月別アーカイブ: 7月 2023
期待してください
当院は
赤ちゃんからおとなまで
様々な年齢の方を対象としているので
外科的な処置が必要でなければ
診療をしています。
ですから
色んな目的で受診されてこられます。
主治医の先生が
お休みなので
いつもの薬だけ欲しい。
とりあえず今の状態を診てもらいたい。
コロナワクチンの時期なので
コロナワクチンだけでなく
ワクチン接種だけお願いします
などなど
当院の受診目的は様々です。
僕の目の前に
座った患者さんは
患者さんの目的が薬だけであろうと
100%、全身全霊を込めて
診察しています。
日頃診てもらってる主治医の先生ほど
患者さんのこれまでのことはわからなくても
今僕がわかる範囲で
できることをしよう
診察後
主治医先生の迷惑にならないように
診療をしようという思いで
患者さんを診させていただいていますが
・・・・・
患者さんには
当院を受診した思いはまちまち。
薬屋さん感覚で
この薬を下さいとか
注射だけでいいですとか
露骨にいわれる方もいらっしゃいます。
患者さんとの出会いも
一期一会かもしれないけど
いい出会いになればと思って
診療をしているのですが
診察室で
医者と患者という立場で
相対していますが
その前に
お互い人として
向き合っていることも
忘れてはいけないと思ってます。
もし、目の前の患者さんが
この先生は、偉大な人なんだ
この先生について行けば大丈夫。
この先生について行けば
頑張れるし
どこまでもついて行きます
なんて言われると
奇跡でも起こせそうです。
逆に
何か間違えでもしたら
糾弾してやる・・・なんて目でおられたら
萎縮して
いい診療なんてできません。
医者のパフォーマンスは
患者さんに期待されると
上がるんでスンね。
これは
医者だけではなく
学校の先生や塾の先生に
期待すると成績が上がるし
お父さん、お母さんや
ご夫婦でも相手に期待すると
期待した本人にも
結局いい結果を産むということは
心理学の世界では
よく言われることで
ビグマリオン効果と呼ばれています。
是非
この先生はいい先生だと思って
いただけると
僕の力は100倍にも1000倍にもなって
患者さんもっともっと良き方向に導けます。
☆ 自身の経験をもとに、今感じていることをまとめた
拙著「どう生きてどう死ぬか 脳出血を経験した小児科医が観た生きる道」を
上梓させていただきました。
この本で記した僕の経験が、思いが
医師としてだけでなく、病いを経験したひとりの人間として
ひとりでも多くの方のお役に立てることを願うばかりです。
Amazonで購入できます。https://amzn.asia/d/3kIDJaR
全人的に診療するとは
我々医師は、毎日
患者さんのからだを
毎日に診させてもらっています。
患者さんのからだを
診察するってこと
つまり病気を診るために
医師は
全てを全身全霊込めて
患者さんと向き合っています。
でも
医者も人間。
これまで生きてきた中で
様々な勉強、経験をして
最高の治療を提供していくために
勉強しています。
しかし医師も人間
医師それぞれ
考え方も違います。
色んな考え方に対して
医者はこうあるべきだと
医師を戒めるような言葉があります。
最近よく耳にする言葉に
「病気を診ず、患者さんを診なさい」
「全人的に患者さんを診なさい」と言われ
そうあるべきだと
僕も思います。
しかし
言葉で言うのは簡単でも
実際は難しい。
病気の痛み、つらさなどの
症状をこることは
医師として医師としての経験、知識を
駆使すれば
患者さんの臨むレベルの治療をすることは
可能かもしれません。
でも
病気をしたことによって
生活がどう変わったか
お金に困っている
ご家族が困窮している
職場や学校生活での苦悩
色んな問題が
病気になったことで表面化し
それが原因かもしれない
大事な事柄なのもわかる。
だから
病気を診るだけではなく
患者さんの生活、生き方にまで
意識を向けないといけないということを
僕は思うし
その意味で、「全人的」という意味は
理解できるけど
それを、僕ひとりの力だけで
解決することは難しい。
病気が治すためには
なんと言っても
本人の力、そして気づきが必要なのは
わかってきている。
生命を含めて
患者さんの苦しみの全てを
解除するのなんて、無理な話。
そんなとこができるのは
神様しかできないでしょう。
ただ医師として
僕ができることは医師の仕事は
検査したり
投薬、手術などの医療行為を
おこなうだけでなく
病気がよくなって
仕事も、人間関係も改善し
将来が明るくなることを
病気を診ながら
