年別アーカイブ: 2023

魂を磨くために生まれてきた

輪廻転生があるとすると
何度も何度も生まれて来る理由は
本当に自分
つまり自分の魂を磨くためにあるのだと
僕は思うのです。

魂を磨くために、大事なことは
善行を積むこと。
よく徳を積んで
天に徳の貯金をするのが大切だとか
言いますよね。
稲盛和夫さんも、利他行が大事だ
と言われてますよね。

つまり
世のため人のために尽くすために
生まれてきたんだと
考えて生きるのがいいのですよね。

世のためにという言葉には
今自分の住んでいる町などの
地域社会コミュニティーにとどまらず
市、県、日本、世界、宇宙と
どこまでもこの世の世界は
広がることでしょう。

実際
何か行動することだけが
利他行というわけではなく
身近な人のしあわせ
地域の人々のしあわせ
日本の、世界の、そして宇宙の
しあわせを願う、その思いをもって生きることも
立派な利他行、徳積みだと思うのです。

広い心で
人類の平和を願う気持ちは
きっと神にも届き
地球が、宇宙が輝く世界に導いていく
と思います。

そして
その時、あなたの魂も
キラキラ輝き出すことでしょう。

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人事を尽くして天命を待つ

季節は春になり
植物は芽吹き
眠っていたものが目ざめだします。

これは植物だけのことでなく
人でも同じ
特にこどもたちにとっても
卒業、入学など
新たな一歩を踏み出す時期になります。

誰にとっても輝きだすはずの季節なのに
新聞を開くと
○○中学校、何名合格
△△高校、何名合格
□□大学、何名合格 など
いわゆる俗に言う学校に入った(入れた)ことを
謳う広告を見るたびに
こころが暗くなってしまうのです

ここに名前が上がっていない
学校に合格した人もいるだろうし
がんばったけど
落ちてしまった人もいるだろう。

実際にあった人はいないけど
その喜びを謳う広告をみて
様々な表情の顔が浮かんでは消え
・・・・
しばらくして
これは「人事を尽くして天命を待つ」という
言葉の真意に触れた気がして
そのことを
ブログに書こうと思います。

今生きている世界には
因果の法則があり
自分がある結果を求めて
一生懸命取り組まないと
結果はでないと言う法則があるので
人は、頑張り
いい結果が出るように願ったりします。

それなら
一生懸命やったのに
結果が出ないのは、失敗なのでしょうか?

僕は一生懸命やった先にある結果は
成功であれ、失敗であれ
きちんと受け入れる
受け止めることが大事なんだと思います。

人は
魂が成長するためにこの世に生まれてきて
そのために、なにを経験すべきかを
決めてこの世に生まれてきたと言います。

ですから
どんな結果が出るかは
生まれる前から決まってたのかもしれませんし
その結果を踏まえて
どう過ごすかが
魂の成長につながるのだと思います。

少しスピリチュアルな言い方をすると
自分の行った行動から出た結果が
どんな結果であっても
それは神様が自分のために必要な結果なんだと
言うことに気づくと
どんな結果も受け入れて前に進むことができますよね。

自分のやった結果にこどわらず
目標にむかって
心や体全体でありったけの
知恵と勇気、力を振り絞って
自分が願う、思う世界を描き
努力して最善を尽くす。
その後
描いたとおりの結果が
例え手に入らなかったとしても
それは、神様いえ、自分が決めた道なのだと
受け入れましょう。
結果に囚われ、心奪われないことが大事なんです。

と言うことを
「人事を尽くして天命を待つ」の
真意だと思うのです。

受験生のみなさん
ほんとうにお疲れました。
みなさんが頑張ったことは
ご自身が、そして神様は
ちゃんとわかってくれています。

だから
望む、望まない結果に関わらず
胸を張って、笑顔で歩いて言って下さいね。

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真理は神の心

科学者は、この世の真理・法則を
見つけようと努力する
発明家は。この世の真理・法則を
実生活に役立てようと努力している。

科学者と発明家の努力の結果
今日の社会が作られた。

しかし
真理を作った学者はひとりもいない
宇宙ができた
何億年も昔から存在する真理の法則が
宇宙を支えている。

真理そのものが
この宇宙であるといっても
いいすぎではない。
この法則に従って、守られて
僕たちはずっといのちの絆を
紡いできた。
この宇宙の真理に背いて
生きてきたものはいない。
宇宙に存在する真理に背く物は
滅びるというのも
人類の歴史が証明している。

