年別アーカイブ: 2021

魂と宇宙の世界③

宇宙の世界と
魂の世界と共通点があるかもしれないと
野口聡一さんのインタビューで感じました。

野口聡一さんは、宇宙について
こう語っています。
「宇宙に行くこととは
『引き算の世界』である」と。
『引き算の世界』って?

「宇宙に飛び立つと
何かが欠けていきます。
地球の家族や友人との
物理的な距離は離れるし
ロケットの燃料も減る。
重力もない。食べ物も制限される。
宇宙は永遠に続く
『引き算の世界』であり
最後に残る物とどう折り合うかが
問題になります。」と
語られています。

つまり
今当たり前と思えるものが
どんどん失っていく世界が
宇宙の世界なんです。

宇宙にでると
今ある肉体が意味が
だんだんなくなってくる世界なのか?
肉体がなくても生きていく世界
だから
食べ物も、燃料も
そして衣服も、空気さえも必要なくなるのか?

今生きていくためのものから
肉体がなくなると
そを維持する物が全てなくてもいい状態
そして
最後に残るのは魂ではないのか。

野口聡一さんの
宇宙に実際にでて感じられた言葉は
魂の世界へのヒントなのかもしれません。

宇宙には
確かに魂の世界があるのだと
確信しました。

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あの人に会いたい

毎週土曜日朝5時40分から10分間
NHKで放映される
「あのひとに会いたい」という
番組をいつもタイムリーで観ている。

この番組は
もうすでに亡くなられている著名人の
インタビューを紹介される番組。

この世で大きな足跡を残された方の
言葉は深く
ひと言も聞き逃せないほど
重いもの。

先日は
南沙織、山口百恵、キャンディーズなど
昭和の大歌手を育て、世に送り出した
名プロデューサーの酒井政利さんでした。

寺山修司さんgさ主宰されてた
天井桟敷でのエピソードが紹介されました。
“寺山修司さんが歌をみんなで作ろうと
50人ほどいた劇団員に提案。
みんなに好きな言葉をその場で
だしてもらって
詩人でもあった寺山さんの感性で
みんなが出した言葉を使って
ひとつの詩を作り
そして、曲は
劇団員であった小椋桂さんが
メロディーをつけて
曲を完成したそうです”

どんな曲になったかは
わかりませんが
その場の誰もが納得
感動した曲だったに
ちがいありません。

素晴らしい曲と確信したのは
人の大切な思いが
集まりひとつの結晶として
できあがった歌と感じたからです。

時代は
決して自分ひとりの力、存在だけでは
成り立たない。
その時代、その時、そこで生きている人々の
生きているエネルギーが結集して
はじめて
今生きている世界が存在しているのではないか。

街の人、様々な世代の人と接し
多くの人々と共に
人生を歩むということが刺激となり
ひとつの時代ができあがっていくのだろう。

アフターコロナの時代に
どこか人々を分断しようとしているような
様相もみられる時代に
忘れてはいけない
大切なことを教えていただいた気がします。
この番組で学んだ
人生の先輩方が残して下さった言葉に
これからもしっかり
耳を傾けて生きたいと思います

*12/4は医師中村哲先生でした
今日は奇しくも先生が銃弾に倒れた日でもありました。
先生のお言葉、教えに感謝の気持ちに朝からいっぱいです。

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人間関係

最近耳を疑いたくなるような
悲惨なニュースが次々報道される。

つい先日も
中学生同士の殺人事件。
その前には
電車内での無差別殺人
など
学校、人も多い交通機関など
事件が起こらないはずの
安全なところで
それも白昼に
悲惨な事件が起きている。

なぜ、ひとの命を奪うようなことを
してしまったのか?
こころの闇は深い物なので
実際の真実を知ることは
難しいことかもしれないが
人間関係のトラブルで・・・という話が
漏れ聞こえてくる。

