年別アーカイブ: 2023
心の安定はミネラルの力で
最近、凶悪な事件が増えています。
それには、キレやすくなったことが根底にあります。
キレやすい人が増えた原因のひとつに
ミネラル不足があげられます。
1990年代後半アメリカの大学で、
ネズミを2群に分け、
1群は通常の人工餌、
一方の群には、
ミネラル成分をぬいた餌を与え続けました。
すると、
ミネラル成分を抜いた餌のネズミたちは凶暴になり、
仲間同士で傷つけ合ったり、
飼育ケースに手を入れただけで噛みついてくるのです。
その後も様々な実験がなされ、
現在では、動物にとって
ミネラルは精神を安定させる役割があると考えられています。
人では、
怒ったり、興奮したりすると、
左右の腎臓の近くにある副腎から
アドレナリンというホルモンが分泌されます。
アドレナリンは攻撃的に、行動的になる時に分泌され、
相手を攻撃したり、物を壊したりするといった
凶暴な行動に出る時は、
大量のアドレナリンが血中に放出される状態なのです。
そのアドレナリンの分泌を抑えてくれる働きが、
ミネラルにあります。
現代の日本人は、
もっとミネラルを獲らなければなりません。
だからといって、
硬水のミネラルウォーターや、カルシウム豊富な牛乳をとっても、
ミネラル不足は解消されません。
元々日本人はミネラルが少ないと言われます。
かつての日本人食事は、
根菜、菜っ葉、山菜、豆、海藻、穀物、魚が主でした。
魚以外は全て植物です。
食物には繊維成分とミネラルからできています。
実は、日本人は、菜食という食生活を習慣にすることで、
食物からミネラルを補充していたのです。
ですから、
日本人はミネラル不足を解消するためにも、
バランスのとれた伝統的な和食中心の食生活に
切り替えることが、
ミネラル不足を解消する一番の近道でしょう。
☆ 自身の経験をもとに、今感じていることをまとめた
拙著「どう生きてどう死ぬか 脳出血を経験した小児科医が観た生きる道」を
上梓させていただきました。
この本で記した僕の経験が、思いが
医師としてだけでなく、病いを経験したひとりの人間として
ひとりでも多くの方のお役に立てることを願うばかりです。
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死を意識する
平穏な日はずっと続きません。
その平穏な日々は
誰もが必ず経験する迎える死によって
終わります。
なぜ死があるのか?
それは目の前のしあわせを感じるために
必要なことなのかもしれません。
ギリシャの哲学者エピクテトスは
次のように語っています。
「こどもにキスをしている時に
おそらく明日おまえは死ぬだろうと
こころの中で言うべきだ。
これは不吉な言葉でなく
自然の営みを意味をする。
そうでないなら、麦を刈り取ることも
不吉なことになる」と。
なぜ、こんな言葉を遺したかというと
最悪の事態を予想しておけば
何が起こっても大丈夫だ
人生恐れることはないということでは
ないでしょうか?
そして
死は自然の営みであり
必ず死は訪れる
人生の終わりはくるのだという事実を
いつでも意識しておきなさいとい
いうことなのでしょう。
なぜ死を忘れてはいけないのか?
それは
今を丁寧に生きるためです。
死を意識しないと、
今日を丁寧に生きられなくなってしまいます。
明日はどうなるかわからないから
今日を将来のためだけに生きるのではなく
今日という日を
今日という日のために生きるように心がけましょう
☆ 自身の経験をもとに、今感じていることをまとめた
拙著「どう生きてどう死ぬか 脳出血を経験した小児科医が観た生きる道」を
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神様が目に見えない理由
神様を信じていても
神様はそのお姿を
目の前に表すことは
めったにというかほとんどありません。
多くの方の前に
お姿を表した方が
多くの方に信じてもらえるのに
どうしてなんだろう・・・と
考えてしまうことがあります。
姿を表さないのは
神様の偉大なる意図があるのでは?
