年別アーカイブ: 2021
鈍重な巨人あらわる
リハビリ専門病院に転医して
土曜も、日曜日もなく
休むことなく
毎日4コマのリハビリをくり返す毎日。
リハビリは
機能の回復を単にするだけが目的でなく
リハビリを通して
自分の中に住んでいる
存在に気づき、
一緒に生きていくことに
目覚めていくことなんだと思う。
そういえば
脳梗塞発症後のリハビリを続けられていた
免疫学者の多田富雄先生は
もうひとりの自分を
「鈍重な巨人」と表現され
次のように書き残している。
わたしの手足の麻痺は
脳の神経細胞の死によるもので
決して元に戻らないことぐらいのことは
よく理解していた。
麻痺とともに、何かが消え去るのだ。
普通の意味で回復なんてありえない。
もし、機能が回復するとしたら
元通りに
神経が再生したからではない。
あらたに創り出された物だ。
もし声を取り戻しても
それはわたしの声だろうか?
一歩踏み出せたら
それは失われたわたしの足を借りて
何者かが歩き始めたのだ。
もし、右手が動いて何かを掴んだとしたら
それはわたしではない
何者かが掴むのだ。
得体の知れない
何かが生まれている。
もしそうだとしたら
そいつに会ってやろう。
わたしは新しく生まれ変わるのだ。
あたらしいものよ、早く目覚めよ。
今は弱々しく鈍重だが
彼は無限の可能性を秘めて
わたしの中に胎動しているように感じた。
わたしには彼が
沈黙している巨人のように思われた
・・・・と綴られている。
僕も多田先生のように思う。
リハビリは
新しい自分が目覚め
自分に生きる力を与えてくれる
大きな力を感じた。
大きな大きな存在
それを
僕は心の中にいる神なんだと思った。
コロナウイルスの住みにくい世界への変換なるか?
アメリカの大統領が
トランプ氏からバイデン氏に変わりました。
アメリカがどのように変わり
それが今後の世界に
どんな影響を及ぼすか
とても重要な出来事だと思います。
注目しているのは人間だけでなく
コロナウイルス自体も
どんな世界になていくかが
自分自身も生き残るか、消滅するかの
運命を左右しているので
戦々恐々として成り行きをみている気がします。
コロナウイルスは
我々に二極化の生き方を迫っているのです。
二極化とは
愛にあふれた世界で生きるか
怖れ、おののきながら生きていくか
という選択です。
愛にあふれた世界では
喜び、感謝、自由、情熱、受容、真実
許し、創造
逆に
怖れの感情とは
不安、わがまま、制限、無関心、拒否
虚偽、憎しみ、分離、破壊
です。
感情には波動があり
愛の波動は高く、恐れの波動は低いのです。
コロナウイルスは
怖れの波動の中でしか生きられないと言われています。
ですから
コロナウイルスのニュースをみると
不安な気持ちがあふれませんか?
人々の生活をみると
制限、拒否、分離、わがまま・・・などの感情が
高まってきてませんか?
今の世界は
コロナウイルスの好む世界に
どんどん向かっています。
そしてこの時期での
バイデン大統領就任は
この状態を打破するキーマン
になって欲しいです。
というのは
バイデン大統領が大統領就任演説で
何度も発言した言葉
「統合unity」。
この言葉は
愛の世界を表す言葉です。
大統領が愛の世界を作るように
愛の力を発揮されれ
unityの世界が広がっていけば
きっとコロナウイルスも収束し
平和な世界に進むでしょう。
顔に自身をもつ
最近僕を
ここまで育ててくれたと言っても
過言でもない家が
第二の人生を歩むことになりました。
写真などに記録できないほどの
家族全員の毎日を
温かく見守ってくれた家、土地。
僕の今があるのは
育った家のおかげです。
本当に感謝の気持ちです。
そして
土地、家にも
次のお役目があるのでしょう
新しいご家族を温かく見守る
役割を果たすことになったことで
きっと喜んで居るような気がします。
感謝の気持ちを持って
笑顔でお別れすることにしました。
僕の人生。特に前半の人生を
親と同じように
見守ってくれた家ですが
僕の成長する姿をどう見てたのでしょうか?
