月別アーカイブ: 6月 2024

自分の価値を決めるのは?

人の価値は何で決まるのか?
誰にも承認欲求はあるから
自分以外の人に認められたい
褒められたい
認められたらうれしいもの。

そのために
日々頑張っている人も多いことでしょう。
頑張った結果として
給料があがったり、地位が上がったり
有名人と知り合いになったり
そうすると
自分も偉くなった気がしてしまいます。

これって
大きな勘違いです。

人の価値は
いくら稼いでいるとか
社会的に高い地位や立場にあるとか
誰かと付き合っているということで
決まるわけではないことを
憶えておかないといけません。

自分の価値を決めるのは
唯一、自分がどう生きているかだけです。

自分自身のことは
自分自身にしかわかりません。
自分自身に恥じない生き方をしていれば
どこにいても、誰と会っても
恥ずかしくない人間なのです。

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喜びのグラス

人の心の中には
喜びのグラスがあるのです。
自分の喜びのグラスをまず満たして
そこからあふれた時
そのあふれた愛情を使って
人に愛情を分けられるようになるんです。

だから
人に優しくするために大事なことは
自分をまずは自分に
愛情を注がないといけないと言うこと。

自分のこころの
喜びのグラスが満たされると
あなたの魂が喜んで
あなたにも素晴らしい力があふれ出すのです。

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疫病神と貧乏神

日本人は
八百万の神を敬い
全てのものに神様が宿っていると感じ
全てのものに崇めている。

世界的にみても
多くの神様を崇めている民族は珍しいのでは
ないかと思っています。

太陽、月、風、食物など
人に恵みを与えてくれるものを
崇めるのには誰も意義を唱える人は
いないでしょう。

でも、日本人は
病気などの災いが起こった時にも
疫病神がきた
貧乏になっても貧乏神に愛されてる
なんて、生活を脅かすものにも
神様が宿っていると
考えて、崇めている。

これって凄いこと。
苦しめられてる人を崇める姿勢
中々できない。

でも
病気でも貧乏でも何か意味が
あることなんですよね。

身の回りに起こったこと全てを
受け入れ、大切に受け止めることが
大事なんでしょうね。

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坂本龍一氏のLAST DAY

世界的作曲家で、昨年亡くなった
坂本龍一氏の
最後の三年間を追ったドキュメンタリーを
観た。

作り物ではなく
文字通り
坂本龍一氏の最後の日までの
肉声、日記など
その時、その時の
苦しい胸の内
ふと晴れ間が指したような
気力があふれる日があったり
揺れる心内が伝わってきた。

病気は私たちの心を
自分と向き合わせてくれていた。
病気を通して自分を更に深く見つめることができる。

坂本龍一氏は
音楽と言うより、音とくに雨の音に
心和まされ、愛していた。
音と共に生きた人生。
それがご自身が求めた人生だったのだろうと感じた。

氏の人生が
幸せだったかは本人しかわからないけど
きっと音楽と共に死ぬ間際までいきられた
満足の人生だったのではないかと思った。

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幸福はどこに?

幸福って、なに?
幸福って、どこにあるのだろう?
若い頃から
幸福を探しても探しても
どうしても見つからなかった。

その訳がやっとわかった。

初夏のような
どこまでも続く青い空を見ていて
目を瞑って
自分の顔を優しくなでるような風を感じた時に
幸福が訪れていたことに気づいた。

幸福を自分の外にあるものと思っていた。
実は
心の中に突然幸福は訪れる。

人は悩みがなければ
いつでも、どこでも幸福なんだと。
幸福は、決して外に求めるものではないことに
どこまでも広がる青い空が教えてくれた。

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得ではなく徳を求める生き方を

選択に迷った時
「損得」を基準に考える人は多いでしょう。
確かに物に恵まれ豊かに生きようとした時には
「損得」や「勝ち負け」という風な
二元論で考えることで
我々の生活は豊かになってきました。

