年別アーカイブ: 2023

我、思う故に、我あり、そして・・・

デカルトが残した言葉
”我、思う故に、我あり”は
デカルトが現代物理学の基礎をつくるために
よりどころにした言葉とも
いわれています。

そして
この言葉は
今の社会にも充分通じる言葉だと
思います。

我が、今思うこととは、つまり
この瞬間に何を思い、何を選択し、何を見いだし
どう認識していき
そして、それが自らの行動に反映していく。

だから
今、思ったことを心に留めることは
今後、自分のやるべき行動を
起こしていくための
一つ一つのプロセスを輝かせて
進むべき道を示してくれる。

だから
我思うことが、我がこの世に生きていく使命を
示してくれるのだと思う。

そして
このことを認識するために
宇宙は存在し
宇宙からの大切なメッセージを受け取ったとき
我は、思うのだと思う。
我の思いは宇宙に存在する。

宇宙にある、宇宙から受け取ったメッセージを
人々は神からのメッセージと感じるのかもしれない。

“我、思う故に、我あり”には
続きがある
我神を思う故に、神あり”なのだ
メッセージは自分の思いつきだけではなく
宇宙からの偉大なメッセージと考えるなら
神は存在するのだろう。

現代社会は
今までの価値観の変換を迫られている状況。

21世紀は、コロナウイルスの呪縛と考え
メッセージを受け取らずに、こだわると
次へのステージへのチャンスを
逃してしまうのではないのでしょうか?

Iam what I am.
存在していると思えば
存在するのが、神なのかもしれない。

我思う故に、我ありの”我”は
ひょっとして神
神からのメッセージなのでしょうか?

あなたは
神からのメッセージを信じますか?

☆ 自身の経験をもとに、今感じていることをまとめた
拙著「どう生きてどう死ぬか 脳出血を経験した小児科医が観た生きる道」を
上梓させていただきました。
この本で記した僕の経験が、思いが
医師としてだけでなく、病いを経験したひとりの人間として
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モリコーネが教えてくれた天職とは

モリコーネと言えば、
マカロニ・ウエスタン映画や
ニューシネマ・パラダイスのうtル串医旋律の
映画音楽の作曲家として
有名な作曲家。

そのモリコーネを
自身のインタビューと
全映画音楽?を振り返った
伝記映画だった。

モリコーネは
大学で作曲を学んだ後
数々の映画音楽を作り始めるのだけれど
当時は映画音楽を作るのは邪道だと
考えられて、
モリコーネの師匠さえも
当時は認めてもらえなかったらしいです。
それは周りだけでなく
モリコーネ自身も
映画音楽を作り始めた
1960年は、10年続けて映画音楽作りはやめる
1970年になると、あと10年でやめる
1980年になっても、あと10年
1990年になって、この仕事もあと10年で終わりだと
と奥さんに語っていたそうです。

そして
2000年になってからは
もうこの科白は言わなくなったとか?

また
モリコーネの作曲法は
楽器を使うのではなく
作品のことを考えると
自然に音楽が降りてくるらしい。
そうして、斬新なアイデアで
一気に書き上げるスタイルは
まるでモーツァルトを彷彿されるようです。

モリコーネの人生を知ると
モリコーネの人生
映画音楽作りは天職であったことは
誰もが認めることでしょう。
しかし
天職になるまで
本人は葛藤があったのは
間違いないです。

でも、どんな苦悩なことがあっても
続けられるのは
天職なのですね。

だから、今行ってる仕事は
あなたの天職かもしれません。
今やってる仕事を丁寧に、集中して
やっていきましょう。

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年をとるのが早いか、やる気を失うのが早いのか?

よく聞く言葉に
やる気が若い時のようにでないなぁ
年取ったのかな?

