年別アーカイブ: 2022
ゴルゴ13は予言の書?
日本で一番
人生に影響を及ぼしたコミックといっても
過言ではない「ゴルゴ13」
このゴルゴ13のの作者さいとうたかをさんを
特集した番組が放送されていた。
日本人に多く読まれたコミックと
言われたゴルゴ13ですが
僕は一度も読んだことがありません。
ゴルゴ13は
勧善懲悪の設定で
主人公のゴルゴは
悪を許さない殺し屋スナイパーであると
理解していたので
相手が悪といえども
力でねじ伏せる設定になじめなかったのが
今までこの漫画を避けてきた理由です。
そんななか
ゴルゴ13の作者のインタビューを集めた番組
「あの人に会いたい」を観た。
この番組でさいとうたかを氏の
生の声を聞き、びっくりした。
とても
先見性のあるテーマをしている
それも20年前以上前に
大手銀行合併や
クルーズ船による感染爆発
ドローンの活躍
そして
今まさに大混乱のウクライナについても
2007年に取り上げられていた。
ゴルゴ13って予言書なのか?
さいとうたかを氏っていったいどんなかたなの?
さいとうたかを氏はインタビューで
「ゴルゴ13で
単なる正義と悪を描いているわけではない。
善悪は人間の都合で考えてないか?
西側にとって善だからといっていいのか
西側にとって悪だけど、
東側にとって善のこともある。
時代に乗っかった形で
善悪を考えることは危険だと」
今まさに
全世界の人類が突きつけられた問題
ひとりひとりが
現状を考えていかないといけない時に来ている。
ここで逃げてしまうと
この先の人類の未来はないような気がする。
残念ながら
昨年さいとうたかを氏は
お亡くなりになってしまいましたが
ゴルゴ13は
氏の膨大な遺言として
向き合わないといけない遺産だと思うのです。
ゆるす心
ウクライナにロシアの侵攻が続く中
平和な時をもたらすために
ウクライナのゼレンスキー大統領が
世界の国々に
ウクライナに力を貸してくれと
切実な思いを訴えられました。
日本の国会でも
日本のできること
ロシアの対する経済制裁を
訴えられました。
報道を見る限り
ロシアの行ってる行為は
許されるべきものではありません。
この侵攻を止められるのは
ロシアのプーチン大統領しか
できない。
プーチン大統領を止められるのは
誰もいないと
絶望的な論評も目立ちます。
どうしたらいいのか・・・・
そんな時、マザーテレサが
次のような言葉を知りました・
「わたしたちは
ゆるされるためには
ゆるさなければならない。
ということを悟らなければなりません。
北アイルランドやその他の場所にいる人々が
(この部分をロシア、ウクライナに置き換えて
読んでみましょう)
もしもたったひとつ
ゆるすことを学んだなら
彼らのもとに
平和がやってくると思います」
プーチン大統領のやってることは
決して許されことではない。
でも
プーチン大統領なりの理由があるのかも
そのプーチン大統領の本当の気持ちは
人間の欲から発したこころではないか?
権力があるから戦争になったのかも。
プーチン大統領の気持ちは
我々のこころの中には
ないものだろうか?
プーチン大統領も我々と同じ人間。
同じこころをもった人間であるから
プーチン大統領ばかりせめられない。
我々にも世界を変えるような力はないから
人の命を奪う戦争にならないだけで
日常には同様なことがあるかもしれない。
そう考えると
非難一辺倒でなく
今起こってることを我がことと考え
人を許そうとするこころを
少しずつでももてれば
この戦争も終息するのかもしれません。
そう
マザーテレサの言葉を知って思いました。
偉大な力の存在
最近の報道されるニュースは
コロナ感染、ウクライナ状況
電力不足、値上がりラッシュ、
人々の誹謗中傷の声・・・
世の中の乱れが日に日に強くなり
誰もが不安な気持ちが
ましてきます。
でも
そんな世の中でも
冬には水仙が咲き
その後梅が咲き終わり
河津桜、菜の花そして桜が咲き始め
どんなに人々のこころが乱れていても
春は訪れるし
夜は明け朝仁なり、また日が沈み夜を迎えます。
そして
これは自然現象だけの現象だけでなく
人のからだも
どんな状況でも
呼吸し、心臓は拍動し、
ものを食べれば寝てても消化し
僕たちが寝ても起きてても
からだは働いています。
自分が生きているのは
自分の力だけではないと思わざる終えないのです。
人間も含め
あらゆる物質の秩序は
規則正しく整然とした形式の中にあり
少しの狂いもなく
自然の法則通り
働いているのです。
この自然の法則は
太陽も月も、もちろん地球を含めた
全ての天体に及んでる力がある。
これは
ただの偶然だと考えていいだろうか?
