
  僕も病気だけを治す医者でなく
  患者さんが病気であっても
  病気でなくても
  本当の病気の真意を探り 
  心安らかに生きられることを目指す
  僕自身も病気の奴隷でなく
  心自由な医師であり続け体と思います。
  
  人間は
  どんな時でも自由なんです。
  自由に生きなくてはいけないんです。

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