年別アーカイブ: 2023
勝海舟の妻民子が苦しむ人に話しかけた言葉
「悲しいときは
私たちのところへいらっしゃい。
一緒に泣きましょう。
そして
あなたがしあわせな時には
一緒に笑いましょう。
さあ、勇気をおだしなさい。
・・・・
これから先の長い年月のことは考えず、
今日とという日以外には
日はないと思って
ただ毎日をお過ごしなさい。」と言った
勝海舟の妻民子さんの言葉が
残っています。
この民子さんの言葉のように
悲しいときも
うれしいときも
あなたに寄り添い
今を大切に生きていく。
医者はそう生きるべき
そう生きたいと
いつも心にとめています。
汝の隣人を愛せれば、こころもからだもしあわせになる
聖書の有名な言葉に
「汝の隣人を愛せよ」
「汝の敵を愛し、汝を迫害するもののために祈れ」
というのがあります。
中々実行するには
僕のような凡人には難しいく
神様や聖人にしかできないことかな?
と思ったりしてました。
でも
この言葉の意味を医学的に考えると
納得できる
真実の意味があったのですね。
つまり
人を愛しているとき
オキシトシンというしあわせホルモンが
分泌することがわかってきました。
オキシトシンがたくさんでれば
自分のからだとって
いいことが多くでるのです。
つまりオキシトシンが多くでると
こころもからだもいい状態
つまり満たされた状態になります。
そして
自分が幸せいっぱいの状態になっていると
そのことが
相手にも伝わり
相手にもオキシトシンが多く
分泌されることがわかってきたのです。
人を恨んだり、憎んだり
不平不満ばかり行っていると
オキシトシンの分泌量が減って
そのために
からだの不調を訴えたり
病気になってしまうのです。
オキシトシンは
からだの健康にとってだけでなく
こころの平穏のためにも
大切なホルモンです。
また自分自身が
このオキシトシンで満たされていると
相手のことも
自分のことのように
愛したり、大切に思えるようになるのです。
オキシトシンが分泌することで
お互いに採って信頼やしあわせが
もたらされて
その結果愛と調和の世界が誕生する
神様はそのことをちゃんと知っていて
「汝の敵を愛せよ」と言ったのでしょう。
目には青葉山ほととぎす初鰹
“目には青葉、山ほとどぎす初鰹”
新緑の美しい5月。
この時期、この句が頭に浮かびます。
これは、
今から300年ほど前に
山口素堂という俳人が作られた句で、
青葉、ほととぎす、かつおと
3つも季語がはいっているという
ちょっと変わった印象深い句です。
この句を詠むと、
生命の息吹が、五感で感じられる
個人的にも大好きな句です。
ところで、昔から「緑は目に良い」と
言われていますが、
実は緑は視力を回復させる効果があるかどうかは
確認されていないのです。
しかしながら、
山をみたり、遠くの景色の新緑の緑を
意識的に見ると、
視力回復に対してポジティブな効果があったり、
リラックスできて、
目の疲れを和らげてくれます。
次にほととぎすです。
ホトトギスの鳴き声は
人によっては
“東京特許許可局”と聴こえたり、
“てっぺん、かけたか”と聴こえたり
言うのも聴くのも表現するのも
難しい鳴き声。
でも、
鳴き声が聞こえる、口に出せるってことは
聴覚が健康である証拠じゃないでしょうか。
そして最後は初鰹。
かつおは、
血液をサラサラにしてくれるEPAや、
脳の働きを活性化するDHA、
コレステロールを減らし、肝機能を高めるタウ リンが
豊富に含まれています。
さらに、
ビタミンB群・D、ミネラル成分も豊富で、
高血圧、動脈硬化、肝臓疾患などの
生活習慣病、貧血症状を予防する食材
として近年注目されています。
春は生命あふれる良き季節。
体全体でこの句のように。
五感で味わえるって、
とても健康的で、
しあわせなことだと思いませんか?
