年別アーカイブ: 2021
心の道を育てるには
オリンピック開幕まで
あと半年をきった時期に
森JOC会長が女性蔑視発言で
会長交代するゴタゴタと見える
問題がでてきた。
女性蔑視だけでなく
人を差別することは
決して良くないこと。
だけど
今回の問題に対して
人々の動きを見て
自分の考えを正義として
それを刀にして
戦う姿も、見え隠れして
その姿に恐ろしさを感じたりした。
正しいと思うことを信じて
それを見失わずに行動すること
これは勇気ある尊い行動だと思う。
ただ、その時
正義をふりかざすあまり
自分の考えを固持するあまりの
行動になっていないか
気をつけないといけないと思う。
自分の正義に固持するあまり
自分と異なる意見の人のことを
広く見ようとしてないだろうか?
相手のことも深く考えてるだろうか?
自分の今の行動を反省をもうけいれられる
柔らかな気持ちでいるだろうか?
自分の考えに反対する人
まるで敵のような目でみ
憎み、排斥しようとしてないか
自分自信を見つめることって
とても大事なことだと思う。
相手の反対意見であっても
楽しく聞き。その上で
自分の考えを相手に充分に説く。
反対意見中に、実は
自分の気づかなかったことを
学べるかもしれない。
ここにも
自分を育てられる
一つの道がある。
自分の意見と反対の意見。
この2つを貴見合わせ、
見事に組み合わさったときに
これまで考えられなかったような
新しい考えが生まれ
新たな心の道が生まれるのだと思う。
東京オリンピックの開催が
新しく開かれた心の道となることを
願っています。
診察室は祈りの場
診察の方法には
視診、聴診、触診、打診、舌診、脈診など
様々在りますが
誰にも必ず行っている診察法は、問診。
つまり、診察中は
必ず患者さんやお母さんなどご家族の方と
お話をします。
患者さんの今の状態悩みを聴いたり、
状態を把握したり
また、お伝えしたいことをお話します。
この時、心がけていることがあります。
それは
自分の発する言葉に
患者さんに良くなってもらいたい
豊かな人生を過ごしてもらいたいと
診察語に患者さんにいい人生が届くように
願いを込めてお話しています。
そんな気持ちをもって
お話すると
口下手な僕でも
不思議と思いが伝わるのか
患者さんは笑顔でうなずきながら
診察室を出て行かれます。
日本語には
言霊が実際あるんだと
実感しますし
最近は、診察室の言葉は
”祈り”なんだと思い
患者さんのしあわせを願って
お話しています。
マザーテレサが
こんな風に語った言葉があります。
「思いやりのある行為への
もっとも確かな近道は
言葉を使うことです。
他人へのよいことのために
言葉を使いましょう。
もしあなたが、人のことをよく考えるならば
人についても
よく話すようになるでしょう。」
言葉は祈り
特に診察室で使う言葉は
患者さんに対する祈りだと思ってます。
今日も、あなたのしあわせを願って
心こめて診察し、祈ります
病気はからだのサイン
からだは、
症状を通して
様々なことを伝えようとしています。
例えば、湿疹。
湿疹は赤くなったり、
かゆみを伴うと不快であり、
誰の見てもその存在がわかるので、
湿疹を抑えようとステロイド剤を塗ったり、
アレルギー薬を飲んで
症状、発疹を抑えようとします、
幸いなことに
今はいい薬も多いので
あっという間に湿疹は消えてなくなります。
でも、すぐまた再発します。
これは塗り薬や飲み薬が
症状を一瞬奥に追いやっただけで、
湿疹の原因が解消されていないからなのです。
湿疹は
からだの奥に潜んでる障害、
いわゆる毒の存在を伝えてるのです。
ですから
皮膚だけよくなっても、
からだの奥にまだ潜んでる毒を
消し去らなければ治ったとはいえず、
またくり返してしまうのです。
皮膚の疾患であっても
皮膚だけでなく、からだ全体をくまなく診て、
からだからの内なる声を聴いて、
治療してはじめて完全に治癒するのです。
当院ではからだの声をお伝えする
医療を行っています。
誰にもある宇宙からの力、それは潜在能力
西洋医学と東洋医学とでは
考え方が大きく異なります。
そのちがいをひと言で表せば
西洋医学は肉体という目に見える物が対象
東洋医学はエネルギーのように
目に見えない力を対象にした医学です。
ですから
どちらも大切ですが
決して相容れない世界でした。
でも
最近、西洋で発展した
物理学が東洋医学の世界を実証しようとしています。
シュレディンガー、ハイゼルベルグといった
量子物理学の大家といわれる科学者が
インド哲学の源流であるヴェーダ哲学に傾倒して
研究していたことは有名です。
「凡我一如」をはじめとする原理が
量子論を考える上で
影響を受けたとも述べられています。
つまり
「梵」とは宇宙を支配する原理を意味し
「我」は個人を支配する原理で
この「梵」と「我」が同一であることを
知ることにより
永遠の至福に達するという考えです。
これは
人間は宇宙からのエネルギーをうけて
生きている。
この自分の中にある宇宙の力は
目に診ることはできないけど
確かに体内にあり
この本来持っている宇宙からの力を感じ
生かして生きることができ、発揮するば
もっと、もっと己の力を
発揮し、目覚めれば
今よりも、ずっと、ずっと大きな生き方
仕事ができるはずです。
別にこの力は
インド医学の哲学で言われた
難しい言葉「梵我一如」でなく
最近、若者の間の労力開発などで
よく言われる
「潜在能力」と同意義です。
宇宙からうけた
あなたの中にある力
いわゆる「潜在能力」を生かす生き方が
からだにも、心にも大切だってことですね。
小児科専門医としてどう生きるか?