と感じるようになりました。
それは
神様も含めて真実のことは
目に見て理解するのではなく
こころで感じて欲しいからなのだと思うのです。
なぜかというと
人の目に映るものを見たとき
その感じ方は
各人各様であって
自分勝手にみてしまうから
ではないでしょうか?
神様を具体的にみてしまうと
その神様を自分の都合のいいように
その姿、イメージで形づけられ
頭の中に居座ってしまい
神様の本来の意図とは異なる
本来の姿で頭の中に
いついてしまいます。
その結果・・・
神様の意図とは異なる
とんでもないことを引き起こす
原動力にもなってしまうのです。
だから
神様は姿を見せないで
その思い、こころだけを伝えようと
しているのです。
風も目には見えませんが
その心地よさ、強さを
感じることができます。
星の王子さまも
真実は目に見えないんだよ・・・って
言ってましたよね。
ですから
神様も含め
真実は目で見るのではなく
こころで感じるものなのです
☆ 自身の経験をもとに、今感じていることをまとめた
拙著「どう生きてどう死ぬか 脳出血を経験した小児科医が観た生きる道」を
上梓させていただきました。
この本で記した僕の経験が、思いが
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プラセボ効果の示す意味
プラセボ効果って聞いたことありますか?
例えば痛みがある時に
お薬でなくて砂糖玉を
「これは痛みを和らげる」と渡せたら
実際の痛みが治ることがあることが
知られています。
これをプラセボ効果といいます。
プラセボとは、喜ばそうという意味のラテン語です。
また
新しい薬剤を世に出すときに
薬の効果を確認するときに
患者さんにも、医者にもわからないように
本物の薬とビタミン剤を渡して
薬の効果を判定するという
大切な臨床実験にも
このプラセボ効果が利用されています。
実際の薬とビタミン剤との
効果の差をみて
この薬は効果の有無を判断するのです。
プラセボ効果というのは
薬の効果を判定するためにも
医学の発展のためにも大切な役割を果たしています。
ただ、その実験結果を見て
僕が不思議に思うのは
新薬でなく、プラセボ効果で
実際に良くなる人がいるということです。
新薬の説明をされたとき
プラセボ群と比べて有意に効果があります
だから、この薬は効果があると
説明を受けて
納得はするのですが・・・・
よく考えると
新薬でも治っている人がいることは
どのように考えたらいいのか?という
説明は全くありません。
僕は、この結果を見て
薬の効果だけでなく
人のもつ自然治癒力の可能性を感じるのです。
というのは
この薬の飲むという行為そのものが
治癒に影響を与えるということ。
頭の中で
こうすれば病気が治ると考えるだけでなく
実際に飲むという行動を起こした時
おそらく病気に関係した内蔵の
治ろうとする免疫力が押され
次々に連鎖反応的に
治癒の行動へと一斉にからだの内部の
秘められていた力が動き出すと思うのです。
自分の意志で
からだを動かす行動が
心身に新しく影響して
生命を次の段階に導いていくのだと言うことを
伝えているのが
臨床実験のこのプラセボ効果の結果だと思うのです。
☆ 自身の経験をもとに、今感じていることをまとめた
拙著「どう生きてどう死ぬか 脳出血を経験した小児科医が観た生きる道」を
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赤ちゃんも話しを聞いている
先日当院を受診した8ヶ月の女の子
クリニックの玄関を入ってから
ずっと病院中に響く声で泣いてる赤ちゃん。
体調がかなり悪いのか、人見知りの激しい赤ちゃんなのか、
診察室で診察していても、泣き声が気になって、
時折集中力が途切れそうになった。
そして、その赤ちゃんの診察。
問診の時も、診察の時も、もっと激しく泣き叫ぶ赤ちゃん。
例え相手が泣き叫ぶ赤ちゃんでも、
きちんと診断、治療するのが小児科医の醍醐味。
この赤ちゃんに対しても診断し、治療決定、
家庭での注意点、お母さんの疑問点を整理し、
自分の力を出し切り診療を終了した。
診察室を出る時
お母さんのホット安心した表情が印象的だったけど
もっと、びっくりしたのは、
あんなに泣いてたはずの赤ちゃんがピタッと泣き止んで、
微笑むような表情でこちらを向いていたこと。
その赤ちゃんに「先生、ありがとう」と言われた気がして