その患者さんの明るい未来を
祈ることが
全人的に診ることなんだと思う
☆ 自身の経験をもとに、今感じていることをまとめた
拙著「どう生きてどう死ぬか 脳出血を経験した小児科医が観た生きる道」を
上梓させていただきました。
この本で記した僕の経験が、思いが
医師としてだけでなく、病いを経験したひとりの人間として
ひとりでも多くの方のお役に立てることを願うばかりです。
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本物の味を知る
入院を経験したことのある方から
こんな話をきいた。
入院中
治療のため
絶食を強いられていた時期が
あったそうです。
絶食中
絶食後初めて食べるものは
どんな食べ物でも
どんなに美味しいことだろうと
思っていたそうです。
しかし
絶食後はじめて口にした
おかゆがとてもまずかったと
教えてくれました。
おかゆは
お米と水が大切なので
とてもシンプルな分
最高のごちそうになるけど
まずい食べ物になるのです。
その患者さんは
舌で感じる味覚の感覚が
絶食したことによって
磨かれ、敏感になったのです。
おいしい水、お米の味を
区別できるようになったのでしょう。
それからは
それまで嫌いだった野菜のおいしさが
わかるようになって大好きになったとか。
僕たちがおいしいと感じるのは
舌で感じた味覚に対して
驚きがあるときなんだと思う。
この驚きを産むために
最近テレビでは
魔法の粉とか、別の素材を使って
驚きのおいしさを演出しようとしているものが
増えてると
舌の味覚が衰え、
本物を知る感覚が麻痺してしまいます。
いわゆる
おいしさを手軽に感じるために
巷では
添加物が多く含まれる食品にあふれています。
実際
舌が元気だと
添加物が多いと
味が濃く感じたり、
なんだかその素材に違和感を感じて
食が進まなくなるのです。
おかゆでさえまずく感じた患者さんは
絶食したことによって
舌の麻痺していた感覚も
改善したのでしょう。
現代は
一年中、季節に関係なく
好きなものをいつでも食べられる
時代に生きているのはのは
しあわせなことでしょうか?
最近、肥満や腸の異常で
受診される方が増えてきている気がします。
自然にあるはずの
本物を取り入れていれば
こんなに今苦労しなくても
良かっただろうにと
食生活の話をききながら
思います。
今からでも遅くありません。
人の手のなるだけかかっていない
自然にある本物のものを
取り入れて生活して欲しい。
そのことをお伝えしたく
患者さんにお話しています
☆ 自身の経験をもとに、今感じていることをまとめた
拙著「どう生きてどう死ぬか 脳出血を経験した小児科医が観た生きる道」を
上梓させていただきました。
この本で記した僕の経験が、思いが
医師としてだけでなく、病いを経験したひとりの人間として
ひとりでも多くの方のお役に立てることを願うばかりです。
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学会参加で最先端の医療に触れる意義
コロナ感染も5類になって
コロナ前の生活に戻りつつある。
医学界でも、学会も対面で
行われることが増えた。
学会に参加する目的は
最新の医学の知識を得ること
今問題となってることをブラッシュアウトすること。
そして、なんといっても
ひとりで診療していると
ひとりよがりになりそうな診療を
見直し、頭を活性化するのも大きな目的。
以前に
谷口英樹横浜市立大学医学部教授の
iPS細胞を使った肝臓再生医療についての話
「ヒトiPS 細胞を用いた代謝性肝疾患に対する新規治療法の開発」
を聴く機会があった。
山中教授が発見したiPS細胞。
その素晴らしい細胞を人にどのように活用するか
それが大きな課題。
それをどこまで臨床的に活用されるかは
これからの医療発展に大きく関わっていること。
iPS 細胞を
細胞として移植した方がいいのか?
臓器として移植した方がいいのか?
そこがまだ定まらない中
谷口教授は
肝臓の芽として移植を提唱されていた。
体内で組織の芽としての細胞を移植して
その細胞が体の状況に合わせて
変化してくれることを証明して
今移植界で、脚光を浴び
今後を期待されている
将来肝臓病で苦しまなくてもよくなる?
日が来る日近い・・・と
ワクワクして聞いていたけど
ふと思った。
人が考えたように
肝臓の芽の細胞が、めでたく肝臓として
働くようになるには
細胞に生命の息吹を吹き込まないと
肝臓には変化しない。
そのために
“生命の息吹”
何らかのエネルギーが必要ではないだろうか?