多くの名言を残している
ココ・シャネルが
「20歳の顔は、自然がくれたもの。
30歳の顔は、あなたの生活が。
50歳の顔は、あなた自身の価値が現れる」
と言っています。
今の顔をみて、どう思ってくれているでしょう。
病気をしたのも
僕は、自分の使命?役割?と言うような
自分のこれからの道を
示してくれていたと思っています。
だから
ココ・シャネルの言葉を借りると
きっと今の顔は
これまでの顔とはちがうはず。
僕の育った家は
そんな僕の今の顔を見て
「これから、ひとりで大丈夫だね」と
安心して、次の家族の守り神に
なってくれている気がするのです。
実家の家、土地の神様
家族はみんなしあわせに暮らして
それぞれの道を歩んでます。
今があるのは
神様に育てていただいた時間のおかげです。
本当にありがとうございました。
希望が力になる
病気の時や落ち込んでいるときに
応援されたり、励ましてもらうことは
とてもうれしいし、励みにもなります。
入院中、いろんな言葉をいただきました。
特に力になったのは
はやく良くなりますよ。
元のように元気になると信じてますよ・・・
みんな待ってますよ
なんて言われる希望の言葉でした。
そう客観的にみてそう思うのだったら
きっとそうなるに違いないと
単純な僕は
言葉を信じて頑張れました。
頑張れなどの現状のことよりも
不安な未来に
少しでも希望を描ける言葉が
力になりました。
入院すると
お見舞いを・・・と心配して下さいましたが
僕の性格から
わざわざ来てもらうのは
気を使わせるし、時間もとらせて迷惑だろうし
自分も強がってしまうし・・・など
自分勝手な理由から
お見舞いは基本全て断っていました。
それでも
突然来て下さる方はいらっしゃいました。
恩師の大学の教授や先輩
友人
入院の情報は伝えないようにしていましたが
必死で探してお見舞いに来ていただきました。
実際に会えて
直接言葉をかけていただいて
それは、それは
涙が出そうなほどうれしかったのを
今でも覚えています。
でも中には面会をお断りすると
礼を尽くそうとして
お見舞いに行くのが義務のように
残念がるかたもいらっしゃいました。
お気持ちにお応えできなくて
その方には、
本当に申し訳ない気持ちです。
ごめんなさい。
でも、実際会えなくても
今は色んなコミュニケーション手段があります。
メールに、ラインに、メッセージにそして手紙を使って
お言葉をいただきました。
その文面、言葉だけなのに
その方の心の温かさを
感じてジーンとすることばかりでした。
人の言葉、特に日本語は
自分の気持ちを言葉に載せて
届けることができるんだと実感しました。
そんな入院していた時の
ことを振り返ると
今があるのは
自分が頑張ったからではなく
みなさんから届けてもらった
みなさんと描いた未来の時間。
みなさんと一緒に願った
心からの未来の時間。
だから
その希望が現実になったんだと思うのです。
みなさんの希望が
力になって形になったことに
今でも感謝しています。
ありがとうございました。
コロナ発生から1年経過して
日本でコロナウイルスの患者さんが
発生して1年経ちました。
この一年
自粛生活に、ステイホームなど
誰もが生活が変わったと
感じる1年間だったと思います。
そこで
TVでは、街の人に
「この1年で生活はよくなりましたか?」と
インタビューをしていました。
その時
自分自身にも
そのインタビューを投げかけてみました。
「この1年で生活は善くなりましたか?」
世の中も
病気も
この時期によく見られる
インフルエンザも風邪自体もさえ
成りを潜め
コロナウイルスが注目されたおかげ
みなさんの努力のおかげで
町中にあふれているわけではない。
僕のような
ちいさいクリニックでは
例年の冬とは全く異なる
とても静かな状況なんです。
ですから
経済的・経営的には
不安は日に日に増しているので
昨年より
よくなったと言う状況ではないかもしれません。
悪くなったよね・・・と
声を出しそうになった瞬間。
本当にそう?
