年別アーカイブ: 2023
出会う人はみな師
こどもはみんな
早く大きくなりたい
立派な大人になりたい
いつも成長したいと
思ってることでしょう。
成長したいと思うのは
こどもだけでもなく
おとなも何歳になっても
成長したいと思う方も多いでしょう。
成長したくても、
一人で考えていても
一人だけでは
決して成長はしません。
人は、日々
多くの人に囲まれて生きてきて
多くの刺激をもらって
成長していきます。
日々の生活の中で
人からだけじゃなく
経験したこと、身の回りに起こったこと
読んだ本、聞いた音楽、目にした風景など
無限と言っていいぐらいの
様々なことから刺激を受けて
みんな成長していきます。
昨日よりも
成長したいと思うなら
周りから何かを学ばなければなりません。
無限にあるものの中で
最も大きな影響を与えてくれるのは
”人”です。
成長させてくれるのは
”尊敬できる人”、”とっても偉い人”
”とってもすごい人”
かもしれない。
でも
あなたを成長させてくれる人は
決して特別優れた人ばかりと
いうわけじゃない気もします。
”いい加減な人”
”うそをつく人”
”約束を守らない人”
たとえ嫌いな人からでも
学べることはあるはずです。
知り合いではない
偶然出会った人
通りすがりの人の
笑顔だけを交わした人からでも
学ぶことはあるはずです。
逆に
人と過ごしていると
腹が立つこともある。
そんな腹が立つ人と出会ったとしても
この人から
何を学べるかだろうか
何も学ぶべきことがない
と考えることに実は意味がある。
反面教師という言葉もあります。
どうしてなの?
なぜなの?
そう思った瞬間に
あなたはきっと学び始めているのです。
だから
どんな人からも
学ぶことができるはずです。
好きな人であっても
あなたに意地悪をした人であっても
そんなこと
気にすることはありません。
今日出会った人はみんな”先生”
みんな、自分に何か伝えようとしている。
自分に何かを教えてくれている
のだから、みんな”先生”
こう考えていると
誰に対しても
”ありがとう”という
気持ちになってきます。
そして
人はみな
生かされ生きているという
ことに気づくのだと思います。
思い立ったら吉日
新しい年を迎えると
多くの人が
今年はこんな一年にしようと考え
いろんな経験をしようと
決意を新たにされる方も
多いことでしょう。
昨年の年始めにも
きっと同じように思い
色んなことにチャレンジされた方も
多いことでしょう。
僕にも
こんなことにチャレンジしたいと
昨年も今年も思いがありました。
新たにやれたこともあるし
できなかったこともあります。
そして、昨年の一年を振り返り
やったことすら忘れてしまったことことも
あると思います。
忘れたことを含め
実際に行ったすべての経験は
捨て去られたわけではなく
頭の中の記憶の引き出しの中に
格納されていて
必要となったときに
その引き出しが開けられ
利用されるのです。
だから
生きている限り経験することは
無駄な経験なんて何もないのです。
もったいないのは
やらなかったことでしょう。
だから
みなさんにお伝えしたい。
思い立ったら吉日
思い立ったことは躊躇せずおこない
今年一年を明るく有意義な年にしましょう
八紘一宇
今日は立春
立春は季が変わる節目の時期で
初詣の時と同じように
今年がいい一年に為るように
いろんなお願いをする方も多いと思います。
願う目的も、内容も人それぞれ。
個人的な願いごともあるでしょう。
世界の平和を祈る方もいっらっしゃる方もいるでしょう。
世界平和を祈る言葉の中で
「八紘為宇」というのがあるのは
ご存じですか?
