年別アーカイブ: 2023

父親の愛と確執の中で

映画「銀河鉄道の父」を観た。
この映画は感のいい人ならおわかりかも
しれませんが
作家、詩人の宮沢賢治と
その父・正次郎さんとの物語。
そして、主人公は父親である。

映画のオープニングは
初めてのこども、それも男の子が生まれ
喜ぶ父親のシーンから始まった。
こどもの溺愛ぶりはすごく
賢治が赤痢で入院したときには
父自ら、周りの反対を押し切って
入院に付き添い
賢治の赤痢菌をもらってしまい
父親自身も赤痢にかかり
その後も胃腸は弱かったというエピソードが
流れ
父のこどもをどれだけ愛してかの
エピソードが紹介された。

でも
賢治が思春期を過ぎると
賢治自身の夢があり
やりたいことができてくる。
そして、父親には
家も商売も守らないと言えない
そのため賢治とぶつかり合うことが起こる

親子の確執が
親子でも男の子同士だと起こってしまう。
宮沢家でも
愛情があっても
家を守るために
進学や職業の選択でもめることは
どこの家でも多少なりともあるでしょう。

宮沢賢治も
将来やりたいことをし
信仰する宗教も家とは違う者を選ぶなど
父親と度々衝突するのです。
衝突しても、反対しながらも
賢治が不自由なく自分の道を
歩めるようにするのも
どこにある父子の姿かもしれない。

表面上はその父子の姿を
描いたハートゥームな映画に見えたが
賢治や父の正次朗さんの科白の奥に
深い意味がある気がした。

その映画を見終わって
以前TVで、宮沢賢治と父の秘史として
賢治も父も語っていない
伊勢神宮や真言宗などのお寺を回った
旅について
考察した番組をみた。

そこには
映画ではもちろん描いていないし
賢治の伝記などからは
伝えられなかった
賢治の思い、それを必死に受け止めようとする
父親との旅であったというのだ。

そのことを知ると
臨終の2人の関係
賢治が亡くなった後の父の深い行動も
納得できる。

結局
ひと言で言えば
父親は、こどものすべてを受け入れる
愛にあふれた存在であると納得した。

その父親の姿、行動の意味がわかったとき
正次朗の姿が
自分の父親の姿とも重なり
父親の愛情を改めて実感したのです。

賢治の人となりがわかればわかるほど
深く、深く
考えさせられるいい映画でした。

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死ぬまで医師として生きる

僕の使命のひとつは
医師として生きること。
それも肉体が朽ち果てる最後の瞬間まで
医師として生きていたいと思っています。

でも人生何が起こるかわからない
いつ命を蝕まれる事態に陥るかもしれない
もし、その様なときに
どう生きるか・・・・気になるところ

そんな時に
大阪府の済生会吹田病院元院長であられた
内野滋先生の
癌を患いながら、医師として生き抜いたという
お話を知ったのでここに書き留めておこうと思います。

御自身が膀胱癌に罹患していると知ったとき
次のように語っています。

「私は膀胱癌をした。が
これは医師にとって勲章だと思っています。
病気をすることによって、
患者さんのつらさというものが
よくわかったからです。
また、自分はどなたがなくなった後で
ゴルフの話をしているような医者には
なりたくありません。
そして、死亡診断書を書くとき
心から合掌しながら書くような医者で
ありたいと思っています」

この言葉に
医師として患者さんのいのちに
人生を捧げる決意が言葉からわかります。

先生は、膀胱癌と診断されたとき
膀胱を摘出し
人工膀胱を体外にぶら下げる不自由を
我慢すれば、膀胱癌は根治できるが
医者として働くこと
医師としての義務、使命を果たせなくなる。
その時、先生は根治術を選択せず
医師として生きる道を選ばれたのです。

先生は、
根治術をしない代わりに
尿管から膀胱鏡と電気メスを入れ
癌腫瘍を焼く焼灼術を選ばれました。
この治療は、激しい痛みを伴う治療であり
苦痛が伴う物で
診断された後30年間の間に
90回以上行われたと聞いています。

そして
治療は自院ではなく
他の病院で行われたので
患者さんだけでなく、病院のスタッフも
知らなかったようです。

先生は
医師として生きるために
「文字通り生身を切り裂かれる」激痛に耐え
戻ってきては患者の治療にあったていたようです。

この医師として生きた内野先生の生き方
頭が下がります。
僕も医師としている同じ道を歩む者として
先生の生き方をお手本にして
生きて行こうと思います。

先生はどんなお気持ちで
この困難と立ち向かったのでしょうか?
直接お伺いすることはできませんが

先生の最後の言葉は
「人に尽くせ、人に尽くせ」
「ありがとう、ありがとう」
だったようです。

実際にお会いしたことはないけど
目を閉じると
先生の姿が浮かんできます。

先生の生き方お手本に
僕も生きさせて下さい

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あたりまえ

いつもあたりまえと思ってること
食べられる
眠れる
歩ける
朝を迎えられる
みんな あたりまえのことだと思ってた
でも
あたりまえのことは
あたりまえじゃないんだと
あたりまえの中に
しあわせがあると気づいた
あたりまえの しあわせ
あたりまえが しあわせ
あたりまえと思ってる
毎日の生活
あたりまえのしあわせを
かみしめながら
今日も生きていくことがしあわせへと続く