それは
もともと持っている治癒力?
生まれた時に備わっている生命力?
そして治りたいという本人の気持ち?
治ってもらいたいという家族の思い?
そして、もしかしたら
まだ生きよという
“神の叡智”が必要かも。
再生医療の成功には
技術では計り知れない
まだ、人間が到達していない
大きな力が必要なのだとも
講演を聴きながら感じた。
だから
どんな時も奢ってはいけない。
ただただ、純粋に
目の前の患者さんの幸せを願う気持ちを
忘れてはいけないと思った。
学会に参加することは
思わぬ知識。知恵を授けてくれる。
からだが動くうちは
しっかり参加したいと思う。
☆ 自身の経験をもとに、今感じていることをまとめた
拙著「どう生きてどう死ぬか 脳出血を経験した小児科医が観た生きる道」を
上梓させていただきました。
この本で記した僕の経験が、思いが
医師としてだけでなく、病いを経験したひとりの人間として
ひとりでも多くの方のお役に立てることを願うばかりです。
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あいさつ
あいさつと一言で言っても
時代や国によってもちがいます
あいさつは
人間が生み出した文化ではないかと
思います。
日本人のあいさつは
”おはよう””さようなら”などの言葉とともに
お辞儀を伴います。
言葉だけでなく
お辞儀などの動作を伴うので
その時のあいさつひとつで
相手に不愉快な思いをさせたり
相手にあいさつだけで気持ちが通じたり
あいさつをした数秒で
良くも悪くも、瞬く間に
自分の心が相手に通じてしまいます。
あいさつという字は
”挨”も”拶”という字
どちらも押すという意味があるそうです。
あいさつは
相手の心を押すこと
だから
相手の心に届くようにするのが
あいさつ。
あいさつひとつで
あなたの人間性が
相手に伝わってしまいます。
あいさつができることが
人間力のバロメーターの
ひとつにもなります。
どんなに忙しくても
数秒ですむあいさつが
できないわけはない
その数秒のあいさつに
心をこめる。
心をこめれば
あなたの心が
相手の心を押してくれます。
あなたの心が通じれば
相手のしあわせな気持ちになります。
あいさつは
人と人、心と心をつなぐもの。
あいさつには
自分のこころがあらわれる。
あいさつを磨くことは
自分の心を磨く生活道です
人に会ったら
心を込めたあいさつを
しましょう
☆ 自身の経験をもとに、今感じていることをまとめた
拙著「どう生きてどう死ぬか 脳出血を経験した小児科医が観た生きる道」を
上梓させていただきました。
この本で記した僕の経験が、思いが
医師としてだけでなく、病いを経験したひとりの人間として
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すべてうまくいきますように
映画「すべていきますように」を観た。
この映画は順風満帆な人生を送っていた老人が
突然脳卒中を発症し、倒れ
一命をとりとめるが
後遺症が残り
この状態で生き続ける人生を
悲観し
安楽死を望むようになり
その願いを叶えるために!?
娘達の奮闘を描いた映画だった。
フランスの映画だが
フランスでも安楽死、尊厳死は
認められてないようで
尊厳死を合法化しているスイスの尊厳死協会に
その段取りをお願いする。
その段取りを
勧めるなかでの
本人の、家族の、友人達の
そして本人の人生の葛藤を描いている。
主人公の娘さんは
父親の希望にそって動いていくが
父親が生きる希望を持ってくればいいと願うが
本人も
麻痺は回復する面もあったり
孫の成長する姿を観るのを楽しみにしていたり
生きたいと安楽死をあきらめて欲しいと思う気持ち
安楽死を合法的に勧めるために
法的な手続きを踏まないと行けず
警察を含めた法的な困難な問題を
乗り越えていかないと行けない・・・
そして、父親はスイスで安楽死が希望通りに
なるのか・・・という映画だった。
自分も脳卒中を経験し
その後麻痺は残っている。
ある意味、この老人のように
今までとは異なる面もあるが
死のうとは不思議に思わなかった。
そのおかげでか?
