年別アーカイブ: 2021

毎日大切に生きるための5つの心の持ちよう

現代は
  コロナウイルスの出現により
  世の中は大きく変わってきて
  それに伴って
  生活も大きく変わってきていることを
  肌で感じます。

  特に変わってきたと感じるのは
  心のありよう
  物質中心の世界から
  精神、心を重視した世界に
  変わってきていることを
  肌で感じます。

  日々の診療を通じても
  健康に過ごすために
  心の健康を維持はとても大切だ
  とこれまで以上に感じるように
  なりました。

  健康に生きるための
  日々の心の持ちよう5つをご紹介します。

  1小さなことであっても
   感謝できる心をもちましょう
  
  2他人に対して鈍感にならないように
   自分以外に起こったことも
   人ごとではないのです。
   人にしたことは必ず、自分に戻ってきます。
   人を批判するのは簡単です。
  
  3自分を大事にしましょう。
   病気になってはじめて気づく
   自分を傷つけていたこと
   日頃から自分のこころの叫びに
   耳を傾けましょう

  4自分に対しての誠実性をなくしている
   自分を大事にしてますか?
   自分がやりたいこと、やらないといけないことを
   後回しにしてませんか?
   もっと、自分自身が喜ぶ生き方を
   していきましょう。

  5神聖なる物との絆を忘れていませんか?
   生きているのは
   ものや食べ物など豊かな物質による物だけだと
   思ってませんか?
   ご先祖様、自分の魂など
   目に見えない力に支えられていることを
   覚えておきましょう。

   目に見えない物にも
   目を向け、心を向けて
   本当の自分自身を大事にする生き方が
   これからの本当の生き方になると思うのです。

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コロナウイルスの時代だから今できることを

  コロナウイルスの勢いは
  世界的にも収まる気配はなく
  日本でも
  大阪、兵庫、宮城の他
  来週は東京、京都、沖縄でも
  コロナウイルスまん延防止法が適応され
  コロナウイルスのまん延を防ごうと
  誰もが必死になっています。

  そして
  僕の住んでいる山口県でも
  都会ほどではないものの
  毎日感染者が報告され
  この感染の時に
  一体何ができるか
  何をしないといけないかと
  考えることでしょう。

  僕も
  医療崩壊の危機を防ごうとする中
  直接的にコロナ患者さんを
  診ることは限られますが
  だからこそ
  日々何をしないといけないか
  考えています。

  医療従事者に関係なく
  みなさんもひとりひとり
  も同じ思いだと思います。

  今、この大変な時期に
  誰もが
  何かしないといけなくては
  何かできることはないかと
  様々なことを考えていることでしょう。

  実際困ってることは
  日本中、世界中どこにでもいらっしゃいます。
  そのにいって
  何か手助けしようと思うのは
  決して悪いことではありません。

  けれども
  あなたの僕の手助けを必要としてる方は
  コロナ患者さんではなく
  あなたのすぐ側で
  あなたの助けを待っています。
  そんなかたが
  すぐ側にいらっしゃることを
  自覚しないといけないと思います。

  僕の周りにも
  新型コロナウイルスにかかっている方
  ばかりでなく
  なんんらかの病気でお困りの方は
  コロナにかかっている患者さんの
  何倍ものかたがいらっしゃいます。

  そんな方に
  手を差し伸べることが
  僕がいまできること
  今しないといけないとこだと思います。

  今だからこそ、
  置かれた場所で咲く生き方を
  意識しないといけないなぁと思います。

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音楽の神様ミューズとともに

入院中は
  毎日4コマののリハビリが
  行われました。

  日曜日も祭日もなく
  休みの日がない
  まさに年中無休で
  毎日規則正しくリハビリしていました。

  朝6時には起床し
  朝食の前に牛乳が配られ
  8時前に朝ご飯
  9時からリハビリが始まるという
  規則正しい日々を過ごしました。

  昨年は入院中に
  コロナ感染の関係で
  世間では対応に追われていたようですが
  病院内は
  コロナ感染も関係なく
  淡々と、粛々と
  いつもと同じ入院生活が続けられました。