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忘れられない密な自粛生活

3年にも及ぶコロナ感染による自粛生活が
解除され、コロナ前の生活に戻りつつあります。

この自粛期間は
いいも悪いも
多くの人に様々な影響があったと思います。

この自粛期間の時間は
僕にとって
入院時間と同じくらい忘れられない
とっても貴重で密な時間でした。

入院中はできなかった
家族3人で過ごすという
それまであたり前だった時間でした。

朝の散歩から始まり
毎日
妻と娘が一緒に作ってくれた食事を
3人で笑顔で食べ
たまには
手作りのケーキなどおやつを持って
友人の恵みいっぱいの畑や
人のいない大自然の中で過ごす。
そして夜になったら
3人で川の字になって寝て・・・・
また朝になったら、お散歩に行って・・・の繰り返し。

いつも家族3人一緒
何をするにも3人一緒でした。

妻と娘の話し声が
妻と娘といる空間と時間の流れが
僕のからだを心地よく癒してくれました。

自粛期間の家族との密な時間
これまで
こんなに長く家族3人で一緒に過ごした時間は
ありませんでした。

これからもそんな時間ってあるだろうか?
退院した後一番望んだことは
家族3人で過ごす時間でした。

この願いを
神さまがそしてコロナウイルスが
叶えてくれたんだと思います。
本当に感謝の日々でした。

それ以降も
毎朝いつもの神社にお参りして
神さまに無事過ごせたことにお礼して始まる一日を
続けています。

朝から学校に行った
娘が帰ってくるのが
とても待ち遠しかった一日でもありました。

コロナの自粛期間であっても
いい時間を与えてくれていませんでしたか?

どんなときにも
しあわせな時間はあるはず。
そんなしあわせな時間、瞬間を見つけて
今日も過ごしましょう。

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雨の日は「雨を聴いて」生きる

雨の日は
雨の音を聴きましょう
雨の音を聴いていると
あなたの心も、からだもここにいるでしょう。
雨の音を
あなたの五感を使って、聴いて下さい。
雨の音には
美しい音色、リズムがあります。
それは、一瞬、一瞬で
変わってきます。
そんな雨の音に耳を傾けて
今降り注ぐ雨音を
一心に味わってみて下さい。

雨音を一新に聴いていると
雨音が僕に話しかけてくれるのです。

あなたは
いつも過去を悔やんだり
まだきていない未来に思い悩んでいたのですね。
どんなに過去の出来事を悔やんでも
過ぎ去った過去に戻ることはできません。
また、まだ訪れていない
未来に先回りして
準備することもできません。

過去や未来という時間は
まぼろし。
まぼろしの時間を生きていたら
安心して生きる道はないのです。

安心して生きる道は
そう、今という時間を味わうことしか
できないのです。

ですから
雨の日は、雨の音に耳に傾けて
心静かに過ごしてみてください。

そう言えば
昔「雨音はショパンの調べ」という歌が
流行りました。

雨音の奏でる調べは
どんな歌をあなたに伝えてくれるでしょう。
さぁ、雨音に耳を傾けてみましょう。

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働かざる者食うべからず

”働かざる者食うべからず”という
言葉があります。
この言葉を聞くと
怠けるなと言われている
ような気がして
ちょっとドッキリする言葉です。
実はこの言葉は
禅語の
”一日不作、一日不食”
(いちにちなさざれば、いちにちくらわず)
からきている言葉です。
禅では、作務をおこないます。
作務というものは
単なるそうじではなく
人が人であるための基本行為
または
人としてやるべきことを
をさしています。
つまり
人のためにすること
人が社会に対してすることが
作務
人間としての
務めと考えているのです。
人は人との関わりで
生きている。
一人では
生きていけないと
わかっているのに
人は
周りの人や
自分が勤めている会社
そして社会に対して
要求ばかりだしてしまいます。
そして
要求が叶わなければ
すぐ
まわりの人や社会のせいに
してしまいます。
一人で
生きているわけではないので
うまくいかなった時
自分で解決する努力を
していただろうか?
自分に対して
甘えがなかっただろうか?
振り返ってみることが
大切じゃないでしょうか?
社会の中では
人はお互い支え合って生きている。
やるべきことを放棄して
支えられることばかり考えていては
社会は乱れてしまう。
どんな小さなことでもいい
自分のできることをする
誰かのために
自分のできることをする
どんな小さな一歩でもいいから
自分の脚で歩いてみることが大事。
誰かのために
一歩踏み出すことができれば
困った時には
きっと誰かが手を指しのばせてくれる。
誰かのためにして初めて
”生きる”意味がわかるのかもしれない。
“働かざる者食うべからず”という言葉は
そんなことを
教えてくれている気がします。
☆今朝は山口中央倫理法人会のモーニングセミナーからの
スタート。午前中診療の後、午後は園医をしている保育園
での健診。夜は、明日のセミナーの講師との会食。
今日も色々な出会いがありそう。今日も精一杯今を、そして
目の前の人を大事に過ごしたいと思います。
写真は先週行った岩国の錦帯橋の写真です。

