神は
人は神になぞらえて創造されたというけど
神と人のエネルギーの差は大きいのは
明らかな自明なこと。
神の大きなエネルギーのおかげがあるから
僕たちは
今こうして生きていけるのだと思う。
神の存在を直接感じることは
難しいけど
その存在を昔から伝わる神話や
いい伝わっている伝承などで
我々は神を感じることができる。
また
聖書や仏典など
聖人が神について語ったもので
神の存在を感じることができる。
僕は神について
こう考えるのです。
神は神話の中では人格化されているけど
人の姿で現れるわけではありません。
神を感じるエネルギーは
大自然の営みの中に感じます。
光として、星として、風として、雨として、
人として、あらゆる創造物として感じられます。
ですから
神様のご神体を慈しむのではなく
自分の周りに存在すること
自分の周囲に存在する対象物
全てに慈しみのこころをもつことです。
そのこころをもつたけに
お釈迦様は無罪の七施を説きました。
ご存じですか?
①眼施:どんな存在に対しても優しい眼差しで接する
②和顔悦色施:いつでも笑顔で接する
③言辞施:誰に対しても優しく慈悲深い言葉をかける
④身施:自分のからだを使ってできる奉仕を行う
⑤心施:他の存在のために心配りをする
⑥床座施:譲れる物はゆずる
⑦房舎施:自分の居る場を他の人のために活用する
これが
「無財の七施」の実践です。
神様の存在は目に見えないけど
どこにでもいらっしゃるのです。
だからいつでも、どこでも
神様に失礼のないように
行動することが
神の慈しみの教えなんでしょうね。