死後の世界は
どうなるか全くわからないし
今生きてることが死後の世界に
どうつながっていくかは
全く想像の域を脱することができない。
生きているうちにできることは
どう生きるしかない。
そして、選べるとしたら
どんな風に死の瞬間を迎えたいか
ということだろう。
どんな病気で
どこで
誰と
その時を迎えたいか。
痛み苦しんでその時を
ひとりで孤独の内にその時を
迎えたくないと思ってる方は
多いのではないでしょうか?
僕も願うのはこの点です。
それと
死を迎えたとき
今までやっていた仕事や生活全般の
死後の整理ができているかも
一つのポイントではないでしょうか?
家族をはじめお世話になった方に
迷惑をかけないように
きっちり
死後のことを整理して亡くなる方も
いらっしゃいます。
それに対して
突然にその時を迎え
まだ働き盛り、家族も残して
亡くなる方もいらっしゃいます。
その時
周りの方は
「志しなかばで」「無念だったでしょう」など
その心残りの気持ちを代弁するような
科白を口にすることも多いでしょう。
確かに
志しなかばで、無念だったかもしれないけど
自分の思いや仕事を
誰かに引き継いでくれていたら
どんなにうれしいし、安堵されることでしょう。
自分のいのちがなくなっても
自分の思いや仕事は
引き継がれていくこと
自分のいのち以上に生き続けることが
できる。その喜びってとても大きいのだと思います。
僕も真実の医療を日々追求していますが
僕のしている診療を
僕がいなくなっても引き継いでくれたら
思い残すことはないです。
僕が今生きている意味は
僕の医療、思いをみなに伝えることなんだと
死と向き合ったときに
思うしだいです。
このブログも
直接医療を届けられない人に思いを伝えることです。
これからも思いを発信していきます。
よろしくお願いします。