今世の中は
争いが絶えない世界。
今まで、多くの戦争を体験して
戦争によって悲しい思いはしてるにも
関わらず
人類の争いは絶えることない。
でも
かつて争うことがなかった
平和な時代があったそうだ。
その時代は
日本では縄文時代
世界ではレムリア時代と考えられている。
どうして戦争がなく
平和な時代だっただろうか?
僕なりに考えてみようと思います。
縄文時代には
いわゆる「人間はこうあるべきだ」という
意識がなかった気がします。
そうすると
しあわせだとか
こうするとしあわせじゃないということが
行動の基準にならないのではないでしょうか?
生きていくのに必要なだけの
獲物、木の実が採れればラッキー
採れなければしようがない。
例え隣の村では
獲物が捕れて、自分の村では逃げられたとしても
それはしかたがないこと
また自分たちのところにも
獲物が捕れる時が来るんだと思ってたのでしょう。
村の中でも
食べ物を分け合って暮らしてたようです。
でもその時には、平等に分けるという
考えはあまりなかったようです。
からだの大きい人、力仕事をする人は
たくさん分けて居たようです。
こどもたちは、おとなよりも
分け前は少なかったようですが
誰も不平は言いません。
不平等とも思わず当たり前のことと
受け止めて居たようです。
それに比べて、現代社会では
基本的人権が保障され、なおかつ
みな平等であるべきという
思想が広まりすぎている気がします。
平等という言葉がひとり歩きしすぎて
「誰もがたべられるように」
「仕事もしないでお金が入るように」
「ひとりでもいきていけるように」など
国も個人も
平等ということにこだわりすぎて
ひとりひとりの個性を疎かにしてしまい
他人と自分を比べてしまうように
なってしまっていないだろうか?
人は
なにももたずに、平等に生まれてきたのに
物をもっていないことに
いつの間にか不安な気持ちに
陥ってしまうようになり
真の平等の意味を忘れていないでしょうか?
みなで真の平等に気づいたときに
真の平和の世が訪れる気がするのです。