診療に納得してもらえたと、ちょっぴりうれしくなった。
8ヶ月の赤ちゃんでも、言葉が例えわからなくても、
思いは確実に伝わるんですよ。
赤ちゃんは、ちゃんとおとなの声を聞いています。
だから、いっぱい赤ちゃんに話しかけてあげてください。
赤ちゃんもいっぱいお父さん、お母さんのお話しに
答えてくれますよ。
どんな心配なことがあっても、まずは
赤ちゃんと向き合うことが、
あわてない育児に繋がるのかもしれませんね。
☆ 自身の経験をもとに、今感じていることをまとめた
拙著「どう生きてどう死ぬか 脳出血を経験した小児科医が観た生きる道」を
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人知れずいつも親切に
こどもの時、誰もが
”人のために何かしたい”
”大きくなったら、多くの人に喜ばれることをしたい”
と心に刻んできたことでしょう
そして、志高く
お金をいっぱい稼いで、多額の寄付をしよう
困ってる人がいる地域に行ってボランティアをしよう
世の中をかえるような発明をしよう
・・・・などと夢を描いたこともあったことでしょう。
でも
おとなになると
お金がないから寄付ができない
時間がないからボランティアもできない
チャンスや能力がないから大きな発明なんてできない
・・・・と
段々志がしぼみだします。
そして
”だから、自分には与えられるものは何もないんだ”と
思ってしまうかもしれません。
そんな時
ちょっと、自分の身の周りを見渡してみましょう。
自分の身の周りの人々に目を向けてみましょう。
元気よく挨拶をしたら
笑顔が返ってきませんか?
トイレや洗面所の汚れを拭いたら
みんな気持ちよく使えませんか?
部屋の整理整頓をして
ちょっと花を置いたら
何だか居心地の良い空間になっていませんか?
日常生活の中で
自分が与えられるもので
まわりの人が喜んだり
人間関係がよくなったりすることって
ありませんか?
大きなことでなくてもいい
小さなことでいいから
人知れず、そっと人のために
何か親切なことをしてみる。
この行動は
してあげるという与える行為だけど
実は
自分の気持ちを温めてくれます。
そして
しあわせな気持ちにさせてくれます。
そのしあわせな気持ちは
もっと、もっと
大きなしあわせな気持ちになり
周りの人に伝わっていきます。
小さな親切でも
自分も周りの人も
しあわせな気持ちにさせてくれるのです。
そして
ますます
親切にする気持ちがわいてくるから不思議です。
人知れず、ささやかに
いつも親切にするだけでも
世界中の人がしあわせにできるのかもしれませんね。
☆ 自身の経験をもとに、今感じていることをまとめた
拙著「どう生きてどう死ぬか 脳出血を経験した小児科医が観た生きる道」を
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けいれん?と思ったら
1歳7ヶ月の女の子受診されました。話を聞くと・・・
夜突然38.4℃の発熱、
顔色も悪く呼びかけてもボーッとしていた(1分程度)ので、
救急車呼び救急病院へ搬送。
当直医(内科医)の診察を受け、
熱性けいれんの可能性もあるので、痙攣止めを処方され帰宅した。
このような時、救急車を呼ぶかどうかとても悩みます。
呼んでいいと思いますか?
正解は、呼んでもいいです。
ただ、以下の点を理解してくださいね。
人はウイルスや細菌に感染して体温を上げる時、
筋肉をブルブルと小刻みに震わせて熱を産生します。
そして
産生した熱を逃がさないように、
皮膚の血管を収縮させるので血行が悪くなって、
手足が冷たくなったり、顔色が悪くなったりします。
これが熱が高くなる時に、
体で起こっていることです。
今回のケースもこれに当てはまると思われます。
ですから、
厳密にはけいれんではないと考えられます。
ただ、実際のご家庭では、
けいれんなのか
熱が出た時の体の変化なのかを
判断するのは困難です。
不安も強くなり救急車を呼ぶこともやもえません。
ただ、次の点だけを呼ぶ前に心に留めておいてください。
①まずは、落ち着いてください。
②時間を見てください
(熱性けいれんは10分程度で止まります。実際は長く感じますが)
③叩いたり揺すったりせず、衣服を緩めて楽な姿勢にしてあげて、
お子さんから離れず、状態を次のポイントでチェックして見てください。
息はしてますか?
