小さいころ
病気になったら
家族は
病院に連れて行ってくれて
診断を受け
薬などの治療を受ける。
診断がついて
治療方針がわかって
治る未来が確定して
安心するけど
でもそれだけでは治らない。
病院から帰ったら
ゆっくりできるように
そして
食欲がなくても
少しずつでも
栄養がとれるように
食事を母は用意してくれた。
そして
無事に病気は回復して
元気になって
また通常の生活ができるようになり
再び未来の夢に向かって
歩き出すことができて
今の僕がここにいる。
その時の病気は
医学的にみれば
軽症の上気道炎だったかもしれない。
でも
例え軽症の病気、けがであっても
いのちを落とすことがある。
薬を飲みさえすれば
病気は治るものではない。
治るまでにうけた
「手当」があったから
病気が治ったのだ。
手当には
無償の愛が
あなたを愛するがための祈りの力が
あふれている。
それは
生きていく目的
あなたの、僕がもっているから
みんなが手当してくれたのだろう。
手当は
自分でも自分に対して
しないと行けないような気がする。
小さなことでも
大切にしないと
手当はきっと疎かになる。
しあわせになりたい
夢を実現させたいなら
自分に対する手当を怠ってはいけない。
自分の小さなほころびをみつければ
ほっとかずに手当をする。
その積み重ねがあるから
今の僕がいるんだ。生きているんだ。
病気の時
幼いころの母からの手当を思い出して
思った。