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月別アーカイブ: 7月 2022
神社めぐり①櫛田神社
福岡で学会があるついでに
櫛田神社にお参りしてみようと思った。
櫛田神社は
博多・中州のど真ん中にあり
博多祇園山笠の時の中心となる神社。
僕は博多っ子ではないから
博多に住んでいたときも
仕事ばかりで
とても山笠を観る余裕もなく
興味をもつことも
もちろん参拝することも一度もなく
今考えるととても失礼をしてたなと
思ってしまう。
そこで
今回は
3年ぶりに博多山笠がおこなわれるとのこと
これは
博多に行ったら櫛田神社にお参りしなくては
櫛田神社を訪れることにした・
場所もうろ覚え
キャナルシティにあったような
とりあえず
博多駅からバスでキャナルシティにむかう。
バスを降りて
この辺かなぁと交差点を渡ると
鳥居があったので
鳥居で一礼をして中に入った。
境内には
山笠が飾られていると聞いていたが
まだ1か月前だからか、まだ骨組みもない状態。
神社、本殿はどこだろうと
キョロキョロ、歩いてみると
どうもそこは、本殿の裏側に入り込んでしまったよう。
入った鳥居は表でなく
実は裏門だったようで
引き返して、もう一方の道に入ると
人が集まって手を合わせていた。
こっちが表側で本殿のようだ。
本殿に向うと
本殿では山笠に参加するのか
山笠の衣装をきた男衆が神殿で
神主さんにお祓いを受けていて
祝詞奏上の途中だった。
僕も早速本殿の前に立ち
手を合わせて
神主さんの祝詞に耳を傾けた。
神主さんの声を聞いていると
心地よい風が吹いてきたように
心安まる感じがした。
祝詞で気分が良くなって
おみくじをひくと
「大吉」で、それよりも書かれていた文が
神様からのアドバイスかのように思え
おみくじを大切にしようと思った。
神様に会えたような気がして
気分良くして
どこかで
この時期売られてる山笠の扇子は
縁起物だと書かれていたのを思い出して
社務所によってみた。
お目当ての扇子を購入。
購入するとき前の人が
小さいかごに入っているのを
買えたと喜んでいた。
あの小さなかごってなんだろう?
調べてみると
「汐井てぼ」といって
山笠出陣前に
香椎浜の砂で浄めて出発する
その砂とかごということがわかった。
もちろんこれも縁起物。
山笠の扇子ともに購入決定。
その後
神様からの応援もあってか
気持ちよく勉強もできた。
3年ぶりの山笠、
山口に住んでいる僕も楽しみに帰ってきました。
先日
クライマックスの追い山もあり
いつもの博多山笠が戻ってきたようです。
これで日常生活も通常に戻ればいいですね。
カテゴリー: 真実の医療
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全てのことを丸ごといただく
癌という字は
(食)品を
山ほど食べる病と書きます。
ここでいう食品とは
自然にあふれている食べ物のことではなく
白い砂糖、食塩など、化学式で表せる食品のこと。
化学式であらわされた食べ物は
食品でなく薬品なんです。
薬品を食べ続けると、
癌になるということです。
もちろん、癌になるのは
それだけが原因ではありませんが、
人間の知恵は、自然界にあるものに比べれば
ずっと浅はかです。
だからリスクも高いのです。
ですから健康でいようと思えば
人間が作ったものではなく、
自然の恵みをいただくことこそが、
健康で過ごせる第一条件だと思います。
そして、自然の恵みを
好き嫌いなく、少しも無題にせず
丸ごといただくことも、本当に大切なこと。
例えば、みかんを食べているということは、
みかんそのものだけを結果として僕たちは食べているけれど、
みかんを食べるまでには
多くの時間と人の手がかけられています。
目の前に現れたみかんには
みかんそのものに
晴れの日も雨の日も台風の日も、
心地いい日も心地悪い日も経験して
生き残った「たくましいパワー」にあふれ
そのエネルギーをいただいて
僕たちは元気でいられるのです。
生きていた魚、お肉でも一緒。
魚の切り身だけを食べていたとしたら、
都合のいい部分だけを集める人生になるし、
加工食品ばかりを食べていたとしたら、
要領いいことばかり求める人生になる。
これは食べ物だけのことでなく
あなたの生き方全体に関わってきます。
あなたの目の前に現れた全ての物や人に対して
丸ごとをそのまま受け入れることが
人生にとってもっと大切なことだと思っています。
カテゴリー: 真実の医療
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からだから変わる
気持ちが落ちている時
鏡を見てみると・・・
背中が丸まっていないだろうか
肩が落ちていないだろうか
目は下ばかり向いていないだろうか
口角が下がっていないだろうか
顎が下がりすぎたり、
上がりすぎたり
していないだろうか
背筋を伸ばし、顎をひき
からだの軸をしっかり維持し
口元には微笑を浮かべ
目に力を入れて見開き
