年別アーカイブ: 2022
脳細胞が入れ替わっても存在しているのは?
先日のブログで
自分のからだを構成している細胞は
数ヶ月経てば
全く異なる新しい細胞になっている
細胞分裂をくり返すことで
死を迎えるように進化していれうのでは?
という話を書きました。
それが事実なら
脳の細胞も入れ替わっている
つまり
「去年の脳」と「今年の脳」は
完全に入れ替わっている。
ここで
脳が入れ替わっていて
こどもの時とは
全く異なる細胞で脳はできているのに
こどもの時の脳とは
影も形も残っていないのに
こどもの時の記憶は
残っている。
これまで学んだこと、経験も
そのままの状態で、今を生きている。
これまで生きてきた
体験、学び、記憶が保たれる限り
肉体は変わっても
自分は自分として存在できている。
そう考えると
僕という存在は
いったい何だろうか?
脳さえも入れ替わっているとしたら
こころってどこにあるのだろうと
自分っていったい誰?
哲学的な問題にぶつかってしまう。
僕が僕であるためには
パソコンように
記憶装置を別の肉体に挿入すれば
また僕として生きていけるのか?
今生きていることは
単純な電気信号なのか?
脳の記憶装置を見つけ
その記憶装置を移植続ければ
人間は不老不死として生きていくのも可能では?
なんて
そんなSFチックなことを
考えてしまった。
でも
記憶自体は曖昧だし
間違って勝手に判断することもあり
決して機械的ではない気がする。
そこに何かが存在しているから
人はロボットではないのだ。
そこに、ひとが生きていく意味があるはず。
その意味を見つける旅は
これからもずっと続くのだ
生が先か死が先か
人のからだを構成している
細胞は
死の時を迎えるまでは
生き続けてるわけではなく
血液の細胞も、皮膚の細胞も
脳の細胞も
からだ全ての細胞は
ある期間で死に
新しい細胞に生まれ変わっていることが
わかっている。
僕たちは
老いて死ぬのが当たり前だと思っている
この仕組みが少しずつわかってきた、
実は
細胞の核にある染色体の中に
テロメアという部分が細胞の寿命
に関与していることが
明らかになったのです。
テロメアは
細胞分裂をくり返す度に
短くなっていくのです
いわば細胞分裂の残り回数を数える
タイマーのような働きをしている
と考えられ
テロメアがある短さになると
増殖することを止め
細胞の死を迎えることになるのです。
これまで
地球上の生物の世界は
敵地適所で生存できるように
進化を繰り返し
その進化の恩恵にあずかり
人間も新家氏他の生物にはない
高度の文明を手にすることができた。
でも
いま老化も死も克服できないでいる。
それどころか
僕たちのからだの中の細胞には
残りの寿命をカウントダウンする
染色体とともに生きている。
まるで死を迎えるために
我々は生きているのか?
進化を続けるなら
テロメアの内容に
突然変異や、老いることのないように
進化すればいいものを・・・と
考えるのだが
神やサムシンググレイトや偉大なる宇宙の力は
死を迎えることに意味がある。
そのために生きることが重要だと
いうことではないだろうか。
死があるから
僕たちは生きているのかもしれない。
だとすれば
生きる意味も、死ぬ意味も変わってくるのでは?
