月別アーカイブ: 4月 2024

あるがままに生きる

これからは
誰もが、
あるがままに生きていったらいいと思います。
自分らしく、あるがままに生きていく時代に
なったのだと思います。

でも、ここで勘違いしてはいけないことは
あるがままに生きるとは
わがままに生きていいということではないのです。

「あるがまま」と「わがまま」は違うのです。
自分勝手にしたい放題にやっていい
ということではないのです。

あるがままに生きるとは
相手のあるがままも受け入れるということです。
わがままは
自分のあるがままは認めても
自分以外のあるがままは認められないのです。
自分のあるがままは許せても
相手のあるがままは以外に認めにくいです。

人はひとりでは生きてはいません。
自分が自由にあるがままに生きるためには
自分のあるがままを許してくれる
自分以外の人のあるがままを受け入れないといけません。

自分も自分以外の人も
「あるがまま」に生きることができる世の中は
しあわせの社会なのだと思います。

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無意識界

人間は、賢い生物だと
自分のことを思っている人がほとんど。

だから、自分の頭で考えた世界が
目の前で現実になることが
しあわせなんだと思ってしまう。

でも、実際は
頭に描いたしあわせを手にした時に
これでは満足できず
多くの人が次のステップに向かって
また歩み続ける人が
ほとんどだと思う。

この事実を
素直にうけとめられるのは
自分の考えたとおりにならないことを
知っているからだと思う。

このことは
実は人間が描いた世界ではない
人間の描ききれない世界が
あると人々は気づいてるのかもしれない。

意識で描くことができない
無意識界という世界の存在があり
そこにしあわせな世界があることを
誰もが知っているのかもしれない。

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木偶の坊(デクノボウ)になりたい

木偶の坊になりたいという言葉が
宮沢賢治の「雨にも負けず」という詩の中に
でてきます。

この詩を読む度に
僕の意志としてのこころを揺さぶる詩です。

この詩の言葉ひとつひとつが
僕に語りかけてくるのです。
そして、僕の生きる目的、使命を
思い出させてくれるのです。

僕が日々こうして文字を綴っている目的に
気づいたのです。

自分はこれまで生きてきて感じた
価値ある思想や教えをひとりでも多くの人に伝える
パイプ役になるのが
自分にとっての大切な役割だと
思うようになったのです。

何も威張れるようなことも、恥じらうこともない
極々平凡な自分だからできることがあると
この詩を読ん強く思うのです。

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○○しない愛が必要

母親は
こどもを守りたい、
つらいことや苦しみを味合わせたくない
と思うのは
今までの時代もこれからの時代も
変わらないことだと思います。

でも
ニュースを見ると
母親がこどもに虐待するような
報道が目につきますが
母親の気質は
昔とそんなに変わっ手ないと思います。

何が違っているのかというと
明らかに時代の影響を受けているのです。

今は、ものやお金があふれています。
昔なら
欲しいものがあって、ねだられた時
お金がないとか言えたので
よかったけど
今は欲しいものを手に入れることは
頑張れば、現実的に
可能な時代なんです。

ですから
今の時代は
してあげたいというのが愛ではなく
○○しない愛というのもあることも
意識して生きて行かないと
乱れた世の中になってしまうのかもしれません。

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希望も投資

夢や希望などなくても
生きようと思えば生きていける。

夢や希望について考えてみると
夢や希望を実現するために
今を犠牲にして
将来の利益を得ようとするという意味では
投資と同じかもしれない。

投資するとき
どんなに慎重に行っても
堅実に行ったとしても
時間が経つと状況は変わり
失敗することもある。

夢も同じ
どんなに確実に、計画的に行ったとしても
自分が思ったように
時間が流れて行かないもの。
夢を叶えるためには
運も必要だともいわれています。
投資も同じですよね・・・・

ですから
夢や希望が叶わない、失敗したからといって
落ち込むことなく
次に進んでいくことが大事だと思うのです。

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艱難(かんなん)、汝を玉にす

ということわざがあります、

痛みが大きいほど
学びも大きくなるという意味です。

人生は、よく旅に例えられます。
目的地に向かううちに
困難をのりこえて、その度に学び、成長し
目的地にたどり着いた時には
今までとは
全く異なる自分に
なっている、ならなくてはいけないのが
人生だというのです。

人生で出会う困難は
実は全て学習のための教材だということです。

困難に直面した時
ただこの困難を避けようとするだけで
何も学ぼうとしないでは
もったいない。
折角の成長のチャンスを逃してしまうことになります。
困難を困難としか考えないと
その困難はただ辛いだけのものになります。