とささやくもうひとりの自分がいたのです。
一年前って、入院してたよね。
家族とこうして夕食を食べる
毎日のことを話しながら
家族で考え、相談しながら
日々と喜びや困難を
共有して過ごすと言う状況じゃなかったよね。
家族みんな
経済的なことじゃなくて
全てのことに対して
先の全く見えない不安の中に
いたことを思い出しました。
そんな状況に比べれば
今はずっと、ずっといい状態。
経済的に苦しくても
ご飯はしっかり食べられている。
生きていくことはできています。
そうか
物質的な喜びよりも
精神的な喜びを知ることが
できた1年であったことを実感した。
コロナウイルスが教えてくれた
本当に大切なことなのかもしれない。
この先
元と同じような状態に戻らない気がする。
でも
新しい、本当に大切なもの、価値観に
気づけるチャンスを
いただいているのかもしれない。
新しい価値観に気づき
新しい生活をすることが
これからのしあわせな生活につながるんだと思う。
治るために必要な力
昨年入院して
1週間して新しい年を
ベットの上で迎えました。
その時の僕の状態は
まだ血圧は高めな状況で
無理せずに毎日リハビリをしていた。
リハビリの効果が少しずつ実感することを
毎日起きることを感じた。
特に朝起きたときの
からだの変化に一喜一憂するのです。
その時
朝起きると全く動かなかった左手を
少しずつだけど動かせることを実感できたのです。
左手の手首を少し持ち上げられ
左手を握ることができたのです。
その些細な変化がうれしく
動くことに感動しました。
そのことを夜妻に話すと
妻が
「左手を動かしてみて」と右手を差し出したので
握手をするように左手で握ってみました。
すると、妻が
「動くじゃない。こんなに強くにぎってくれた」
と涙を流して喜んでくれました。
自分の回復を
自分のことのように喜んでくれる人がてくれる。
その涙が、自分に力をくれた。
喜びを分かち合えるしあわせ。
喜びを分かち合えること、
家族の愛の力が
何物にも代えられない大きな力をくれた
この時のことは
今でも決して忘れることができない
出来事です。
医師としての生活スタート
無事国家試験も合格し
医師としての
小児科医としての第一歩を
九州大学病院でスタートしました。
医師免許をいただいたとはいえ
まだまだと言うか
実践力は全く0の状態でのスタートでした。
病棟で
小児癌のこどもたちの主治医に
なりましたが
こどもたちは、とても苦しい治療を受けてきて
僕たち研修医が何もできないことを
患者さん自体、親御さんもわかっています。
薬一つ出す
熱冷まし一個出すのも
風邪薬を出すのさえ
指導医に確認し
自分ひとりでは何もできない状態の研修医。
僕にできることは
こどもたちと遊ぶことでしょうか
そんな僕を
先生と呼んでくれていたのは
立派な先生に早くなって
僕を1日でも楽にしてねと
病気をしていても天真爛漫の笑顔の奥にある
ふとみせる悲しい表情が忘れずに
研修医なりに持ってる知識を総動員し
もっと、もっと学ばないとと
患者さん、病気と24時間休みなしで
向き合って過ごしました。
でも
こどもたちが笑顔で元気になって退院しても
なかなか医師としての実感を感じられませんでした。
僕が描いてた医者の像との乖離を感じ
治した実感がありませんでした。
薬が、あの20mlの薬液が、ちっさい、ちっさい丸薬が
治しただけで
僕はこどもたちに何ができただろうか?