小児科医としてのスタートを
九大病院小児科学教室ではじめ
医師として、小児科医として
どう生きるべきなのか?
こどもたちの病と向き合うこと
いのちとは
何であるかを
諸先輩方に
文字通り
手取り足取り
一から教えていただきました。
この医師としての基礎を
作る4年間は
医師としての技術を学ぶ以上に
人間としてどう生きるべきかなど
今にも通じている
とても大切なことを教えていただいた
今振り返っても
その時仕事として
苦しいこと、悲しいこともありましたが
その時の全ての時間が
僕の今の血や肉になっていることは
間違いないです。
そんな医師としての
手ほどきを受けた4年間を過ごし
その後医師として
自分の力で生きていく
医師として独り立ちする
第一歩を踏み出します。
その時に、通常
小児科医のとして生きていくか
どんな小児科医になるか
病気のスペシャリストの道を選択します。
例えば、神経、アレルギー、循環器、消化器官
感染症、新生児など・・・
スペシャリストを決めることを迫られます。
僕は、血液腫瘍疾患を専門にしようと
それまで自分で決めていましたが
どの専門分野にも属することはしませんでした。
この時
色んな決め方があります
自分で宣言する、先輩小児科医師から勧められてなど
色んな状況は在りますが
グループを決めないのは
結婚を決めた女医さんぐらいでした。
僕も
自分の気持ちとは裏腹に
専門分野は持ちませんでした。
直属の指導医というのがいないという
孤独な面を感じることがありましたが
気がつくと
専門グループに属さないので
医局からしたら移動させやすい
何でも屋の医師の道を歩くことになりました。
あれ。なんで僕だけ
専門グループに引っ張られないのか?
無能とおもわれたのか?なんて卑下して考えることも
在りました。
でも
今までの僕の進んできた医師、医学の道
この時に
僕を縛ることなく、自由にできる道を
選ばせてくれたんだと思います。
だから、自分で考え、判断し
開業しました。
これまで、必要だと感じた医療を
自分の意志で取り入れました。
主流でない漢方医学を診療に取り入れたり
波動医学を取り入れたり
これからは
肉体だけではなく
魂の医学を取り入れ
これまでの医学の足りないと考える部分を
生き方をみなさんに伝える
医師の道(医道)を開こうと思っています。
しがらみ
これまでの医学に縛られないように
自分の目指す医道を切り開きやすいよう
用意された道なんだと思います。
だから
今の道をこのまま進んで行けばいいのだと思います。
これから僕は
真実の医療を示す医師として
新たなMedical Spaceを
みんなと生きて行きたいと思います。
真の平等の世界とは
緊急事態宣言発令され
飲食店の時短営業を要請され
支援金が準備されましたが
十分だ、全く足りないなど
様々な声が出ているようです。
自粛生活を呼びかける中
皆が今までの同じような
誰でも満足できる生活に戻るのは
知恵を絞っても
中々答えが見つからない
大問題だと思います。
きっと
文句が出てしまうのは
誰でも”平等”に暮らす権利があるから
と考えるからではないでしょうか?
でも
僕は、現代の資本主義がベースになった
平等に囚われているからでは
ないからじゃないでしょうか?