そう思うのです。
神の御業~「神曲」を読んで
川村元気作「神曲」を読んだ。
どんな作家かも知らず
どこか題名に惹かれて
手にした。
内容は
こどもが通り魔殺人事件の被害に会い
家族が苦悩するなか
新興宗教に家族でのめり込んで
宗教にすがる内に
人間の愛や悲哀に気づくという話。
この本で
予期せず神(宗教)にはまり込んでいく
その心理を学ばさせていただいた。
この小説の中に
神のような大きな力について語った
こんな一節があった。
この世の花びらの数は
3.5.5.13.21,34,55、89・・・・
という法則がある。
これは1,2番目の数を足すと3番目の数になる。
2,3番目の数を足すと4番目の数になるという
規則性があるというのです。
この自然の法則を
決めたのは人間ではない
自然界を支配する大きな力
これが神の御業だと思ってしまう。
みのまわりには
科学では解明できない
まさに神の御業としか考えられない
ことが確かに存在する。
実は宇宙の95%は
まだ解明されていない
未知の物質やエネルギーでできているそうだ。
科学が進歩しても
我々人間が把握できるのは5%。
この世の中は
人間の力の到底及ばない力
すなわち神の御業があることで
生きていくことができている、
神の力は
この目で見ることはできない。
音は聞こえないけど
確かにそこにあるものがある。
この世界から失われたものも
じつは永遠という世界には
きちんと存在している。
人々は
目に見えない
人智が及ばない世界にも
目を耳を意識を向けないといけない。
ハーモニーが心地よく感じた時は
神が創造した宇宙と人間の意識が
調和したから。
確かに神の世界はあるということを
僕たちに訴えてきた一冊でした。
免疫力の敵はストレス
がん細胞は
毎日体内で発生しており
ごく初期の段階
人間が感知できない状態のような
小さい状態であったら
免疫細胞の力で
日々除去されているのです。
しかし
何らかの免疫が働かない状況になると
免疫系の警戒網をかいくぐって
がん細胞は増殖し
いろいろな場所に転移し始めるのです。
免疫の力を落とす最大の敵は
ストレスと考えられます。
からだが肉体的、精神的な
ストレスを感じると
ストレスに打ち勝とうと
ステロイドのような
ストレスホルモンが活発に分泌され
血圧を上げたり、血糖値があがったり
ストレスに耐えうるようにからだを変化させています。
ストレスホルモンは
通常外来生物からの攻撃する時に
戦えるようにも上昇している免疫力を下げ
免疫システムが使っていた
エネルギーや栄養素を
ストレスと闘うための他の緊急システムに
振り分けるのです。
ですから
人は常に強いストレスに置かれると
免疫システムを抑制している状況が続き
がん細胞さえも除去できなくなってしまうのです。
ストレスは
免疫力の敵なんです。
ウエストサイド・ストーリー
1961年に公開された
ミュージカルの名作を
名匠スティーブン・スピルバーグ監督によって
リメークされた
「ウエストサイド・ストーリー」を
観てきました。
ウエストサイド・ストーリーは
もちろん前作も観たし
劇場でのミュージカルも観たし
どれも感動した
内容だけでなく音楽も大好きなミュージカル。
その名作を
今回巨匠がなぜ、リメークに取り組んだのか?
も知りたくて
初日に早速観に行った
感想は
ひとこと素晴らしかった
あっという間の時間だった。
リメイクであり
時代背景も、内容も
ほとんど変わりないのに
始まった途端
バーンスタインの音楽と踊りにに
引き込まれ
あっという間に
ジェット団とシャーク団の抗争にハラハラし
マリアとトニーの愛情物語にドキドキし
こころを捕まれたままで
あっという間にエンディングを迎えていた。
1957年のニューヨークであり
今から60年以上前の話であり
白人移民と有色人種移民との縄張り争いの抗争
その抗争で
若者が傷つき
歴史が繰り返されたことを嘆き
その中で
ロミオとジュリエットの世界が
絡み
人類の愛も変わってないことを再現する。
オリンピックが開かれている
オリンピックの時は戦争をしないようにという
停戦の暗黙の了解があったようだけど
そんなことお構いなしに
世界には一触即発の地域がある。
そして
コロナによって
人々の生活の中で
あらゆる分断の芽が吹き出している。
こんな問題だらけの現代社会。
60年前と
何も変わってないじゃないか。
何をやってるんだ人類。
このままではもっと大きな悲劇が生まれる
という
スピルバーグ監督の思いが
リメークされた背景にあると思う。
色んな思いとは別に
監督は作品としても更に輝かせ
音楽もダンスも素晴らしく
最高のエンターテインメントに仕上がってるのも
さすがとしか言い様がない。
是非
この作品は映画館で味わって下さい
免疫力でガンに挑む
ガンは
