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東大教授、若年性アルツハイマーになる
東大医学部の教授であられた方が
アルツハイマーになったとき
どうされたのか、
そしてその後の生活は?
そのことを赤裸々に綴られた本だった。
アルツハイマーになっても
本人自身だけでなく
家族との生活
社会とのかかわり
そしてナチュラルコースを
どのようにどう過ごされたかを
奥様がその時々の思いを
奥様の思いだけでなく
ご主人の気持ちに寄り添って生きてきた
愛の記録だと感動したのが
読み終わった後の感想。
認知症になったとき
ご本人の心情から
発した言葉が記録されている。
いつも沈着冷静、理路整然としているかたが
大きな声をあげてしまう。
その理由を
「場所がちがうんだ、やめてくれ」
「場所が家とちがったり
知らない人に何か言われても
さっと理解できないし、言葉がでない」と。
つまり
自分の今いる空間が
今までと違う
そのことを同確認したらいいのか
説明もできなく
不安に感じているのだろうか?
また、食事がすすs間ないとき
食べない理由を尋ねると
「僕の住んでいる世界は、大変なんだよ。
いろいろな種類を食べなくては、と思っても
手がでない。
我慢して、嫌いなものでも食べないと思っても
できないんだ」と答えられたと。
住んでる世界は
僕の住む世界とは違うのだ
理屈じゃない
こころが自由になれるように
生きていこうとしている。
色んなしがらみの中に生き
自分を他人に合わせて生きている
ある意味生き抜きにくい世界を
僕達は生きているのかもしれない。
生きにくい世界だからこそ
感じることもあり
成長することもできる。
成長して、自分の目標を達成するのが
今生きている本来の意味。
そしてその生が終わりを迎えた先の世界
明らかに今と違う世界で生きることになるのだ
・・・・そうこの本は教えてくれた気がする
人生は小さく始まって確実に広がっていく
明治時代の日本最初の国際人として
多方面で活躍し、5000円札の肖像画として
描かれている
新渡戸稲造氏が遺した言葉。
私たちの人生も
生まれた瞬間は小さく産まれて、はじまって
成長するに従って
扇の要から中骨を通って扇面ひ広がりながら
進んでいく。
つまり
「人生は小さく始まって、確実に広がっていく・
人生が開いた扇のようです。
出発は小さく、そして大きくなっていくのです。」
新渡戸稲造はこのように
人生をイメージしていたのです。
そういえば、七五三の写真撮影で
扇子をもつことがありますが
これは、
「我が子の人生は、扇のごとく開くように」という
親の願いもあるのだと気づいたのです。
男よ、いばるな
最近、男の生き方というか
おごった態度がよく問題になる。
年末から大物芸人の女性蔑視の行動が
物議を起こしています。
人類は
有史以来男性優位の歴史であっとものを
見直そうという
動きがうねりとなって
世界を包んでいるのだと思う。
生物の世界は
男性優位な世界ばかりでなく
女性優位の生物もある。
その例として
ミツバチの世界のことを聞いたので
紹介します。
ミツバチの世界は
役割がはっきりしていて
女王蜂を頂点にした女性社会なのです。
卵を産む女王蜂と
女王蜂のお世話などをする働き蜂も
実は全てメスだというのです。
女王蜂は
こどものうち一匹に
ロイヤルゼリーを与え、その蜂は
将来の女王蜂になります。
そして
春になると、女王蜂は雄の蜂を産み
その雄の蜂と共に
住み慣れた巣を新しい女王蜂に譲り出て行くのです。
女王蜂は
また新しい巣を作って
新たな蜂社会を作っていきます。
そのためには、こどもとなる働き蜂の卵を
産まなければなりません。
そのために
雄の蜂と交尾をくり返すのですが
その雄は
引き連れた雄の蜂ではなく
近親婚をさけているのかはわかりませんが
他の集団の雄の蜂と交尾をくり返すらしいです。
女王蜂は精子を体内にためこみ
その精子を小出しにすながら
数年にわたって卵を生み続けます。
変わって
雄蜂の運命は
交尾をした後、その場でお役御免のように
天寿を全うします。
中には、交尾できなかった雄蜂もいます。
その雄は巣に戻りますが
出戻りの雄は、働き蜂から餌も満足にもらえず
巣の隅に追いやられて息絶えるそうです。
これが
蜂の世界の実態らしいです。
人間社会では
女性蔑視が甚だしい社会であり
その考えは根本から改める必要があります。
これからは
男が威張る世界を改め
だからといって女性が男性の役割を果たすというより
女性もそして男性も安心して自らの役割を果たせる
社会の実現に向かって変わっていくことを願うばかりです。
嫌な人との対応
日々、人々との関わりを持って
生きていると
自分と気があう人ばかりでなく
どうしても気があわない人と
一緒に仕事をしないといけない場面も
出てきます。
多くの人と協力し合って生きている
この世の現実として
仕方がないことでしょう。
みんなそんなことはわかっているから
我慢して、不満やストレスを抱えて
生きて居る人が多い。
だから、心を悩ますかとも多いことでしょう。
だから
嫌な人と付き合わうことが
避けられない場面では、自分が変わるしかありません。
そんな時
こう考えて見ればどうでしょう。
「人はいずれは死ぬのだから
こんなことに悩み、貴重な時間を使っている
暇はないし、もったいない」と
頭を切り替えて見ましょう。
そう思うと
頭の中から、その時感じた嫌な感情が
消えていきます。
その感情はずっと消えなくても
30秒間でも抑えることができれば
新たな一歩が踏み出せませんか?