「病は気から」を考える
「病は気から」ということは
古くから
病気はこころの持ちように左右される
という意味で知られた言葉です。
いつからこの言葉が
言われるようになったかはわかりませんが
最近の科学でも
正しいことが証明されてきています。
というのは
最近、人間の各臓器は
それぞれメッセージ物質を介しながら
お互い協調性をもって
働いてることがわかってきました。
分子レベルにおいても
免疫細胞に、
神経からの情報を受け取る部分の存在が
次々に発見されるようになり
ストレスと病の関係が
科学的に解明されてきたのです。
つまり
現代科学でも
気持ちの持ちようが
免疫力に大きく関与していて
その状況が病気の発生との関係がある
ということなのです。
アメリカの大学で癌患者生存率の研究で
病を素直に受け入れ
未来のことに希望をもって生きている患者さんの方が
絶望的、悲観的な気持ちで
日々を過ごしている患者さんより
平均的生存率が高かったと
報告されています。
つまり
病のすべてはないにしても
気持ちが左右する面があると言うことです。
ですから
どんなつらいことがあっても
絶望、悲観することなく
前向きに生きて生きましょう
病気が嫌い
人生100年時代を迎え
長寿のご老人が活躍していることも
不思議ではない。
今は亡くなってしまったけど
日野原先生は100歳超えても精力的に
診療を続けていた。
最近では
瀬戸内寂聴さんも
90才を超えても
筆の勢いは衰えることなく
作家、講演活動を続けられていた。
先日90才を超えても
お元気な姿でテレビに出演されていた
評論家の樋口恵子さんが
これまでこんなに長命でも
元気に活躍している人はいなかったので
その心境を伝えていきたいと
おしゃっていた。
確かに
長命の方は
もちろん定命というものもあるだろうけど
長生きでも活躍できる
考え方があるような気がして
これからの生き方を
学びたいと思っています。
90代になって
病気を切り返しても
不死鳥のように復活した
瀬戸内寂聴さんは
次のように語られている。
「なぜ、私は病気をしても
死なないのかと
思いめぐらすと
一つの答えがでた。
私は病気が嫌いである。
病気になった自分を見苦しいと思い
一日も早く、その状態から逃れたいと思う。
病気を呼ぶ自分の老衰も嫌いである」
この文章から
本当に病気が嫌いなんだと
言うのがひしひしと伝わってくる。
本当に病気が嫌だから
病気の淵から這い上がってこられたのだ。
でも
病気が好きな人っていないと
思うけど・・・
病気の人をうらやましいと思ったことはないですか?
病気になったら
ゆっくり休めるのに
みんなに優しくしてもらえる
今の苦しみから
逃れられるのでは・・・など
病気をうらやましいと
病気に憧れる気持ちがありませんか?
正面から、はっきり
病気は嫌いだといえますか?
一点の曇りもなく
病気は嫌い、病気になりたくないと思う人には
病気はよってこないのではないか
と寂聴さんの言葉をきいて感じました。
あなたは
病気は嫌いですか?
メタトロンで現在を知る大切さ
メタトロンは
現在、検査を受けた時の
からだの状態を教えてくれます。
病院で血液検査を受けても
結果を知るのは
しばらく時間が経ってから
だから、結果は
もう既に過去のこと。
メタトロンを受けて
メタトロンを受けたその瞬間を
現在の状態をタイムリーに知ることになります。
現在の自分に向き合うことで
今までの暮らし方を
振り返ることになります。
これからの健康を
創り出すのは
今の暮らし方がどうか
今までの暮らし方が今に
どのように影響しているかを
考えないといけません。
今日どんな風に暮らすかが
自分の未来の健康を創り出すのです。
今日元気がないということは
今日までの暮らし方が原因です。
食べるものもおなじ。
今日食べたものが
明日の、一ヶ月後、一年後の
からだを創り出すのです。
これからも健康でいたい
将来や未来をよくしたい
しあわせになりたい
と思うのであれば
今日という今、どうするか
何を大切にして過ごしているかによるのです。
今を
どう過ごすかで
将来が決まるのです。
そのどう過ごせばいいのかを
教えてくれるのが
メタトロンからのメッセージなのです。
桜色の風が吹く
世界で初めて全盲ろう者の大学教授になった
東京大学先端科学技術研究センター教授・福島智さんと
母・令子さんの実話を元に描いた
人間ドラマの映画を観にいった。
目にみえないのに
そして
耳も聞こえないのに
その想像を絶する困難を乗り越えることができたのか?
もちろん
本人のどんな状況でも
その状況に負けない精神力と
人一倍恵まれた賢さもあったのかもしれない。
と今の実績だけを知ってるから
自分のことではないから
そう言えるのかもしれない。
でも
ここまで行きつくまで
だんだん光が奪れつつ恐怖があっても
その状況を明るい性格で
受けいれ、乗り切ったのに
次に襲われた
頼りにしていた
聴力を失われるという
誰の目にも不幸と映る現実を
親や家族の愛情と協力
と本人の努力で乗り切って行く姿が
観ていて涙をそそる。
光を失っても
音を失っても
暗黒の世界にいたとしても
使命があると気づき
大学進学していくのです。
ここまでが描かれた映画でした。
その後も
きっと苦労の連続だったと思います。
きっと、使命をみつけたから
乗り切れたのだと思います。
人は生まれた理由がある。
使命をはたすためにきっと生きている。
使命はどんな人にもあることを
この映画は教えてくれた気がします。
映画を見終わった後
僕自身の使命をはたすために
どうすればいいのか。
それを知るために福島教授の生き方を
お手本にしたいと思いました。
平等な社会って?