呼吸を整える
その姿を自分の心に焼付けよう
いつもその姿でいよう
その姿で者をみて、考えよう
からだと心はつながっている
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手紙を書く
手紙を最近は書く機会が
少なくなりました。
電話やメールやラインなど
色んな伝達手段が増えました。
これらは
あっという間に
自分が伝えたい時に
相手に伝えることができます。
だから
書くのにも、相手に届くのにも
時間がかかってしまう手書きの手紙は
スピード感ある
現代社会では、億劫がられるのも
わかる気がします。
でも
こんな時代だから
手紙を書くことが大事だと思います。
丸山敏雄先生は
とても筆まめで
心血を注いで手紙を書いた
言われています。
手紙は
お互いの会話だから
気がついたら
すぐに書きなさい。
受け取ったなら
すぐ返事を書かないと
会話としての
手紙の意味をなさなくなると
おっしゃって
とても手紙というものを
大事にされました。
そして
手紙の書き方として
①わかりやすく
読みやすい文字で、簡単に、明確に
②礼儀正しく
心を込めて、相手の立場になって
③早く、美しく書く
事が良いと言われています。
最近では
手紙を受け取ることが少なくなりましたが
その手紙を受け取ると
その方の字をみると
その人の
姿が目に浮かんできませんか?
そして
その文面に
その人の生の言葉として
思いが胸に飛び込んできませんか?
手書きの字をみると
その人の思いが
ひしひしと伝わってきませんか?
そして
温かい気持ちに溢れてきませんか?
それは
メールやラインなど
デジタルの文字では
感じられないものではないでしょうか。
手紙は
直接話すよりも
心に響くことがあります。
会話は
言葉としての音は消え
後には残りません。
でも
心のこもった手紙の文章は
形として
いつまでも手元に残り
必要な時にくりかえし
人を励まし、力を与えてくれます。
心を込めた手紙
手紙を書く気持ちを持って
生きていくと
きっと
いい人間関係が生まれるのでは
ないでしょうか?
カテゴリー: 真実の医療
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運の玉
人は生まれてくるときに
平等に運の玉をもって
生まれて来ているらしいです。
そして
生きている間
こころの中の錦の袋の中に
大切に入れているのです。
そして
その運の玉を
生きている内に大切に
まるでこどもを育てるように
育てていくのです。
その運の玉を育てると
大きくなります。
大きい運の玉をもつと
その人は幸運が訪れるようになります。
みんな生まれてきた時に
もらってきた運の玉に気づかず
もっていることに気づかないと
育てることもできません。
この運の玉をもっていると
いいことが起こるのです。
いいことって、試験に合格するとか
大事故、病気などの災難から免れるとか
そんな大きなことばかりではありません。
今日食事が美味しかった
朝スッキリ目が覚めた。
天気も良く遊びに行けた
など、自分に起こった
ちょっとしたいいことを
気づくことで
運の玉をもっていることを自覚し
運の玉に感謝することができるのです。
運の玉に感謝すれば
運の玉を一回り大きく育ち
更に大きな幸運が訪れるようになります。
織田信長も
豊臣秀吉も
この運の玉に気づき大切にしていたそうです。
あなたも
ご自身の運の玉を育てる生き方を
していきましょう。
カテゴリー: 真実の医療
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真理は更新される
コロナ禍でも
オンラインなどで学会に参加しています。
以前とは形態がちがっても
学会に参加することは大事だと思います。
学会では
様々な病気に対する
最新の知識を勉強しますが
ある学会では
医学の本質を語られた
二人の大先輩の言葉を実感させられた
時間でもありました。
二人のうちの一人の言葉は
ハーバード大学の医学部長であった
シドニー・パーウェルが
1935年から1949年
医学部生の卒業式で学生に贈った言葉
「医学は進歩し
真理は常に更新される」です。
教科書に書いていることの半分以上は
将来間違っていることが証明されるという
つまり
真理は常に更新され続けるものである。
医学の進歩を日々学び続け
常に最新の適切な知識に基づいた
診療を心がけなければならないと
これから医者になる学生達を戒めた言葉。
今回の学会で
その言葉が身に沁みた。
これまで、離乳食を早くはじめると
アレルギーが発症するリスクが高まると
言う考え方が主流で
その考えによって診療をしていましたが
今回は、
アレルギー発症にリスクのある食べ物でも
少量でもいいので早期にはじめた方がいい
と言う考え方でした。
明日からの診療の方針が
大きく変わるようなことでしたが
医学は進歩し
教科書はいつか書き換わる時を迎えることもある。
今真実と思っていることは
本当に真実なのか?