ニュースにならないまでも
人々は、みな人間関係についての
悩みは尽きない物だろう。

人間はひとりでは生きていけないし
人と支え合って生きていくしかないので
自分の考え方を改めて
周りの人と生きていかないといけない。

そこで今日は
人間関係について。

ストレスを感じないように
人と付き合うためには
お互いの違いを指摘するように
自分と同じ部分を探し
共通項を見つけ、同じ方向に目を向けて
生きていけたらいいのだと思う。

そうすると
相手を諭したり、揶揄すのではなく
相手のいい面、共感できる価値観を
見つけて、その人と接すると
その人に対して敬う気持ちも起こり
相手に対してストレスを感じにくくなります。

すなわち
相手と真正面から向き合うのではなく
相手の後ろ姿に、背中から
愛を送るという気持ちでしょうか。

この人は
自分と生きている世界が
自分と違うんだと
排除するのではなく
愛をもった視点からそっと見守っていると
感謝と尊厳ににた気持ちが
でてくるから不思議です。

どんな人でも
そっと、後ろから愛を送る姿勢は
きっとその人だけでなく
あなた自身のこころも温かくなることでしょう。

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ゴールデンパス~コロナ感染第5波が終息した理由は?~

世界的には
コロナ感染が拡大中であり
そんな中、日本だけは
第5波であれだけ猛威をふるっていた
コロナ感染が急激に
沈静化した理由は
専門家もなぜ?と首をかしげるような
日本だけなく、世界からも
なぜ、なのか注目されています。

そこには
人間の英知を越えた
大きな力が働いているからなんだと
思ってしまいたくなります。

そんな時
今回の新型コロナウイルス感染症対策文科会長を
務められた尾身茂先生の功績で
今回と同様なことが起こったということを
知りましたので
ここで紹介したいと思います。

尾身先生は30代のとき
友人からの誘いで
WHOに就職され
専門家でないのに
「西太平洋地域におけるポリオを撲滅せよ」という
ミッションを課せられたそうです。
尾身先生は、当時ポリオの流行状況も知らなかったそうですが
今もそうであるように、根っからの実直さから
真剣にポリオに向き合おうと
専門会議をひらき、
ポリオ根絶の戦力を発表したそうです。
しかし
「ポリオの根絶は不可能だ」という
専門家の厳しい意見ばかりで
何の成果もなく会議は終了。

でも尾身先生は諦めませんでした。
ポリオのワクチンを広めて、根絶しようと決断。
公的機関、民間企業、さらに個人まで
世界中を東奔西走するのですが
どこも門前払いの状態でした。
もっとも多くの患者を抱える中国のワクチン接種するには
日本の政府に頼るしかありませんでした。
しかし、調整はうまくいかず
ポリオ根絶というミッション断念かという
窮地に追い込まれたときに
奇蹟が起こったのです。
なぜか関係者が理解を示し始め、
日本政府が中国への7億円の無償資金協力を
決定したのでした。

その決定を知った尾身先生は
「いったい何が起こったのか今でもわからない」と
仰っています。

中国でのこの動きが
世界中の人々の目を開かせることに成り
カンボジアやフィリピンなど
ポリオ根絶にむかって
世界中が動き出したのです。
そして10年後
ポリオは根絶が宣言される状況に至ったのです。

今回のコロナも
その時の腕を変われて
尾身会長に就任され・・・・
苦労され、また少しずつ成果が出てきたようにも
みえます。

ポリオがなぜ終息できたのか?
尾身会長は乞う語っています。

「ポリオ根絶は、皆が私心を離れ
共通の目標に向かって力をあわせれば
一見不可能と思える目標であっても
達成に可能であることを
我々に示してくれた」と。

今回も
日本でも、自分のためだけでなく
皆が元の社会生活に戻れるように
しっかり感染対策をしているように
思えます。

私心を捨てた行動をしようと
日本人のひとりひとりが決意したから
未来に続く
ゴールデンパスをが開かれた結果なのだ
と僕は思います。

それを導いたのが
今回も尾身先生だったんですよね。
これは偶然なんでしょうか?