アダムとイブの原罪から始まった比較する人生
コロナのパンデミック前後から
世の中は大きく変化していることを
感じている人は多いことでしょう。
特に
これまでの時代になかったことで
大きく変わったことは
性差に関係したことではないでしょうか?
それまで
個性を大事にしようという生き方を
唱えられることは合ったと思いますが
これまで以上に
性差に対して議論されることは
なかったことでしょう。
性差を意識するようになったのは
エデンの園での出来事。
イブが蛇にそそのかされて
禁断の実を食べた時から始まって
アダムとイブが服を着るようになったと
言われています。
アダムとイブが
お互いの違い、男性、女性の性差を
意識するようになったことはわかりますが
もっと深読みすると
その瞬間から
自分以外との違いを意識する
つまり
自分以外の他人と自分を比較して
自分を評価する。
人と比較することで
自分のしあわせも、立場も確認するようになったのです。
それが、禁断の実を食べた結果であれば
真のしあわせがどこにあるのかは
自分自身の中にあると言うことになります。
コロナが、人々が気づき始めた現れが
現在の性差のうねりになっている気がするのです。
生きているから
昨日は東日本大震災の起こった日でした。
今生きていることだけでも奇跡
そして
しあわせなことだと昨日も思いました。
以前そんなことを考えて作った詩を思い出したので、
また書きます
”生きているから”
生きているから
わかるしあわせがある
出会えたしあわせ
笑い合えるしあわせ
ありがとうと言えるしあわせ
ごめんと言えるしあわせ
一緒にいられるしあわせ
けんができるしあわせ
仲直りできるしあわせ
おかえりと言えるしあわせ
ただいまと言えるしあわせ
泣けるしあわせ
しあわせをしあわせだと気づけるしあわせ
生きてることの
すべてがしあわせ
生きるってすばらしい
今日も生きてることの
すばらしさをかみしめながら
生きていきたい。
いのちって何だろう
”いのち”と毎日向き合ってるのに
改めて「いのちって何でっすか?」と聞かれると
心臓が動いてる?
脳死ではない?
生命活動を行っている状態?