今常識と思っていることは
本当に真実なのか?
今目に見えることだけが
本当に真実なのか?
科学を究め
真実を見極めるためには
素直なこころの目が必要なのだと
しみじみ思いました。
そして
もうひとり
紀元前の古代ギリシャ時代に活躍した
医聖と呼ばれるヒポクラテスの
教えもいただきました。
学会参加するとは
医者の意識・知識を整理、浄化する
大事な時間です
カテゴリー: 真実の医療
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愛の形
最近新聞を読むと
目につく記事。
「年間出生数81万人に現象」
「3組に1組が離婚している」
「離婚後の親権は単独親権?共同親権?」
「同性婚を認める?認めない?」
「20代独身男性の4割が
女性と付き合ったことない!」
など
結婚、出産に対しての
記事が、職業がら気になるだけでなく
これからの社会を憂える点からも
気になる。
国も大変だと
補助をしたり、保育園の整備
家庭庁の新設など
対策はとっているが
その裏にあるのは
税金が減る、年金で支えられなくなる・・・など
それも大事なことかもしれないけど
そんな目先の改革だけで
大丈夫なの?
結婚、こどもをどこか
自分の都合で考えてるような気がして
制度だけでなく
気持ちから変えていけないと思う。
かつては
こどもができることは神聖なこと
そして
愛の結晶(もう古い言い方?)を育むために
男女が愛し合い、結婚する。
その点を
ひとりひとりが
忘れてきているような気がする。
この人と生きていけたら
この子さえいてくれたら
どんな状況でも生きていける。
結婚を考えるときに
自分自身の時間がなくなる
自分の自由なお金がなくなる
自由に仕事ができなくなる
など
今の生活を変えたくない
いわゆる守りの生きようとする人が
多いような人がする。
こどもが生まれる意味を
根本から考える時期に来ているだと
思う。
子宮は神聖なもの
生まれてきたこどもは
胎内記憶がある
私は前世の記憶がある
スピリチュアルと言われる
考え方がある。
それが正しいかどうか
誰にもわからないが
そのスピリチュアルの考え方があると
今を生きることが貴重な時間
今過ごしている人との生活が
愛おしく
どんな状況でも共に生き抜こうとする。
その思いが生まれる根本にあるのは
「愛」の気持ちではないでしょうか?
「愛」を学ぶために僕たちは今生きている
・・・と考えられたら
何の不安もないしあわせな人生になると思うのです。
カテゴリー: 真実の医療
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神秘体験
僕は病気をしてから
目には見えないけど
心で感じられる真実と思えることが
日々感じることが増えてきました。
そのことが大切に思えたので
日々、通常の医師は語らないことがないようなことを
ブログに書いています。
僕の書いていることを
不思議なことをいうなぁとか
そんなことはないと否定される方も
いらっしゃるでしょう。
でも
そうだと受け入れてくれる方もいらっしゃいます。
最近は
スピリチュアルブームであり
目に見えないこと
魂のことを語る方も珍しいことでもなく
本屋に行けば
多くのスピリチュアル系の本が並んで
次々に新刊が出ています。
それだけ
魂の世界にひかれる方が
多いからではないでしょうか?
