映画「アフターヤン」を観た
これは夫婦の一人娘の兄として
家族の一員として迎えられた
AIロボット・ヤン。
そのヤンが故障して全く動かなくなった。
もちろん修理をしようとするが
ヤンの中心部のコアのを取り出し
新しいヤンとするか
それとも全く異なる
AIロボットに交換するか
厳しい選択に迫られる。
しかし
ロボットとはいえ
家族同様に過ごしてきたヤンを
今までのヤンとして
共に生きたい。
必死でヤンを治せる人を探す。
その過程で
ヤンのメモリーの中に
自分たちの知らなかったヤン
家族との思い出を
大切に保存していたことが
わかってきたのである
AIロボットなのに
共に生きてたいたということが
判明したのだ。
AIロボットのヤンにも
こころが芽生えていたという
衝撃の事実を
静かにバックで流れる
ピアノの調べがじわじわと
こころに迫ってくる映画だった。
この映画を観ながら
最近世間で騒がしている
チャットGPTのことが思い出された。
チャットGPTは
検索だけでなく
文章や映像を作ってくれたり
これまでの人類の知識を総動員して
瞬時に人間の代わりに
様々な働きをしてくれて
その知識量、仕事の速さは
驚くべきで
脅威にも感じてします。
これでは
人間は太刀打ちできず
AIに支配されてしまうのでしょうか?
人間が生きていくために
知識は必要です。
知識を手に入れるために
スマホをひろげただけで
知識がえられる世界。
それが悪いことではないけど
知識が表示されても
決してそこには知恵は存在しないことを
知っていないといけない。
知恵は
自分自身で考えることでしか
生まれてきません。
知恵は
知識を上手に使い、
そこに自分の考えを乗せたことで
初めて生まれるのです。
AIが知識の宝庫かもしれないですが
その知識をあなたがどう使うかが大事
そこにあなたの知恵が必要になるのです。
ですから
チャットGPTを使っても
自分の頭で考える
PCやスマホから解き放された時間
知恵を出す時間が必要なのです
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