もっと医師として
この手で、我が力で
病気を治したいと思うようになりました。
その時の思いが
僕の今の医療スタイルにつながっているのには
間違いありません。
現代医学の礎、考え方をを今に伝えている
医聖ヒポクラテス(BC450-300)が次の言葉を残しています。
「病気を治すのは
医師ではなく自然である。
医者はそれを手伝うだけだ」として
自然治癒力を重視したという
言葉が残されています。
医者が治しているのではなく
治すお手伝いをしているだけ。
僕が研修医の時感じた思い
現在に続く思いは
間違いではない。
患者さんの治癒力を引き出すために
僕ができることをすればいいんだ。
今でも医師としての道は途中。
まだまだ僕の歩む医道は続きます。
リハビリの第一歩は己を知ること
入院してから
体調が安定したら、すぐ
ベットの上でも
できるリハビリを開始しました。
昨日まで
普通に動いていた
左手、左足が動かないことを
自覚しなければなりません。
動かないだけでなくて
感覚も鈍くなっています。
ですから
最大の注意を左手と左足に
意識しないといけないことを
まず教えていただきました。
ベット上で
坐位に起き上がるときに
左手に注意を向けないと
手や足が布団に絡まったままになっていて
骨折をしてしまうこともあります。
からだの向きを変えるときも
バランスを両方の手、に振り分けて
行っていた物が
麻痺している方は支えられないので
右手、右足に全体重が乗ったりして
右手、右足を痛めることもあることを
教えていただき
からだを支えるのを
右腕全体で体重をかけるなどの
ことを教えていただきました。
日常生活で
常に左手が動かないことを自覚したのは
腕時計でした。
僕は強度の近眼のため
常に腕時計をして時間を確認していましたが
入院して、2,3日して
時計が止まってることに気がつきました。
僕の時計は自動巻きなのでした。
止まったと言うことは
左手が全く動いてないと言うことを
教えてくれたのです。
愛着ある時計がもう使えないかも・・・
という現実を突きつけられたのです。
麻痺を回復するための
リハビリの第一歩は
麻痺していることを自覚することから始まりました。
どんな病気でも
己の今の状態を知ることって
大事なことなんですよ。
パジャマを着替えた時
ちょうど一年前
倒れて3週間経ち
さいわい新たな出血を起こすことなく
病状も落ち着いてきました。
その頃
自分のからだの変化の発見があります。
30mほど
杖を使いながら歩くことができた。
左腕を真上に上げることができた
左の手のひらを広げられ
ベットの手すりを握ることも
できるように、明るい兆しが見えてきました。
回復できる時期はは、ずっと続くわけではなく
ある程度回復できる時期が
決まってることがわかっています。
でも、最初入院した病院は
急性期の病気で
病気を落ち着かせるのが中心
病勢をみながらのリハビリなので
思いっきりリハビリしたくても
できない日もあります。
そしてリハビリ時間自体も短く
リハビリ・・・と言えば
血のにじむようなきつい物だと思ってましたが
もうちょっとしたいのに
と物足りなく思ってきた時に
リハビリ専門病院への転院が決まりました。
転院してから
機能が回復できるかは
自分の努力、力にかかっている。
自分は体育会系ではなく
どちらかと言えば文化系。
からだをいじめた経験も少ないので
テレビでみるリハビリは
歯を食いしばるシーンがでてきて
自分が耐えられるかのか不安はありましたが
やるしかないんですよね。
そんな時
リハビリ病院の主治医の先生が言われました。
「ここでは、病人ではないので
パジャマを脱いで、
トレーニングウエアーで過ごして下さい」
そうか、もう僕は
周りの人に気遣われながら生きていく
患者ではないんだ。
これからは
自分の力で
自分の生きる道を切り開かねばならないんだ。
パジャマを脱ぎ捨てることで
僕に気合いが入り
まず僕のリハビリへの
戦闘態勢になった瞬間でした。
本質を見極める
11都道府県に緊急事態宣言が発令されましたが
まだまだコロナ感染は収束に向かうかどうかは
誰にもわからず
今後緊急事態宣言が
全国に広がり
みんなの生活にも影響が出てくる
ことでしょう。
そして
緊急事態宣言発令に付随して
様々な人が
感じることを口にしています。
政府に対する愚痴
世間に対する愚痴なんかを聞く度に
世の中
人の心が混乱しているなぁと
感じずにはいられない、
みんなが願うのは
コロナウイルスから
自分自身のいのちと生活を
守ること。
お金には換えられないいのち
そして
政治家にお任せでなく
自分自身でいのちを守る行動をとらないといけない。
でも苦しくなると
誰かのせいにしたくなる。
僕が思うのは
コロナウイルスが沈静化するのが第一の目的でなく
コロナウイルスに端を発した「コロナ騒動」を
1日でも早く沈静化しないといけない。
コロナウイルスを沈静化するのは
「ワクチン」を打つ、開発を待つことではなく
「自分たちのからだの免疫」を高めることでは
ないでしょうか?
そして医療崩壊が医療問題の本質ではなく
「医療システム」の崩壊を考えなくては
いけない気がする。
今こそ
問題の本質のついて
ひとりひとりが考えていけない時期に
なっていると思うのです。