今まで
僕たちはみな平等である社会を
目指すように教育されてきました。
みんなが平等に暮らせる社会で
生きていくことが
理想の世界であり
平等な社会になることを目指し
人々は努力しています。
ですから
女性蔑視ととれる発言
性マイノリティを批判するような発言
をしたと思われると
その人の他の良い面を振り返らないぐらい
多くの人がその人に対して
社会的制裁を加えます。
その動きをみて
発言は問題があるけど
その発言だけを捉えて
知らない人を批判する姿に
ちょっと社会の怖い一面を感じたのは
僕だけでしょうか。
これまでの歴史をみても
みんな一律平等な社会を作ろうと
共産主義という考えが生まれましたが
その考えは今は崩壊した状態になっています。
ひと言で言えば
失敗したのです。
なぜ、失敗したのでしょうか?
それは
僕は、人間自体が
人の魂が誰とも同じ状態であることを
求めてないからなのかもしれないと
思っています。
我々の魂は
自分の人生は自分で選んで、決めます。
ですから
他の人と全く同じ世界で生きることなんて
望んでいないのです。
世の中を、自分の周りを見回してみて下さい。
自分と全く同じ境遇の人っていません。
裕福な人、貧しい人、優しい人
意地悪な人、健康な人、病気の人、障害がある人
様々な境遇の人がいます。
みんな平等な人生ってあり得ない
みんなちがってみんないいんです。
誰もが違っているから
この世には学ぶべきことが在るんです。
本当に必要なのは
平等というよりも
誰をも、どんな境遇人でも
愛を持って接する無償の愛じゃないでしょうか?
お金のエネルギーは循環している
エネルギーは循環しています。
人々にも
宇宙からエネルギーをチャクラで受け取って
脊髄、経絡に沿って
血液がからだ全身に運ばれるように
からだのすみずみまで
宇宙のエネルギーで満たされます。
血液も全身を巡っていますが
血液と異なるのは
血液は心臓にまた戻って
酸素などを受け取って
また全身に運ばれますが
宇宙からのエネルギーは
全身に運ばれた後
地球(大地に)に流れて
人のからだは再び
エネルギーを受け取る準備をしているのです。
からだに不調の部分
つまり
チャクラ、経絡などに不具合があり
エネルギーの流れが滞ると
エネルギーによるパワーを失う
すなわち病気になると
考えられます。
エネルギーをきちんと循環させるということは
生きていくことって
健康に、しあわせに生ききるためには
とても大事なことだと思います。
このエネルギーの流れは
人のからだにだけいえることではなく
先日のブログで書いたように(2/26参照)
お金もエネルギーを持っているので
お金のエネルギーも循環させないと
いけないのです。
お金はうれしいエネルギーを与えれば
つまり
お金を私利私欲のために
貯めておく(とどこめておく)と
お金は喜びませんし
決して循環しないので
お金は離れてしまうでしょう。
お金は
あなたが適切に、喜んで使ってもらえることを
望んでいます。
お金を上手に使えている人は
気も上手に使えている人だと思います。
その人の元からは
どんな状況であっても
必ずあなたの元にまた返ってきます。
こんなこと聴いたことがあります。
「お金は、特別たくさん入ってきません。
でも、不思議と
必要なときに必要なだけ入ってくるのです」
きっと
この方はしあわせな生き方を
されているんでしょうね。
気と同様、お金も
人のために喜んで使えば
あなたも、わたしも
どんどんしあわせになっていくんでしょうね。
エネルギーは循環しているから
これは宇宙の法則です。
振り返れば20世紀は・・・地球からのメッセージ
コロナウイルスの世界的流行は
直接的な影響ばかりではないでしょうけど
この2.3年で
大きく時代は変わってきました。
それは人の考え方も、
大きく変わってきた気がします。
変わっていることを感じる時だからこそ
これまでの時代、特に20世紀のことを
忘れてはいけないと思います。
20世紀は
科学のめざましい進歩によって
自然をも支配できるように
自然を破壊し
人間の思うままに
世界を作ろうとした。
自然を支配すれば
ますます生活が豊かに成り
そして
お金を産むということになると知り
お金を手に入れれば
豊かな快適な生活になるという
ことを知り、それを追求しました。
全てがお金があれば
解決できると
錯覚をしたのかもしれません。
そんな錯覚に浸ってしまったのが
20世紀という時代。
それが、正しい
人間らしい生き方だと
我々は当然だと思ってしまっていたのかもしれません。
それは、違うんだよ、誤った生き方だよ
それに気づいて欲しい、動いて欲しいと
地球が訴えるように僕は思うのです。
コロナウイルスも
大地震も火災も、そして
人間が引き起こした戦争の苦しみも・・・・
全て地球からのメッセージのような
気がするのです。