  どんなことがあっても
  リハビリが続けられることは
  とても有り難いことでしたが
  ある意味、単調な毎日にもなります。

  そんな時
  僕の心を和ませてくれたのは
  音楽でした、

  朝ご飯が終わって
  リハビリの始まる9時までの時間は
  僕だけの自由時間。
  僕がこの時間
  真東の窓際のソファに座り
  大きな窓から
  山の端から空に昇ってくる太陽の
  光、温かさを感じながら
  ラジオをつけて
  その時間流れてくるクラシック音楽を聴いて
  過ごすのが日課でした。

  からだ全体で太陽パワーを
  感じ、浴びて、吸収し
  耳からは心地よい音楽が流れ
  その時エネルギーを感じ時間が
  あったから
  リハビリも順調に進んだのだと思います。

  今思えば
  音楽の神様ミューズと
  過ごしていたのかもしれません。

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縄文時代は幸せな時代

  縄文時代というと
  どんな風に感じますか?
  動物の毛皮で作った服をまとって
  狩りをいそしみ
  焼いた肉を頬張っている姿を
  まさに
  はじめ人間ギャートルズのような
  世界を想像する人もいるでしょう。

  でも、実際は
  とてもしあわせな
  現代人が見習う点が多くあることが
  わかってきました。

  ある縄文時代の遺跡から
  小児麻痺になっていたと思える
  おとなの遺骨が見つかりました。
  
  これは
  医学の発達した現代でも
  小児麻痺のこどもを
  診断し、養育することは
  大変で、今でも社会全体の協力がかかせません。

  それが
  科学が未発達で
  多くの猛獣のような外敵に囲まれている縄文時代に
  小児麻痺のこどもを天寿全うするまで
  生き抜くことは大変だったと思います。

  しかし
  それができたと言うことは
  機械、知識など特別なものはなにもない時代
  存在したのは
  みんなで助け合いながら
  こどもたちを見守り、手を差し伸べる
  優しい気持ちではないでしょうか?

  また縄文時代は1万年ぐらい
  続いていたとも言われますが
  遺跡からは
  争った形跡が全くなく
  とても平和な時代であったとも考えられています。

  現代は
  物にあふれ、気候、周りの動植物を
  我が物のように支配してるかのように
  暮らしている人間社会。
  縄文時代よりも、明らかにめぐまた環境とも
  思えるけど
  我々は、しあわせを感じているでしょうか?

  コロナウイルスの出現は
  物にとらわれてしまった人の心を
  よき時代の心を
  取り戻すよう警告してる気がするのです。

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コロナウイルス感染症にならないために

新型コロナ感染症が
  まだまだ終息する気配はなく
  緊急事態宣言は終了したものの
  患者数は全国的に
  増加傾向にあり
  変異株の報告など
  ついに
  まん延防止法が適応される地域が出てきたり
  不安材料は増えるばかり。

  それを阻止するために
  ワクチン接種を期待するものの
  ワクチン不足などがあり
  不安解消の材料には至っていません。

  でも
  ここで冷静になって
  考えてみましょう。

  コロナ感染から防ぐのは
  ワクチンだけでしょうか?
  感染対策ができることは
  三密の回避、マスクの着用、手洗い、消毒
  しかないでしょうか?
  実はこれは感染しないための対策ですよね。
  
  コロナ感染症は
  確かに全世界中で多くの方が罹患し
  その数3000万人以上とも言われます。
  確かに全世界的パンデミックと言えます。
  でも、よく考えてみると
  そのうち、なくなった方は100万人以上おられ
  その方々には
  確かにどうかしていのちを助けてあげられなかったかと
  思います。
  しかし、その数、全感染者のうちの3%しかなく
  97%の方はいのちを助すかったんですね。

  そのほとんどが助かってるんですよね。
  ですから
  発症することばかりに 
  注目するのではなく
  なぜ発症しなかったことに
  注目すべきかと思います。

  発症しなかったのは
  己自身の免疫システのおかげ
  いわゆる
  自分自身の免疫力、すなわち自然治癒力の
  おかげではないでしょうか?