言葉にしなくても
そう感じる方も多いことでしょう。

「年を撮るからやる気がなくなるのか?
やる気がなくなるから年をとるのか?」

コロンブスの卵のような命題に
年々考えることが増えてきます。

この年とやる気に対する
生物学的に考えてみました。

どの生物も
生きている時の共通する目的は
子孫を遺すこと。
そのために、相手を求め
命をかけて戦いにのぞまなければならないことも
あるでしょう。
その期間は多くのリスクを抱えて
生きていく場面が増えてきます。
リスクを超えて生きるために
体内ではアドレナリンが大量に分泌され
戦闘態勢でいきているので
意識しようかしまいかに関わらず
積極的に生きていかなければならず
やる気がみなぎっていると感じることでしょう。

子孫を残いた後の人生を
生きて行くようになります。
ある程度子孫を遺した状態になると
今までの生き方のように
リスクを抱えて生きるのではなく
自分が子孫を残す時期から
闘うリスクを下げ
遺した自分の子孫を守ったほうがいいと
思い始めるですね。

そう考え出すと
これまででていた
戦闘態勢を維持するための
アドレナリンの分泌が減り
リラックスするノルアドレナリンの分泌が
優位になってくるのです。

すると
リラックスしている姿が
他の人の目には
やる気がなくなったように見えるかもしれません。

その姿は
あなたのこれからを
見守ってくれている姿なのです。

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科学者として生きる

僕は今医師を生業として
生きて、生活しています。

医者とは
どんな職業かというと
もちろん人のからだを
病気から救うというのが使命ですが
生命と向き合い
真実の生き方を追求するのが
大きな目的であると思います。

真理を追究する立場として
医者には
科学者でもあり、
追求者としての研究者としての面を
もっていなければなりません。

厳密に言うと
科学者と研究者では
ちょっと意味合いが異なる面があります。

原爆の開発を例にとると
原発を開発したアインシュタインは
開発後に平和運動をとして
科学の枠を越えて
平和への道を唱えられました。

水爆の開発に携わり
後に、ソ連水爆の父とよばれた
サハロフ博士は
水爆を完成した後に
人権活動家として名をはせ
ペレストロイカの父とも
呼ばれています。

ここに
研究者と科学者とのちがいが
あるような気がします。
一般的に研究者は
社会の大きな望みを叶えることを
第一義に考えて
真実を発見することが益だと考えて
全身全霊を傾けます。

しかし
そこには、開発することが善かどうかは
その時にはわかりません。

それに対して、科学者は
自らの信念や考え方で
真実が正しいことなのかどうかを
考えていきます。
そこには自分の哲学、思想が
関与して暮れのです。

ですから
最初研究者であった
アインシュタイン博士も
サハロフ博士も
最後は科学者として生きられたんだと
思います。
世界の人類に貢献した人物だと
今でも尊敬されているのでしょう。


コロナワクチンの接種が全世界で
行われています。
全世界の人類の希望の灯火んいなるために
全英知を結集し
これまで誰も成功しなかった形で
短期間で開発に成功しました。

多くの研究者の努力のたまものだと思います。
このワクチンが
全世界の希望の灯火となることを
もちろん願っていますが
このワクチン開発されたことの善は
研究者ではなく
科学者といわれる方々で
きっと証明されることでしょう。

医者には
研究者と科学者としての両面を
もっていると
冒頭で書きましたが、
自分は
医療という研究の成果を
人々のしあわせに生きるために使える方法を
考え、伝える
科学者としての医師として
今後とも歩んでいきます。

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輪廻転生受け入れることの恩恵

最近輪廻転生があると
仰る方が増えています。
僕も、輪廻転生はあると
信じる派ですが
輪廻転生のことを
実際に証明した人もいませんし
証明することは
現代の科学の力を結集しても
難しい問題だと思います。

輪廻転生の存在を証明することが
できなくても
直感的に
存在を信じることはできます。
そして
輪廻転生を受け入れることで
生きていく上で恩恵をうけることができます。

その恩恵とは
死に対する恐怖を克服することが
可能になるのです。

僕たちは
生きている限り
死に対する不安をもって
生きることになります。

死に対して
どうして不安になるかと言えば
それは
死によって全てが終わると考えるから
死によって
生きていた人生の価値が
無意味なものになってしまうと
考えてしまうからです。

輪廻転生があると思えば
今生での死で
僕の人生が終わるわけではない。
死に対する恐怖から解放され
人生に対して
永続的な価値を見つけ出すことが
可能になるのです。
そして
人生自体にたいしても
精神的な余裕が出てきて
人生に対して焦ることなく
ゆとりを持って、一歩一歩確実に
歩めるようになるのでは
ないでしょうか?