ってちょっと科学者っぽく答えてみても
なんだかしっくりこない。
質問を変えて
「なぜ死ぬのですか?」と聞かれても
難しい。
死ぬことは当たり前だし
宗教的に次のステージに上がるために・・・といっても
誰もが納得してくれる答えとは言えない。
そんな時
生物学者の福岡伸一氏が次のように
答えていた。
「秩序あるものは秩序が壊れる方向にしか進まない。
それが宇宙の大法則、エントロピー増大の法則。
生命もこの法則から逃れることはできない。
だから生物は必ず死ぬ。
しかし、生物はただ座しているわけではなく
必死に抵抗を試みている。
自らを絶えず壊しつつ、作り治すこと繰り返し
法則にあらがう。
なんとか坂道を上り返そうとしている。
いのちとは、この健気な努力のことである」
この福岡氏のことば
まさにメタトロンでは、まさに
からだの部分の壊れているところ
そして修復している過程を診ている。
つまり
いのちの状態をチェックしているのです。
そして、そのいのちの力に
手を貸すことにも少しは貢献できている。
メタトロンは
いのちに寄り添っている医療なのだと思う。
3.11
今日は3.11
日本人にとって忘れられない日
東日本大震災から
丸13年経ち、14年目を迎えます。
震災当日のことは
震災に直接あったわけではないけど
サンタキッズ&ファミリークリニックを開院して
1ヵ月した時
日々四苦八苦しながら過ごしていた時期の出来事であり
当日のことだけは今でも鮮明に記憶に残っている。
そしてあれから
今日でちょうど13
年。
13
年経った現在の日本、そして世界を
見渡してみると
東日本大震災当時のことが蘇ってくる。
今も日本が世界が新型コロナウイルスの災禍に襲れ
今年のお正月も能登半島で大きな地震に襲われました。
13年の時が流れましたが
東日本大震災当日と
何が変わったでしょうか?。
13年経った今
当時のことを、思いを
決して忘れてはいけない。
今も被災された方々は、苦しんでいる。
新たに苦しみに巻き込まれている人がいます。
被災された方は復興への道はまだ遠いと感じ
風化していくのを恐れている。
東日本大震災に起こった。
新型コロナウイルスの災禍、
ウクライナの戦争
そして
今年の能登半島の地震。
これらの災害は、決して偶然に起こったことではない
気がするのです。
その後に起こった出来事は
東日本大震災の学びが
まだ終わってないことを
伝えようとしている気がするのです。
東日本大震災によって
すべのことがリセットされた。
そこからで学ぶべきことは
元に戻す復興ではなく
全く新しいものを
新しい価値観で一から作り直す
ことだったのかもしれません。
私たちは
また同じことを繰り返そうと
してないだろうか?
今までの価値観に縛られないものに
気づき、変わらなければならない
時に来てるのかもしれません。
コロナウイルスは
東日本大震災の時のように
全てのものをリセットし
そして
我々に“目覚めよ”と言ってる気がする。
これからひとりひとりが今日はこの13年を振り返り
これからの10年後のあるべき世界を地球を
考えて動かないといけない日にしなければいけないのです。
政治も
経済も
文化も
教育も
環境も
そして
医療も
問題をそのままにしてしまったら
10年後に
もっと大きな災いが来るような気がするのです。
我々が真のメッセージに
気づき、行動し始めた時に
きっと
平和な世の中になる
そんな気がするのです。
生命力は伝わる
週末
防府市の向島小学校にある寒桜を観てきました。
この桜は
僕が入院していた時も
家族から
満開の寒桜の写真がおくられてきて元気をもらった
パワーのある桜です。
今年も空に向けて
ところ狭しと咲き誇っている姿。
きれいと思っただけでなく
力強く生きている姿に圧倒されました。
毎年実際に見に行ってる寒桜。
入院中にも見ていた寒桜。
そして新型コロナウイルスの影響で
実際に見に行くことはできなかったけど、
久しぶりに見た樹には
その生命力の大きさを感じることができました。
そして、
そばに行くだけで
体の底から元気が湧いてきたから
不思議です。
大自然に生きている
動植物、全てのものは
たくましく生きている。
そして生命力溢れるものが
生き残っていることを
教えてくれている
そして
その生命力をつなげようと
してくれているような気がします。
ですから
病気の時だけでなく
元気が出ないときは
生命力みなぎるものに
触れること
無理なら写真だけでもいい
生命力を感じ
生命力を引き継ごうと思う事は
とても大事なことだと思いました。
ちなみににこの寒桜は
樹齢100年、最近蓬萊桜という新種で
山口県の特別天然記念物に指定され
一人で100年以上生きて来ました。
そしてその生命は
接ぎ木された
いわゆるこどもとも言える寒桜につながり
今年も
親に負けないくらいの
立派な姿を見せてくれています。
生命力はどんどん伝わっていくんですね。
あなたにも
わたしにも
ひとつひとつの動作にゆっくり気持ちをのせる
今を生きよう
今、この瞬間を一生懸命生きよう
といわれても
実際にどう生きればいいのか
具体的にはわからない人も多いことでしょう。
僕が考える
今を生きるということは
今目の前にあることを
大事に一生懸命に行うということ。
そう言えば、茶道をやっている人に
茶道の修行は
何も考えず、理屈なども考えず
ただひっつひとの動作をくり返し
何も考えずにできるようになるまで
行うのだと。
聞いたことがある。
つまり
ひとつひとつの動作に
気持ちを乗せることをしてみると
目の前のことに
集中しやすくなることに気づける
ということなのでしょう。
これと中今を生きることとは同じなのだ。
ひとつひとつの動作を
ゆっくり丁寧に
からだを動かせることに感謝しながら行い
そして生きていると・・・
ちゃんと、思い通りにからだが動けたことに
有り難さの気持ちも生まれてくるでしょう。