  ですから
  ワクチンだ
  他の人からワクチンをもらわないようにする
  感染対策も軽視はできませんが
  それと同時に、いやそれよりも
  自分自身のからだを整え
  自分の免疫力を整える生活を
  心がけないといけないと思うのです。

  そのために
   食生活を乱れないように
   睡眠や運動不足などの生活習慣の乱れ
   ストレスによる自律神経の乱れ
  をおこさにようにすることが大事になります。

  でも
  このような生活をしていると
  脳が疲れます、腸が弱り
  免疫力が破綻しています。

  でもからだはとても優秀で、
  過酷な状況におかれても
  必死でからだの状態を維持するために
  歯を食いしばって頑張ってくれるのが
  ご自身のからだなんです。

  ですから
  症状が出たり、免疫力が落ちたときは
  からだから緊急の赤信号が出ているときなんです。
  そうなる前に
  からだが黄色信号を発しているときに
  対応してあげれたら
  コロナにかかることも
  いや、病気になることもないでしょう。

  そんな時に、役立つのが
  当院ナチュラルメディカルセンターで行ってる
  未病健診です。

  コロナと共に生きていく時代だからこそ
  役立っていただけると思ってます

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難しかったことは今でも難しい

小さい頃の思いでの中
  今も思い出すのは
  年中さんの頃でしょうか
  ひとりでお着替えをすることを覚え
  母に
  着ていくものを出してもらって
  ひとりで、誰の手も借りずに
  着替えをするのですが
  難しいのは
  カッターシャツを着るとき
  ボタンを留めるときでした。

  目のボタンを留めて、
  次は袖のボタン。
  まず左の袖を
  片手の指だけを使って
  留めるのですが
  前のボタンを留める時より
  片手だけで留めるので
  難易度も上がって
  少々緊張しましたが
  利き手の右手だったので
  少し時間がかかっても
  指先を器用に使って
  いつもきちんと留められました。

  そして問題なのは
  次の右手の袖のボタン。
  これが難しいかった。
  不器用な左手だけを使い
  ボタンを穴に入れて
  押し込んで、少し持ち上げて
  ボタンの穴に固定する。
  これが、幼いときも
  時間をかけてもうまくいかず
  ついに母に泣きついて
  ボタンをあっという間に
  留めてもらったことを
  今も思い出します。

  というのは
  今も左手が病気の影響で
  以前より動き悪いのです。
  ですから
  今でも右袖のボタンを留めるとき
  とても緊張します。

  指先に感覚を込めて
  穴を探り、指先で穴にボタンを押し込み
  ボタンのお尻を少し持ち上げて
  更に押し出すようにして
  ボタンの全体を穴から外に押し出すのです。
  病気の後もとても難しさを感じてますが
  多少左袖よりも時間かかりますが
  ひとりでボタンを留めることができています。

  
  今は感覚的でなく
  左手の動きを頭で理解しながら
  動かして
  ボタンを留めています。
  左手の袖のボタンを留めるだけでも
  とても複雑な作業なんですね。
  それが
  今できるようになったのは
  リハビリのおかげでもありますが
  ふと
  幼いとき、母に着替えを手伝ってもらった
  記憶が蘇ったとき
  昔から(幼いとき、生まれたときから)
  今の状態を想定して
  生まれて来てたんじゃないのか?
  ずっと、左手の不器用さに合わせて
  生きていけるように対応して生きていたのかも?
  と思うのです。
  
  生まれ持っている肉体の状態、力には
  全て何らかの意味があるような気がするのです。

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桜の花の下で

  今週末は雨が降り
  雨が上がると
  今まであれだけ花一杯満開だった桜が
  若葉の姿になっていました。

  今年も桜が満開の姿を
  みせてくれました
  そして、雨が色んなことを
  浄化してくれた気がします。

  思い返せば、去年も
  桜が咲く春を心待ちにして
  桜の花をいっぱい、満足するまで
  観ることができました。

  今年も
  例年よりも早い開花で
  満開が近づいた日に
  大雨が降ったけど
  そんな大風、大雨に負けることなく
  その後も満開の姿を
  みせてくれました。