余裕を持って生きることは
別に怠惰な人生を送ることを
意味していることではありません。
人生の意味を深く考えられるようになり
自分の人生を
目先の利益にこだわることなく
充実させて生きることに目覚め
大切にいきようとするでしょう。

人生に対して
余裕の気持ちが生まれることで
人生そのものが豊かなものになるでしょう。

恐怖でなく
死を迎えるその瞬間まで
有意義に生きることができる。
そして
死の瞬間その時には
来世に対する希望に満ちあふれた気持ちで
その瞬間を迎えられることでしょう。

まだ誰も証明できていない輪廻転生
信じて生きてみませんか?

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メタトロンが教えてくれたこと②

メタトロンは
からだの全身を
くまなく検索し
異常を見つければ
DNAレベルから治療していきます。
俗な言葉を使えば
とても優れものなのです。

異常な点も
自覚症状のないところから
実際症状のあるところまで
チェックし
いわゆる
症状がまだ表面化していない時点から
診断そして治療するので
病気を自身が気づく前に治療するので
理論的に考えると
病気知らずのからだになれる
たのもしいものです。

うけると
些細なメッセージを届けてくれるのですが
そのメッセージを患者さんに
伝えると・・・
多くのかたが
どんな病気なんですか?
何を食べればいいですか?と
先を焦って
原因はなんで、治療しないとと
焦る方がほとんどです。

そりゃ、そうでしょう
ここが悪いと言われると
なんとして治そうと思うのが
人間の心理だから
原因はなに?診断名は?
何に気をつければいい?と
あわててしまうのはよくわかります。

患者さんと説明して
気づいたんですね。
患者さんは、説明を聞いたときに
左脳で考えてるんだな。

左脳は、人間の行動の多くの部分を
支配しています。
ある事実が起こると
今までも経験をもとに
その事実を分析をして
原因、対策を練るんですね。
今までうけてきた教育のくせなのかも
しれませんが
伝えた後の思考回路が
左脳優位何ですね。

でも
からだが知らせたいのは
診断名でもなく治療法でもないんですね。
結局
からだが知ってもらいたいものは
今のからだの状況だけなんです。
からだは
自分の力で自分のからだを治す力を
持っています。
ですから
医療に治してもらう、ましては
あなたに治してもらおうなんて思ってません。

知ってもらいたいのは
今あなたのここの部分が悪い
そして
悪い部分で、あなたが苦しまないように
からだが調整してくれているという事実。
その事実を受け止めてもらいたいんですね。
ただただ、わかってもらいたい
あなたのために
からだが頑張ってることを
知ってもらいたいんですね。

こんな事実を知ると
頑張ってくれていると思うと
からだに感謝の気持ちがわいてきませんか?

その感謝の気持ちを持ちさえすれば
言葉に出すに出さないに関わらず
からだに確実に伝わります。
すると
からだも喜ぶんです。
わかってくれて良かった。
もっと、がんばろうと・・・・
そして治癒力が増すんですね。

ですから
薬を飲む必要もないんです。
からだの気持ちを受け入れることが
一番の治療であると言うことを
メタトロンが伝えてくれているんですね。

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メタトロンが教えてくれたこと①

メタトロンを使った診療をはじめて
5年目を迎え
このメタトロンから教えてもらえることや
気づきがあり
メタトロンと共に
自分も進化している感覚があります。

そんなことを感じた
診療の一コマをお話しします。

先日来られた初診の患者さん。
腹部に腫瘤が見つかり
バイオプシーをうけ
その結果が出る前にメタトロンを受けてみたいと
受診された。

早速メタトロンをすると
からだ全体にいいエネルギーが流れている。
重病になるエネルギー状態ではなさそう。
次に
臓器の波動を見ると
予想通り(?)
心配だった臓器は
特に問題なし。

そして
メタトロンが注意すべき臓器で示したのは
骨(肩と脇腹の胸椎)、肺だった。

あれ?
どうしてだろう?
患者さんご本人も
予想外の結果に戸惑ってる風だった。
でも。自覚症状がないからと言って
健康ではないこと
病気にならないよう、からだが頑張ってることを伝える
からだのメッセンジャーのような
働きがあるので
本人が深刻に思わなくても
自覚しなくても
原因があるはず・・・・
患者さんの生活について
お話をすすめていくと

