月別アーカイブ: 4月 2023

コロナ後の世界は相互依存で

この春は
やっとコロナという雪解けがはじまり
あちこちで色んな物が芽吹き出すような
人々の活力と希望にあふれた
春を迎えました。

それでも
3年間という長きにわたる
コロナウイルスのキヅ後は
僕たちのこころの中にも深く刻まれています。

人間は、安定を望むので
変えるということは苦手です。
今回も、マスクを外していいと言っても
どうしていいのか、決断できなく
総理大臣でさえ
個人の判断などという答えになるのです。

でも、この答えも
実は人間らしい発言だとも
言えるのです。

今一度感染対策のおさらいですが
感染経路はウイルスとの接触以外にはない
ということ。
ですからマスクの意義は大きいので
外すかどうかの判断に迷うのです。

また
SNSを含め、マスコミ報道など
真偽の判断すらできないような
情報が氾濫していること。

何が正しいのか、正しくないのかが
判断できず
どんどん不安が増してしまうのです。
それは、感染だけでなく
戦争などの外交問題でも著明になることです。

これらのことを含んで
解決することのひとつの考え方は
「相互依存」しているということです。

僕たちは、みんな
太陽からのエネルギーを頼りに
お互いが依存し合って生きているのは
間違いありません。

ですから
マスクを外すかどうか情報や国策を
批判する前に
自己免疫力を劣化させないための
健康管理をふくめ
感染しない、感染させないように
する努力を、行動をおこすことが
大事になってくるのでしょう。

根本にあるのは
お互い寄り添って生きていることを
意識することが大事なんだと思います。
それを政策的に言うと
「個人の判断で」という意味になるのでしょう。

あなたひとりで生きているわけではない
相互依存して生きていることを
基本に考えて
これからのコロナ後の世界を生きていきましょう。

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百姓百の声

柴田昌平監督の「百姓の百の声」という
映画を観てきた。
題名からしてこれは農業に関する映画
内容は
農家の方々のインタビューにて
構成された映画。

観る前は
農業も農家にとって厳しい面がある。
農家がどんな困難と共に
どんな風に生き抜いてるかをあぶり出す
現代社会における
農業の問題に焦点を当てた映画だと思った。

だから
畑違いに生きる方々の姿を知ることは
これからの自分にとって
きっと意味があることではないかと思い
正直
あまり期待せずに観にいった。

観にいった感想は
観にいって良かった。
この映画で紹介された
農家の方の生きる姿、言葉が
ストレートに僕の心に響いてきた。

見終わった感想は
農も医学も
人のいのちも、植物のいのちも
結局自然のなかで
循環して生きていることを強く感じた。

そして
数々の困難を、創意工夫に乗り切った
農家の方々のインタビューをきいていると
農業の世界も
植物の生育にとって必要なことが
目に見えないけど
そんな見えないことを
観察することで、見えるようにすることなのだと
ある農家さんが仰ってた。

そして
柴田監督さんが
「資本による技術の囲い込みで
行きつく先は貧富の差のある世界。
農家の人に息づく
『共有の智』こその社会に必要なのではないかと」
と語られてた
深い意味をこの映画を観ることで理解できた。

結局
生きることについて
考えることができた映画だった。

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横山大観の風景画からの学び

横山大観の絵画を
まとめて鑑賞できる機会がありました。
横山大観といえば近代画壇の巨匠であり
多くの富士山を描いた印象的な絵画を
遺している。

実際に観れたのは
2000点以上あると言われる作品の内の
わずか数十点であったが
どの作品も
こころに訴えてくることがある。

自然描く
その先に、大観の眼差し
心情を感じずにはおれなかった。

静物画は
絵の技術的手法を直接
感じることができる。
けれど
同じ風景がでも
イタチ、雀、リスなど
生き物を描かれていることもあった。

その絵を観ていて
動物の愛らしさに引き込まれるたが
その瞬間
時が止まったのです。

それまで
風が吹いて
葉が揺れ、枝がしなっていたのに
リスが実を食べようとしたり
イタチが気配を感じて振り返った瞬間
その自然の中で
自然の中に流れる悠久の時間を
描かれた生き物が登場しただけで
生き物が生きようとした
時間が切り取られるのです。
そして
生き物の眼差しが
訴えてくるのです。
たくましく生きたい
自然を敬い
生き物の命を慈しみ
・・・・様々な感情が感じてくるのです。

これは
作者の気持ちかも知れません。

今回
横山大観の絵画を観て
風景画の魅力
横山大観の思いに触れることができ
新たな絵画の魅力に気づいたのです。
こう発見させるのが、巨匠の所以なのかもしれませんね。

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チャンスをつかむ

チャンスがない
運がないって
嘆いてないですか?
あきらめてないですか?