でも
東日本大震災などの災害を経験した時
損得や勝ち負け判断できないことが
身近に起きることを経験しました。

損得だけでなく
善悪という価値観も
その時の常識で判断します。
でも常識は、時代が変われば、
また国が変われば
変わってくるのです。

ですから
善悪で判断することも絶対ではありません。

なら、何を基準に生きていけばいいのでしょう。
それは「徳」を求める生き方です。
徳の説明は言葉でなく、美しい物を美しく
楽しいことを楽しいと
感じる心を大事にして生きることだと思うのです。

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お手本探し

若い時には
よく自分探しの旅をしようと
海外に行ったり、アルバイトをしたり
未知の体験をして
自分のやりたいことや
自分の可能性を広げようとします。

本当に必要なのは
自分探しなのではなく
お手本探しではないかという気がします。

自分というのは、どこにいても
「今、ここ」にしか存在しないのだから
旅に出ても、仕事や環境を変えたところで
自分が見つかるわけではないのです。

それよりも
こうなりたいと思えるような
お手本がもてれば
目標とする人が
人生の岐路に立たされた時に
様々な方法で手を差し伸べてくれます。

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雨ニモマケズに学ぶ

宮沢賢治の詩「雨ニモマケズ}は
今でも人々に多くのことを
伝えてくれる詩です。

この詩の中に
「ヒデリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ」
というところがあります。

この中のヒデリを
高熱で苦しんでいる人
サムサのところを
難しい病気や老衰などで末期の状態の人だと
読み替えてみると。

病気の本人が
つらさのあまりに涙を流し、
オロオロしてしまうのは当たり前のこと。
当人だけの問題ではなく
周りの家族だけでなく医療スタッフも
医者でさえも対応に苦慮することもあります。
そんな時の光景を
オロオロアルキって表現されるのでしょう。

でも
自分の医者人生を振り返ると
オロオロの連続です。
このオロオロアルキだから
患者さんの気持ちに寄り添い
共に困難から立ち上がる力が
あふれて進むことができたと気がします。

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だからこそ

「だって」「でも」というような
マイナス言葉は使うな
とよく言われます。

確かにマイナス言葉ばかり使っていると
運も逃げてしまいます。

マイナス言葉でなくても
「だから」って言葉のように
使い方によっては
プラス言葉にも使えるし
マイナス言葉にもなるという
言葉もあります。

だからという言葉を使いたくなったら
「だからこそ」をつけると
悪いこともいいことになる不思議な言葉があります。

例えば
「両親の仲が悪い、だからわたしは不幸だ」となるけど
「両親の仲が悪い、だからこそしあわせは
夫婦仲良くしていこうと思ってる」
という風にだからこその後には、前向きな言葉が続きます。

だから、だって、でもなどが
口から出やすい人は
是非「だからこそ」を口癖にしてみましょう。

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受けた恩は絶対に忘れない

人間は一人で生きていくことは
できません。

日々多くの人に支えられ、助けられ
人生を過ごしていきます。
今していること、
今の仕事に関すること
自分の利益につながりそうな人に対しては
誰もが礼を尽くすことを
忘れないでしょう。

でも
自分の目の前を通り過ぎた人
過去にお世話になった人
に対しては
恩を忘れないですか?

人から恩を受けた時の気持ちは
時間が経っても
決して忘れてはいけないものです。

人から受けた恩を忘れず
受けた恩に対して報いる努力をする
自分もまた、他の人に対して
受けた恩を送るような
人生が過ごせたら
しあわせな人生だと思いませんか?

誰にでも
お世話になった人は必ずいます。

両親、師、友人、知人・・・・
誰もがあなたのために
手を差し伸べてくれたのではないでしょうか?

その一人一人に
感謝の気持ちを伝えることができれば
気持ちも人生も豊かに
なるような気がします。

毎日一人づつ感謝したら
一年で365人
3年で1000人近い方に感謝することができます。

現代は、
手紙、電話、メール、ライン
様々な伝達方法があります。
自分に合った方法で伝える
また
決して、形にしなくても
その人に感謝して、しあわせを祈るだけでも
恩を尽くすことのような気がします。

受けた恩を絶対忘れることなく
あなたらしく
感謝をもって日々生きることが
できたら、きっと
あなたの心を豊かにし、
しあわせな人生へと
つながっていくのだと思います。

 

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