いや、考えても考えても
偶然ではない
何か偉大な力が働いている
気がしてならない。
その偉大な力=神?
思ってしまう。
だから
僕は神は存在している
と信じてしまうのかもしれない
明るい心
毎日こども達と接していると、
小さいこども達は
天真爛漫な心、無邪気な心を持っていて、
どんな時も素直な気持ちで過ごしているなぁ
こどもは天性の明るさに溢れている
存在だと思います。
実はこの明るさは
こどもだけの特権ではなく
誰もが持っている
天から授かったもののはずなのに、
おとなになると、
生きていくうちに悩みが増えると
元々持っていた
明るいこころを忘れてしまい
こころが暗くなってしまう気がします。
仕事がうまくいかない時、
心身共に疲れた時こそ、
元々持っていた天性の明るいこころを
取り戻したいものです。
こどもの頃もっていた
天真爛漫な心を呼び起こす時には
こども達と積極的に関わって
童心に戻って見てください。
もしお子さんが身近にいなかったら、
自分の幼い時の写真を見て
そのこどもの時の笑顔に触れることで
自分の心の中にある明るさを
蘇らせられることができます。
天性の明るさを心の真ん中に置く生き方は、
日本人の生き方そのもの。
太陽のような明るい考え方、
明るい表情、明るい雰囲気、明るい言葉は、
すべての人のしあわせな人生に
つながっていると思います。
どんな時も、
心の真ん中に明るい心を
持って過ごしましょう。
人が善行に励むわけ
ウクライナとロシアの戦争のさなか
戦争反対の声をあげる人は
日に日に増え
それに応じて
その声を上げる行動の表れとして
様々な寄付機関もあり
少しでも平和な世の中になるように
なればと思ってる人が増えています。
世の中が乱れたときに
困った人がいれば
その人を助けてあげたいと思うのが
人情ですが
その時、行動に出るきっかけが何かを
神経学者の池谷祐二氏が
「人は他人の目が合った方が
善行に励む」と
仰っています。
慈善のスタンスは国によって大きく異なるけど
2018年のCFAの世界寄付指数レポートによると
慈善活動をに寄付した国民の割合
第1位が見ヤンマー、2位がインドネシア
いかがオーストラリア、ニュージーランドと続き
日本はランク外
アメリカも最近は寄付離れがすすみ
12位という結果がでたそうです。
その寄付離れの理由は
「他人のための行動は
利己的な行動よりも清らかなことだ」
と寄付を美徳として
崇めすぎた結果だと
池谷氏は分析しています。
つまり
人は他人の目が合った方が
善行に励みます。
名前を公表する方が
寄付も集まりやすいそうです。
そういえば
日本も海外の援助するときも
ニュースになることがほとんどです。
寄付をした行為を
知ってもらえた方が
寄付の励みになるのは
わかる気がしませんか?
そういえば
天皇陛下が
東日本大震災の被災者や
コロナの医療従事者に対して
ご自身の資産から1億円寄付された
ことを思い出しました。
みなさんは
天皇陛下のこの寄付のことご存じでしたか?
僕は知りませんでした。
それを知ったときに
天皇陛下は
やっぱり徳を積まれている方なんだと
思いました。
僕も天皇陛下を見習って
僕も他人の目を意識せずとも
善行を積める人間になれるように
日々精進したいと思います。
なぜ働くのか?
人は働いて
その対価としてお金をもらい、稼ぎ
食べ物を買ったり、洋服を買ったり
生活の糧を得て
生きていくことができます。
でも、それだけのために
お金を稼ぎ、物を得ているのなら
争いや競争
まして国同士の戦争なんて起こらないはず。
実際は
今世界中のあちこちで
権力闘争が行われている。
生きるためのはずが
いつのまにか生に対して
満足するだけでなく
自分の欲を満たすために
争いはじめている。
人間は賢いはずなのに
とても愚かな動物だと思ってしまう。
これは遠いところの話ではなく
ニュースにならないだけで
些細な問題かもしれないが
身近でも起こっている。
人は
いったいなんのために稼いでるのか?