実は
チャンスは
誰にも平等に与えられているんです。
そして
チャンスは
自分のまわりに
たくさん転がっているのです。

”チャンスがない”
”運がない”って
嘆いてる人と
チャンスをつかんでいる人との
大きな違いは
自分の周りにある
チャンスに気がつくか
どうかなんです。

チャンスをつかむためには
どうしたらいいのでしょう?

あなたは
人から何か頼まれたときに
どんな風に対応してますか?

即答できますか?
後で、考えてお返事しますって
返事を先送りしていないですか?

実は
頼まれたときに
即答できるかどうかが
できるだけ早く返事をすることが
仕事だけでなく、
何事においても
福を呼ぶ、チャンスをつかむ
というこにつながっるような気がします。

即答する力を身につけるために
何をするべきなのか?

ぼくは、日ごろから
まわりの事をよく観察すること
つまり
まわりに今何が起きているのか
観察し、判断する、そして動く
力を磨くことが
必要なんだと思いいます。

まわりのことを
よく観察するためには
好奇心と人に対する思いやりの気持ち
が大切ではないかと思います。

人に喜んでもらおう
人の役に立ちたい
という気持ちをいつも持っていれば

自分にできることはないか?って
まわりに対する観察の目が広がることでしょう。

その力は
自分だけに使うものではない

そして
誰かが察するSOSのサインを
いち早くキャッチでき
いち早く手を差し伸べることが
できるようになります。

その行動を起こすことが
日頃からの
心がけ、即答することで
磨かれる気がします。

まわりの人の
役に立ちたい
喜ばせてあげたい
そんな気持ちで日々過ごすこと

そんな行動力が
自らにもチャンスを生み
そして
多くの人にも
しあわせをもたらすことに
なるんだと思います。

☆ 今日の山口は、曇ったり雨が降ったり
なんだか落ち着かない天気です。
天気のように、僕の毎日も
昨日は昼周南、夜は下関。今日午後は防府市で
あっちに行ったり、こっちに行ったり
忙しいけど、楽しんでる自分がいます。
動けば、動いた分だけ出会いと学びがあるから^ ^

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真のカルテに書くことは?

カルテには、普通
症状が
いつから、
どんなふうに起こったのか、
どのようになってきたのか
事細かに記録していきます。
そして
その情報を元にして
診断、治療に繋げていく
とても重要な作業です。

でも
病気は
症状が出てから始まったわけではなく
その人の無理な生活
頑張りすぎた生き方
ストレスに感じる環境
心の悩みなど
日々からだが蝕まれきた結果が
症状として現れるのです。

ですから
症状が出てからのことを尋ねたり
症状が出た後に
たくさんの検査をしても
病気の状態がわかるだけで
真の病気の原因に迫ることはできません。

医療を施す前に
病気の原因を見つけないと
本当の治療はできないはず。
ですから
医者は、症状についてだけでなく
患者さんに聞かないといけない
ことがあります

“からだに負担になる生活をしてませんか?”
“何を食べていますか?”
“何を飲んでいますか?”
“毎日頑張りすぎてないですか?”
“心に悩みを持ち続けていませんか?”
“ご家族、ご友人と仲良くしていますか?”

“つらいことがあれば、なんでも話してください。
何でも吐き出してください”

あなたの生き方が
あなたのからだの細胞ひとつひとつに
影響しているのです。
細胞のひとつひとつの
訴えが症状になって
あなたに訴えてきてるのです。

だから
カルテには
症状のことだけでなく
実は
その人の生き方を
記録するものでなければならない
と僕は思います。

昔から“医は仁術である”と言われます。
その意味は
医者は
病気だけを診ればいいのではなく
目の前の患者さんの全てを診る
全人的な力量が求められるからでしょう。

医者は
からだが病む時も
心が病む時も
そして
心身が病まないように
いつでも寄り添える存在で
なければならないのだと思います。

だから
医者の前では
包み隠さず、恥ずかしがらず
何でも素直に、正直に
話してください。

あなたの口から出る
真実の言葉が
病気の真の原因を教えてくれます。

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種まき

必ずあたえられたものがあるはず
人にしてもらったら
手を合わせて
必ずありがとうと言おう。
ありがとうを言えたぼくも
ありがとうを言われた人も
きっと、喜んでくれる
ありがとうの一言で
喜びの輪が広がってくれる
感謝の気持ち
感謝の一言で
喜びの種
しあわせの種を
まくことができる
ぼくにも、あなたにも
必ずあたえられたものがあるはず
人にしてもらったら
手を合わせて
必ずありがとうと言おう。
ありがとうを言えたぼくも
ありがとうを言われた人も
きっと、喜んでくれる
ありがとうの一言で
喜びの輪が広がってくれる
感謝の気持ち
感謝の一言で
喜びの種
しあわせの種を
まくことができる

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老いても老いていないこと

「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり・・・」
これは平家物語の有名な最初の部分。
人生のむなしさ、はかなさを述べています。
ということは
諸行無常をいう
変わることが運命づけられることが
人がいきていることなのかもしれない。