ですから
宇宙に存在する真理を
見つけ、納得し、悟り、守ることで
大自然と共に生きて
自然の恵みを受け取ることができる。

真理とは
神の心そのもの。

だから
この宇宙の法則を守ることが
法則を見つけた物の使命。
つまり人間の使命でもある。

だから
自然を破壊することを
我々は許されてはない
自然と共にこの地球でいきること
地球との共生することこそ
この世の創造主、神様から
人間に与えられた使命だと思う。

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みんなの中にいる神様

3年前入院していたとき
感じた、わかったことのひとつに
自分のからだの中には
自分をいつも守ってくれている力があること。

それまで
どんな生活をしていても
例え、道徳的にひどいことを
していたとしても
いつもどんな時も
自分を守り抜いてくれる力が
あることを感じました。

それは
入院中は、
からだに備わっている自然治癒力だと。
退院後の今も自分の中にある
自然治癒力はあると確信するに至っています
退院後三年経ち
自然治癒力だけでなく
自分の人生全てを見守ってくれている力が
あることを今は疑っていません。

その力は
ある人は
神様の力だというのかもしれません。
自分は、その力の正体はわかりませんが

自分のからだの中には
いつもどんな時でも、どこにいても
自分を見守ってくれている力があると
確信しています。
その力って・・・・
表す言葉はすぐには浮かばないけど
ひょっとして
この力が神様のご加護というのかとも
思うこともあります。

神様が
いつも守ってくれているのだから
自分を信じて、生きていくことは
神様にお任せして毎日過ごせいいんだ。
神様のご加護の元
生きていけばいいと思えば
どんなに毎日生きていくのが楽になることでしょう。

それから僕は
神様の力、ご加護を感じたときには
手を合わせて感謝するようにしました。
その時、お祈りについて気づいたことがリます。
それまで
神社にお参りにいくのは
初詣、誕生日、厄年、受験など
神様の御利益を期待して、願い
お参りに行っていたのです。

でも
今は、御利益をお祈りするのではなく
今こうして生きられることに感謝の気持ちを
神様に伝えないといけない
これが神様の喜ばれるお参りだと
気づいたんですね。

自分の中にいらっしゃる神様に
感謝することは忘れてはいけないことに
気づいたと同時に
神様は
自分以外の人の中にもいらっしゃってるんですよね。
もちろん、木にも石にも、動物にも花にも、物にも
全ての中に神様がいらっしゃるんですよね。

日本では
八百万の神と呼んで
全ての物に感謝の気持ちを伝えいるんですよね。

全ての物、人の中にいらっしゃる
全ての神様に感謝して
神様にお任せして
毎日一生懸命大切に生きていけば
必ず神様からのご加護があるんでしょうね。

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ゲノム時代における小児科医の役割

コロナ感染の生活制限が
緩和されるにつれて
生活もコロナ流行前に
もどりつつある。

そんな中
学会も通常通り開催される傾向にあり
久しぶりに直接
学会会場に出向き参加してきました。

オンラインでも
講演自体を拝聴するという形での
参加はこれまでできたのですが
オンラインでは
その場の空気感は伝わらないし
その場にいる参加者の動向も伝わらないので
こちらの集中力も続かない。

同じ時間の学会参加でも
オンラインだとリアル参加の
1割は集中力が落ちると思う。

今回リアルの学会参加して
興味をひいたのは
先天代謝などの遺伝性疾患に対しての
染色体検査などのゲノム治療の
進歩についての話。

実際
遺伝疾患というのは
とても希な疾患であり
僕のような一般クリニックでは
経験することも希な疾患である。

希な疾患だと言っても
ある一定数の割合で
存在するし
その病気は
家族も同様の疾患保因者であったり
診断できても
治療法がないので
社会的にどう生きていくか
社会に対してどのように認知してもらうかなど
ゲノム診断が進歩し
以前よりもっと診断能力が上がったけど
それだから、浮上した問題もある。

そして
ゲノム診断は
遺伝性疾患のみに治まらず
癌などの領域にまで伸びてきている。

遺伝子診断が進歩したことで
病気を発症していなくても
今後発症するかもと不安な気持ちが
増え、精神状態のバランスを崩すことも
危惧される。

などなど
診断の進歩は歓迎されることだけど
それによって
様々な問題が出てきたことを確認できた。
ですから
種々の問題が起こることを
回避して
診断治療にあたらなければと肝に銘じた
学会の参加の時間でした。