今も脳卒中前と同じ生活を営めている。
でも一歩間違えれば
生きていく希望を失っていたかもしれない
と映画を観ながら
自分の病気を振り返りながら
人ごととは思えず
そして
死の危機を乗り越えることができたことに
改めて感謝することができた
映画だった。
☆ 自身の経験をもとに、今感じていることをまとめた
拙著「どう生きてどう死ぬか 脳出血を経験した小児科医が観た生きる道」を
上梓させていただきました。
この本で記した僕の経験が、思いが
医師としてだけでなく、病いを経験したひとりの人間として
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薬を飲みたくない
メタトロンを受ける方だけでなく
クリニックを受診された方も
薬は飲みたくないとお考えの方は
年々増えている方は増えています。
確かに
薬を飲む=病気という意識が強いので
薬を飲むことということは
自分の健康でないと言われることなので
薬を飲みたくないと言うことは
わかるのですが・・・・
最近は
病気があっても、
薬を飲みたくない
西洋医学を受けたくない
と言う方は
メタトロンをご希望の方に多いようです。
確かに
メタトロンは
まだ病気であると診断されていないなら
薬を飲むような状況になりたくないから
メタトロンをうけるのはいいと思います。
しかし、既に症状があって
西洋医学にて病気と診断され
薬などの医療を拒否され
メタトロンに賭けてうけられる方もいらっしゃいます。
基本的に
薬を飲みたくない
医療をうけるかどうか悩むかたが
いらっしゃり
「薬を飲んだ方がいいですか?」と
相談されることもあります。
そんな時、僕は
「薬を飲まれてもいいですよ。
必要な医療は受けて下さい」と
お答えします。
なぜなら、医療をうけると言うことは
自分のことを大切にしているということに
つながるからです。
この薬を飲んで
手術をうけて、元気になるぞ
と考えることが大切なのです。
薬を飲むかどうか、手術をうけるかどうか
悩むときに頭に去来するのは
不安ばかりではないでしょうか?
医療を受けたときの不安
医療を受けないときの不安
その不安を天秤にかけているのではないでしょうか?
その不安を取り除くことはできません。
あなたの病気が治るかどうかは
あなたの気持ち次第な面もあるのです。
病気があったとき
明るく過ごすか、不安を抱えて生きるかは
その後の人生に雲泥の差があると言うことです。
ですから
自分を大切に思うなら
医療を受けるかどうか悩むのなら
医療を受けて見て下さい。
どんな医療も
あなたを病気から救うためにあるのですから。
☆ 自身の経験をもとに、今感じていることをまとめた
拙著「どう生きてどう死ぬか 脳出血を経験した小児科医が観た生きる道」を
上梓させていただきました。
この本で記した僕の経験が、思いが
医師としてだけでなく、病いを経験したひとりの人間として
ひとりでも多くの方のお役に立てることを願うばかりです。
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父親の愛と確執の中で
映画「銀河鉄道の父」を観た。
この映画は感のいい人ならおわかりかも
しれませんが
作家、詩人の宮沢賢治と
その父・正次郎さんとの物語。
そして、主人公は父親である。
映画のオープニングは
初めてのこども、それも男の子が生まれ
喜ぶ父親のシーンから始まった。
こどもの溺愛ぶりはすごく
賢治が赤痢で入院したときには
父自ら、周りの反対を押し切って
入院に付き添い
賢治の赤痢菌をもらってしまい
父親自身も赤痢にかかり
その後も胃腸は弱かったというエピソードが
流れ
父のこどもをどれだけ愛してかの
エピソードが紹介された。
でも
賢治が思春期を過ぎると
賢治自身の夢があり
やりたいことができてくる。
そして、父親には
家も商売も守らないと言えない
そのため賢治とぶつかり合うことが起こる
親子の確執が
親子でも男の子同士だと起こってしまう。
宮沢家でも
愛情があっても
家を守るために
進学や職業の選択でもめることは
どこの家でも多少なりともあるでしょう。
宮沢賢治も
将来やりたいことをし
信仰する宗教も家とは違う者を選ぶなど
父親と度々衝突するのです。
衝突しても、反対しながらも
賢治が不自由なく自分の道を
歩めるようにするのも
どこにある父子の姿かもしれない。
表面上はその父子の姿を
描いたハートゥームな映画に見えたが
賢治や父の正次朗さんの科白の奥に
深い意味がある気がした。
その映画を見終わって
以前TVで、宮沢賢治と父の秘史として
賢治も父も語っていない
伊勢神宮や真言宗などのお寺を回った
旅について
考察した番組をみた。
そこには