生きていくためだけ?
なんのために
自分の欲を満たそうとしているのか?
そう思ったときに
ロシアの文豪トルストイの代表的作品である
「戦争と平和」で
人間のあらゆる願望、
生への意欲は
自由拡大の願望に尽きるからである。
富と貧困、名声と無名、権力と隷従、
力と弱さ、健康と病気、強要と無知、
労働と余暇、飽食と飢餓、善と悪は
自由の程度の程度の大小にほかならない
と書かれていたのです。
思わずトルストイに心を見抜かれた気がしました。
富を得たいのも
名声も権力もそして健康でありたいのも
自由でいたいから。
もっと自由でありたいから
人は稼ごうとするのだ。
稼ぐ意味はわかったけど
自由とはなに?
僕は肉体的自由と
心からの自由があると思っています。
お金で本当の自由が得られるのか・・・・
自由については
また別の機会に書きたいと思います。
天国が宮殿だとしたら
誰も死んだ後のことはわからない。
でも
僕は死んだ後の世界は
きっと自分の望んだことが
全て叶うような世界ではないかと
勝手に思ってるけど・・・
そんな自分の望んだ世界にいるのだとしたら
どうして
またこの世に生まれてこようと
思うのだろうか?
そんな時
ロシアの文豪ドストエフスキーの
「死の家の記録」に
以下のような分があることを知った。
ひとつ宮殿を建ててみるがいい。
大理石や絵や金細工で飾り立てて、
極楽鳥を放ち、色とりどりの庭を作り
ありとあらゆる趣向を凝らす・・・
そしてそこにはいってみるのだ。
きっと
もはやどこにも行きたくなくなることだろう。
諸君は本当にそこからでないかもしれない。
何でもそろっているかららだ!
「幸せ者は高望みをしない」と言うではないか。
急にちょっとした変化が生じる。
諸君の宮殿のまわりが塀で囲まれて
諸君はこう告げられるのだ。
「何もかもおまえのものだ!
存分に楽しむがいい!ただし
ここから一歩もでてはいけない」
すると、請け合ってもいい、その途端に
諸君は自分の極楽を捨てて
塀を乗り越えて外に出たくなるのだ。
そう、そこに足りないものはただひとつ
自由だ!
自由で気ままな暮らしなのだ
とドストエフスキーは書いている。
きっと帝政ロシアの
静粛された時代の中で生きてきて
自由に生きることが
どんなに大切かを感じたのだろう。
多少生きづらくてもいい
自由にその時の自分が感じるままに
生きたい。
そんな自由に生きることを
人間は求めて生きているのだろう。
だから
天国にいたとしても
人はまた生まれ変わってこの世に生きたくなる。
だとしたら
今、どんな状況であっても
この世で生きることが僕たちの望んだこと
だから今という時間を
大切に生きないといけないんですね。
春の息吹
毎朝、日の出前に
散歩をしています。
ここ数日
外に出た途端
温かいなぁと感じ
四季が移り変わっていることを
肌で感じて
からだ全体の細胞が目覚めて行くのを
からだいっぱい感じるようになりました。
ある日
真っ暗な中
温かくなったなぁと思っていると
どこからか
いい香りが・・・
花の香り、梅ん香りでしょうか?