脇腹が
時折チクチクと痛むことがあった
でも、骨には異常がなく
一過性だろうから様子見ましょうと
言われていたらしい。
そして
肩の負担がある生活をしてないか尋ねると
ご家族の介護をおひとりで
おこなってるようだ。

そのことを
メタトロンは伝えようとしてたのです。
肉体疲労があることを

そして
肺は悲しみの感情とリンクする。
お聞きすると
最近、ご親戚でご不幸があり
やっと落ち着いてこられたらしい。

そういえば
チャクラは大きな悪さはなかったが
1カ所、第5チャクラが落ちていた。

ここは愛のチャクラとも言われ
やりたいことができないことが
予想されるのだけど
メタトロンの結果をお話してるうちに
患者さんの
日頃の生活している姿が
目に浮かんできた。

大切な方とのお別れが悲しく
悲しみに打ちひしがれる毎日であり
そして
介護にほぼ100%時間を費やすので
自分のリラックスできる時間もとれないぐらい
心身とも疲れ果てた患者さんの姿。

メタトロンは
患者さんを治すのは、薬や手術などの
医学技術ではない
本人の生き方を変える
生きやすくすることを教えてくれた。

それで
僕は、これから
患者さんが行きやすい生き方できる
方法をお手伝いすることが
僕の使命であることを伝えてくれました。

メタトロンは
機械のようで
機械ではないのです。

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カルマを乗り越える生き方

我々は
成長するためにこの世に生をうけて
今、現世に生きているとしたら
その目的は
魂の成長するためだと
僕は考えています。

患者さんとお話しすると
この症状は
遺伝だからしかたがないと
半ば諦めているように
お話しされる方がいます。

野口晴哉先生が
「親からもらったからだを10とすると
良いところは3で
悪いところは7である。
しかもこの7をどうやっても治らない。
だから
3の良いところを磨いている内に
7の悪いところがスッと消える」
というのです。

僕たちは
過去を背負っていると考えると
背負ったマイナス面を嘆き、否定するより
良いところをいかして生ききった人が
光り輝く人生を
過ごせると言われている気がします。

こよいは
自分の良いところを
しっかり理解、把握して
いかして過ごす生き方を
することが
この世に背負って生まれた
カルマを解消することになるのでしょうね。
これが
カルマを解消する生き方

誰にも良いところを持っているのです
自信をもって
今日も過ごしましょう

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メタトロンでわかる腫瘍の原因

みなさん
病気を心配をして
メタトロンをうけられます。

先日受診された方は
胸にしこりがあり
そのしこりが良性か悪性かどうか
調べる検査を進められたが
どうしたらいいか
悩まれたうえで
今の状態を知りたくて
メタトロンを受けるために受診された。

メタトロンの前に
触診すると
たしかに腫瘤を確認できる。
症状をお聞きすると
時々痛みがあると言うこと。
診察すると
診断確定のために
必要な診療を進められていると考えられる。
現状のスタンダードの医療として
主治医の進められるように
医療を受けられる方がほとんどだろう。

でも
目で確認するものの
裏に隠されている状態、原因を
探るのが
メタトロンの役目であるので
早速メタトロンを施行した。

その結果
本人が悩まれるのもわかる
なぜなら
腫瘤がある部分の
エネルギーは落ちてなく
全ての臓器もほぼ正常の状態である。

メタトロンの結果では
からだの状態は
ほぼ問題なし。

ただ、強いて言えば
頭をすごく使ってるので
頭の疲れはあるようだ。

きっとこの患者さんは
この腫瘤のこと、進められた医療について
悩みに悩んだ状態なんだろう。
悩みから解放することが
まず第一だということがわかる。

その悩みの原因は
腫瘤の原因は
からだにとって異物だけど
自分のからだの一部分であることを
忘れてはいけない。
からだの中には
全て不必要なことは起こらない
起こさないんだと言うことを知って下さい。