僕が考える
これまでのいい時代、平和な時代は
縄文時代だと思います。
縄文時代は
1万年ぐらい続いたと考えられ
戦った痕跡が全くなく
とても平和な時代だったと
考えられます。
そこに
本当の平等があったのだと思います。
縄文時代には
「人間はこうあるべき」という
意識がなく
「こうするとしあわせで
そうでないとしあわせでない」
という考えもなかったといいます。
その時代は
狩猟生活が主でした。
獲物や木の実がとれればラッキー
とれなくても
時期が来ればとれると思ってたし
その時お隣の村には
食料があったとしても
自分には今食料がないのはしかたが無いこと
いずれまた食料がとれるだろうと
考えてました。
同じ村の中でも
決して平等に食べていたわけではなく
からだの大きい人
力仕事をしている人は、たくさん食べて
力仕事をしない人、こどもやからだの小さい人は
少なく食べてしたようです。
これを誰もが不平等のこととは考えず
自然なことと考えたので
決して争うことはなかったのでしょう。
それに比べて、現代社会では
基本的人権が保障され、なおかつ平等であるべきと
考えが中心になっています。
「平等」で在るべきだという
主義主張がひとり歩きし
「誰もが食べれるように」とか
「仕事しないで、お金が入るように」とか
「ひとりでも生きていけるように」と考え
自分ひとりのことを考えるあまり
自分以外も、周りも、地域も、国も、そして地球全体を
考えることも疎かになっていないでしょうか?
「平等」をかがげながらも
自分と他人を比べてしまい
「あの人はもっているのに
なぜ自分はもっていない」
自分と考えが合わなければ
その人を攻撃したり・・・・
人を許すという思いを忘れ
本当の平等の気持ちを自ら放棄して
しまう危険がある上で暮らしていることを
忘れてはいけないと思う。
本当の平等とは
物質的なところにはないような
気がしてならないのです
誓い~サンタ10周年を迎えて~
2/14は世の中では
バレンタインデーで
誰もが愛を遠慮することなく
できる日。
世の中が
チョコレートの甘さのように
愛の波動にあふれる日。
10年前の2009年に
サンタキッズ&ファミリークリニックは生まれた。
それから10年経った
サンタにも、世の中にも
忘れられないいろいろな出来事があった。
開院の年の3月
今でも人々の心に大きく刻まれている
東日本大震災が起こった。
その時から
人々の心は明らかに動きはじめた気がした。
真実の道を求めだした気がする。
サンタでも・・・
真実の医療を求めて動き出した
その手かがりを見つけ、形にした
ナチュラルメディカルセンターでの医療で
メタトロンを中心とした波動療法を
はじめました。
それから
昨年は僕も病をして
大きな様々な気づきをいただきました。
それが
これからのサンタクリニック、ナチュラルセンターの
進むべく道を
勧めてくれています。
それをいかに形にして
みなさんにそして後世の子孫に伝えていくかが
僕の使命のような気がします。
そんな思いで
11年目をスタートしました。
これからも
多くの人の健康でしあわせな道を
歩けるお手伝いができますように
それが僕の使命なんだと思います
。
そんな日に、マザーテレサから
「心配しなくていい」という
言葉をいただきました。
神様ありがとうございます。
神様のお導きのまま、思し召しのままに
これから進んでいくことを誓います
マザーテレサからの言葉
マザーテレサの日々のことば
という本の
たまたま読んだ2/4の項。
個人的にドキッとしてしまった。
お医者さま宛に送られた言葉が
マザーテレサが医者に語られるというか
僕自身に語られたような気がして・・・
自分の心に留めるために
紹介させて下さい。
お医者さま方へ
わたしはあなた方に
特別な愛を持っています。
あなた方のお仕事は、
単なる専門職ではなく
まさに、神から与えられた天職です。
神はあなたを
特別な計画をもって
お選びになったのです。
お医者様であるということは
苦しんでるひとりひとりの中に
おられる神自身に触れることです
この言葉を知ったのは
2月4日の節分の日。
節分は、節目の年で
今日から本当の新しい年が始まる
だから厄払いをする。
新年より大事なのは
節分であると聞いたことがある。
つまり
2/4が本当の新年だと言うこと、
その時に
自分は、神様に
これから歩む道を示してもらったのだと思う。
今、
この言葉にあったのは
単なる偶然ではないと思う。
僕にも
新しい年が始まる。
コロナ後の世界
医学の世界も
これまでの常識とは異なる
真実な面が明かされる。
診療自体も変わってくる。
これからの
医師の姿、自分の進むべき道を
示してくれたこのマザーテレサの言葉を
胸に止め。
真実の医療の道
新医学の道を歩んで行こうと思う
コロナウイルス流行の意味~コロナウイルスは何を伝えたいのか~
コロナウイルスが世界に蔓延して
優に1年が過ぎ
まだまだ、どの時点で流行が収まるかも
めどがつかない状況。
スペイン風邪も3年は続いた
なら
この状況はまだまだ続くと思う。
このまま
自粛生活が続き
僕たちの生活も変わった。
いつになったら
流行前の状況に戻るかと
予想する方もいらっしゃるが
僕は
全くコロナ前と同じ状態には
戻らない気がするし
戻ってはいけない気もする。
戻ってはいけない状況に
人も、自然も、地球も、宇宙も
なってるから
コロナウイルスが誕生した気がして
その思いは
日に日に強くなっている。
世界のいろいろな状況をみると
この一年で
良くなった面もあることに気づいた。
①社会活動が一事停止したことで起こったこと
大気汚染が軽減し、中国ではスモッグがとれ
海や川も綺麗に成り、ガンジス川も透明になり
ヒマラヤ山の頂、稜線がくっきり見えるように
なったとか。
②仕事面
テレワーク推進など、仕事の見直しによって
無駄な会議や出張、接待がすすんだことで
時間のゆとりができた人が多いのでは?