医学が進歩して、
様々な検査、治療が発達しても
まだ根治するに至ってない
文字通り
癌は意志が硬いのか
一筋縄ではいけない
難病である。
19世紀末
ガンの患者さんが
最近に感染し高熱に苦しんだ後
しばらくして
ガンが縮小したことが報告されたことがあった。
免疫力が注目される昨今
がん治療においても
免疫治療法の開発に期待されている。
しかし
ガンの画期的な治療法ができないのは
ガンの発生における
根本的なところを考えないといけないから。
元々
免疫が働くのは
ウイルスや細菌などの
体外から侵入した外来生物に対して
身を守るために働く力。
しかし
ガン細胞は元々は体内の細胞であり
からだの内部で勝手に増殖し、転移し
正常な細胞や組織を侵すという点では
細菌やウイルスと同じ敵ではあるが
ガンは外からやってきたエイリアンではなく
元来は自分自身の細胞であったこと。
だから
自分の免疫が自分を攻撃しないような術を
心得ているから
なかなかガン細胞のみをターゲットとする
免疫療法が確立できない理由である。
だから
ガンが発生した意味を
もっと、もっと深く考えないといけないのでは?
生活、生き方など自分を見つめ直し
暴走した理由を見つけることが
ガンという暴走細胞を止める方法なのだと思う。
総論はわかっていても
各論では、まだ結論に至るのはむずかしい。
ただ今気づいていることは
自分自身をもっともっと愛する生き方に
ヒントがあると思うのです。
メンタルクリニック
メタトロンを受けられたから
受けられた後
様々な感想をお聞きすることがある。
先日受けられた
女性起業家の方は
「ここのクリニックは
メンタルクリニックでの
治療を受けた気分になります」と。
メタトロンでは
基本的にからだのエネルギー状態を
チェックしています。
平たく言えば
自然治癒力にみなぎってるのか
低下しているのかを
臓器ごと、からだすみずみまで
チェックし
低下しているとことには
メタセラピーという治療を行い
自然治癒力の調整をしています。
このように
メタトロンをしていると
元々人には病気にならないような力
すなわち自然治癒力があることが
目に見て確認することができます。
そして
今エネルギー低下が
起きている臓器は
それだけ自然治癒力を使って
元気に過ごせるように
からだが頑張っている
からだの苦労に気づくことで
これからの過ごし方が変わり
いえ、変わらないと
健康に過ごせないことを
教えてくれているのです。
考えてみると
人間のからだは肉体だけで
できているのではなく
肉体をこころとそして魂の
三位一体のバランスがとれることで
健康に過ごせるのです。
ですから
メタトロンの間
患者さんと様々な話をします。
日々の過ごし方はもちろん
頑張ってること
悩んでいること
うれしかったこと
人間関係まで・・・・
話すこと
口から出た言葉は
全てこれからの生活のヒントになっているのです。
ひと言でも
どんな些細な単語も聞きのがせません。
メタトロン中の全ての言葉は
からだからのメッセージなのです。
改善するためのヒントでもあるのです。
ですから
そのからだからのメッセージを
メタトロンの結果とともに
伝えることで
その気づきがあるので
患者さんのからだは改善し
患者さんによっては
メンタルクリニックと感じられるのかもしれません。
からだを治すためには
肉体を見るだけでなく
こころもそしてできれば魂をも
診ることが重要だと
教えてくれた患者さんのひと言でした。
3つのエレメントでできている
今の世の中
コンピューターが進歩し
全てのもの、事柄を
「0」と「1」の2つで
表し、進歩してきた。
しかし
全てのものは
2つの事柄でできているのではなく
実は3つだと思うのです。
今肌に感じるもの
目に見えるもの、聞こえるもの
手でさわれるもの、匂いを感じるもの
それぞれ
感じられるものがあるからわかる
そして
その五感をもっている我々がいるから
それらは存在できる。
しかし、それだけではなく
感じようという意志が働くことによって
初めて
そのものは存在する。
つまり
感じようとする、感じたいという
目に見えないエネルギーの存在が
ないと
この世のもの全て
存在しないと思うのです。
昔から
人々は3つのエレメントを感じてた思うのです。
世界中の神話には
「太陽と月ち地球」を意識し
キリスト教では
「父と子と聖霊」
日本の古事記でも
「三種の神器」「三貴紳」を
尊びました。
現代物理学でも
原子は
「陽子」「中性子」「電子」の3つから
できていることがわかっています。
全てのものも
3つのエレメントからできているのです。
からだも
「肉体」と「こころ」そして
「魂」から成り立っていることを
意識することで
健康に過ごせるのです。
何のために生まれてきたか?