苦しい痛みでさえ
それは
からだに悪いことがあることを知らせています。
ですから
痛みをとるのではなく
痛みを起こしている根本原因を
必死で探すことが大事なんです。

腫瘤は
からだの老廃物の捨て場と
考えられます。
通常の肝臓、腎臓で処理できなくなった
ゴミ捨て場とも考えられるます。
そのゴミ捨て場は
からだに悪い部分が貯まるところなので
周りの組織と共存できるように
免疫力を
まるで結界を張るように
強化していることも
メタトロンでわかります。

この患者さんも
その腫瘤が
からだの中で共存しているのです。
今の患者さんにとっても
必要なもの何ですね。

それでは
どのような老廃物をためているのでしょう
他の部分が良すぎるぐらい、いいので
胸ですね
頭の疲れや、気持ちの波動から
思いの老廃物をためているんだと思います。

その内容は
こころの中にあるものなので
本人が見つけるしかありませんが
本人は頭痛をよく起こし
腫瘤も自制内のチクチクした
短時間の痛みだと仰っていました。

ですから
処理できない思いが起こったことを
頭痛が教えてくれているのでしょう。
そして
その思いがまだ解決できずに
貯まってきているので
腫瘤となって
現れているのだと思われました。

病気を作ってたのは
病気の真の原因は
本人自身の思い
すなわち生き方なのかもしれません。

ですから
この腫瘤を治せるのは
医療ではなく
本人自身だということを教わりました

これから
この患者さんとともに
病気とも患者さんとも向き合い
思いなる声を聴く
医療を続けようと思います。

☆矢作直樹先生の講演会のお知らせ
6/11(日)14時から KDDI維新ホール会議室

詳細は以下をご覧ください
https://www.santa-clinic.com/mtx/archives/1298443975/1681952684.htm

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愛する人に伝える言葉

フランスの大女優カトリーヌ=ドヌーブが
末期癌の息子を支える母親役で出演した
映画を観た。

見終わった感想はとても重かった。
末期癌が診断され死を迎えるまでの
数ヶ月を描いた映画だったけど
ありがちな死の問題を解決して
旅立つというような
ある意味ハッピーエンドな映画でなく
主人公の問題をそのまま
観てる人に遺して
終わりをむかえたような重たい映画だった。

主人公の
演劇学校の先生で
熱血指導が売りの熱い39歳の男性。
若き日に恋に落ちてこどもができたが
母親の勧めもあり
こどものことは認知せずに
その後もこどもと会うこともなく
独身の状態であった。

母親は
息子を溺愛し
40歳前の息子に対しても
すべての愛情を注ぎ
まだ所謂子離れができていない母親だった。

しかし
母親の深い愛情は
痛いほどわかるけど
その重さに絶えきれない主人公。
実は会えない、会っていないこどもに対して
ずっと気がかりであったのだろう。

死の間際
自分の財産のすべてを
会ったことのない息子を認知し
すべての財産をゆずることを決断し手続きをする。

会ったことのない息子は
会ったことのない父に会おうと決意し
病院に言っても
父には会うことがどうしてもできなかった。

主人公の主治医から
息子の血液を輸血することを勧められ
父のからだに息子の血液が輸血されたが
その時も息子は頑なに父にそのことを告げることを
拒み続けた。
しかし、死の直前臨終の時に
息子の血が
輸血されたことを担当医から知らされたが
その時は昏睡状態
言葉はなく一筋の涙が流された。

そして、臨終の時
立ち会っていた母親がその場を離れた数分の間に
天国に旅立っていった。

まるで
自分で死の瞬間を決めているかのような
穏やかなしの旅立ちだった。

自分も
自分で死の瞬間を決めたかのように
旅立たれた方を知っている。

改めて
どう死ぬかは
自分で決めているのではないかと
思わされるような映画だった。

最後に
主治医の先生が、旅立ちの前に
伝える5つの言葉を紹介しておきます。

「赦してくれ」「私は赦します」「愛してる」
「ありがとう」「感謝します」

☆矢作直樹先生の講演会のお知らせ
6/11(日)14時から KDDI維新ホール会議室

詳細は以下をご覧ください
https://www.santa-clinic.com/mtx/archives/1298443975/1681952684.htm

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