魂の世界
スピリチュアルの世界を信じても
僕には
見えない物が見えるとか
触れただけで病を治せるとか
未来を予想することができるとか
不思議な力は
何一つ持ち合わ せていません。
ごくごく当たり前に過ごしている
普通の人間です。
特別な奇跡的な神秘体験をしたこともありません。
ただ、言えることは� 大病を患ったけど
今をこうしていきているということだけ。
精神科医であった神谷恵美子医師が
著書のなかで、こんなことを書かれていました。
「神秘体験は、多くの場合
人が人生の意味や生きがいについて
深い苦悩の中に落ち込み
血みどろな探求を続け、
それがどうにもならないどん詰まりまでいったときに
始めて起こる」と仰ってます。
つまり
これまで経験したことのないような
苦難を乗り越えたときに
神秘体験が起こる。
小さい自分という
自己を越えられたという出来事を
神秘体験だと人は感じるのだというのです。
僕も大病という
これまでに経験したことのないような出来事に直面し
心の中に肉体をいう物質的な価値観から
魂という
精神的な価値観の存在を体験し
価値体験の変換が起こったから
今、感じることを
みなさんに伝えているのだと思う。
重い苦しみを経験した人は
他人の評価や自分の所有する物に
重きを置けなくなり
新しい価値観で生きていこうとする。
これが
人々の言う神秘体験であり
誰にも経験する可能性のあることでもある
そして
僕もこの経験をみなさんに伝えるために
ブログで発信しています。
これからもよろしくお願いします。
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剱岳 点の記
久しぶりにこころ震える映画だった。
2009年の映画のようだけど
立ち見も出るほどの満員の観客で
見たければ
DVDなどで手軽に観れるはずだけど
やはり大画面で見たい人が
多い現れだと思う。
その理由は
この映画が
今流行のCGを使った映画でなく
全てが現地のロケによって
作られた映画であるから
その演技でない生の表情が
リアルなものと感じるのだと思う。
物語は前人未踏の登山を命をかけて
取り組む男達の話。
今は
一般の人でも登れる山。
僕が知ってるだけでも
登った人は何人もいらっしゃる。
でも、その困難さは
写真を見ただけでも伝わり
いただきには1人上がれるほどのスペースなので
順番にあがる
僕にはとても無理な山です。
その山にどうやって登るか
一つの団体は
日本地図を作るために
測量目的で
日本軍の威厳のためにも剣岳初登庁を目指す
日本陸軍の測量隊。
とそれに登山を目的とした
山岳隊との
初登庁を目指すパーティとの
威厳をかけた戦いの映画出会った。
それにしても
自然の力は偉大。
突然の吹雪、目の前にはだかる岩の壁
何者かが
登頂するのを阻んでるかのように。
でも、登頂する目的を果たすために
果敢に綿密に取り組んでいく。
でも、この阻む自然の神の前で
こころが折れそうになる。
そんな時に
気づくのです。
「何をしたかより
何のためにしたかが」
大切であること。
大自然の中で
こんな危険な目に遭いながら
地図を作るために
測量しないといけないのか
と悩む測量隊。
でも、測量の、地図作りの本当の意味に気づくのです。
「地図は
今生きている自分が
地球に生まれて、
地球のどこで生きているかを知る
ためにある。
地球で生きる自分の魂の場所を
はっきりさせるために
必要なものだ」と
気づくのです。
人のために目的を果たそうとする人に
神様は力を貸してくれる。
剣岳の神様は
測量隊んぽ登頂を許したのでした。
初登庁のはずでしたが
実は初登頂ではなかったのです。
エンドロールを見ながら
映画の中で行者さんが教えてくれた
剱岳登頂のための極意の言葉
「雪を背負って昇り
雪を背負って降りろ」が
よみがえってきました。
自然の神様のお許しがあれば
人生の夢を叶えるのだと。
カテゴリー: 真実の医療
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神頼み
神頼みという言葉があるように
お願い事がある時は
神社を参拝しようと思われる方は
多いことでしょう。
僕も
何か困ったことがあると
神様のことを思い出して
手を合わせることはよくあります。
お願いごとをしながら
なんて僕は都合がいいのだろう。
自分が困ったときだけ
神様のことを思い出して
神様も虫がいいなぁと思わないかなぁと
怒らないかなぁと
神様のご機嫌を損ねないように
しないと思うことがあります。
神様は
確かに心根の美しい人が好きだと
聞いたことがあります。
心根の美しい人しか
願いは神様に聞き入れてもらえないのでしょうか?
腹を立てたこともない
けんかをしたこともない。
僕も
たまには家族とも口論になることもあるし
たまには口から愚痴が
飛び出してしまうこともあります。
こんな僕だったら
神様は相手にしてくれないでしょうか?
神様は
僕たちが考えるよりずっとこころが広いのだと
聞いたことがあります。
だから
何をどうしたこうしたという
細かい行為で神様はその人を
判断しているわけではないらしいです。
だからといって悪口を言っていい
小さいことでもむっとしていい
という訳ではないだろうけど
守ってくれる判断にはならないということなのです。
神様は
もっとその人の心の底を
見てらっしゃるような気がします。
色んなものに対して
思いやりや慈悲の心を持つ。
神様を含め何事に対しても
感謝のこころを忘れない。
そして
神様の前では素直に
なんでも話してみて下さい。
なぜ、今日この願いを叶えたいのか
説明すると
神様はきっと力になってくれますよ。
神様は
きっと人とご縁を結びたがってると思うのです。
今日は七夕
素直な平和な気持ちで過ごしましょう
カテゴリー: 真実の医療
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