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さよならテレビ

周南絆映画祭で上映されていた
東海テレビが自社の報道局に約2年間密着し
「今のテレビのあり方」を問うた
ドキュメンタリー映画を観てきた。

最近情報源としての
テレビの地位は
SNSなどのネット媒体に脅かされ
若者のテレビ離れも指摘される中
どのように
テレビが生き残っていくのかを知りたく
制作側が
自らの恥部をさらけ出すことができるのかを
期待して観に行った。

映し出された
現場の生々しい言葉から
現場の問題があぶり出されていた。

見学にきた
小学生に対して
報道の必要性について
「弱者を救う」「権力を監視する」という
役目があるというが
実際の報道をみると
確かにその面はあるが
一歩誤って
「弱いものいじめ」になっていないだろうか?
「権力者の対して忖度した」内容になっていないか?
全ての報道が
スポンサーを意識した「是非ネタ」に
なっていないだろうか?

報道機関も
報道する以上に、
小学生に話したような使命があるが
実際働くと
視聴率を上がることで評価され
そのために
忖度、是非ネタなど
自分の意志と異なる方向に進まざる
ことも選択させられる。

そして
そこで失敗することの
責任をとらされたり、派遣切りがあったり
報道機関に限らない
社会全体、ひとりのひとりのこころに
問いかけてきた映画だった。

自社内の恥部に迫ろうとしたが
内輪だけど
言いたくても言えないもどかしさが
映像のカットの端々に感じてしまった。

これは
報道機関の問題だけでなく
現代に生きている全ての人に
目先の数字など
評価しやすいものにばかり目がいって
忘れてはいけない本当の使命を
忘れてないだろうか?

世間では
オミクロン株のことを不安煽るように
報道しているようにかんじてしまう。
真実は、どこにあるのか。
実は目に見えないところにあるのかも。

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百円の恋

2年ぶりに開催された
周南絆映画祭を観に行った。

この周南映画祭から誕生した
映画が上映されるので
いつもある意味コアな作品
掘り出し物の映画の出会えるのを
楽しみに今回観に行けることを
とても楽しみにしていた。

そして
今回観た「百円の恋」で
安藤サクラさんが主演で
安藤サクラさんはその後、
朝の連続ドラマで主演
是枝裕和監督の「万引き家族」で
カンヌで表彰された女優さんとして
僕も知ることとなり
この映画が出世の原点となる
作品だと言えるようです。

そして
この映画の脚本家足立神さんが
百円の恋の脚本が
この周南絆映画祭の松田優作賞で
グランプリを受賞したことが出発点で。
上映後のトークショーで
武正晴監督、足立神さん、佐藤プロデュサーが
口をそろえて
今観ても”魂(念)がこもってる映画”
だと仰ってました。
どうして?・・・・
実は安藤サクラさんも含めて
監督も、脚本家も全ての人が
それまでの人生に疲れ
これまでの人生から学んだ全てのことを
ぶつけた映画だったこととだからということが
わかりました。

この映画は
引きこもりだった主人公一子が
家を出て、コンビニの店員をしながら
生きていくことを決意。
そして
なぜかボクシングをしている彼にひかれ
そして
彼と別れることになったが
なぜか彼がやっていたボクシングにひかれ
生活苦がよくならないことから逃れるように
ボクシングにのめり込む主人公一子。
そして、ついにボクシングの試合に
でれるまでになった一子。
しかし
その結果は・・・・この先はネタバレになるので・・・

この映画は
人生の逆境から逃れるために
一女性がボクシングを通じて
たくましく生きていく姿が描かれた
勇気づけられる映画です。

テーマは「痛み」です。
元恋人のボクシングの試合をみて
試合中の痛みの訳
試合後に闘った二人が肩を叩き
お互いを労る意味を知りたくなった一子。

試合中に
思い出した肉体の痛さと共に
蘇ってくる
過去の痛み、こころの痛みの数々・・・
そして
その奥にあった人々の応援の声

痛みを感じることは
それを乗り切ろうとするために
必要なことなんだ。
痛みを乗り切るために
色んな人の思い、応援がある。

この世に生きると
色んな痛みがあります。
痛みを感じるのは、肉体があるから
感じられること。
そして、その痛みをうけたから、乗り切ったから
成長できることがあるのだと
逃げてはダメだと
教えられた映画でした。