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コロナ後の世界は相互依存で

この春は
やっとコロナという雪解けがはじまり
あちこちで色んな物が芽吹き出すような
人々の活力と希望にあふれた
春を迎えました。

それでも
3年間という長きにわたる
コロナウイルスのキヅ後は
僕たちのこころの中にも深く刻まれています。

人間は、安定を望むので
変えるということは苦手です。
今回も、マスクを外していいと言っても
どうしていいのか、決断できなく
総理大臣でさえ
個人の判断などという答えになるのです。

でも、この答えも
実は人間らしい発言だとも
言えるのです。

今一度感染対策のおさらいですが
感染経路はウイルスとの接触以外にはない
ということ。
ですからマスクの意義は大きいので
外すかどうかの判断に迷うのです。

また
SNSを含め、マスコミ報道など
真偽の判断すらできないような
情報が氾濫していること。

何が正しいのか、正しくないのかが
判断できず
どんどん不安が増してしまうのです。
それは、感染だけでなく
戦争などの外交問題でも著明になることです。

これらのことを含んで
解決することのひとつの考え方は
「相互依存」しているということです。

僕たちは、みんな
太陽からのエネルギーを頼りに
お互いが依存し合って生きているのは
間違いありません。

ですから
マスクを外すかどうか情報や国策を
批判する前に
自己免疫力を劣化させないための
健康管理をふくめ
感染しない、感染させないように
する努力を、行動をおこすことが
大事になってくるのでしょう。

根本にあるのは
お互い寄り添って生きていることを
意識することが大事なんだと思います。
それを政策的に言うと
「個人の判断で」という意味になるのでしょう。

あなたひとりで生きているわけではない
相互依存して生きていることを
基本に考えて
これからのコロナ後の世界を生きていきましょう。

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百姓百の声

柴田昌平監督の「百姓の百の声」という
映画を観てきた。
題名からしてこれは農業に関する映画
内容は
農家の方々のインタビューにて
構成された映画。

観る前は
農業も農家にとって厳しい面がある。
農家がどんな困難と共に
どんな風に生き抜いてるかをあぶり出す
現代社会における
農業の問題に焦点を当てた映画だと思った。

だから
畑違いに生きる方々の姿を知ることは
これからの自分にとって
きっと意味があることではないかと思い
正直
あまり期待せずに観にいった。

観にいった感想は
観にいって良かった。
この映画で紹介された
農家の方の生きる姿、言葉が
ストレートに僕の心に響いてきた。

見終わった感想は
農も医学も
人のいのちも、植物のいのちも
結局自然のなかで
循環して生きていることを強く感じた。

そして
数々の困難を、創意工夫に乗り切った
農家の方々のインタビューをきいていると
農業の世界も
植物の生育にとって必要なことが
目に見えないけど
そんな見えないことを
観察することで、見えるようにすることなのだと
ある農家さんが仰ってた。

そして
柴田監督さんが
「資本による技術の囲い込みで
行きつく先は貧富の差のある世界。
農家の人に息づく
『共有の智』こその社会に必要なのではないかと」
と語られてた
深い意味をこの映画を観ることで理解できた。

結局
生きることについて
考えることができた映画だった。

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横山大観の風景画からの学び

横山大観の絵画を
まとめて鑑賞できる機会がありました。
横山大観といえば近代画壇の巨匠であり
多くの富士山を描いた印象的な絵画を
遺している。

実際に観れたのは
2000点以上あると言われる作品の内の
わずか数十点であったが
どの作品も
こころに訴えてくることがある。

自然描く
その先に、大観の眼差し
心情を感じずにはおれなかった。

静物画は
絵の技術的手法を直接
感じることができる。
けれど
同じ風景がでも
イタチ、雀、リスなど
生き物を描かれていることもあった。

その絵を観ていて
動物の愛らしさに引き込まれるたが
その瞬間
時が止まったのです。

それまで
風が吹いて
葉が揺れ、枝がしなっていたのに
リスが実を食べようとしたり
イタチが気配を感じて振り返った瞬間
その自然の中で
自然の中に流れる悠久の時間を
描かれた生き物が登場しただけで
生き物が生きようとした
時間が切り取られるのです。
そして
生き物の眼差しが
訴えてくるのです。
たくましく生きたい
自然を敬い
生き物の命を慈しみ
・・・・様々な感情が感じてくるのです。

これは
作者の気持ちかも知れません。

今回
横山大観の絵画を観て
風景画の魅力
横山大観の思いに触れることができ
新たな絵画の魅力に気づいたのです。
こう発見させるのが、巨匠の所以なのかもしれませんね。

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チャンスをつかむ

チャンスがない
運がないって
嘆いてないですか?
あきらめてないですか?