  そんな桜の姿を見て
  桜の花は
  雨が降るから、風が吹くから
  散るわけじゃない
  雨にも、風にも負けない力がある。
  桜の花は咲くのも、散るのも
  自分で決めている。

  そこに
  桜の、そして自然の、宇宙からの
  大きな力を感じるのです。
  人にも、木にも、動物にも
  全ての自然にみなぎっている
  生命の力があるのです。
  その生命の力に気づき、その存在を伝えることが
  医者を含めた科学者の役割ではないでしょうか。

  植物学者レイチェル・カーゾン氏が
  著書「センス・オブ・ワンダー」で
  生命の探求は
  自然の中の美しさを発見、感動する心をもつ
  その不思議に感動する心をもつこと。
  自然、生命、宇宙を愛する心から
  生命への探求がはじまる。
  と、仰ってるように
  自然のもつ美しさに感動し
  人のもつ力強さに感激し
  そうすることで
  今生きていけてることを喜び、感謝する気持ちが
  芽生えることで
  生命への探究心が始まるのです。

  今生きていて
  目にする、耳にする、心から感じる思いを
  大切に生きていくことが
  何をするにもとても大事なことだと
  満開の桜の花が教えてくれて
  来年の春会えるまでの僕の成長を楽しみに
  今年の桜の花は
  散って行かれました。

  桜さん
  今年もありがとうございました。
  来年もお会いできるの楽しみに
  僕もまた頑張ります。

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人が煩悩をもってるわけ

  人は
  肉体をもってこの世に生まれてきた。
  肉体を持って生まれてきたため
  生きるために
  食べたり、眠ったり
  自分以外の人たちの結びつきの中で
  日々過ごすことが
  必要となりました。

  必要なことなのですが
  悪い面にもなるとこが
  指摘されています。

  それが
  貪欲、怒り、愚痴と言われる
  3つの煩悩です。

  貪欲なのは
  がむしゃらに
  生きる糧を求めていないと
  生命を維持できないから。

  怒りは
  困ったことなど
  自分のエネルギーの足を引っ張ることが
  起きたときに
  その負のエネルギーに負けない力が
  怒りとなって顕れます。

  そして
  現状に満足するだけでは
  生きていけないことが起こったとき
  現状を振り返ることができなければ
  その後改善することができません。
  ですから
  愚痴も生きるためには
  必要なことなんです。

  ですから
  貪欲に目的に向かって生きること
  前進するために
  怒りのエネルギーを推進力に変え
  現状をかえるために
  愚痴のエネルギーをもつこと。
  どれも
  生きていくために必要なことだと思いませんか?

  この気持ちがないと
  僕たち人間は生きていけないのです。

  それなら、なぜ?
  仏教では3つの煩悩といって
  戒めているのでしょうか?

  その理由を
  僕は、こう考えるんです。

  生きていくために必要な煩悩でも
  使い方によっては悪になる。
  それが、必要な物か、煩悩のなるかは
  我々人間しだい。
  つまり
  煩悩ならないために
  人は理性をもたされたのだと思います。

  煩悩の使い方を学ぶために
  知恵、理性をもつ人として
  僕たちは生まれてきたのです。

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メタトロンとは

  サンタキッズ&ファミリークリニックでは
  西洋医学を中心に現代医療を中心に
  診療をしていますが
  それとは別に
  ナチュラルメディカルセンターで
  これまでの医療とは全く
  意を異なる医療を行っています。

  ナチュラルメディカルセンターでも診療を開始し
  2年半が過ぎましたが
  同様の医療を行ってる医師は
  それほどいなく
  ある意味手探りではじめた医療。
  きっと
  緒方洪庵先生などの
  歴史に名を残す先生方がそうであったように
  医療そのものより
  患者さんから教えてもらうことも多かったと思います。

  メタトロンを使った
  いわゆる波動医療も、僕自身も
  日々わかったこと、進歩、進化
  して行ってます。
  ここでの医療について
  今日は少しお話したいと思います。