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宇宙と魂の世界②

宇宙空間が
無重力であることは
みんな知っているし
その無重力がどんな状態かと言えば
からだがぷかぷか浮いたり
物も水でさえ
ぷかぷか浮く世界が
無重力だと言うことは
映像としては
見て、理解している気になっているけど
実感として
無重力が
どんな世界なのかを体験することは
難しい。

無重力の世界を体験した
野口聡一さんは
以下のように語っています。

「宇宙空間でこころが安定するポーズである
座禅を無重力空間で組んでみたのです。
人間は実は聴覚で
重力の基準をつかみますが
無重力ではそれが消え
更に目を閉じて視覚情報も消してみる。
感覚を遮断したらどうなるかを
経験しました。

「そもそも座禅の姿勢になるのが難しい。
無重力で両足を引き寄せ
手で固定しないといけないからです。
座禅しているとき、
なぜか頭が右側に傾いていく
床に頭から落ちていくと勘違いしたのです。
それは、きっと
からだには
重力の記憶があったからです。」と
記憶に支えられて
僕たちは地球上で行動していることを
知りました。

そして
「船外活動で真っ暗だと
手や足が伸びているか、曲がっているかが
感覚として不明になります。
普段は意識せずとも、
人間の筋肉が重力を感じている。
それが消えるからです」と
語られています。

つまり
地球上に住んでいる時は
肉体があるから
感じられる世界なんだ。
宇宙は地球とは全く違う世界。

もし、あの世、魂の世界が
宇宙にあるとしたら
今生きている感覚
肉体をもっている感覚が
必要でない世界なんだと
野口さんのインタビューから
感じました。

魂の世界を知る
ひとつのヒントになりました。

そして
野口さんは
肉体がどんな風に肉体を
失っていくかのヒントになることを
述べられています。

それについては
次回ブログに続く

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宇宙と魂の世界①

宇宙
この大きな言葉。
言葉だけでも大きいが
実際の宇宙は
想像の世界にしかないわけだが
実際に宇宙にでたら
どんな感じなのだろうか?

いつも
宇宙を知りたいと思って他が
実際実感することはできないけど
宇宙に3回いかれた
野口聡一さんの興味深いインタビューが
紹介されたたので
今日は紹介しようと思います。

宇宙からみた地球の姿を
ガガーリンの「地球は青かった」という
名言を残していますが
野口聡一さんは
宇宙からみた地球を次のように
語っています。

「確かに地球は青かった。
しかし、それ以上に印象的だったのは
『まぶしさ』でした。
太陽の光を反射する
地球の圧倒的なまぶしさに驚いたのです。
真っ黒な世界である
宇宙のコントラストに衝撃を受けました」
と。そしてその黒について
「漆黒です。
地球上で見ていた黒は
物体に反射した光の色からの黒です。
宇宙では
光は永遠に吸い込まれたまま戻ってきません。
漆黒という色とは違う
何もない黒です。
同時に、地球のまぶしさに目が慣れて
宇宙の天体の光が
関知できないための黒だった」
と語られてました。

全てのものには
光と影、光と闇というように
二面性があると言われるが
なかなか
実際完全なる闇を感じることは
難しい。

いわゆる漆黒の闇を経験された
野口さんはこう感じたと書かれてます。

「生命があふれる地球と
完全なる死が満ちている宇宙とが
ごく薄い大気の層を歯なんで向かい合ってる」
そして、
宇宙ステーションの船外活動をするため
宇宙空間にでた時
このよとあの世の間に流れる
『三途の川』を渡るような感じだった」と。