あたりは真っ暗なので
どこにどんな花が咲いてるのかは
全くわかりません。
でも
どこかで花が咲いてて
花の生命の息吹を発していると感じるのです。
ああ、いい匂いだ。
その匂いを嗅ぎ、感じる度に
からだの底から
エネルギーの息吹が
湧き上がってくるのを感じました。
その息吹を感じながら
僕は
目に見えない力が
僕だけでなく、植物からも
エネルギーを発して受け止めて
生きていることを感じたのです。
日の出前には
地球上は目覚めのエネルギーにあふれるのです。
だから元気に過ごせるのです。
その日
花の匂いを感じながら
生命のエネルギーに感謝していると
空が白みかけました。
あ、夜が明けると思った瞬間
・・・・
花の匂いは消えていました。
思いやりのこころ
人は日々戦っています。
武器を持たなくても
生存競争、受験戦争に
日々の生活の中で闘い続けています。
生きるためには
必要な戦いもあるけど
ただいのちのためにではなく
自分の欲を満たすために
自分以外の人を傷つけてしまう
戦争も起こしてしまうことも
あります。
人間はいつから
戦うことを覚えてしまったのでしょう。
人間は元々は
戦うことは望んでいなかったと思うのです。
なぜなら
生まれた時は
喜びいっぱいの気持ちに溢れて
この世にいたはず。
そして
こどもの時は誰でも、
困っている人を“助けたい”と、
優しい気持ちを
いっぱいもっていたずです。
それなのに
おとなになるにつれて
優しい気持ちが薄れてしまうのでしょうか?
でも
こども達と接すると、
どんなに戦闘モードに入ってた人でも
こどもの時に感じていた
優しい気持ちを思い出す場面があることでしょう。
でも
日々こどもと接すして働いていても
いつもこどもと同じ無垢な感覚を
持ち続けることはできないのが悲しいところです。
しかし
こころが洗われた瞬間があると
今までの生きる世界が変化を感じます。
看護師、保健師、学校の先生などのように
こどもと関わる方々だけでなく
子育て中のお父さんお母さん
子育て中でなくても
バスの中、町中で
無邪気な子供の姿に触れた時
こどもの時感じたことを思い出し
こどもの気持ちをもっとわかってあげられると思います。
子育ては大変だと思われている方
ご家族の介護でお疲れの方
ご家族のことが手いっぱいで
仕事、家事、全てのことを
完璧にできない時もあると思います。
僕も仕事で疲れ切った夜は、
いつも優しい父親でいることはできません。
でも、
こどもの顔を見ると、どんな時でも不思議
と「明日もまた、頑張ろう」と活力をもらいます。
家族は思いやりのこころという
絆でつながっていると思うのです。
だから、
こどもと過ごした時には
ご家族と過ごした時間は貴重な時間です。
生きていることに感謝し、
いつもこどもの頃持っていた
“思いやりの心”を思い出して
過ごすことができれば
きっと、戦争なんて起こらない世の中になると
思うのです。
こころが荒れたと思った時に
そっと目を閉じ
ご両親の温かさや
こどもの時の気持ちを思い出してみませんか?
試練を乗り越えるために
春は旅立ちの季節
その旅立ちにむかっての
報告が耳に入ってきます。
希望の通り出発できる人だけでなく
進路変更を余儀なくされた人
次のステップのために
力をつけることを決意したり
悲喜こもごもあります。
今の状況で人生が決まるわけではないので
今示された道を
しっかり歩いてもらいたいなぁと思います。
そして
今がどんな状況であっても
これまで順調であっても
長い人生の中で試練は訪れるでしょう。
また
今試練の時が訪れていると思ってる人も
いるでしょう。
試練は
いつか誰にでも訪れます。
試練が訪れるのは
決してあなたを挫折させるためではないのです。
僕も
病気という挫折を
人生の中で何度か経験することが
ありました。
その時に試練を乗り越えたときに感じた思いは
全てに対する感謝の気持ちが
心の底からあふれてきました。
試練の時には
神なんっていない・・・なんて
全てのもの
神様にさえも当たってしまいます。
試練をもたらしたのは
もちろん神様ではありません。
実はあなた自身が
自分の成長するために
試練を与えているのです。
試練の時は
あなた自身が選んだ必要な時期なのです。
だから卑屈になり
自暴自棄になってはいけません。
自分自身で選んだ必要な試練なので
そこには必ず救いがあるのです。
ですから、試練の時こそ
冷静になって周りを見渡してみましょう。
そこに
あなたが歩むべき
銀色の道を感じませんか?
今、あなたがしないといけないこと
やらないといけないこことを
感じるはずです。
順調な時には感じなかった、意識しなかった
あなただけの光り輝く道が
目の前にあることに気がつくでしょう。
それが試練が
あなた自身が用意した
あなた自身が成長するために
必要なことなのです。
ですから
今が試練のときでも
喜んで試練の時を受け止めて
自信を持って進んでいきましょう。