3年前の今頃
僕は、リハビリ専門病院に転院して
土曜も、日曜日もなく
休むことなく
毎日4コマのリハビリをくり返す毎日だった。
リハビリは
機能の回復を単にするだけが目的でなく
リハビリを通して
自分の中に住んでいる
存在に気づき、
一緒に生きていくことに
目覚めていくことなんだと思う。
そういえば
脳梗塞発症後のリハビリを続けられていた
免疫学者の多田富雄先生は
もうひとりの自分を
「鈍重な巨人」と表現され
次のように書き残している。
わたしの手足の麻痺は
脳の神経細胞の死によるもので
決して元に戻らないことぐらいのことは
よく理解していた。
麻痺とともに、何かが消え去るのだ。
普通の意味で回復なんてありえない。
もし、機能が回復するとしたら
元通りに
神経が再生したからではない。
あらたに創り出された物だ。
もし声を取り戻しても
それはわたしの声だろうか?
一歩踏み出せたら
それは失われたわたしの足を借りて
何者かが歩き始めたのだ。
もし、右手が動いて何かを掴んだとしたら
それはわたしではない
何者かが掴むのだ。
得体の知れない
何かが生まれている。
もしそうだとしたら
そいつに会ってやろう。
わたしは新しく生まれ変わるのだ。
あたらしいものよ、早く目覚めよ。
今は弱々しく鈍重だが
彼は無限の可能性を秘めて
わたしの中に胎動しているように感じた。
わたしには彼が
沈黙している巨人のように思われた
・・・・と綴られている。
僕も多田先生のように思う。
リハビリは
新しい自分が目覚め
自分に生きる力を与えてくれる
大きな力を感じた。
大きな大きな存在
それを
僕は心の中にいる神なんだと思った。