この言葉は、政治家が時々口にする言葉で
東京裁判の時に議論されたり
最近では、三原じゅんこ参議院議員が
国会の発言で注目された言葉です。
この言葉は、日本古来からの言葉で
神武天皇が
東征を決断されたときに
兄の五瀬命に述べたことばとして
現在まで伝えられています。
現在の漢和辞典によると
八紘は「天地の八方の隅」で
転じて全世界を意味し
「宇」は家を指します。
すなわち全世界をひとつの家にするとの意味。
その言葉を
神武天皇はきっと
日本全体が平和に収まった状態を
思い浮かべ
日本列島全体が
私たちの家となり
私たちが
同じ家に住む家族となるとこを願い
この言葉を発されたのではないかと
僕は思うのです。
今は
日本だけの問題だけでなく
世界全体が一つの家、家族と
為らなければいけない時を
迎えているのです。
今こそ
八紘一宇の精神で
「奪えばたりなくなるけど
分け与えれば余る」という
応神天皇が引き継がれた精神をも
日本人として生まれたからには
引き継ぎ、世界に広めないといけない
精神なのだと思います。
この精神は
災害が起こったとき
今のようにコロナ感染の後の世に
必要な精神だと思うのです。
喜べば歓び事ごとが多く訪れる
新しい年になって
長かった
新型コロナウイルス感染症の出口が
少しずつ見えてきた気がします。
でも、
どのように終息するか
まだまだ先も見えない状況です。
でも
世界がパンデミックの状況でも
どんな逆境の時でも
月日は巡り
また新しい時間が
巡ってきます。
新年が明けて1か月経ちましたが
みなさんは
今、どんな気持ちでお過ごしでしょうか。
まだ世の中は不安定のなか
目を疑うようなことが世の中では起こっています。
どんな時代になっても
時間は流れるていくし
新しい時間が来るのです。
その流れは
どんなに抵抗しても
止めることができません。
全ての時間を
受け入れるかは
自分の気持ち次第です。
例え病気の中にいても
悲しみばかりじゃない
今日できたこと
昨日の苦しみが
少なくなっていることもありました。
すべて
自分の心が
今の自分の心を決めているのです。
ですから
不幸を探すより、しあわせを探して
生きていった方がいい。
信貴山の管長がこんな言葉仰ってます
「喜べば慶び事が喜んで
喜び連れて喜びに来る」
どんな時代であっても
慶びは必ずあなたと共にあります。
今年もみなさんに慶び事が訪れますように
今日も僕も医療を通じて
働かせていただきます。
湯川秀樹先生の弟子になれたら
僕は
これまで色々な方に
お世話になって
育ててもらい今日まで生きてこれました。
でも
悲しいかな
自分は一匹狼で過ごす性なのか?
いつの時期でも感謝している人に出会っても
ずっと影響を受け続けられた人
いわゆる
師匠、メンターという方に
出会えることが少なかった気がします。
でも
実際に会ったことがなくても
いつも時期になると出会い
その時の僕にとって大きな影響を与えてくれる
いわゆるメンターという方が
二人いっらしゃることに
最近気がつきました。
一人は
日本ではじめてノーベル賞を受賞された
物理学者の湯川秀樹先生です。
湯川秀樹先生との出会いは
小さい頃読んだ伝記なんですが
その時の印象は今でもはっきり覚えています。
京都大学、ノーベル賞など
すごい先生なんだと
読んだときの感想なんですが
なぜかわからないけど
大好きな、えらい先生だと思ってたし
将来の選択を迫られたときも
理系苦手の僕にとっては
足下にも及ばないけど
頭が良ければ、湯川先生の後を継げたのに・・・
なんて
空想しながらも、今の道を選んだ気もします
そしてその後も
ずっと尊敬し続けた先生でした。
そして
今、目に見えない世界の存在を
感じながら医師をしていると
先生の晩年発表された研究「素領域理論」が
まさに
見えない世界
あり得ない世界
ひょっとしたら魂の世界が
湯川先生が理論上考えられていた世界だ
と言うことを知りました。
入院中も
なぜか先生のエッセイを読みたくなり
図書館で借りた本を読んでいました。
先生が物理学的に証明しようとした世界を
僕が信じて証明しようと歩いている世界
湯川先生が導いてくれている世界だと
直接お会いしたこともなく
先生なんて言うのもおこがましいですが