顔色はどうですか?
手足は突っ張ってますか?動かしてま すか?
目つきはどうですか?左右差はありますか?
④以上を把握して、けいれんだと思われたら、救急車を呼んでも構いません。
でも、決して到着までお子さんのそばから離れないで下さいね。
けいれん?と思った時は、
たとえ医療者でもあわててしまいます。
まずは、「落ち着いて、落ち着いて」と
自分に言いきかせて行動しましょう。
そして、熱性けいれんを起こした場合、
次回熱が出た時、痙攣した時などの対応をどうするのか、
かかりつけのお医者さんと十分に相談しておくと、
いざという時に、あわてずすみますよ。
☆ 自身の経験をもとに、今感じていることをまとめた
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丁寧に生きるとは、今この瞬間を生きること
最近マインドフルネスという言葉を
よく耳にします。
マインドフルネスとは
「いまこの瞬間を大切にいきること」を
意味する言葉で
そのことを実現させる具体的な手段として
知られている瞑想法です
病気や逝きづらさの背景に
ストレスがあると言われる現代社会。
ストレスの最も大きい要因は
人それぞれで様々な悩みがありますが
そのほとんどはネガティブな思いで
心がいっぱいになるのが原因です。
「今、この瞬間」を生きようとするときに
過去のことをくよくよと考えたり
未来に対して不安になったり
すなわち”こころ”ここにあらずという
状態になってしまっているのです。
書家の武田双雲さんは
ご自身の著書で
どんなことにも丁寧に取り組むことが
マインドフルネスのような効果があると
述べられています。
どんなことにも
感謝して上機嫌で
こころを込めて丁寧に生きることで
しあわせに生きられるのです。
丁寧に生きることが今を大事に生きること。
丁寧という言葉を作ったのは
千利休といわれています。
利休は言わずと知れた
茶道を拓いた方でもあります。
僕は茶道の経験はありませんが
以前読んだ森下典子さん作「日々是好日」で
茶道はいくつもの動作から成り立ち
ひとつひとつの動作を丁寧に行います。
いくつもの作法を経て
客の前にお茶を出します。
お客は
お茶を楽しむだけでなく
飲み終わった茶碗を回しながら
茶碗を楽しみ
茶室の掛け軸、活けられた一輪の花でさえ
お客のことを思ってしつられていることが
わかってくる。
それは
そのお客と過ごす時間が
今日だけかもしれないから
今この瞬間を悔いを遺さないように
もてなすのです。
まさに
今この瞬間を大切に生きることを
形にしたのが茶道。
そして、何事も丁寧に生きることが
今を生きることなのだと
千利休は教えてくれているのです。
☆ 自身の経験をもとに、今感じていることをまとめた
拙著「どう生きてどう死ぬか 脳出血を経験した小児科医が観た生きる道」を
上梓させていただきました。
この本で記した僕の経験が、思いが
医師としてだけでなく、病いを経験したひとりの人間として
ひとりでも多くの方のお役に立てることを願うばかりです。
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日々是好日
映画「日々是好日}を観た
この作品は森下典子さんの同名小説(エッセイ)を
元に映画化された作品。
僕は最初に本を読んでいたので
森下典子さんの
茶道を始められた経過から
茶道を通しての気づき
そしてご自身の人生の出来事と
茶道との関係を
素直に書かれた本に
すーっと心に溶け込んだ本であった。
茶道では
色々な作法があります。
その作法がただ繰り返し繰り返し行う。
行っている内に
色んな疑問が生まれてくる。
どうして、こんなことをするのか
そんな疑問を先生にぶつけてると
何も考えずに淡々と続けなさいと
教わる。
すると、あるとき
何も考えずにからだがすーっと動く感覚を
憶えたのです。
すると
自分の周りの環境に対しても
不思議な事が起こるのです。
掛け軸の字を観ると
字として観るのではなく
音として感じだしたのです。
お茶碗を触っても
ぬくもりを感じたり
水の音も温度によって異なったり
様々なことに気づけるようになり
茶道にはまっていくのです。
自分は茶道を習ったことはないけど
ただお手前をくり返すこと
そのお手前を何も考えずにできるまで行うことに
意味がある。
頭で考えることではなく
心で感じれるようになることを目指す。
それが茶道の目的だと言うことを
この本、映画を通して知りました。
○○道の奥深さを知った。
またこの映画は
樹木希林さんの遺作。
そのいぶし銀の演技にも感服した映画でした。
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老いの苦しみをどう切り抜けますか?