人生は諸行無常
常に変化する物だから
人はいつになっても成長することができるし
病があっても
癒えることもあるということ。

我々の細胞も
常に変化していて
日々分裂し、すべての細胞が数年経てば
新しい細胞に置き換わってるという
変化している中に生きています。
これは、諸行無常に生きることが
我々の人生のさだめですが
それは常に続くわけではなく
一定数の分裂を終えると
死を迎えるようにプログラムされています。
その過程の変化が
老化の生物学的な変化と言うことになります。

心身ともに衰退していく反面
これまで培ってきた豊かな経験や知識が
次世代の発展に大きな意義を持つように
輝きを増すこともあります。

世阿弥の風姿花伝には
「老木になるまで、花は散らで残りしなり」と
書かれています。

つまり
人は、夢と憧れを失ったときに
真の老いを経験するのです。
その原因のひとつは
身体能力的に働けるのに
その活躍の場を奪われることかもしれません。
定年など、現社会では
世の中の決まりがあります。
例え、その社会の仕組みの中で
これまでの人生が途絶えたとしたなら、
それをチャンスと考え、
すべてをリセットして
新たな1歩を踏み出すチャンスにしましょう。

リセットしていく力をもつことが
老いても老いない方法のひとつです。

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人とのつきあい

これまでの人生を振り返った時
僕を成長させてくれた人
気づきを与えてくれた人がいます。

実際にお会いしたことがない方でも
僕の生きる道の影響を及ぼした方がいらっしゃいます。

いつまでも、亡くなるまでまで医師として
素晴らしい活動を続けられた日野原先生。
心のあり方を
教えていただいている渡辺和子さん。
そして
なぜか心惹かれる良寛さん、空海さん。

みんな自分を成長させてくれる
メンターなんだと思います。

そして、メンターとは逆に
ライバルという人もいます。

ライバルって
僕にとって気になる人
今の自分に刺激を頂いている人
じゃないかと思います。

つまり
自分のするべき、なすべきことを
ちゃんと持って進んでる人。

そう考えると
これまで出会った頑張ってる人は、
みないい意味でのライバルです。

本当にいい刺激をもらって、
彼らにいい刺激を与えようと
切磋琢磨している気がします。

それが自分にとっての
ライバルなんだと思います。

そして最後に
応援したくなる人もいます。
その人は
頑張ってる人。

患者さんもそう、
友達でも、
知り合いでも、
たとえ実際にあったことがなくても
ニュースで知ったような頑張ってる人。

頑張ってる人を応援したくなります。
そして家族も。

その人達に
応援できるやり方は、
みんな同じじゃないし、様々。

だから、
あなたにいつも応援している、
大事に思ってますという気持ちを持つこと。
そのサインは、身近にいてもいなくても
必ず通じるものだと思ってます。

誰と付き合うにしても
お互い成長することで
自分もまわりの人も
もっと輝き、、喜びを
持っていただけたら
こんなにうれしいことはないです。

気持ちがある限り
お互いの関係は
更に発展するものだと
信じています。

自分の付き合いのポイントは、
ズバリ信頼です。
この根本が、
お互いの絆を深めて行くのだと思います。

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不要なものを捨てる

いつも毎日色んなものに囲まれて
生活しています。
今こうして、自分の周りを見渡すと
物って不思議だなぁって思います。

昔、
成長してくれたものかもしれないけど
でも、今の自分にとっては
不要になってしまったものって
以外とあるんじゃないかなァって思う。

そんな今は不要になったものでも
感謝の気持ちを持つこと。

その気持ちを持っていれば
たとえ捨ててしまっても
心の中で成長の証として残ってくれると
思います。
そこで、考えてみました。

僕を成長させてくれて
今は不要になったもの。
それは
医学生時代に学んだ教科書です。
医学部卒業して20年以上経ち、
その時使っていた教科書を
開くことはほとんどなくなった。
でも、最初に
教科書を開き勉強を初めた
その時の気持ちは今でも忘れない。
今も、その本の背表紙を見ただけで、
その当時のこと、
必死で勉強した時のことを
思い出してくれる。

教科書は、
医学の知識を得ただけでなく、
医師としての自覚、
人間との生きる道を教え、伝えようとしていたと
今も思わずにはいられない。

医学的内容は
今は古くなったものかもしれない。
でも、
その時の思い出、感じたことが
ギュッと凝縮してそこにはある。
今、そのページを開くことは
ないかもしれない。

でも、
僕が今医師をできるのは、
この本で学んだことから
始まったのは確か。
僕の医師としての
生みの親そして
育ての親なのかもしれない。
だから、
決して粗末にはできない。

本棚の上で、
じっといつまでも静かに
見守ってくれている教科書たち。
ありがとうの気持ちを持って、
大切にしたいと思う。

今は自分の成長のために
不要になってしまったけど
僕の出発点の教科書に感謝。

あなたの
今不要になってしまったものってなんですか?

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