メタトロンでも
からだの改善してる人が増え
ストレスの少ない生活をしている人が
増えてきている印象をうけます
③家庭生活
家で過ごす時間
食事をしたり、こどもと過ごす時間が
増えた、これまでできなかった
家族中心の生活へとシフトしてきている。
④医療面
病院は必要な人に確実医療を
提供する場になってはいけないという
意識が高まり
以前のようにタクシー代わりに救急車を利用すること
コンビニ感覚で
救急病院を利用することが減ったとも言われています。
⑤そして3密さえも
3密が叫ばれたことで
人とふれあう機会が減ったことで
人とのふれあいの
大切さに改めて気づくきっかけに
なった気もします。
コロナ禍と叫ばれる仲
コロナウイルスの意図
コロナウイルスが示す世界はなんなのかを
気づかないといけない
のかもしれません
会うべくして会った
ノーベル医学賞を受賞された山中伸弥先生と
日本を代表するラグビー選手であった平尾誠二さん
が会うべくしてあった
ソウルメイトであったことを知りました
平尾誠二さんは
数年前に癌を患われ
2016年に53歳の若さで他界され
その時
山中先生とお知り合いだったことを知り
二人の関係は深く知らず
偉大な医学者が友人で
どんなに心強かっただろうなぁと
思っていました。
そして今年になって
図書館で山中先生が
平尾選手との出会い、別れを綴られた本を読み
また
山中先生が平尾選手とのことを語った
テレビの特集を観て
二人がソウルメイト(心の友)
魂の絆で結ばれていることを
知りました。
二人のお付き合いは
6年間ほどしかなかったようで
最初は雑誌の対談の出会いで
その時意気投合して
その後プライベートで
食事やゴルフをしたり
家族ぐるみでのお付き合いをしていたそうです。
そして
平尾選手は癌を発病し
最後の1年は病を共に闘った
同志のようであったようです。
平尾選手は
山中先生に絶対的な信頼をよせ
二人でスクラムを組んで
世界で誰も試みていない治療にも
チャレンジされたようですが
「まだまだ、やるぞ」という言葉を残して
光の世界へ旅立たれたそうです。
もっと
一緒にいたかったと思います
治せなかった
医者としての無念さもあったでしょう。
でも
平尾選手は旅立ってかれたのです。
僕は死は、肉体が滅びるだけで
魂は残っていると思っています。
平尾選手は癌で亡くなったけど
実は癌で亡くなったのではなくて
亡くなる運命だったんだと思います。
こんな風に今生の人生を閉じたのは
山中先生と濃密に過ごすためだったのかな?
医学者である今生の山中先生に
医者である経験を教えるために生きたのかな?
なんて
偉大な二人には怒られそうですが
生まれる前から
二人でそう決めてたんじゃないかなぁ
と思いました。
僕も
多くの友との出会いと別れをくり返しています。
相手がなくなった別れはほとんどありません。
人生を歩いてる内に
いつの間にか疎遠になり
別れたような状態になっているのです。
別れと出会いをくり返すのは
僕たちが波動の世界を生きているから起こることです
自身の波動が異なると
生きている場所が異なってしまい
今までのように交流できなくなるのです。
波動の異なる世界に行く
次元の異なる世界に行く
それが一番わかりやすいのは
生死による別れではないでしょうか?
でも実際
死ななくても
出会いと別れは
日常生活でもくり返されているのです。
例えば
今まであれだけ仲が良かったのに
いつのまにか
疎遠になるってことってないですか?
僕も
自分に人生の転機が来る度に
なぜか自然に出会いと別れがくり返されました
当時仲が良くても二度と会ってない人もいます。
別にけんかしたわけではないけど・・・・
疎遠になるのです。
僕の無精な面もあるのでしょうが
まるで存在がなくなるのです。
また新しい出会いが生まれ
今も
僕を大きく成長させてくれる方と出会っています
別れた方とも
10年以上経って、忘れた頃に
ひょっこり連絡先がわかったりするから
不思議なんですよね。
実際会わなくても
存在を確認しただけで
ほっとするんですよね。
そして、当時を思い出すんですよね
それでいいと思う。
それはきっと、
魂が通じているってことだと思うんです
人との出会いって不思議です。
でも、言えることは
みんな会うべくして会ってるんですね。
出会ってる瞬間を大切に