平穏な日はずっと続きません。
その平穏な日々は
誰もが必ず経験する迎える死によって
終わります。
なぜ死があるのか?
それは目の前のしあわせを感じるために
必要なことなのかもしれません。
ギリシャの哲学者エピクテトスは
次のように語っています。
「こどもにキスをしている時に
おそらく明日おまえは死ぬだろうと
こころの中で言うべきだ。
これは不吉な言葉でなく
自然の営みを意味をする。
そうでないなら、麦を刈り取ることも
不吉なことになる」と。
なぜ、こんな言葉を遺したかというと
最悪の事態を予想しておけば
何が起こっても大丈夫だ
人生恐れることはないということでは
ないでしょうか?
そして
死は自然の営みであり
必ず死は訪れる
人生の終わりはくるのだという事実を
いつでも意識しておきなさいとい
いうことなのでしょう。
なぜ死を忘れてはいけないのか?
それは
今を丁寧に生きるためです。
死を意識しないと、
今日を丁寧に生きられなくなってしまいます。
明日はどうなるかわからないから
今日を将来のためだけに生きるのではなく
今日という日を
今日という日のために生きるように心がけましょう
☆ 自身の経験をもとに、今感じていることをまとめた
拙著「どう生きてどう死ぬか 脳出血を経験した小児科医が観た生きる道」を
上梓させていただきました。
この本で記した僕の経験が、思いが
医師としてだけでなく、病いを経験したひとりの人間として
ひとりでも多くの方のお役に立てることを願うばかりです。
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