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自然と共存共栄していれば、病気にならない

病気があっても、なくても
今、こうして生きていけるのは
からだにあるエネルギーのおかげであることは
まちがいない。

体内にあるエネルギーを
自然治癒力というなら
その力が少なくなってくると
どんどん生命力がなくなり
不健康になってくる。

そのエネルギーは
どこからくるのだろう?

それは、太陽も含めた
空(宇宙)から降り注いでるのです。
ですから、そのエネルギーは
自然の中にはあふれています。
自然から離れれば、離れるほど
エネルギーが低下して
病気になりやすくなるのです。

実際
自然の中で過ごしている
自然と共存共栄生活している人は
昔から長寿の傾向にあるのは
みなさんも理解できることでしょう。

自分の肉体と自然の一部ととらえ
いかに自然を自分のからだを置くことが
大事なのだと思うのです。

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ライセンス

今まで、
多くのこども達に出会いました。

生まれてきたこども達の運命は
ひとりひとり違うけど
こんな風に思うんです・・・・・

 ライセンス

元気に生まれてきたこども達
 短くしか生きられなかったこども達
重い障害を持って生まれてきたこども
どんなこども達も
それぞれの運命を背負って生まれてきます
それぞれの運命は違っても
生まれてきたこども達は
生まれていいよというライセンスを
神様からもらって生まれてきたんだと思う

神様から
生きていく意味を伝えるために
宇宙からつかさどった運命を
実践するために
多くの中から選ばれて
生まれていいよってライセンスをもらったんだと思う。

だから
世の中に生まれてくるって
とてもありがたいことだと思う
みんなライセンスを持った選ばれた人たち

人は、すべての人と仲間
人は、すべての人と仲良く
生きていかなければならないと思うのです。

それが、生まてきた人の義務なのだと思うのです

☆ 自身の経験をもとに、今感じていることをまとめた
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お釈迦様が答えた”生きている”とは

今、この瞬間も
僕たちは生きているけど
どうして生きているのか?
生きているってどういうことなのか?

誰もが納得する答えを出す
自身は僕には持ち合わせていません。

そんな時
お釈迦様が、お弟子さんに
「生きている」ってどういうことなのか
質問されたそうです。

すると
お釈迦様は「認識することだ」と答えられたそうです。

この答えを知って
なるほどと思いました。

お釈迦様と僕の視点は違うことに気がつきました。
僕、同じ質問された時
生きるについて
思う存分考え、生きる意味を考えていました。

その時、お釈迦様は
目の前に咲いている花をみて綺麗だと思うこと。
真っ青な青空のもと、息を吸って気持ちいいと思うこと
吹いてきた風が心地よく感じたり
・・・・・
自分の目の前の花、空、風など
すべての物を肌で感じることを
生きていることだとお釈迦様は仰ってるんですね。

僕たちは
目の前の起こってることを自分なりに解釈
頭で考えること
しあわせだ、楽しい、悲しい・・・などと
感じることではないんです。
目の前で見せてくれるすべてものを認識すること
それが生きていると言うことなんだと
お釈迦様の生きているの答えですね。

目の前に起こってることを
認識、意識して過ごすことが
丁寧に生きることだと
お釈迦様は教えてくれてるんです。

ありがとうございます

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生きる道

生きる意味について考えてみた。

ある人は、人の役立つこと
ある人は、魂を磨くこと
などなど
みんなそれぞれの考えを持っていると思います。

どの考えも正しいと思うし
きっと答えはひとつではないのだと思います。

人間だけが
生きる意味を考え
生きていくことが
人は考える葦と言われる所以なのでしょう。

そんなことを考えさせられた週末
ある子宮頸癌を患っていた 女性の
最後の手記、最後の言葉を知った。

一日一日を丁寧に暮らす
 ひとつひとつを心を込めて暮らす
 その積み重ねが生きるということなのだと
 強く思いました。」と

頭で考えるだけでは
生きることの意味はわからない。

今この瞬間の人生を生ききることで
生きる意味わかるのだと思う。
今を生ききり
そして
この瞬間を生きていることに感謝です。

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