実は
チャンスは
誰にも平等に与えられているんです。
そして
チャンスは
自分のまわりに
たくさん転がっているのです。

”チャンスがない”
”運がない”って
嘆いてる人と
チャンスをつかんでいる人との
大きな違いは
自分の周りにある
チャンスに気がつくか
どうかなんです。

チャンスをつかむためには
どうしたらいいのでしょう?

あなたは
人から何か頼まれたときに
どんな風に対応してますか?

即答できますか?
後で、考えてお返事しますって
返事を先送りしていないですか?

実は
頼まれたときに
即答できるかどうかが
できるだけ早く返事をすることが
仕事だけでなく、
何事においても
福を呼ぶ、チャンスをつかむ
というこにつながっるような気がします。

即答する力を身につけるために
何をするべきなのか?

ぼくは、日ごろから
まわりの事をよく観察すること
つまり
まわりに今何が起きているのか
観察し、判断する、そして動く
力を磨くことが
必要なんだと思いいます。

まわりのことを
よく観察するためには
好奇心と人に対する思いやりの気持ち
が大切ではないかと思います。

人に喜んでもらおう
人の役に立ちたい
という気持ちをいつも持っていれば

自分にできることはないか?って
まわりに対する観察の目が広がることでしょう。

その力は
自分だけに使うものではない

そして
誰かが察するSOSのサインを
いち早くキャッチでき
いち早く手を差し伸べることが
できるようになります。

その行動を起こすことが
日頃からの
心がけ、即答することで
磨かれる気がします。

まわりの人の
役に立ちたい
喜ばせてあげたい
そんな気持ちで日々過ごすこと

そんな行動力が
自らにもチャンスを生み
そして
多くの人にも
しあわせをもたらすことに
なるんだと思います。

☆ 今日の山口は、曇ったり雨が降ったり
なんだか落ち着かない天気です。
天気のように、僕の毎日も
昨日は昼周南、夜は下関。今日午後は防府市で
あっちに行ったり、こっちに行ったり
忙しいけど、楽しんでる自分がいます。
動けば、動いた分だけ出会いと学びがあるから^ ^

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真のカルテに書くことは?

カルテには、普通
症状が
いつから、
どんなふうに起こったのか、
どのようになってきたのか
事細かに記録していきます。
そして
その情報を元にして
診断、治療に繋げていく
とても重要な作業です。

でも
病気は
症状が出てから始まったわけではなく
その人の無理な生活
頑張りすぎた生き方
ストレスに感じる環境
心の悩みなど
日々からだが蝕まれきた結果が
症状として現れるのです。

ですから
症状が出てからのことを尋ねたり
症状が出た後に
たくさんの検査をしても
病気の状態がわかるだけで
真の病気の原因に迫ることはできません。

医療を施す前に
病気の原因を見つけないと
本当の治療はできないはず。
ですから
医者は、症状についてだけでなく
患者さんに聞かないといけない
ことがあります

“からだに負担になる生活をしてませんか?”
“何を食べていますか?”
“何を飲んでいますか?”
“毎日頑張りすぎてないですか?”
“心に悩みを持ち続けていませんか?”
“ご家族、ご友人と仲良くしていますか?”

“つらいことがあれば、なんでも話してください。
何でも吐き出してください”

あなたの生き方が
あなたのからだの細胞ひとつひとつに
影響しているのです。
細胞のひとつひとつの
訴えが症状になって
あなたに訴えてきてるのです。

だから
カルテには
症状のことだけでなく
実は
その人の生き方を
記録するものでなければならない
と僕は思います。

昔から“医は仁術である”と言われます。
その意味は
医者は
病気だけを診ればいいのではなく
目の前の患者さんの全てを診る
全人的な力量が求められるからでしょう。

医者は
からだが病む時も
心が病む時も
そして
心身が病まないように
いつでも寄り添える存在で
なければならないのだと思います。

だから
医者の前では
包み隠さず、恥ずかしがらず
何でも素直に、正直に
話してください。

あなたの口から出る
真実の言葉が
病気の真の原因を教えてくれます。

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