実際宇宙を肌に感じた方しか
語れない世界
生と死の狭間の世界に
生きていたことを語った深い言葉。

この感想をよんで
確かに生の世界だけでなく
死の世界もあるのかもしれないと
思わずにいられませんでした。

更に
この宇宙の世界とは
どんな世界であったかを
感覚的でなく具体的に語られています。
その言葉を読んで
魂の世界の一端を感じました。

続きは次回ブログで

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他力本願と自力

他力本願と言う言葉をきくと
他人任せで過ごすっていう風に
ちょっと否定的に囚われがちに
なりそうな言葉です。

他力に対して
自力という言葉があります。
自力とは
読んで字の如く
「自分の力で解決すること」
他力は
「他者の力で生きていく」と
意味になる。

他力とは誰の力をかりてるのか?
他力本願はは仏教の言葉で
仏教で言えばお釈迦様の力で生きている
ということ
そして、最近では
宇宙にあふれてる力だと
仰ってる人もいる。

他力で生きているのは
事実なのです。
自分の力で生きてるはずなのに
心臓を動かしてるのは誰なのか?
あなたがけがや病気をしたときに
治してくれているのは
誰の力のおかげなのでしょうか?

メタトロンをしていると
他力の力を感じることがあります。
先日
重症筋無力症を患ってる患者さんが
にメタトロンを行いました。

重症筋無力症は
骨格筋の接合部を攻撃する
自己抗体が出現し
全身の筋力が低下し
嚥下障害、呼吸障害などをきたすこともある
進行性の難病です。

今後悪化しないように
自己治癒力を高める目的で
メタトロンは利用できます。

その患者さんは
現在、西洋医学の治療も功を奏して
症状は落ち着いてるし
メタトロンをおこなっても
現在の状態は普通の人と変わらない状態で
僕はほっとしました。

ただ、患者さんご自身は
いつまた症状がでるのか
悪化するのか心配で過ごしていて
メタトロンでの結果でホッとする反面
いつまた症状が
悪化するのかドキドキして
過ごしてしまうみたいです。

これこそ
自分の力、自力ではどうしようもないこと
なのかもしれません。
こと時こそ
薬の力、メタトロンの力
また、宇宙の力、仏様の力などの
他力本願で生きていくことで
病気からの不安から逃れることが
できる方法かもしれませんね

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つつんでひらいて

「つつんでひらいて」という映画を
観ました。
この映画は
本の装丁をされる菊池信義氏の
仕事ぶりを紹介された
ドキュメンタリー映画。

テーマも、ストーリーも
全くといってほど
派手さもない映画だし
本の装丁をデザインといっても
ただのブックカバー作家の
仕事紹介と普通なら
あまり気に留まらないテーマだけど
本好きの僕にとっては
見逃せない物だった。

その仕事ぶりは
細かかった。
紙の質を変えて、すかしてみて
濃淡をつけたり
みえるところで
見せるかどうかで印象が変わってくる。
本屋に並んだときに
手に取ってもらえるかどうかも
その本の訴えが
装丁家の腕一本にかかっている。

ブックカバーひとつで
その本の世界を一瞬でどう伝えるかが
装丁家の腕の見せどころ
ちょっと数ミリ動かすかどうかを判断し
その善し悪しを判断する。
その違いに気づくとき
頭の中の神経伝達は
どのように伝えているのだろうか。

その些細な変化を気づけることが
人だけの力でできるのだろうか?
神の力も及ばないと
達成できないような
究極の仕事であることに
この映画を観て知った。

最後に
装丁は自分からの要望ではなく
受注される仕事である。
誰からの依頼か?
作家?、編集者?出版社?・・・
表向きはそうかもしれないけど
実は
この仕事にどう向き合うつもりかと
神から依頼されてるのかもしれない。

医者の仕事も
受注依頼されるケースが多く
医者も神からどうする、どう治すと
試されているのかもしれない。

地味な映画だけど
深く考えさせられる映画だった

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