僕は、勝手に、独りよがりかもしれませんが
先生の導いてくれた道を信じて歩いている
今は
先生の弟子の末端にでもいるつもりでいます。
自分勝手な思いですが
先生に実際に会って許されるものなら
湯川先生の思いを持って生きる
弟子のひとりになることを許してもらいたい思ってます。
もし
将来先生の示された素領域の世界で
先生に出会うことができた日には
先生の理論を実践したと言える
生き方をしていくつもりです。
生きているのではなく生かされている
ここ最近毎年
新しい年を迎えると
思うこと、思い出すことがあります。
それは
今ここにいるのは
自分の力でここにいるのではなく
ここでいるように
生かされている
という気がとてもするのです。
思えば
ひょっとして
今ここに存在しなかったかもしれない
出来事が
これまでに2回ありました。
一つは
今から約10年前。
山登りに魅力を感じていた時期で
乗鞍岳の登山に挑戦した時のことです。
乗鞍岳は
3000mを越える山ですが
初心者の僕でも
登頂することができ
山登りの楽しさを教えてももらった
山でした。
山登りは
下山するまでが山登り。
とも言われます。
その時
一緒に同行した方と
下りは自転車で下ろうと提案してくれて
サイクリングの経験はないけど
下るだけなら
ついて行けるだろうと
軽く考えてOKしました。
でも
そこに魔物がいたんです。
長距離の下り
ペダルを漕がなくても
どんどんスピードが乗ります。
それも3000mの下り坂
つづら折りのカーブを曲がりながら
降りていきます。
スピードも乗って、楽で快適です。
でも
ガードレールの下は
絶壁の崖のところばかり
スリルも少しは感じながら
スピード感に酔いしれ
自転車が加速していきます
まさに
風を切り、風に乗ったと思った瞬間
カーブを曲がり切れず
ガードレールを
乗り越えてしまったんです。
目の前が真っ暗に成り
体がふわっと宙に舞う感覚とともに
ドスンと落ちて
右の胸を
ガードレールの柱を固めてあった
セメントの土台にぶつけ
強い衝撃と痛みで
僕の楽しい山登りは終わりました。
肋骨を打って
ひびが入ったのでしょう。
それからしばらくは
笑っても痛い
ベットから起き上がるのも
痛くて動きがとれない状況が
1週間近く続きました。
楽しい旅行の結末は
苦い思い出になってしまいました。
でも
冷静になって振り返ると
そのカーブだけが、すぐ地面だったのです。
つまり
他のカーブを
曲がりそこなってたら
深い深い谷底に落ちてしまい
いわゆる滑落事故として
いのちがなかったと思い
今思うとぞっとしてしまいます。
そして
一年前の脳出血。
脳出血でいのちを落とした方の
ことを聞くことがありました。
今まで元気だった方の
突然のニュース。
そんなニュースを聞く度に
僕もそうなっていても
おかしくなかったんだと思います。
亡くなったかたも
死ぬなんて思わなかったんでしょう。
色んな状況
同じような状況でも
死ぬ人と生きている人がいる。
このちがいってなんでしょうか?
人は寿命、運命だと言うのかもしれませんが
僕には
自分で勝手に生きているのではなく
誰かによって生かされている気がして
ならないのです。
生きる、死ぬも
自分で決められない
だから
毎日いやこの瞬間を
悔いなく過ごさないといけないと思うのです
大事なものは目に見えない
年が変わっても
コロナの状況は変化しているのに
変わらないのは
新型コロナ感染症の感染者数
重症者の人数の報道
今でも
報道に鈍感になっているかもしれないけど
増加している、増加していると
大きな声で言われると
心が萎縮してしまう。
現代社会に生きる自分たちは
科学文明の発達した世界で生きているので
目に見える現象を信じ
数字で表された事柄に
納得させられるように生きてきた。
数字はうそをつかない
と言う言葉を鵜呑みにしてしまっている。
でも
それは、本当の世界なんだろうか?
数字って絶対なんだろうかと
思う。
世の中には
数字で表現できない事柄も多くある
想像できないような大きな数字
小さい数字だって存在する。
我々の認識を越えた数字も存在する。
コロナの数字だって
本当にコロナ感染症の数字?
重症者の数え方だって
人間の感覚でとらえた数字。
だから、本当かなんて
いえるのだろうか?