  メタトロンを行うと
  からだの様々な部位
  臓器から、細胞、染色体、遺伝子までの
  エネルギーの低下
  すなわち自然治癒力がどれくらいあるかが
  わかります。

  自然治癒力とは
  からだが元々もっている
  病気にならない、病気に負けない力とも
  いえますが
  この力が低下していると
  病気になってしまいます。

  でも
  急に病気になるわけではなく
  健康な状態から
  徐々に治癒力が落ちて
  自力での回復が認められなくなると
  自ら症状をだし
  薬、手術などの治療が必要な状態となり
  その時点になると
  人々は病院を受診をし、治療が始まると
  考えます。

  でも、実際は
  医学の力を借りずに
  自力で治そうとからだは
  免疫力、神経など持てる力を総動員して
  元気で暮らせるように
  まさにからだをはって
  僕たちを守ってくれているのです。

  僕たちは
  自分のからだであっても
  実際、からだがどのような状態で
  どのようにからだを守ってるか
  知らないで過ごしてます。

  知らなくてもいいのかもしれないですが
  からだが頑張っていることを
  気付いてあげると
  からだも喜んであなたを支えてくれます。
  
  そのことを
  気づいてもらえる
  わかってもらえると
  誰でもうれしいですよね
  それが人情というものですよね。

  からだが頑張っていることに気づき
  頑張っていることに
  感謝の気持ちを伝えることが
  メタトロンの役割です。

  最近はやりのことばでいうと
  自然治癒力を上げる
  自己免疫力を上げる
  自分のからだの内なる声を聞く
  と言うことになるのでしょうね。

  ナチュラルメディカルセンターでは
  あなたの内なる声を聞く
  新しい医療をこれからも更に進めていきます。

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河井克之元法相の懺悔に思う

河井克之元法相が
  参議院選広島選挙区をめぐり  
  100人n約2900万円を使い
  買収したととして
  公選法違反の罪に問われている
  ことはみなさんご存じのことと思います。

  最初は罪を認めず
  無実を争う姿勢であった氏だが
  290日を越える拘束期間の後
  最近になって
  「信頼を裏切り万死に値する」と
  罪を大筋を認められ
  議員辞職を決断された氏。

  氏の動向と主に
  発言された氏の
  心の動きに沿った素直の言葉に
  人間の弱さ、でも
  真実に気づくことの大切を
  教えてもらっている気がして
  このブログにあえて描かせていただきます。

  
  氏は自分の行動を振り返って
  「お金で人の心を買えると思っていた
   自らの品性の下劣さに恥じるばかりです」と
  本当に心から反省した人の生の声だと思います。
  心は物によって失うこともあるという
  お金の危険な面を教えてくれました。

  また妻案里氏に対して
  後悔の念を次のように語っています。

  「彼女は
   参議院として国民に尽くすことができると
   夢と希望を膨らませていました。
   夫であるわたしの行為によって
   政治精米を経ってしまった」と。
    
  愛は人をしあわせにする大切な感情だけど
  そんな愛でも人を傷つけてしまう
  こともあるのです。

  氏の行動の発端は
  妻案里氏への愛に対する
  ちょっと曲がった行動だったのでしょう。
  
  自分にも、みなさんにも
  自分本位の愛が
  行動の源になっていることはないでしょうか?
  
  氏の心を変えたのは
  ずっと心の指導者であった
  牧師さんの言葉です。
  「自分の内面に誠実に向き合って下さい」と。
  
  自分の内面?って
  きっと、なぜこの世に生まれてきたのか?
  魂に刻まれている生まれてきた使命
  今ここにいる意味
  魂について考えなさいということだったんだ
  と思います。

  氏は
  心から懺悔して
  大切な物を気づかされたのだと思います。

  そして
  氏のした行動は
  罪のあることだけど
  氏のこうした行動が報道されたことで
  僕をはじめ
  多くのかたが様々なことに気づかされた人も
  多いと思います。

  これが
  魂からの選挙活動だった
  彼の使命だったような気がします。

  彼は
  人の前に現ることもなくても
  バッチがなくても
  この世のための政治活動をされる
  かもしれません。

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