映画ではもちろん描いていないし
賢治の伝記などからは
伝えられなかった
賢治の思い、それを必死に受け止めようとする
父親との旅であったというのだ。
そのことを知ると
臨終の2人の関係
賢治が亡くなった後の父の深い行動も
納得できる。
結局
ひと言で言えば
父親は、こどものすべてを受け入れる
愛にあふれた存在であると納得した。
その父親の姿、行動の意味がわかったとき
正次朗の姿が
自分の父親の姿とも重なり
父親の愛情を改めて実感したのです。
賢治の人となりがわかればわかるほど
深く、深く
考えさせられるいい映画でした。
☆ 自身の経験をもとに、今感じていることをまとめた
拙著「どう生きてどう死ぬか 脳出血を経験した小児科医が観た生きる道」を
上梓させていただきました。
この本で記した僕の経験が、思いが
医師としてだけでなく、病いを経験したひとりの人間として
ひとりでも多くの方のお役に立てることを願うばかりです。
Amazonで購入できます。https://amzn.asia/d/3kIDJaR
死ぬまで医師として生きる
僕の使命のひとつは
医師として生きること。
それも肉体が朽ち果てる最後の瞬間まで
医師として生きていたいと思っています。
でも人生何が起こるかわからない
いつ命を蝕まれる事態に陥るかもしれない
もし、その様なときに
どう生きるか・・・・気になるところ
そんな時に
大阪府の済生会吹田病院元院長であられた
内野滋先生の
癌を患いながら、医師として生き抜いたという
お話を知ったのでここに書き留めておこうと思います。
御自身が膀胱癌に罹患していると知ったとき
次のように語っています。
「私は膀胱癌をした。が
これは医師にとって勲章だと思っています。
病気をすることによって、
患者さんのつらさというものが
よくわかったからです。
また、自分はどなたがなくなった後で
ゴルフの話をしているような医者には
なりたくありません。
そして、死亡診断書を書くとき
心から合掌しながら書くような医者で
ありたいと思っています」
この言葉に
医師として患者さんのいのちに
人生を捧げる決意が言葉からわかります。
先生は、膀胱癌と診断されたとき
膀胱を摘出し
人工膀胱を体外にぶら下げる不自由を
我慢すれば、膀胱癌は根治できるが
医者として働くこと
医師としての義務、使命を果たせなくなる。
その時、先生は根治術を選択せず
医師として生きる道を選ばれたのです。
先生は、
根治術をしない代わりに
尿管から膀胱鏡と電気メスを入れ
癌腫瘍を焼く焼灼術を選ばれました。
この治療は、激しい痛みを伴う治療であり
苦痛が伴う物で
診断された後30年間の間に
90回以上行われたと聞いています。
そして
治療は自院ではなく
他の病院で行われたので
患者さんだけでなく、病院のスタッフも
知らなかったようです。
先生は
医師として生きるために
「文字通り生身を切り裂かれる」激痛に耐え
戻ってきては患者の治療にあったていたようです。
この医師として生きた内野先生の生き方
頭が下がります。
僕も医師としている同じ道を歩む者として
先生の生き方をお手本にして
生きて行こうと思います。
先生はどんなお気持ちで
この困難と立ち向かったのでしょうか?
直接お伺いすることはできませんが
先生の最後の言葉は
「人に尽くせ、人に尽くせ」
「ありがとう、ありがとう」
だったようです。
実際にお会いしたことはないけど
目を閉じると
先生の姿が浮かんできます。
先生の生き方お手本に
僕も生きさせて下さい
☆ 自身の経験をもとに、今感じていることをまとめた
拙著「どう生きてどう死ぬか 脳出血を経験した小児科医が観た生きる道」を
上梓させていただきました。
この本で記した僕の経験が、思いが
医師としてだけでなく、病いを経験したひとりの人間として
ひとりでも多くの方のお役に立てることを願うばかりです。
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あたりまえ
いつもあたりまえと思ってること
食べられる
眠れる
歩ける
朝を迎えられる
みんな あたりまえのことだと思ってた
でも
あたりまえのことは
あたりまえじゃないんだと
あたりまえの中に
しあわせがあると気づいた
あたりまえの しあわせ
あたりまえが しあわせ
あたりまえと思ってる
毎日の生活
あたりまえのしあわせを
かみしめながら
今日も生きていくことがしあわせへと続く
☆ 自身の経験をもとに、今感じていることをまとめた
拙著「どう生きてどう死ぬか 脳出血を経験した小児科医が観た生きる道」を
上梓させていただきました。
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