月別アーカイブ: 3月 2024
自信を回復させてくれるもの】
今日は、
自分にとって
元気や自信を回復させてくれるものって
なんだろうか、考えてみました。
僕にとって
元気や自信を回復させてくれるものは、
きっと自由な時間だと思います。
ある事柄に一心不乱に取り組み
無事成し遂げた後の
開放感は格別なものがあります。
その時感じた開放感は
何かに解き放されたかのように、
まるで
久しぶりに太陽の光を
浴びたかのように
全身エネルギーチャージされていくような
感覚に全身が満たされます。
そして
疲れがとれ、
気がつくと次へのエネルギーに
充填されていくのを感じます。
その心から解放される時
自由な時間をどのように過ごしているか?
実際に好きなことをする、
家族と過ごす、友達と過ごす、
好きな本や映画を観る・・・
その時々で自由な時間の使い方は違います。
また、たとえ何もしなくても
自由を感じることだけでも
自分へのご褒美をいただけたような気がします。
自分に元気を回復されてくれるもの
それは、決してモノではないような気がします。
今振り返っても
疲れた時に
心が満たされたモノは
思いつきません。
物ではないような気がします。
自由を得られたことは、
何かから解放されたということ。
自分の明日へのエネルギーであり、
希望へと続くものだと思います。
そして
自らの発展に繋がっていく。
そして
新たな結果を生むステップにつながる。
その満たされた結果自体が
ひょっとしたら
ご褒美なのかもしれない。
何にも束縛されない、
心から溢れる純粋な明日への活力、
未来の成功へのスタートに立てた気持ちが、
僕にとってのご褒美としての
自由なのかもしれません。
あなたにとって自信を回復させてくれるために
必要なものって
なんですか?
桃の節句
今日は五節句のひとつ「桃の節句」です。
桃の節句を邪気を祓える日と
昔から考えて大切にしてきました。
実際桃の花が咲くのは、まだ先ですが
今日は、桃について。
桃には古くから
邪気を祓うパワーがあり、
魔除け、厄除けの効果があるといわれています。
古事記でも
伊弉諾尊が黄泉の国から逃げた時
追ってを退治できたのは
桃の実だったと書かれています。
中国でも
桃の木で作った杖は邪鬼を避ける
桃の木で作った弓で矢を射れば災いを避けるなど
といわれているようです。
桃は確かに邪気を祓うようです。
桃の花ではなく種に祓う力が強いようです。
種は邪気を祓うというより
種の中に吸い込んで封じ込めるようです。
盛り塩も邪気を祓いますが
塩は邪気を吸うと、悪い物に変化し
邪気を放ち始めるので取り替えが必要ですが
桃の種は邪気を放つことはないのが
特徴のようです。
ですから、部屋に桃の種を4,5個おいておくと
いいようです。
命に感謝
マラリアの研究で著名な寄生虫学者の
堤可厚先生がケニアのマサイ族と暮らした時に
酋長と交わした話。
酋長 「人間にとって一番大切なものは何だと思うか?」
酋長 「それは胃袋だ。
胃袋がダメになれば人間は死ぬ。
人間が死ぬ時には、食べ物が入らなくなる
だろう。
また、森で死んだ動物の腹を切り開いてみると
胃袋に必ず血が入っている。
だから、胃袋が一番大事なんだと」
このように答えたそうです。
また、こんな質問もされました。
酋長 「お前はどうして
眼がこの高さについているか知ってるか?」
酋長 「そんなこともわからないのか。
眼がここにあるのは、立って遠くを眺めた時
1日で歩いてたどり着く地点を見るためなのだ。
だから、誰でも、立って自分の眼の届く
ところまでは歩いていくことができるのだ。」
先生 「でも、身長が高い人もいるし、
低い人もいるでしょ?」
酋長 「背の高い人は、足が長いから
見える所も遠いけど、歩ける距離も
長くなるだろう?
そんなこともわからないのか(笑)」
この話を聞いて、ハッとしました。
胃袋がどうしてあるのか?
眼がどうしてここにあるのか?
考えたことも、実感したことも
元気なら考えないかもしれない。
過酷な大自然の中で生きている人は
目には目の働きが
耳には耳の働きが
胃には胃の大切さを感じながら
からだの一部分が
大切な役割をしていることを実感しながら
生きている。
その大事さを
我々は感じているだろうか?
現代人は
からだの臓器を部分を
部品と考えていないだろうか?
目には目、胃には胃の役割があるけど
ひとつひとつが
生命という全体を支えていることを
感じながら生きていくことができれば
もっと自分のからだを大事にすることが
できるのかもしれない。
からだ全体に支えられて
僕たちは生きることができている。
だから
からだひとつひとつの部分に
命に
生きていることに
感謝しなければならないのだと思う。
嫌なことは、すぐ忘れる
毎日、いいこともあるし
悪いこともある。
いいことがあると
それは明日へ進む力になる。
逆に
悪いことがあると
前を向いて歩けなくなってしまう。
だから、
悪いことが起こったら
とにかく悪いことは
すぐ忘れるようにすることです。
そのためには
立ち止まらずに
新しいことを無我夢中で行えばいい。
人がどう思うか
なんて関係ない。
自分がいつまでも悪いことにこだわっていると
益々惨めになってしまうから。
嫌なことはすぐ忘れるようにしよう。
忘れることも大事なんです。
知らなくていい権利があることを誰が伝えるのか
恩師でもある
大賀正一教授の講演を拝聴した。
演題は「新生児医学と小児医学~無限と連続~」
話は
生まれた時に行われる
新生児に行われる新生児スクリーニング検査
でわかる病気の種類が
僕が医者になった頃は6種類だったけど
今は、数十種類以上にわたるようになったと
言うところから話始まった。
それらの疾患が
新生児スクリーニング検査で判明したとしても
とても希な病気であったり
治療法もわからないなど
病名だけが知識としてだけ
一人歩きしてしまう病気がある。
そのような
将来発症するかどうかもわからない病気だと
発症しても治療法がない病気を
知ることが本人にとっていいのか
家族が知っとけばいいのか
主治医の心の内に秘めておけばいいのか
その判明後の行動が
その子の人生を大きく変えてしまうことにも
なりかねない。
それに対して
希な病気
500万人にひとりのような病気でも
最近原因、治療法がわかり
救うことができるようになった病気もある。
そんな病気に対しては
治せるのだから
希であっても、お金がかかっても、リスクがあっても
挑んでいかねばならない。
挑むことで、その子の人生は大きく変わってしまう。
生まれたとき正常でも
病気の原因因子を持っていると
様々な条件でその病気が発症することがある。
だから
生まれて、健やかに育っていくことを
サポートするのが使命の小児科医は
その子の命、いえ、いのちだけでなく
人生、しあわせさえも願って働き続けなければならない。
生まれてから死ぬまでの
連続する命を見届けるのが小児科医の役目
だと恩師は熱い思いを込めて
我々にメッセージを送ってきた。
医者はサイエンティストであるため
最低この期間に対して
責任を持つべきであると思うが
僕は更に、生まれる前、死んでからも
つまり魂の連続についても責を負っていくべきだ
と思ったのです。
恩師から、素晴らしい気づき、学びの
有り難い時間を過ごしました。