数字をみないと
信じられない自分たちだから
目の前に数字が現れ
数字に目がいき
数字におびえてしまう。
真実のことは
頭に訴えるのではなく
心のなかに響いてくるもの。
だから数字が真実とは限らない。
星の王子さまがこんなことを言っています。
「ぼくたちみたいに
生きると言うことの意味が
わかっているものには
数字なんてどうでもいい。」
「家でも星でも、砂漠でも
綺麗に見えるのは
何かを隠しているからなんだ。
ここに見えているのは殻なんだ。
一番大事なものは
目にみえない」
数字で表されるものの
代表はお金。
物質的なものに縛られ
数字に踊らされて生きている僕たち
数字に表されない
大事なものを見失うことなく
生きていきたいものですね。
医師としてスタートを切った日のこと
僕はおよそ30年前に
医師としての
小児科医としての第一歩を
九州大学病院でスタートしました。
その時の気持ち
思いは今でもしっかり覚えていて
今でもその思いは今でも僕の胸にくっきり刻まれています。
その思いについて
今日は少しお話させてください
医師免許をいただいたとはいえ
まだまだと言うか
実践力は全く0の状態でのスタートでした。
病棟で
小児癌のこどもたちの主治医に
なりましたが
こどもたちは、とても苦しい治療を受けてきて
僕たち研修医が何もできないことを
患者さん自体、親御さんもわかっています。
薬一つ出す
熱冷まし一個出すのも
風邪薬を出すのさえ
指導医に確認し
自分ひとりでは何もできない状態の研修医。
僕にできることは
こどもたちと遊ぶことでしょうか
そんな僕を
先生と呼んでくれていたのは
立派な先生に早くなって
僕を1日でも楽にしてねと
病気をしていても天真爛漫の笑顔の奥にある
ふとみせる悲しい表情が忘れずに
研修医なりに持ってる知識を総動員し
もっと、もっと学ばないとと
患者さん、病気と24時間休みなしで
向き合って過ごしました。
でも
こどもたちが笑顔で元気になって退院しても
なかなか医師としての実感を感じられませんでした。
僕が描いてた医者の像との乖離を感じ
治した実感がありませんでした。
薬が、あの20mlの薬液が、ちっさい、ちっさい丸薬が
治しただけで
僕はこどもたちに何ができただろうか?
もっと医師として
この手で、我が力で
病気を治したいと思うようになりました。
その時の思いが
僕の今の医療スタイルにつながっているのには
間違いありません。
現代医学の礎、考え方をを今に伝えている
医聖ヒポクラテス(BC450-300)が次の言葉を残しています。
「病気を治すのは
医師ではなく自然である。
医者はそれを手伝うだけだ」として
自然治癒力を重視したという
言葉が残されています。
医者が治しているのではなく
治すお手伝いをしているだけ。
僕が研修医の時感じた思い
現在に続く思いは
間違いではない。
患者さんの治癒力を引き出すために
僕ができることをすればいいんだ。
今でも医師としての道は途中。
まだまだ僕の歩む医道は続きます。
顔に自信を持つ
2年前の今日は
僕をここまで育ててくれたと言っても
過言でもない家が
第二の人生を歩むことになった日でもあります
写真などに記録できないほどの
家族全員の毎日を
温かく見守ってくれた家、土地。
僕の今があるのは
育った家のおかげです。
本当に感謝の気持ちです。
そして
土地、家にも
次のお役目があるのでしょう
新しいご家族を温かく見守る
役割を果たすことになったことで
きっと喜んで居るような気がします。
感謝の気持ちを持って
笑顔でお別れすることにしました。
僕の人生。特に前半の人生を
親と同じように
見守ってくれた家ですが
僕の成長する姿をどう見てたのでしょうか?
多くの名言を残している
ココ・シャネルが
「20歳の顔は、自然がくれたもの。
30歳の顔は、あなたの生活が。
50歳の顔は、あなた自身の価値が現れる」
と言っています。
今の顔をみて、どう思ってくれているでしょう。
病気をしたのも
僕は、自分の使命?役割?と言うような
自分のこれからの道を
示してくれていたと思っています。
だから
ココ・シャネルの言葉を借りると
きっと今の顔は
これまでの顔とはちがうはず。
僕の育った家は
そんな僕の今の顔を見て
「これから、ひとりで大丈夫だね」と
安心して、次の家族の守り神に
なってくれている気がするのです。
実家の家、土地の神様
家族はみんなしあわせに暮らして
それぞれの道を歩んでます。
今があるのは
神様に育てていただいた時間のおかげです。
もう僕を育ててくれた家はなくても
僕のこころの中には
今でも思い出と感謝の気持ちでいっぱいです。
本当にありがとうございました。
反対側からみてみよう
僕たちは
目に見える物、事柄を重視し
日々生きている。
だから
目に見える物
手にできる物しか
信じられなくなってきている。
でも
自分たちの生活は
目に見えるものばかりで
成り立ってるわけではない。
空気は目に見えない
日の明るさ、あたたかさだって
目には見えないように
感じられるけど
目に見えないものってたくさんある。
実は多くの
目に見えない
実態がわからないに
ものに支えられて生きている。
目に見えないけど
感じられるものも
大切にしないと行けないのではないか?
愛情などの気持ちもそう
目に見えなくても
あなたのいのちを
支えてくれていることにも
感謝の気持ちを向けよう