あなたは何のために
生まれてきたと思いますか?
これはなかなか答えの見つからない
大命題ですよね。
お金を儲けて、欲望を満たして
気楽にふけって楽しく生きるためにうまれてきた?
何も目的もなく
ただなんとなく生きていられる間は
生きていこうと思うのか・・・
これだけでは
鳥や獣と変わりませんよね。
中村天風先生が
インドのカリアッパ聖人の下で
修行していたときに
「人間はこの世に何のために生まれてきたと思う?」と
聞かれたそうです。
先生も即答はされずに
考えに考えて
「人間は宇宙本来の面目である
進化と向上に順応するために生まれてきた」
と答えられたそうです。
宇宙本来の面目?
進化と向上に順応するため?
字を目で追っただけでは
何のことなのかは
わからないですよね。
でも
口に出して、声をだして
「僕は宇宙の進化と向上のために生まれてきたのだ」と
お経のように何度も唱えていると
ふと宇宙と進化に順応するということは
「みんながしあわせになれるように努力すること」
ではないかと思ったんです。
みんなとは
自分の知っている人のことばかりではなく
人間も動物も植物も、
全ての生けとし生きるものなんだと。
みんながしあわせになれるように
生きていけば
あなたの周りのしあわせがどんどん広がり
僕もあなたも、みんな
こころもからだも健康に
しあわせになれるのだということではないでしょうか?
偶然ですが
10年前に当院を開院したときに
ここからしあわせが広がることを願い
そのために僕は働こうと
当院を開院しました。
今日から11年目スタートです。
医療を通して
みなさんがしあわせになれるために
進んでいきます
所有するとは支配したいから?
ものにあふれ
物欲にまみれ
ものを所有することに
こだわる我々。
お金だって
一度手にすると
手放すことができなくなって
もっと、もっとという気持ち
ばかりが大きくなる。
お金もそうだけど
もっているもの全てに
名前をかくことはできず
所有を証明する明確な方法はないので
人々は
一秒も休まず
「これは私のものだ」
「これはぼくのものだ」
「これは我々のものだ」と
叫び続けなければならない。
そして
ものをもてばもつほど
物質ではなく不安が増えていることに
気づかなくてはいけない。
ものをもったと思った瞬間に
実際は
ものにこころが支配され
もっと欲しいと思った瞬間から
人間は壊れはじめる
ものにこだわることで
不安なこころが増大し
人間が壊れはじめることがある。
ものをもとうとするより
手放した方が
楽なのかもしれない。
今
緊急事態宣言を
だそうかどうかの瀬戸際だとか?
緊急事態宣言で何を守るのだろうか?
こんな時代だから
どう生きていけばいいのかを
我々に伝えてくれている気がする。
そんなことを
コロナウイルスが伝えたいのかもしれません。