その困難から抜け出したいなら
その困難な状況になった時
まずは謙虚に、素直にその状況を受け入れることが
大事なのだと思います。

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病気は愛を知るために

病気になったり
悪いことが起こると
なぜ、どうして
こんなめに合うのだろうかと
考えてしまいます。

僕も病気になって
落ち込み、悩みましたが
日が経つにつれ
病気は
自分に愛とは何かを
教えてくれているような
気がしてきたのです。

人に与えられた最高の感情は
“愛”なんだと僕はずっと思っていました。
今回の病気の経験で
愛を知るためには
悲しみ、苦しみ、怒り、憎しみ、嫉妬など
あらゆる負の感情をも知ることで
本当の愛を理解できる。
つまり
愛とはあらゆる感情の総和
あらゆるものの集合
いいも悪いもない
全ての感情であることに気づいたのです。

そして
あらゆる感情を経験するために
人は様々な経験をするのだ。
様々な経験を通して感じた感情が
人として
心もそして魂も成長させるのだと思います。

だから今回
病気になって感じた
正直な思い、感情を大切にして
生きていくことが大事なんだと
教えてくれていることに
気づきました。

病気になったのも
魂が成長するために必要な事なっことだと思います。
だから今の思いを感じることを大切にして
生きていかないといけない。

実はこれまで
病気になる前にも
愛を学ぶ機会って
沢山準備されてたんですよね。
それにきづくかどうか

今日も
どんな一日になるのか
1分1秒先のことさえ
どんなことが起こるのか
誰にもわかりません。

でも
どんなことが起きても
その時の気持ち、思いを
しっかり受け止めて
その思いを大事に生きていかないといけない。
それ が“愛を知る”というなのかもしれない
・・・・・そんな気がするのです

☆今部屋には温かい朝日が差し込んでいます。
でも、だんだん天気は下り坂とか。
どんな一日でもあっても
今日という日を大事に過ごしたいですね。

追記
今バドミントンの桃田選手のインタビューが
放送されてました。
予期せぬ事故で悩んだと思いますが
その時感じた苦悩、応援などの思いをしっかりと受け止め
大切にして
今回の経験からきっと思いを感じたから
またひとつ強くなられて
オリンピックで必ず金を取るという
強い言葉になったんだと思います。

蘇った桃田選手のこれから注目です。
僕も応援します。

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離見の県

この言葉は
室町時代に活躍した能楽師である世阿弥が
書き残した「風姿花伝」にある
言葉です。

この言葉の意味を世阿弥は
「演者が自らのからだを離れて
客観的な目線を持ち、
あらゆる方向から
自分の見る大切さ」を語っています。

つまり
いい演技を行うために
自分自身の演技にだけ集中すればいい
ということではなく
周りを見わたし
前からも、後ろからも、斜めからなど
多くの角度から見てみなさい。
全体の中から自分の立ち位置を
確認しなさいという言葉だと
理解しました。

そして
この言葉を聞き考えると
僕たちのからだについても同じ。
様々な角度から今のからだを見て
周りとの関係性も理解し
状態を把握し
診断、治療に当たらないといけないことを
改めて気づかされた言葉です。

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人間の本質は魂

人間の本質は肉体だけではなく
その中に宿る”なにか”と考えた方が
絶対的に腑に落ちます。
これを”意識体”と呼ぶ場合もあります。

人間の本質は
肉体でも脳による思考でもなく
実は、それらから独立した意識を伴った存在
なのではないでしょうか?

一般にこの損自我肉体と繋がっている時は
”魂”と呼び
肉体と離れると”霊”と呼ぶのでしょう。

そして
この意識体が、肉体と繋がっている時を
我々は{生きている}といい
肉体から離れることを「死」と
呼んでいるのです。

肉体から離れた意識体は
肉体から離れても滅ぶことなく
自然に帰っていくと考えられています。

肉体は滅んだ後は
意識はのこり、僕たちの意識体はずっと存在していくのです。

だとしたら
死んだら終わりという生き方を
変えていかないといけませんね。

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天の理にかなった暮らしが一番

日の出と共に起床し(早起き)
よく働き(からだを豆に動かす)、
その土地の旬の食材を使った食事をとり
好き嫌いをせずによく噛んでいただく。
(農薬の心配のない新鮮な野菜、保存料などを使っていない
手作りの食事)
何事にも感謝と思いやりのこころをもち
(ストレスを生まない)
帰宅したら手をよく洗う(清潔)
日暮れにカラスとともに返り、
一家団欒で夕食をとる。
そしておとなも、こどもも21時になれば
当然のように就寝する(早寝)。

これが
今の日本人にあっか
基本の生活習慣なのだと思う。
思い返せば、昭和の時代の生活
それも戦前までの生活なのだと思う。

現代の生活は
テレビ、車、携帯電話、スマホ、パソコン、冷暖房完備など
昭和の時代よりも
ずっと便利な文明の利器があふれていています。
すぐ、知りたい情報を
受け取ったり
欲しいものを手に入れたり
住環境も快適になっています。

でも、現代は、昭和の時代よりも
人間だけでなく、ペットまでも
健康に不安を抱えている時は
なかった気がします。

なぜ、こんな状況になったのか
文明の利器に頼るのではなく
自分の生活を見直すことから
考える必要がある気がします。

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