お釈迦様は
生・老・病・死を四苦として
この世の苦しみを表現しています。
この中で
病いの苦しみも味わったこともあります。
生きていくことも苦しいこともあることは
理解できます。
死についても、
経験はもちろん生きている間に
できるわけではないけれど
わからないだけに死を考えると
単なる恐怖というよりは
誰もが経験するのに
わからないことに対して苦しみとなることも
理解できます。
そんな中で
「老」に対する苦しみ・・・って
どんな事なんだろう
老いることも死と同様に
生きている限り避けられないことだけど
長寿を逝ききった
多くの先輩方がいらっしゃるので
のりきる方法がどこかに
あるのだろうと思っています。
人生の生き方として
注目している人のひとりに
昨年残念ながらお亡くなりになられた
瀬戸内寂聴さんがいらっしゃいます。
波瀾万丈の人生の中
破天荒にも見える生き方
僧侶であっても
どこか人間くささのある生き方、、説法で
多くの人に生きる希望を与えられた
瀬戸内寂聴さん。
でも、人には見せない本質のところを
知りたくて
注目していた方です。
そんな寂聴を密着取材され
17年間カメラに記録された
中村哲さんの映画
「99年生きてきて思うこと」を観ました。
多くは豪快に大好物の肉を
美味しそうに食べ
説法ではみんなと同じ目線で
語りかける姿は
誰もが知っている、
だから誰にも愛される寂聴さんの姿
でした。
でも
密着することが許された監督の前で
流された涙
その姿が心に響きます。
いつまでも元気そうで
明るく
老いも病も楽しく乗り越えられ
楽しく生きられ
死も怖くないような
生・老・病・死の苦はないように
振る舞われル寂聴さんですが
涙する場面がありました。
それは
うまく話ができなかったのでしょう。
寂聴さんが話せなかったと
ボケてしまったと後悔するように大声で
嘆き泣かれるのです。
そんなことはない・・と周りの人が言っても
その言葉にも耳に入らないかのように
嘆き泣かれるのです。
そして
なくなる年のお正月
もう私はもう長くはないと
病気も克服されているのに関わらず
嘆かれるのです。
そして
臨終の時の取材を許可されるのです。
お正月にそんな縁起でもない話に
そして生命力あふれて活躍される
寂聴さんに対しては
周りに肯定する人がいるはずもありません。
でも
その時思ったのです。
寂聴さんは老いることの苦しみと
闘っているのだと。
そう感じたのです。
老いるはしかたが無いこと
そんなことは百も承知していても
老いたくないと
老いと闘われていたのです。
そして
中村哲さんに遺した最後の言葉として
遺されたのは
必ず帰ると、先生とけんか中です。
その時は
退院して家に帰りたかったから
でた言葉と思いました。
時間をおいてこの言葉を思い返すと
帰る場所は家ではなく
この世で生きる続けたいという
寂聴さんの心からの叫びだったのでは
思いました。
仏と寄り添って生きていても
四苦からは逃れられない
さあ、あなたはこれからどう生きる?と
仏様から言われて気がします。
☆ 自身の経験をもとに、今感じていることをまとめた
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